作品集61『しらじらと』、作品集72『過ぎ行く日々に』、読んでくださっても、読んでくださらなくとも。
§
払暁の空に穴が空く。
それは書き出しの文句だった。
いい表現だ、と思う。彼女の特徴だった紅白の装い、それが雲間にちりじり燃えていったかの如き連想を与えてくれる。そうして、ぽっかりうつろに残った空だけを見て、残された者の一日は始まるのだ。
その文句に違わず朝早く、鴉天狗の新聞は博麗霊夢の死を報じた。普段紙面を飾る取りとめのないゴシップと比べれば、ひとつ異彩を放つ号外だった。
「珍しいこともあるのですね」
「妖夢は、珍しいことだって思うのね」
「じゃあ、珍しくないのですか?」
止まった手を、そっと視線でたしなめる。
妖夢はあわてて、もとの手つきに直った。ふふんと鳴らす鼻に、一日の名残が香る。秋空が低く冷えた日中だった。
「やあね」
「お気に召しませんか」
「うん」
妖夢の手が離れて、姿見に向かってみて、私に喪服の似合わぬのは一目瞭然だ。妖夢の着せ方がおかしいのではなく、私の方に問題がある。
淡い桜の髪の毛はこれでもか浮ついて似つかわしくない、丈が合いすぎてかえって着慣れぬのが目立つ、そばの妖夢が喪服に似合いすぎる、など。散々に見栄えのせぬ私の対象に、妖夢は、普段着以上に喪服は似合った。銀の髪は白く見えて、黒い、落ち着いた色合いによく映えた。いかにも、であった。
「そう言えば、喪主はだあれ?」
ふと記憶を探ってみて、それらしい人物がいないのに気付く。
誰か妖怪かしら、それとも人里の誰かかしら、もしかして森の魔法使いかしら、それとも紫かしら……
考えは止まらない。幻想郷の住人を、知る限りであっと言う間に一巡終わり。狭いこの地で死んでゆく身には、数えられるくらいの知り合いでちょうど良い。
「幽々子さま、喪主は今の博麗の巫女に決まっているでしょう」
「ああ、そう言えばそうね。そんなのもいたわね」
「幽々子さま、覚えてないでしょう」
「うん」
霊夢ほど会う事のなかった巫女など、霊夢が入る限り覚えていられるはずがない。
本当の子供だったか攫ってきた子供だったか、それとも孫だったか。顔も覚えていないでそれらが分かろうはずもなく、この話題はそれきりでうちやるのが一番だ。
「たくさん行くのでしょうねぇ。あの子のお通夜だもの」
「それは……そうでしょう。宴会でも始めそうな面子でしょうけどね。霊夢の知り合いだったら、みんな遊びにいくのと同じ気持ちで行きそうです。真面目に喪に服する者がどれだけいるのか」
「それは、そうかもしれないわね」
「幽々子さまは違うんですか?」
「ちゃんと喪服、着てるじゃない」
「見かけは、そうですよ」
生意気、と頬をつつくとかえって来るのは冷えた弾力で、それはまさしく生死の狭間にある。
この半人半霊は生きながらずっと死んでいるから、体一つで喪に服せる装いを、体一つにまとっているのだ。常に自分を送りながら、常に自分に送られているのだ。
では、私は。
「そろそろ行きましょうか」
「エエ、行きましょうね」
ここ白玉楼の日が傾くのは、顕界のそれに増して早い。博麗霊夢の通夜は、神社であるということだった。霊夢の死因までは新聞には載っていない。
どうせ、寿命か何かだろう。彼女らが幻想郷を駆けずり回った時代は、遥か遠くに去っている。風邪ひとつで命を落とすのが、当たり前の歳で、体で、このごろの季節だ。
懐かしくもなく、清々したわけでもなく、ただ思うにつれて払暁の穴は大きくなるよう。
顕界へと続く長い階段を、一歩一歩、下ってゆく。
淡く透いた階段は眼下の雲海をよく意識させ、一歩をより気をつけさせる。
「妖夢」
呼んで、手を取らせた。彼女の小さな左手に私の右手が乗って、ますます歩みは遅くなる。喪服が歩き辛いのも、一つ理由だった。
乗せただけの手に少し力を込めれば、そのたびに妖夢の腰のものはかちゃかちゃ鳴って、せわしない。装いと合わせてみれば無理のある得物だった。
「刀、持っていくのね」
「はい。博麗の通夜ともなれば、なにが起こるとも……」
「うそつき」
「エ?」
不機嫌と言うには、もう少し、どろりとした感情が足りない。
しかし妖夢の物言いを、咎め立てしようと思ったのは確かだ。それも、唐突に。
「離したくないから、離せないんでしょう。持っていたいから、持っているんでしょう」
「あの、幽々子さま?」
手を握った。
「あなたは素直だけど、自分のことに素直になれないのはよくないわ。素直であれかしと思うなら、人にも自分にも、同じだけ素直でありなさい。できないのなら素直はやめなさい。やめておしまいなさい」
ぱっと離れた私の手を、妖夢の手は追いかけて、やめた。泣きそうな目が見ていた。
「それが分からないであの子を送ろうなんて、おこがましいことよ。今宵あの子を送る者は、誰もが皆それを分かって送るの。あの子が自分に素直だったって、知ってるのだからね」
「……」
「だから、よ。分からぬあなたがいていい道理はないの。分からぬあなたが送れるはずもないの。そういうものなの、送るというのは」
「私は……」
「でもね、妖夢。聞きなさい妖夢」
顕界の風が吹きあげる。桜の髪が揺れて、眼下の妖夢をぼやけさせた。白と黒の従者が、じっと言葉を待っていた。
こういう所には素直でいい子だと、思う。
「あなたはそれを許されるの。あなただけじゃない、私もね。何故だかわかる?」
必死に考えて、それから出す答えだ。間違っていても、正解には値する。
それが、私の道理。
だから怯える必要なんてないのに、おどおど、妖夢は口を開いた。
「私が、半人半霊だから……ですか?」
「上出来よ。二十五点ってところかしら」
さらさらと頭に手を這わせて、階段が一段下の妖夢は、撫でやすかった。
わずか一段、されど一段、その差は大きい。こと私と妖夢は、一段の差がいかほどの月日を隔てているかなど想像も及ばない。
私が、亡霊だからだ。本当にあの子を送ってやれないのは私の方だ。妖夢の体がそれだけで人を送れるように、私の体はそれだけで人を送ると言う行為を拒んでいた。桜の髪の毛は、毫も喪にあることを許してくれなかった。私の言葉は、妖夢以上に私へ言えることなのだ。
ならば私がどうすべきかは、自然、分かろうものだった。
「さ、妖夢」
それから。もう一度手を取り、握る。そして離して、階段に腰を下ろした。雲海は彼方まで光を失いつつある。もうじき日が暮れ夜が来、一日が終わる。顕界も冥界も、世の道理一つでつながるものだ。
「さて、お休みしましょうか。ちょうどお弁当持ってきたの」
「ゆ、幽々子さま?」
風呂敷を膝の上に広げ、予め包んでおいたお結びを取り出す。
海苔の黒と、米粒の白で、お結びまでが喪に服している。
「ホラ隣に座って」
「ええ? お通夜に行くのでは……」
「もう、いいから早く」
「はあ、では、失礼します……?」
階段の幅はあれど、喪服が触れ合う程度に近づかせて、勢いお結びを頬張る。妖夢にも勧めるが、断るので、一人頬張る。
隣に座すだけでも無礼だというのに、食事をともにするなど、とてもできないと言うのだ。なるほど妖夢と並んで座したことなど、記憶の限りではほとんどない。
白玉楼階段の長い長い先は、真っ直ぐ、雲の下へ延びている。
「あ、あの、遅れていくおつもりですか?」
「落ち着きがないのね、ハイ最後のいっこよ」
「い、いえ。私は結構です。ご一緒など、とても……」
不満げで心配げな妖夢の小さな口へ、最後の一つを無理やり押し込む。さすがに防ぎようもなく、また吐き出すわけにも行かなかったか、渋々妖夢はお結びを食らった。空いた片手は相変わらず、腰を離れた得物二本をしっかと掴んでいる。
「もう、お休みする間ぐらい刀を置いたらどうかしら」
「いえ、それはいけません」
きっ、と表情が鋭く凛々しく転じた。刀を振るう時の、妖夢がそこにいた。
「刀を置くとなれば、場所がいけません」
「場所?」
思わず見回して、変わらぬ景色を確認する。ここは白玉楼階段。
「はい。階段の上ですから今かけている段の上段、同じ段、それから下の段しか場所はありません」
順番に、上中下と妖夢は目配せする。
「しかし上段に置くとなれば、幽々子さまより刀を上とすることになります。されど同じ段に置けば、幽々子さまと刀を同じに見ることになります。いけません」
「じゃあ、一つ下の段に置けばいいじゃない」
とつ、と軽く足を踏み鳴らすも、妖夢は首を振った。くせのない、するりとした銀の髪が左右に揺れる。
「下段へ置いてしまえば、刀に足を向けることになります……それは刀への無礼です。ですから、こうして手にしているのです。それと、」
急に、白く肌理の滑らかな頬が赤く曇った。
容赦なく「それと?」と反芻して、私は彼女を追いつめやる。
観念したか、妖夢はうつむきぼそり言う。
「それと、幽々子さまをいつなんどきもお守りしなければなりませんし……」
つい先程の刃の様な真面目さはもうなくて、どうしても隠しきれない感情の分だけ、妖夢は未熟なのだろう。
その未熟さが好もしくて、その未熟さがあってこその妖夢だけれど。それでもやはり、
「まあ。ふふ、ふ……」
おかしさは、止められない。
妖夢は私の思う以上にもっと素直でいる。きっと、四六時中そんなことを考えているに違いない。とすれば、私の説教などいらぬお節介ではなかったか。悔いてしまうほどに妖夢が素直で、それを気付なんだ私がおかしかった。
ふと気付けば、時は遅し、日はすでに消え入ろうとしている。もう少しで暮れきるだろうか。
辺りを見回すや、急に妖夢は立ち上がった。照れ隠しもあったかしれない――思い出したように、声を張り上げて、
「あ――あの、幽々子さま! そろそろ向かわないと、本当に遅れてしまいますよ! そもそも歩いて行くんじゃ、先が長すぎます!」
ぐい、と手を引かれた。妖夢の体はそのまま宙へ浮こうとする。こんなところで強引になるなら、普段もう少しくだけても良いものを。
けれども、それが妖夢なりの素直だと分かったのだ。あとは、ゆっくり諭せばいい。
所詮はまだ、二十五点の子。二十五点だから、かわいいのだ。
「どうしたのよ。まったく」
「どうしたもこうしたもありませんよ! 何のために苦労して喪服をお着せしたと思ってるんです!」
「それは、ここにくるためでしょう?」
ぱんぱん、今度は手で階段を鳴らして。そういえばお結びはおいしかった。作ったのはもちろん妖夢。この時のためとは、知らなんだかもしれないけれど。お台所へ置いてあったのを、さっと包んで持ってきたのだ。
「そんな訳ありませんよ!」
「そうなの? 初耳ねえ」
「そうです! 霊夢のお通夜へ行くんでしょう!」
「いやいや妖夢」
ぱっと、目の前で扇を広げて、閉じ。ふわり、目にかかる桜の髪を風は押しのける。
それから、私たちはもう死んだ身だから、ひゅうどろどろと。
階段の遙か下にあった影は、もう、すぐそこにいて。
「まったく、縁起でもないお迎えね」
「うふふ。だって亡霊ですもの私。それに縁起でもないなんて、あなた死んでるじゃない」
「……うるさい」
幽霊博麗霊夢の、お出ましと言うわけだ。
死んだ直後からも変わらぬ霊夢ですね。
続き、楽しみにしてます
…今から握り飯作っていいかな?
ゆゆ様一人称だから如何に妖夢が勘違いしてるかが分かる
ここで初めて霊夢登場というわけかー
続き楽しみにしてます
変わらないものって、いいですよね。