「お断りします」
そう言って橙はばたりと扉を閉めた。
外を見るとようやく空が白み始めたところだ。さすがにまだ起きる時間ではないと思った橙は、そのまま倒れるように布団に入り込んだ。
そのまま急速に眠りに落ちて行く──はずだったのだが。
「ちょっと、開けてください! 話を聞いてください」
喧しい声と共に、扉ががんがんと叩かれる。あまりにもうるさい。
それでも無視して寝ようとするが、当然外の人間はそれを許さない。
「開けて下さい! でないと、えーと……お、襲いますよ!」
尚も叩かれる扉に、響く声。それでも橙は起きようとはしない。
というか、扉には鍵なんて掛かってはいない。簡単に横にスライドするはずなのだが、彼女はそれをしていないらしい。招きいれられるまで待つ、ある意味淑女的だと橙は思った。人の扉を叩きまくるのは淑女的なのかと言われると、答えに詰まるけど。
とりとめのない思考を巡らせながら、橙の意識は再び眠りに落ちようとする。しかし、それはまたもや邪魔されることになった。
爆発した。
いや、これでは全くもって状況が伝わらない。しかし、そうとしか言えない。橙が感じたのは何かが爆発したということだけだ。さすがに驚いて頭を上げると、扉が木っ端みじんに粉砕されているのが見えた。橙は理解した、さっきの扉うんぬんに関しては完全に天然だったのだと。
舞い上がる粉塵の中に、影が見える。橙はその影に向けて姿勢を低く取り、地面を強く蹴りだして前方に、やがて確実な間合いにまで接近すると、橙は空中で両足を曲げ、その先を目の前の標的に向ける。そこから伸ばした蹴りは、見事に彼女の顔面に直撃した。人はこれを、ドロップキックと言う。
◇◇◇
「で、なんで朝っぱらから宗教の勧誘なんかに来たの?」
「ああ、一応話は聞いてくれるんですね。ありがたいです」
そう言いながら、早苗は自分の鼻をしきりにさすっている。先程のドロップキックが余程効いたのだろうか。
場所は橙の家の中に移っており、二人は向かい合う形で正座をしている。
まだ朝は早いのだが、それでも何匹かの猫は来客に気付き、野次馬みたいに二人のそばに近寄って来ていた。
「最近ですね」
「うん」
「信仰が足りないんです」
「え?」
「まず、橙さんもうちが妖怪たちの信仰を受けているのは知っていますね」
「うん」
橙はこくりと頷く。早苗と二柱の神が幻想入りした時、彼女たちは主に妖怪達から信仰を受けることでその力を拡大した。その時に天狗やら巫女やらと色々あったようだが、橙はその時いつも通りにあちこち走り回っていただけだったので、詳しい事は知らない。
覚えている事と言えば、珍しく椛出撃の出番があったということだろうか。それも後から聞いた事なのだが。
「では、最近人里に出来たお寺の事は知っていますね」
「ああ、みょうれんじ? とか言ったかな。最近人気みたいだけど」
「そうなんです!」
ばん、と早苗がいきなり床を叩く。衝撃が伝わったように橙はびくっと震えた。
「妖怪からも人間からも信仰があるなんて反則です! うちは立地条件のせいで妖怪しか来ませんし……だからより妖怪の信仰を集めようと思ったわけです」
「それでこんな朝っぱらから……」
「そうです。聞けば橙さんはうちを信仰していないそうではないですか。今すぐ信仰すべきです。さあ、悪いようにはしませんから」
顔が怖い。笑顔で詰め寄る早苗に、思わず橙はのけぞる。
助けを求めるように横目で周りを見ると、先程までいた猫たちは綺麗さっぱり消え失せていた。薄情者め、と心中で毒づく。
早苗は尚も距離を詰め、橙はその分だけ下がる。詰め寄るたびに「さあ!」と言われるのが妙に威圧感があって怖い。
何回かそれを繰り返すと、さすがに橙も下がれなくなった。完全に万事休すである。
藍様紫様、ごめんなさい。そう思った直後のことだった。
屋根が抜けた。
いや、正確には屋根を抜けて何かが落ちてきた。それは先程自分に詰め寄ってきた早苗の上にピンポイントに落ちた。巻き起こる粉塵、そして見える影にデジャヴを覚えながら橙はその影を凝視する。
紫がかった髪、背中に背負った巨大なしめ縄、そして何よりも全貌が見えないというのに醸し出される圧倒的な存在感。それだけでもそれが誰かを判別するのは難しくなかった。
八坂神奈子がそこに居た。
東風谷早苗に乗っかって。
「か、神奈子様。重いです」
その言葉と共に、ずしんという音が鳴り、早苗が悶絶した。なんとなく、禁句だったのだと橙は理解した。神様でも十分に乙女らしい。というか、確実にこの家はもう使い物にならない気がする。今の衝撃でも家が軋んでいるし。
神奈子を見ると、彼女はため息をつきながら自分の巫女を見つめていた。そして、呆れた口調で言葉をかけた。
「全く……何やってるんだ、早苗」
「いえ、少し信仰回復を図ろうと思いまして。橙さんにもうちを信仰してもらおうかと」
「あのねえ……信仰は確かにお互いにとって利益になるけど、それを押し付けるんじゃヤクザと変わらないよ。神様はあくまで願い事を叶えるだけ、願いを強要する神様なんて、どこにもいないだろう?」
その言葉を受けて、早苗は黙り込んでしまう。しかしその沈黙は、ふてくされているわけでは無くて、自分がやった事と神奈子が言った言葉を吟味して反省に繋げているのだろう。
実際、早苗はややあってから「すいません」と言葉を発した。それが橙に向けてなのか、神奈子に向けてなのかは分からないけど。神奈子はそれに対して、笑みを一つその顔に湛えて、未だ下敷きにしているその巫女の頭を優しくゆっくりと撫でた。
そして神奈子は橙を見つめる。橙は思わずびくりとするが、目を逸らすことはしなかった。それは神奈子に不思議な魅力があるせいだろうか。
「さて、橙よ。うちの巫女が迷惑を掛けたね。でも、実際うちを信仰すれば悪い事は無いよ。強要はしないけどね。少し考えてみないか」
「いい」
答えはするりと口からこぼれ落ちていた。思考の時間さえ無い。最初から答えは決まっていたと言うように。神奈子は興味深そうに橙を見て、続ける。
「それは何故?」
「私は、藍様の式だから。私は私だけの力で強くなって、あの人の隣に立ちたいから。だから手助けは入らない。誘ってくれてありがとう」
それを聞いて、神奈子は愉快そうに笑った。それから笑顔を湛えて橙を見つめた。
「気に入った! こんな式がいるとは八雲も隅に置けないねえ。橙、いつでも遊びに来るといい。私たちはお前を歓迎するよ」
直後、衝撃。先程の言葉が別れの挨拶だったらしく、神奈子と早苗はもう家の中には居なかった。最後に早苗を引っ張っていく神奈子が見えた気がするが、まあそれはいいだろう。
空いている穴から、空を見る。雲は少なく、どこまでも澄んだ青空が広がっている。もう完全に目は醒めてしまっていて、寝る気にはなれない。
こんな日に、橙が何をするかは決まっていた。だから、体を伸ばして声を空に飛ばした。
「さて! 今日もどこかに遊びに行くぞ」
>八雲家と守矢家は、東方二大家族だと思う
…永遠亭一家も忘れないで
良い意味でも悪い意味でも豪快だなあ神奈子様と早苗。
話も面白かったです
橙かっこいい…!
ちょっぴり大人な橙も素敵です!
いやぁ、楽しかったです。心地良いテンポと雰囲気に、何度も読み返したくなるような魅力を感じました。
それはともかく、ビバ家族愛!
神奈子様は恰好いいし、早苗は天然だし、キャラが三人とも素敵なお話でした。