ぺちぺち、と雨粒が木の葉をたたく。黄色が混じり始めた木々が、忙しなく音をたてる。
ぴちゃぴちゃ、と滴が地を打つ。庭のあちこちにできた水溜りに、落ちては跳ねて、落ちては跳ねる。
神社の縁側に腰掛けて、霊夢は心地よい雨音に耳を傾けていた。
こんな雨の中でも、何処かの草むらでは秋の虫が鳴いている。
賑やかな静寂、落ち着いた高揚。
不思議な、それでいて、自然な心地。知らずに笑みがこぼれる。
この雨の中を、傘もささずに歩きまわりたい。
木陰で滴を浴びながら、揺れる木の葉を眺めていたい。
じわじわと湧き上がる衝動。
今なら、案外濡れないかもしれない。
神秘の力で、きっと私は守られる。
当然の真理。
しかし、理性が待ったをかける。
流石に、風邪をひく。それは、夏にやれ。と。
確かにそれも、一理ある。
だけど、私は縛られない。誰にも、縛られたくはない。もちろん、自分にも。
だから、やる。
さあ、行くぞ。今こそ私は、自然に帰る。
いざ――。
○○○○○
「あやややや」
突然、ずぶ濡れの文が飛び込んできた。
今まさに地を蹴ろうとした瞬間に、謀ったかのように現れた。
私は、仕方なく思いとどまる事にした。
「こんな雨の中、どうしたのよ? すっかり濡れ鼠じゃない」
「霊夢さん! 雨ですよ。雨!」
「ええ、雨ね」
空を見上げる。暗雲が全天を覆いつくし、そろそろ沈むはずの太陽を隠してしまっている。
「雨が降ると、なんだか濡れてみたくなりませんか? 私はなります。なりました」
「まあ、なるわね。当然」
むしろ、ならない人などいない。断言できる。
「なので、とりあえず雨の中に飛び出してみました。ここまではいいですね」
「ええ。それで?」
ここまでは、と言う事は、その先があるのだろう。言われてみれば、ただ雨の中を飛んだにしては濡れすぎている。……まるで服のまま泳いできたかのように。
まあ、流石の文でも、そんな馬鹿な真似はしないだろう。
「それでですね、森の中を飛び回っていたんですよ。のんびりと、雨に打たれながら。すると目の前に、立派な滝が……」
――後は当然、分かりますよね?
文は、いたずらっぽく笑った。
いやいや、流石の文でも……。
「……泳いできたの?」
「まさか、そんな馬鹿な真似はしませんよ。ただ、滝の下で座禅を組んできただけですよ」
良かった、安心した。滝の下の座禅は、ごく当たり前の事。誰だって、一度と言わず経験があるだろう。
「なんだ、それだけ?」
「はい。それだけです。それで、気が済むまでいたら、今度は霊夢さんに会いたくなりまして……」
○○○○○
ちょっと待ってて、と言いつつ、霊夢はタオルを取りに行った。
「……突っ込まれませんでした」
少し寂しげに、外を見遣る。心なしか、雨音が大きくなったようだ。
「まあ、全部本当の事なんですけどね」
たまには自分をネタにしてみようと思ったけれど、案外普通の事だったのか。霊夢の反応を見る限り、そのようだ。
「さっき霊夢さんが縁側で立っていたのも、もしかして……」
いやいや、それこそ、無いだろう。自分は妖怪だから平気だが、霊夢は人間だ。すぐに風邪をひいてしまう。そこら辺、霊夢は馬鹿ではない。
「今度は、本当に泳いでみましょうか」
どこかの風祝ではないが、常識に捕らわれていてはいけないのかもしれない。
「風邪祝、なんちゃって……」
独り言は、降りしきる雨の中に溶けていった。
ちょっと切なくなって、そっと体を抱きしめた。
○○○○○
「あやー、こっちに来なさい」
「来ましたよ。家の中が濡れちゃいましたけど……」
「そんなこと気にしなくてもいいわよ。それよりあんた、結構冷えてるでしょう。お風呂にでも入る?」
文が呼ばれてやってきたのは、お風呂場の脱衣所。点々と軌跡を残しながら。
風呂に入るというのは、もはやタオルでは解決できない、という判断もあるのかもしれない。
「確かに冷えてますけど、どうしたんですか? 今日はやけに親切ですね」
「まあね。雨に感謝しなさい、とっても気分がいいの。守矢神社にお賽銭を入れてあげたくなるくらいね」
だったら自分の所に入れたらどうか。いや、それでは後で虚しくなるだけ、か。
さっきよりも明らかに強くなった雨音が、文の想像に現実味を添える。
……今度、こっそり入れてあげよう。
「だったら、一緒にお風呂に入って下さいよ」
「いいわよ」
文の適当に放った冗談が、即座に承諾された。
「へ? いや、冗談ですよ?」
「いいから、いいから」
言いつつ、霊夢は脱ぎ始める。
「なんで脱いでるんですか!」
「早くあんたも脱ぎなさいよ。ほれほれ、私が脱がせてあげようか?」
既に上下巫女服を脱ぎ捨てた霊夢は、不敵に笑いながら、妖しい手つきで文の胸元のリボンに手を伸ばした。
文は咄嗟に、霊夢の手を掴み止める。
「ま、待って下さい! 恥ずかしいですって」
「何言ってるのよ。女同士で、減るもんでもないし。だいだいあんた、今だって十分裸みたいなもんじゃない」
「え?」
言われて、文は自分の体を見下ろす。
すっかり濡れたままの服は、ぴったりと体に張り付いている。
「むしろ、裸よりも色っぽいわよ」
短めのスカートが、白いブラウスが、本来は隠されている筈の下着が……
「ラインも色も、くっきり透けて……そそるわね」
真っ赤な顔で硬直した文の手をすり抜け、霊夢は背後に回り込む。
文が再起動したときには、もう遅かった。
「や……そんなとこ、揉まないでください……」
――いい乳してるわね。一個わけなさいよ
○○○○○
「れ、霊夢さん……ふざけ過ぎですよ」
「ごめん、ごめん。ちょっと、はしゃぎ過ぎたわね」
風呂上がり、文はすっかりやつれ果てていた。
上気した頬で満足げな表情を浮かべ、霊夢は少しだけ反省の色を示す。
しかし、後悔の念は無さそうだ。
「夕食、食べてくでしょ? と言うか、今日泊まっていくわよね?」
「はい。服が乾かないと、どうにも……お世話になります」
霊夢とおそろいの寝間着姿で、文は答えた。
霊夢は頷きながら障子を閉める。
直前に見えたのは、暗闇の中に浮き上がる雨。部屋の光に照らされて、幾筋もの糸が流れ落ちていた。
○○○○○
「ねえ、文。起きてる?」
真っ暗な部屋に、雨の屋根を打つ音が満ちている。そこに、霊夢の声が控えめに割り込んだ。
「今日はありがとう」
「なんでですか? お礼を言うのは私の方ですよ? 突然押し掛けてしまって……」
「でも、いいの。ありがとう……来てくれて」
嬉しかった。
その言葉は、すぐに鈍い雨音にかき消された。
「おやすみ」
少し恥ずかしげに、早口で紡がれた言葉が、少しの間だけ耳に残った。
壁の外、雨の中に意識を飛ばす。
神社の庭で、木の枝が揺れているのが脳裏に浮かぶ。すっかり大きくなった水溜りでは、水滴が跳ねまわっていることだろう。
さらにずっと遠く、山の滝つぼへと向かう。
激しく水面を叩く奔流に、負けじと天から援軍が加わる。しかしその内側では、河童がのんびりと寝ていそうだ。
今日は来てよかった。本当に、ふとした思いつきだったけど。雨音に誘われて、正解だった。
今度は、泳いでから来よう。
考えて見れば、滝での座禅と大して変わらないじゃないか。
やっぱり、泳いでから来よう。
でも、その前に……。
「な、何? なんでこっちに来るのよ!」
隣の布団にもぐりこんだ。
「ふふふっ。お風呂でのお返しです」
「ちょ、ちょっと! や、止めなさいよ! そんなっ……」
「霊夢さん、可愛いですね。誘ってるんですか? そう簡単には……寝かせませんよ?」
お前達、行きなさい。
隠れた月が指示を飛ばす。
来るべき悲鳴に備えて、雨粒の軍は最大勢力を投下した。
とても良いあやれいむでした。
いいなぁ、こういうあやれいむは!
素敵でした!
思わず5回も読み返しました。多分、また読みます。
シーン1つ1つが、鮮明に脳内で再生されました。
この甘いのに、ただ甘いだけじゃない雰囲気がたまりません。
地の文の言葉のチョイスや表現の仕方が、どこか綺麗で、それでいて分かりやすい上に読みやすく、思わずパルパルしちゃいました。
面白かったです!
もう本当に素晴らしかったです! 最高です!
良いSSを読ませていただいたことに、全力で感謝です。
それはともかく、素晴らしいあやれいむでした。
二人とも可愛くて、思わずにやけてしまいましたw
爽やかなこの感覚、ありがとうございます。
あやれいむご馳走様でした。感謝。