夜。
博麗神社に何人か――もちろん人じゃないのも混じっているが――集まって宴会を催していた時のことだ。
魔理沙がおもむろに宴会の席から離れ、草むらへいそいそと飛び込んでいくのを見た霊夢。
彼女は姿を隠すつもりではないらしい。彼女の、白のリボンを巻いた黒の三角帽子の頭は以前こちらから見える位置にある。
催したのであれば見えないところでやってくれないと困る。なんて底意地の悪い奴だ、と思ったがどうやらそうではないらしかった。
魔理沙は一分もしないうちに戻ってきた。
そして、その手には――小さな蛇の首が握られていた。
「またえらいものをひじり出したわね」
「ああ。とんでもない戦いだった。熾烈を極めたな」
よく見ると魔理沙の手からは力なく蛇の身体が垂れ下がっていた。
なるほど、魔理沙は宴会中に見つけた蛇を捕まえたようだ。ファンシーな格好をしている割りに、森の中に住んでいるだけあってタフでアグレッシブだ。
むしろファンキーだなこれは、と霊夢が考えているとその脇から紫が現れた。
紫はスキマの縁に肘を立てる形で魔理沙を見ている。
そしてしみじみと、
「あらあら……それ、まだ生きているの?」
と問うた。
すると魔理沙は、まあな、と言った。
「ついさっきまでは」
気が早い奴だとは思ったが、生きたままの蛇を持ってこられても扱いようが無かったので良かった。
けれども紫はそれを聞いて眉を顰めた。柳眉とか愁眉とか言ったほうが相応しいか。とにかく険しい表情だ。
「それは大変ね。貴方、きっと呪われてしまうわ」
呪い?
今度はこちらが眉を顰める番だ。その程度のことで呪われてしまうのならどれだけ慎ましやかな生活を送らねばいけないことか。かといって、地方の民話説話には種々多様な言い伝えやまじないがあるものだから侮れない。
そういえば、だ。
蛇に纏わる話なら霊夢も知っていた。それは、
「ああ、『家の周りに出た蛇は殺めてはならない』って言うわね」
「何だ? どうしてそうしたらいけないんだ」
「それは――ん」
言葉の続きは、紫が扇子を開く音によって遮られた。
彼女が霊夢の言葉を継ぐらしい。その扇子で口元を隠してから、魔理沙に向かった。
「あらゆる蛇は、ある蛇神の子なのよ。いえ、魔神と言うべきかしら。その神は、自らの子供を傷つけられただけでその相手を呪ってしまうのよ」
そんな馬鹿な、と魔理沙は口にした。霊夢も口にしたかったが、魔理沙が先に言ったので黙っていた。
それに対し、紫は首を横に振る。
「いいえ、本当のことよ。貴方は、どうして秋になるとインディアンたちが太鼓を打ったり踊り狂ったりすると思う? 秋になるとその蛇神が蛇に変える生贄を求めて外に出てくるのよ。……ねぇ、魔理沙、河向こうのインディアンが、蛇を殺めるくらいなら金も愛も棄てるっていう理由はそこにあるのよ」
重い口調に思わず気圧される感覚を得る。
事実、少し離れているというのに、魔理沙が息を飲む音が霊夢には聞こえた。
けれど彼女の表情は怯んでいないように見せかけていた。
「そんな話、嘘だな。私はそんな蛇神なんて聞いたことがないぜ」
「貴方はあらゆる蛇族の父であるあの神の名を知らないの?」
紫による詰問は、魔理沙を苛んでいた。
すると、突然そこへ一言。
「――あら、私は知っているわ」
二人の間に割って入る声。
それは永遠に紅い幼き月、レミリア・スカーレットだった。
――どうした。知ったか病が再発したか。帰ったら出来たメイドか図書館の主にでも頼んで適当にこさえるつもりか。
「私は知っているわ。その蛇神は、メキシコ人の慈悲深き神。農耕の神、平和の神。太陽神であり、元いた地を追われて金星になったとも言われている。その神の名は『羽毛ある蛇』――ケツアルコアトルね」
「違うわ」
「ガッデム!」
長ったらしい講釈を否定され、レミリアは夜空に叫んだ。
そのガッデムと言っている神を別段信仰しているわけではないのだから、その台詞はどうだろうかと思った。
「でも、あながち間違いではないわ。その蛇神はケツアルコアトルよりも遥かに古い始祖なの」
紫は言う。
その神の名は。
「――蛇神イグ」
イグ。
魔理沙や、レミリアにとってその名は初耳だったらしい。何か納得がいかないような表情をしていた。
それを見、紫は一つ息を吐く。
「まあ、知らないのも無理はないわね。何故なら、それほど多くの事が知られている神ではありませんもの。
分かっていることと言えば、例えばケツアルコアトルやククルカンの祖であること。奇妙な半人半蛇の悪魔であること。自分やその子供である蛇に対して礼節を正して尊敬するものには多大な好意を示したらしいこと。その逆もあったこと。
――そして、秋になると異常に飢えたことくらい」
紫は残念そうに目を伏せた。口元はずっと扇子で隠したままだった。
逆という言葉も、異常に飢えたという言葉も、何を指しているのかは具体的には言及されなかった。けれど、何を言わんとしているのか、その想像力が決して魔理沙の手にしている蛇の亡骸に対して、また彼女自身に対して及ばない訳がなかった。
紫が何を考えているのかは分からないが、魔理沙に恐怖感を与えたことは確からしかった。手の中にある蛇をどうしようも出来ないままその場に立ち尽くしている。
レミリアは目が虚ろだった。そういえばレミリアは途中参加なので話の流れが掴めていないんじゃないのか。何を言っているのかさっぱり分からないことに対して戸惑いつつも、それを表に見せないようにした結果の表情をしていた。要するに変な顔をしていた。
レミリアはしばらくして、何を思ったのか私の側にやって来て、こう耳打ちした。
「イグナイト・ファング……」
直訳すると「発火する牙」なのに爪攻撃だから侮れない。
また、後に雲の中を遊泳している深海少女が来て「呼びましたか?」と尋ねに来たが知ったこっちゃなかった。
「……と、とにかく!」
魔理沙が掻き消すように声を張った。
「そんな話、すぐに信じられるか。大体、他に被害者はいるだろう。そのイグの呪いの犠牲者が。そいつを見せてくれよ。じゃなければとても信用できん」
「あら、見たいならすぐにでも見せてあげるけど?」
紫は得意そうな顔をした。
そうだ。紫には境界を操るという便利な能力があるのだ。それさえあれば遠くはなれた場所もすぐに見せることが出来る。
事実、紫はそうした。
紫は一旦、霊夢と魔理沙から離れると、何も無い空間を指し示した。
途端、中空に生まれる横に伸びた光の直線。それが両端に赤のリボンを持って伸長する。
そして、それが両腕を伸ばした程の長さになったところで、大きく口を開けた。
そのスキマは別の空間を映している。
暗闇。
スキマには途方も無い深淵のようなものが映し出されていた。
――駄目だ。大層なことを言っておきながら驚かす気が満々じゃないか。こんなもの見ない方が吉だ。そう思いながらも、怖いもの見たさという感情が、目を釘付けにさせる。
「そうよ、良く見なさい。これが貴方の言ったイグの呪いの犠牲者よ」
その時だ。
暗闇を映す窓の中に、きらりと光を反射するものが見えた。
二つの円は双眸。
それは人間のものに酷似していた。
けれど、その向こうに見えたものは違った。
闇の中にぼんやりと輪郭を浮かべてきたのは人間ほどの大きさの生物だった。人間が腹這いになっているように見えた。
身体は衣服を身に付けていないどころか毛も全くない。その妙な光沢から、何か鱗のようなもので覆われているのが分かった。
肩の辺りに茶色っぽい斑模様があった。
そして頭は平べったかった。そいつが蛇特有の鳴き声を上げ、くねくねと身体をくねらせながら這いずり回っている。
しばらく目が離せないでいると、突然その瞳がこちらを見た。
……いや、正確には魔理沙だ。
その蛇とも人間とも付かない生き物は、彼女を恐ろしいほどに凝視していた。
「ぐっ……」
魔理沙は思わず身動ぎした。気絶してしまわないように堪えているようにも思えた。
それからずっと長い時間その様子を見ていた気がした。あまり長くない時間だったはずだが、そのように感じてしまった。
紫はもういいだろうとスキマを閉じた。そして、魔理沙に向かってこう言い放つのだ。
「分かってもらえたかしら」
「……なっ、何だ。それでお前は、私もそのうちああなるって言いたいのか。その蛇神の恐怖で気が狂って!」
「違うわよ」
紫は顔を少し上げ、下目で魔理沙を見た。
「イグによって蛇に変えられてしまった女性がいたの。その女性は、まだ最初は正気でいる時もあったんだけど、どんどん期間が短くなっていってね。髪は白くなり、やがて抜け落ち始め、全身には斑点が現れたの。そして、彼女が死んだときには……」
「――ちょっと待て」
魔理沙は驚いた風に紫の言葉を遮った。
「死んだ? それじゃあ、いったいあれはなんだというんだ? あのスキマの向こうにいたのは」
ええ、と紫が相槌を打つ。
彼女は厳粛な面持ちでこう言った――。
「あれはそれから九か月後に、その女性から生まれた赤ん坊よ。三匹いたんだけど……結局、生き残ったのはあれだけだったわ」
□
宴会もお開きになり、参加していた者たちも思い思いに帰っていった後。
残り酒に手を付けていた紫と霊夢の二人だけが残っていた。
手持ち無沙汰だった霊夢は、ぽつと言葉を口にする。
「ねえ、紫」
「ん、なに?」
「『家の周りに出た蛇は殺めてはならない』って、本当の理由は――あれ、蛇がその家の先祖だからよね」
――『遠野物語』という、遠野に伝わる説話を集めた本がある。
それに増補する形で発表された『遠野物語拾遺』の百八十一話にそのような話があった。
家の周りに現れた蛇は、家の先祖なので殺めてはならない。霊夢の言った通りのことだ。
紫の話したものには全く違う出典がある。
「そうよ。……霊夢もあの作り話を聞いて怖くなったの? 今夜は眠れない?」
「違うわよ。私、一応その元になった話は知ってるし。ただ一つ気になることがあるのよ」
気になること。それは。
「その女性、蛇になる前に発狂して旦那を斧でかち割ってなかったっけ」
「そうだけど、それがなに? 別に魔理沙はどこの嫁にも行っていないでしょうに」
紫は言ったが、霊夢には嫌な予感がしていた。
どうせ作り話なのだから、魔理沙がその蛇神に蛇に変えられてしまうわけがない。
しかし、この話が彼女にもたらした恐怖というものは確かに実在する。そして、その恐怖は、何かしら現実と元の話との因果を結びつけるのではないだろうか。
霊夢にはそんな気がしていた。
何か根拠もないのに決定的であるような、胃の底を揺さぶるような嫌な予感が彼女に取り憑いて離れなかった。
□
翌朝。
霊夢は魔理沙の家に押し入った。そこでは、霊夢が予想した通りに惨状が広がっていた。
「これは……むごい……」
床の上には見るものを戦慄させるようなものが三つ、転がっていた。
一つには、部屋に無造作に転がっていた人形だ。人形の服は所々で千切れ、ぼろぼろになっていた。明らかに何者かに噛み付かれていた。
二つには、ドアの右手に、カチューシャをたたき割られたアリスの身体が転がっていた。近くには八卦炉が落ちていた。恐らくそれでアリスの頭を殴ったんだと思うがぶっちゃけその使い方はないだろう。そういえばどうしてアリスがここにいるんだろうか。昨日の宴会では姿を見なかった気がする。そういえば何で昨日いなかったんだろうか。こればかりは謎である。
最後に、部屋の中央にツチノコが横たわっていた。そいつが押し黙った表情で、蛇のように、まあ実際蛇みたいなもんだが、首をもたげて、シュッシュッと鳴き声を立てていた。なんてことはない平常運転だ。というかこいつがアリスの人形を食おうとしたんだな。
そして魔理沙はベッドで寝ていた。
なんといい気なものか。霊夢は呆れて物が言えなかった。
□
結局、魔理沙の魔神への恐怖は二つの方向へと作用したと言えた。
一つは、理由はよく分からないが魔理沙宅を訪れたアリスを魔理沙の八卦炉が一撃したこと。もう一つは、魔理沙が自身に降りかかった呪いの顛末に呆れてそのまま寝入ってしまったことだ。
なんというか、誰かが被害者にならなければいけなかったとしても……。
アリス無念としか言いようがなかった。
そんなふうに感じました。
>何か根拠もないのに決定的であるような、胃の底を揺さぶるような嫌な予感が彼女に取り憑いて離れなかった。
ここまでは、悪くないと思う。その後もしっかりと話を練るべき。
でも、上の方と同じく、「結」の前の部分をもう少し読んでみたく思います。
お話の内容が、ホラーとしてとても気になるものだったので。
マリサは介抱も謝罪もせず、何故か呆れて一人で寝たってことですか?外道ですね
ページめくったらいきなり結末だったりするので。
俺の頭が悪いせいなのか最後の意味がわからない