昔、いや、少し前まではそうじゃなかったんです。優しくて、いつも私のことを第一に考えてくれていて……。今思えば、私は姉から、本当に、本当に大切にされていたのです。目では見えないけれど、底の見えない姉妹愛を全霊に注いでくれていたのです。…にも関わらず、それに気付かず、常にもて余した放浪欲にかまけるまま、ふらりゆらりと地上をさ迷う。そんな私が悪かったのです。姉の優しさを甘受するばかりの当時の私は、姉に何一つ、何かをしてあげたことがなかったのですから。その優しさに気付くことすら出来ていなかった私に、どうして何かが出来たでしょう。どうして姉の本当の気持ちに気付くことが出来たでしょう。
姉をいじわるにしたのは他の何者でもない、私でした。
「…おねえ、ちゃん……?」
「おはよう、こいし。眠たそうな顔も可愛いわ」
「あ、ありがと。…え、えっと、訊きたいことがあるんだけど、いい?」
「なにかしら?」
「…なんで、お姉ちゃん、私のベッドにいるの?」
「こいしと一緒に寝たから?」
「う、うん。そうなんだね。そういうことじゃないんだけど、そうなんだね」
私が訊きたかったのは、昨日取り付けたばかりの部屋の鍵をどうしたんだということだったんだけど……はは、もういいや。
「さあ、どうしましょうか。朝御飯? お風呂? 二度寝? それとも…」
「そ、その前に、まだ訊きたいことが残ってるんだけど、大丈夫かな?」
「なあに? 今日の朝御飯はこいしの大好きなオムレツよ? あれってとろとろに作るの難しいの。こいしのあそこはすぐにと」
「なんで私、縛られてるの?」
ちょうど両の手首を交差させたところを、ギッチリと縛り付けられていた。解こうと力を入れても微動だにしない。どうやってこんな完璧な縛り方を覚えたんだろう。痕にならないといいんだけど…。
「痕が出来ないようにはしたつもりだけど、出来たら出来たでそれもいいわよね」
パジャマ姿のお姉ちゃんは、にっこりと花が咲いたような笑顔を見せた。本当の本当に幸せそうな表情。私、苦笑い。
「あ、でもね、縛り痕って、荒縄とかの素材の荒い紐でどんなにきつく縛っても、1、2週間もすれば無くなっちゃうんだって。残念よね」
「も、もう一度訊くね? なんで私、縛られてるの?」
「あの時のこいしが可愛かったから」
「っ!?」
「っていうのもそうだけど、本当は別の理由よ」
「別の、理由?」
「そう、別の理由」
妖しい微笑み。濃い菫色の瞳にじっと見つめられて、胸がキュンと締め付けられる。お姉ちゃんは私を見つめたまま、ゆっくりとした動きで覆い被さってくる。手を顔の横に着かれると、真正面に、お姉ちゃんの顔。どきどき、どきどき。顔は熱く、鼓動は激しく。もう、お姉ちゃんの唇しか目に入らなかった。淫靡なまでに艶帯びた、その唇しか。
「だ、だめだよおねえちゃん…。ま、まだあさ、なのに…こ、こんなことっ……」
「おはようのキスは、朝にしか出来ないわ」
「き、キスだけなら、その…べ、別にいい、から……そ、その前にっ、これ、ほどいて? こんなとこ、みんなに見られちゃったら……」
「そういえば、もうそろそろ燐が朝の挨拶に来る時間ね。今日は空も一緒かしら?」
「ふぇっ!? 」
「今の私とこいしを見たふたりは、どう思うのかしらね」
顔が、体が、みるみる熱くなってくる。…だ、だめ。そんなの、絶対だめ……。こんなとこ、もしふたりが見たら、絶対、誤解する…いや、実際はそんなことなくて、それこそ誤解とは逆、本当のことなんだけど…そ、それこそ、だめ、だよぉ……。
「どうしたのこいし? そんなにも可愛い顔されたら、キスだけで済ませる自信が無くなっちゃうわ」
「っ!? ほ、ホントに、ダメだよお姉ちゃん…? こ、これっ、早くほどかないと、怒るよ…?」
「怒った顔も、きっと可愛いんでしょうね。見てみたいわ」
「ひぁあっ…!?」
パジャマの裾から、お姉ちゃんの手が入り込んでくる。発する言葉を考える余裕も無く、お腹の上をゆっくりと撫で回され、思わず声がこぼれてしまう。
「ゃっ…。ぉ、ぉねえ、ちゃ……!」
サディスティックな笑みを浮かべたお姉ちゃん。震える私の耳元に顔を近づけ、囁いた。
「もう、キスだけじゃ済ませてあげないから」
「っ!?」
キスよりもずっとずっと、恥ずかしい言葉。顔がめちゃくちゃに熱くなって、声にならない叫びが喉元に絡み付く。と、不意にお姉ちゃんの手のひらが、私の頬を包み込んだ。楽しそうな、嬉しそうな、でも不敵なその笑み。深紫の瞳が、ぎらぎらと煌めいている。そんな気が、した。
「でも、その前に。おはようのキスしなくちゃね」
「お、おねえちゃ…」
「大好きなこいしに、おはようのキス」
赤い舌で、ぺろりと舐めずられた唇。意図して湿らされたそれは、私のそれにゆっくりと近付いてくる。しっかりと両手で固定されている顔は動かせるはずもなく、動かすはずもなく。あぁ、結局、いつも通り、またお姉ちゃんに流されちゃうんだと、諦めを多分に含んだ情けない気持ちに身を任せ、目を瞑り、自分からも唇を差し出した―――その時。
「ここからはR18指定よ、空、燐」
「うにゅっ!?」
「ふにゃっ!?」
ダンッ、と弾幕が弾ける音。反射的にその音源に目を向けると、部屋の扉の所、お空とお燐が折り重なるように倒れて…おくうと、おりん……?
「っ~~~~!!?」
「ご、ごごごめんなさいいさとりさまこいしさまぁっっ!! わ、わたしはダメだよ、っていったんですけど、お、おりんが…! その…。む、むりやりっ…!」
「…ほほぅ? そんなふざけたことを抜かしらっしゃるのはこのお口かしらおくうさぁん…?」
「ふぇぁっ」
「みんなの分の朝ご飯をせっせと作ってたあたいを訳の分からん理由でここまで引っ張ってきたのはどこの鳥頭だい…?」
「い、いふぁいいふぁいっ!」
「って言っても? ここに鳥頭なんて一人しかい、な、い、ん、だけどねぇ!!」
「ふぉへんふぁはいふぉいんっーー!!」
「……」
「ふたりとも仲が良いようで微笑ましいわね。私たちも見習いましょうか?」
「へ? …お、お姉ちゃん? ど、どうして顔を近付けてくるのかな?」
「どうしてって、顔を近付けなきゃキスは出来ないでしょ?」
「っ!? ななな、なに言ってるのっ!? お空とお燐がいるんだよっ!?」
「別にいいじゃない。見せつけてあげましょ」
「な、な、な……!」
騒がしくなっていた部屋が、途端に静まる。ゆっくりと迫る、お姉ちゃんの顔。その脇から、ちらりと見えたふたりの姿。息を呑んでこちらに視線を注いでいた。見られてる、その意識が最高に高まっている証拠だった。顔が燃え上がったように熱かった。
ふとした時には、鼻先同士が当たるほど近くにお姉ちゃんがいて。コンマ数秒後には触れるであろう柔らかい感触を前に、条件反射した瞼は視界を消した―――のだけれど。
「………」
いつまで経っても、柔らかい感触は降りてこない。無意識に、薄く瞼が開かれると。そこには呆気に取られる私を、によによとした笑顔で見下ろすお姉ちゃんがいた。成功したイタズラの経過を観察するような、そんな無邪気という邪気に満ちた、恍惚とした笑顔で。
「いっぱい見ちゃった。こいしのキス顔」
「~~~~~っ!?」
「とっても可愛かったわ…ホントにキスしたくなるくらいにね」
そんな言葉に、私悶絶。とてつもない羞恥心に煽られて…声すら出せなかった。そんな様子を見てか、もう我慢出来ないと噴き出し始めたお姉ちゃんは、やっぱり幸せそうだった。
「さて、もういい時間だし、朝ご飯にしましょうか。燐、空」
「「ひゃ、ひゃいっ!!」」
「食卓の準備、お願い出来るかしら?」
「りょ、了解です!」
「おお、大急ぎでがんばります!」
「ふふ、急ぐのは構わないけど、食器は割らないでね」
返事と一緒に脱兎の如く駆け出したふたりには、きっとその言葉は聞こえなかっただろうな。ぼんやりとそんなことを思えるほどに、私は冷静になっているらしい。それでも、まだ、顔は熱いし、赤いだろうし、心臓はどきどきうるさいんだけど……と、完全に油断していた私はいきなりお姉ちゃんにぎゅうぅぅっ、と抱きしめられ、またパニック状態に陥れられる。顔全体を包み込むふにゅふにゅの柔らかい何か。黄色い悲鳴を上げる度に取る呼吸は、酸素と共に意識が飛びそうになるくらいの良い匂いを脳に送り込むことで、私の思考をたっぷり犯していた。
このいつ終わるのか全く分からない生殺しが終わったのは、視界が黒から白に変わり始めた時だった。
「―――さ、解けたわよ。…あら、そんなにぐったりしてどうしたのかしら?」
「…ぜ、絶対に確信犯でしょお姉ちゃん……」
「さて、何のことだかさっぱりだわ」
わざとらしく、胡散臭い笑みを見せるお姉ちゃん。そんなにも幸せそうな顔をされると、怒るに怒れない…これもまた、いつものことだった。
「…お姉ちゃんのばか」
「思った通り。怒った顔も可愛いわ」
「…! も、もうっ! ばかばかばかっ!!」
とにかく恥ずかしくて悔しくて、私は傍にあった枕でお姉ちゃんをばしばしと叩き始める。お姉ちゃんはというと、私の攻撃を上手に捌きながら、『きゃーこわーい』なんて言いながら、によによによによと私を見つめていた。
しばらくの間、そんなくすぐったい時間を過ごした後、落ち着きを取り戻した私はお姉ちゃんに気になっていたことを訊ねた。
「…結局、私をからかうためにわざわざ鍵壊したり縛ったり、お燐たちの前で、あ、あんなこと言ったりしたの?」
「あら、私の愛がそんな風に思われてるなんて心外だわ。お姉ちゃん涙が出ちゃう」
よよよ、とこれまたわざとらしく泣き真似をするお姉ちゃん。こんな調子だから、からかわれてるだけにしか思えないんだよなぁ……。
ほんのちょっとだけ芽生えたイライラ。せめてもの反撃にと、私は大袈裟にため息を吐いて見せると、ぎゅっと抱きしめていた枕を手離し、無言のままベッドから降りた。
「行こ、お姉ちゃん。きっと、ふたりとも待ってるよ」
数歩歩いてからそう言って、お姉ちゃんの反応を待たず部屋を出ようとしたその時。
「忘れ物よ。こいし」
「えっ?」
振り向いた瞬間、手を掴まれ、腰に腕を回される。それは一瞬の出来事だった。
「、」
唇を、柔らかくて温かい感触に包まれる。思いがけず止まる呼吸。頭の中を一度、真っ白にされた私には、目をニ、三度ぱちくりとさせることしか許されなかった。
掴まれた手にぎゅっと力が込められ、宙に浮いていた意識が足を着く。無粋にも私の瞳は開かれたままで、自ら唇を差し出しているお姉ちゃんが視界を覆っていた。その表情には動揺とか緊張の文字は一切感じられない。まるで眠っているように健やかで、凛としていて、本当に綺麗。見つめれば見つめるほど、鼓動が速くなった。私なんかじゃ絶対に釣り合わない、妹であることが恥ずかしく思えてしまうこんな人に、唇を奪われているんだと。愛されているんだと思えば思うほど。
そっと、唇が離れた。時計の針がどのくらい動いた頃だったんだろう。お姉ちゃんが私から離れた今には、もう分からなかった。
「びっくりしちゃうわ。こいしったら、こんなにも大切なモノを忘れてるんだから」
「……ばか。これはお姉ちゃんの忘れモノでしょ………」
―――それもそうね
お姉ちゃんは綺麗な菫の華を咲かせた。
「さて、ご機嫌斜めなお姫様の処方箋はふたつで足りたかしら? ひとつは受け取って貰えたか心配だけど」
「…お姉ちゃんのは、綺麗だったよ。とっても、とっても」
「綺麗…。可愛い、って言って貰えた方が嬉しかったわ」
「可愛い、には程遠かったかなぁ」
「あら、それはどういう意味かしら?」
そんな取り留めのない、くだらない会話。私もお姉ちゃんも思わず笑い出してしまった。木漏れ日に包まれたような、温かくて優しい時間だった。
お姉ちゃんは確かにいじわるだけど…それよりもずっと、優しい。当たり前のことだったのに、最近は忘れていた。あとでごめんなさい、しなきゃね。
「…さ、今度こそ行こっか。私たちが全然来ないから、ふたりとも待ちきれなくて様子見にくるかもしれないよ」
「あら、ふたりならさっきからずっとそこにいるわよ?」
「は?」
ごめん、お姉ちゃん。ちょっと何言ってるか分かんないや。ふたりがいる? そ、そんなわけ
「ご、ごめんなさいさとりさまこいしさまぁっ!!」
「!!??」
「す、すみませんっ! 出歯亀のような真似をするつもりはなかったんですっ! ただ、あまりに遅いんで来てみると、扉が開けっ放しになってて、その…」
「……ど、どのあたりから、見て、たの…?」
「こいし様が、さとり様を枕で叩いてた辺りから…」
「…!」
「そ、そのあと、さとりさまとこいしさまが、ち、ちゅ、チュウ……」
「……!!」
「ぜーんぶ見られちゃってたわね。こいし?」
「わぁああああああーーーっっ!!??」
―――その時の私の絶叫は、地霊殿中に響き渡ったとか渡らなかったとか。
訂正します。私のお姉ちゃんはドSです。
ありがとう
恥ずかしがるこいしちゃんが凄まじく可愛かったです。
やはりこめいじは相思相愛(LOVE)が一番素敵。
前作の続きだったりするのか
フランちゃんの参戦に期待
相変わらずのドSさとりさまが素敵すぎる。
こいしちゃんもひたすらかわいいし、やっぱりあなたのさとこいは最高だな。
ところであとがきの続きはどこで見れますか?