古明地さとりには奇妙な居心地の良さがある。そしてそこには、ちょっとばかし薄暗い、ひとにはあまり言えないような、脛に傷を持っている者を妙に惹き付ける力があった。
彼女は心を読む。何もかも晒し出してしまう。そうして、黙りこくる。心の一番柔らかいところを覗いて、そっと蓋をしておいてくれる。心に吐息がかからぬように。想いに指が触れないように。そこにはちょっと病みつきになってしまうような、ゆるゆるとした心地良さがある。
だから、心に薄暗いものばかり溜め込んだ橋姫が、仏頂面してさとりを訪ねるのも、きっと当たり前の成り行きだったのだろう。
「いらっしゃい」
「……煙い」
部屋にはもわりと紫煙のかおりが充満していた。半分程開けた窓のすぐ傍で、さとりは煙管を咥えて一服していた。
パルスィは露骨に嫌そうな顔をして、ドアノブを握ったままドアを閉めようともせず部屋にも入らず突っ立っている。
「部屋を変えますか」
「そうね」
かたり、煙管の置かれる音。
「禁煙したら」
「何故」
「なぜって、そりゃあ。身体に悪いでしょう」
「それを言うなら、見目麗しい婦女子がいつでも眉間に皺を寄せているのは良くないと思いますがね。ストレスは万病の元です。身体に悪いですよ」
「あんたには関係無い」
「では同じ言葉をお返ししましょう」
「なんの役にも立たない嗜好品と生理現象を同列に扱わないで」
「確かに、一理ありますな」
「禁煙しなさいよ。私が苛々するの」
「貴方の前では吸わないように心がけていますよ」
「ビョーキ」
「少しくらい食べなくても生きていけるのに、妖怪が食事を取る。栄養を取る。少しくらい寝なくても生きていけるのに、妖怪は睡眠を貪る。休息を求める。必要無いのに取り込みたがる。病気ですね。同じ事です」
「あんたってホント、論点のすり替え好きね」
「生きている事自体、病気みたいなものです。と、この前読んだ本に書いてありました」
「あっそ」
無駄口と減らず口。じゃれあうように言葉は弾ける。話している内容など大した意味を持たない。彼女達にとっては、話す事それ自体が肝要なのである。パルスィにとっては、とりわけ。
「ふむ、アールグレイしかありませんね。それで良ければ淹れますが、お厭なら井戸水で我慢して頂く事になりますね。どうします」
「客人に井戸水出すのか」
「客人には玉露が御座います。が、たかりにきた野良猫に出す玉露は生憎置いておりません」
「のらねこ、」
「同じようなものでしょう」
さとりはくすくす笑ってみせたが、パルスィは相も変わらず仏頂面。眉間に寄った皺は直らない。
パルスィはとりあえずアールグレイを頼んだ。さとりが一声呼ぶと、猫耳生やした矮躯が顔を覗かせた。幼い猫耳娘はさとりからの言伝をこくこく頷きながら耳をぴこぴこ動かして、そうして台所の方へ走っていった。
誰だろう、見ない顔。パルスィが思うと、「最近人型になれるようになった子です。まだちいちゃいので、とても愛らしい。私に尽してくれるのです。愛らしい」、と返ってきた。大事な事なので二回言ったらしいが、ちょっとさとりが言うと犯罪くさい。
猫屋敷地霊殿。
「うちは猫に縁でもあるのですかねぇ」
さとりの独り言。
「猫率高いわね、ここ」
「いっとう可愛い猫は、いつも行方知れず」
そう言って大袈裟に肩をすくめてみせた。白緑色の髪した大きな猫は、今日も御留守のようだった。
「シスコン」
「好きに仰い」
「妬ましい」
「うそつき」
さとりはまた笑ってみせたが、パルスィの眉間の皺はさっきより酷くなった。
さっきの猫耳娘が、よたよた危なっかしい足取りで紅茶を運んできた。さとりが猫耳娘の頭を撫でると、娘はごろごろ咽喉を鳴らして喜んだ。パルスィにはやっぱり犯罪くさく見えた。
はたと眼をやると、紅茶のポットがひとつとコップがひとつ。真透明な液体。まさかの井戸水。
「水かよっ」
「紅茶の気分ではないので」
思わずパルスィが突っ込んだが、さらりと流された。紅茶の気分でないからと言えど、井戸水を飲むなんて、ちょっと普通じゃない。
古明地さとりは、ちょっと変わっている。
「何か、気の沈むような事でもありましたか」
さとりはなんでもない事のように、明日の天気を聞くような口調で切り出した。あまりに奇麗な切り口だったから、ばっさり切られたパルスィは一瞬どもってしまった。
「別に、何も」
「うそつき」
パルスィは、さとりに嘘つきと呼ばれるのがいっとう嫌いである。決まって笑って言う。だから嫌いだ。
本当に優しい、柔らかな笑みだから。
心の奥底を見抜いて、言葉を優しい手つきで詰んでいく。どうにもそれが、好きじゃない。ほだされそうで。
パルスィは少し黙った。
「生きてる事が病気だって、あんた言ったわね」
「本に書いてあったのですよ」
「凄くそう思うわ」
「そう」
「肺に煙が溜まっていくみたいに、どんどん息詰まって息苦しくなる」
「『行き詰まって生き苦しくなる』、ね」
「時々、嫉妬するのも嫌になるのよ」
「ふむ」
「疲れるし、面倒だし、不毛だし、非生産的だし。でもやめたからと言って私は他に何も出来ないのよ。本当に何も出来ないのか、何も出来ないと決めつけて何もしないだけなのか判らないけど、結局私が何もしてない事に変わりは無い。だからー、あー、……」
パルスィはまた黙った。何を言いたかったのか忘れてしまった。結局その程度の事だったのだろう。
心の垢が、ぽろぽろとはがれるように。
「そう。答えは貴方の中で、もう出ているのね」
「うー、うーん。そうね。聞いて欲しかっただけみたい」
「そういう時もありますよ」
「ちょい疲れてたっぽい。うん、すっきりした」
「私は何もしてませんがね。本当に」
「結局あんたに心読んでもらいたくて来たんだから、何かしたのよ。現にほら、私は満足したわ」
「そう。なら良いけど」
「用も済んだし帰ろうかなー」
「現金な橋姫だこと」
「感謝してるって。わーい」
「元気になったようで、何よりですけれど」
「わーい」
「わーい」
パルスィの眉間の皺は、ちょっと緩くほだされた。
「いつまでそんなカウンセラーもどきやってるの?」
パルスィが帰った後、部屋で一服していたさとりに、どこからともなく声が響く。
「帰ってきたらまずただいまを仰い」
「ただいま」
「おかえり。いつまでって、そりゃあ、私の気が向くうちはずっと」
「心を読む能力の有効活用、ね。誰かへのアピールなのかしら?」
「そんな事をして何になると言うのでしょうね。うちの風来坊な猫がいつも家にいてくれる御利益でもあるのなら、店でも開業しますけれど」
「困った猫もいるものね」
「全くですね」
「私のカウンセラーにもなってよ」
「出来ませんよ。その眼を開いて下さいな」
「出来ませんねぇ。その眼で読んで下さいな」
「私は貴方のカウンセラーになるより、貴方の飼い主になりたいわ」
「信州信濃の蕎麦よりも、わたしゃあんたの側が良い?」
「私はうどん派です」
「私、ラーメン派」
ぷわぷわ、言葉は飛び跳ねる。話している内容など大した意味を持たない。彼女達にとっては、話す事それ自体が肝要なのである。さとりにとっては、とりわけ。
「お姉ちゃんのカウンセラーは、誰がやるんだろね」
「貴方がやってくれないんですか?」
「嫌だね」
「あら手厳しい」
「私はお姉ちゃんのカウンセラーより、お姉ちゃんの飼い猫で良いよ」
心など読めないし、冗談めいたその口調。
だからさとりは、やはり笑って言った。
「うそつき」
おわり
シスコン猫好きなら、そりゃねこいしを溺愛するわ
二人もロリなので二人とも犯罪ですね
わーい
さとりでアールグレイと聞いたら、某サークルの怪しいボイスしか頭に浮かんできません・・・。
白緑の猫さんはやっぱりさとりの膝がいいんでしょうね
会話のテンポが、とても好みでした。
相変わらず会話のテンポがいいなー