「疲れたわ」
もう歩けない、と木々に囲まれた道で、輝夜は立ち止まる。すっかりへとへとになった表情で、鈴仙のほうへとうんざりした視線を向ける。
人里からの帰り道。お忍びのおでかけからの帰り道だ。
出かけた時は高いところにあった太陽も傾いて、もうすぐ夕焼けがやってくる時間。
主人より前を歩かない、という従者の鉄則を叩きこまれている鈴仙は、輝夜の半歩後ろ、けれど、ほとんど隣で歩いている。
並んだ影法師は二つきり。輝夜のそれと、鈴仙のそれ。
てこでも動かないわよ、と言わんばかりに、ぷくっと頬を膨らませるさまは駄々をこねる子供そのもの。もともとまんまるな瞳をした童顔とまっすぐに切りそろえられた前髪も相まって、どこか幼い印象があるため、余計に子供っぽく見えるのかもしれない。
「あと少しですから」
もう何度繰り返したか分からないやり取り。苦笑いで鈴仙は答える。
本当にもう少しか、と言われれば必ずしもそんなことはなくて。この道を歩き終えても、広い広い迷いの竹林を抜けなければ、永遠亭には辿りつけない。
けれど、本当のことを言ったところで、なんの慰めにもならないことも分かっているので、鈴仙は毎回、「あと少しですから」と口にする。そうして、宥める。
行きも通った道だ、輝夜だって、まだまだ距離があることぐらい承知の上で言っているのだろうし。
どちらかといえば、歩くのに疲れた、というよりは、飽きたという方がニュアンス的に近いだろうし。
「もう、こんなことなら牛車で来るんだったわ」
「あはは……?」
長い袖に隠れた両手を胸の前で合わせるお決まりの仕草で、口を尖らせる輝夜。
流石に人里に牛車で乗り込むのはどうかと思う、という言葉をどうにかこうにか飲み込んで、曖昧な笑みを浮かべることで応えた。
ただでさえどう答えていいのか分からないのに、下手な返答をすれば、もっとややこしくなってしまう。
「結局、紅葉も見られなかったし」
「仕方がないですってば」
いつも楽しげな彼女らしくもなく、不満げに零す輝夜を必死に、けれど、失礼にならないように。励ましながら、宥めながら、鈴仙は思い返す。
どうして、こんなことになってしまったのか、ということを。
「紅葉狩りに行きましょう」
輝夜がそう言いだしたのは、今朝方のことだった。
いつも通り、庭の手入れをしていた時のことだ。これまでは鈴仙が一人でやっていたのだけれど、最近は輝夜も盆栽の手入れついでに、一緒に作業をすることが多い。
その際に、二言三言、輝夜は鈴仙に助言をしてくれる。
まだまだ地上に来て日が浅く、そして、月でも軍人として育てられた兎の鈴仙だ。地上のわびさびだとか、風流だとかそのあたりの感覚はどうにもなかなか身につかない。
だからこそ、貴族育ちで生粋のお姫様である輝夜の助言にはいつも助けられている。ほんの少し、輝夜の言うようなところを注意するだけで、“庭”が“庭園”へと変化するのだ。
それがとても楽しくて。
そして、その時だけは輝夜は、みんなのお姫様ではなくて、鈴仙のことだけを見てくれるから。
一日の中でも、輝夜と庭いじりをする時間は、鈴仙にとって、特別な時間だった。
今日も例に洩れず、庭いじりを楽しんでいた時のこと。
気がつけば、お彼岸もお月見も過ぎて、季節はすっかり秋模様。庭の色も秋仕様にしよう、という話をしていた時、輝夜はそう言いだしたのだ。
「そうよ、もう秋だもの。紅葉狩りに行かなくてはね」
両手を胸の前で合わせて、瞳をきらきらと輝かせて、夢見るように。
いつも通りのろくでもないこと、もとい、突拍子もないことを言い出す時の表情だ。
ぽうっと見とれてしまいたくなるぐらい愛らしい。だけれど、これまでその思いつきに散々振り回されてきた鈴仙は、すぐに頭をふるふると横に振って、目を覚ます。
大体において、輝夜がこんなふうな顔をしている時は、最終的な結果はともかく、途中経過でひどい目にあうことも少なくないから。
もっとも、だからといってそれを回避することができるというわけでもない。お姫様の命令は絶対だ。鈴仙にできるのは、ただ覚悟を決めることだけなのだけれど。
「ね、いいでしょう? 紅葉狩りに行きたいわ」
「でも、紅葉はもう少し先なんじゃ……」
「平気よ、ここは幻想郷だもの」
「そんな無茶な!」
「前にね、永琳に連れていってもらった秘密の名所があるのよ。イナバも連れて行ってあげるわね」
すっかり、行く気満々の輝夜には、鈴仙の声など届かない。
折悪くも、普段真っ先に相談に行く相手である永琳は二週に一度の往診に出かけていて不在。いつもそこら辺からちょっかいをかけてくるてゐも、子イナバ達をひき連れてどこかへ遊びに行ってしまっていて。
鈴仙は、たった一人で輝夜の外出につきあうことになったのだった。
結果的にいえば、まるで鈴仙が輝夜を外に連れ出したような形になってしまって、恐ろしい。基本的に輝夜が外出することをあまり好まない永琳にこのことがしれたら、お仕置きはまず間違いないのだ。
輝夜が言いだしたことであっても、たとえば、留守を守ることができなかっただとか、抑止力になれなかったという意味で。
そうしてはじまった、もしかしたら初めてかもしれない、二人きりのおでかけ。
一言で言うなら、楽しかった。二言で言うなら、幸せで、楽しかった。
輝夜の突拍子もない発言にひやひやしたり、何気ない動作の優しさにどきどきしたり。
いつもと違う場所で、いつもと違うことをして。
何があったわけではない。けれど、それが、無性に楽しかった。
そうして向かった先の紅葉の名所。まだまだどの葉も青々としていて、紅葉を見ることは叶わなかったのだけれど。代わりに、永琳と昔行ったのだという、知る人ぞ知る茶屋であんみつを食べてきた。
紅葉狩り、ということで、鈴仙は財布を持ってきていなかったのだけれど、輝夜はらしくもなく、きっちりポケットに小銭を仕込んでいた。それもきっちり二人分。
最初はおごってもらうなんて、と恐縮していた鈴仙だったのだけれど、「鈴仙が食べないなら、私も食べられないわ」という輝夜のえげつない脅しにあっさりと陥落した。
そうして、二人で食べたあんみつは、甘くてとろけるとっておきの逸品。西洋風のクリームとアイスクリームも添えてあって、こんなにおいしいあんみつは初めてだった。
鈴仙の口の端についたほんの少しついた白いクリームが、輝夜の指に拭われて。輝夜が、その指をぺろり、と舐めて、いたずらっぽく微笑んだ時には、顔が熱くなって仕方がなかったのだけれど。
おいしかったわね、と笑う輝夜は、えらく幸せそうで。案外この外出もそれが目的だったのかもしれない、と思う。
やたら、用意周到だったことや、紅葉が見られなかったことを気にした様子もなかったこと。そもそも、あの輝夜が本気でこの季節に紅葉が見られると信じていたとは、思えない。
いつも何やら楽しげに微笑んでいて、突拍子のないことばかりいう輝夜の本心など分からない。いつだって、どうしたって分からないのだ。
意味のないように見えるわがままも、奇妙な行動にも、本当はそれぞれに意味があって、それはいつも、その時にならなければ気付けない。
もしも、このおでかけに何か深い考えがあったのだとしても、今の鈴仙には分からない。
それを少しさびしくも、恐ろしくも感じるけれど。
あえて、鈴仙が自分に都合よく解釈するならば。もしかしたら、鈴仙と二人で出かけたいと、思っていてくれたのかもしれない。本当に珍しく二人きりの時間をより特別なものにしようと思ってくれていたのかもしれない。
うぬぼれがすぎるかもしれないけれど、そうだったらいいな、と思う。
きっと、それでいいのだろう、と思う。
そうして、楽しかった帰り道。
はしゃぎ過ぎて、そして珍しく長いこと歩いたせいで、すっかりばててしまった輝夜がごねて、今に至る、というわけだ。
はあ、と鈴仙は、心の中で、ため息をつく。早く帰らなければならないのに。
できれば永琳が帰ってくる前に。帰ってきていたとしても、できるだけ心配させないようにすることは、大切だ。
「姫様っ」
「疲れたんだもの」
空がだんだんと赤く染まっていって、並んだ影が長く伸びていく。
刻一刻と近づいてくる夜の世界に、焦ってしまう。急がなくては。
「早く帰らないと、師匠に怒られますよ」
「平気よ、永琳はちゃんと分かってくれるもの。そんなことで叱ったりなんかしないわ」
「私が叱られるんですってば!」
意気込んで声をあげて訴えても、輝夜はきょとんとするばかり。
眉尻を下げて、ほとんど涙目状態、普段からへにょりとしている耳をさらにへたれさせている鈴仙の頭に手を伸ばして、優しく慣れた手つきで撫でる。
それが、少しだけ気持ちがよくて、落ち着いた気持ちになってしまうことが悔しい。
「ふふ、永琳にも困ったものだわ。イナバも大変ね」
「今はどちらかというと姫様に困らされてます……」
「あら、そういえばそうね」
楽しげに、ころころと笑う輝夜に、がっくりと肩を落とす。
自覚しているなら、なんとかしてほしいと思う、わりと切実に。けれど、それでもマイペースを崩さないからこそ、輝夜は輝夜なわけで。
もうどうしたらいいのか分からないままに、今度は実際に大きくため息をつく。
「結局、紅葉狩りもできなかったし」
「しかたないですってば。見頃はまだまだ先なんですから」
「むう、ああ、そうだわ。永琳に相談してみようかしら。きっとなんとかなると思うのよ」
「やめてくださいっ、幻想郷が異常気象に見舞われるじゃないですかっ」
「そうしたら、巫女が飛んでくるかもしれないわ。すてき」
「すてきじゃないですって」
冗談めかして輝夜は言ったけれど、永琳ならば。あの人ならば本気でやりかねない。
きっとそうしたら、霊夢だの魔理沙だのが退治にやってくるのは間違いない。弾幕ごっことはいえ、またぼこぼこにされたり、屋敷の中を荒らされるのはごめんだ、と鈴仙は青くなる。
それをおかしそうに見ている輝夜は、ぱん、と手を合わせる。
「そうだわ、妖怪の山に紅葉を司る神様がいると聞くわ。会いに行ったら、紅葉が見れるんじゃないかしら」
「疲れはどうしたんですかっ」
「そんなの、へっちゃらよ」
「だったら、帰りましょうってば」
あれこれと妙な思いつきを輝夜は繰り返す。
その意図が読めなくて、焦りがだんだんと苛立ちに変わっていく。
ペットの分際で飼い主に苛立つなど、あってはいけないことなのだけれど。
今日という日があまりにも楽しかったから。だからこそ、こうして最後にうまくいかないことが悲しくて、悔しくて、もどかしい。
「ああもう! 帰りますよっ」
少しだけ、乱暴に。鈴仙は輝夜の左手を掴む。
そうして、その手をひいて、歩きだす。ちょうどいつもてゐにしているのと同じこと。
しまった、と思った時にはもう遅い。
失礼なことをしてしまった。あろうことか、主人の前を歩くなど。子供に対してするように手をひくなどあってはならないのに。
それもこんなに乱暴に。苛立ち交じりに。
自分のしてしまったことが恐ろしくて、振り返ることもできない。立ち止まることもできない。
頭の中はぐるぐる大混乱。背中は冷や汗がだらだら。きっと、顔は真っ青。
けれど。不思議なことに、ぐいぐいと手を引っ張られるままに、輝夜はついてくる。
その表情を窺い知ることができなくて、怖い。
「イナバ」
気がつけば、もう竹林は目の前。夕焼けはもう終わりかけ。
どうしていいか分からないままに、歩き続ける鈴仙に声がかけられる。
びくびくと怯えているの背中がびくんと大きく震えた。
「イナバ、ちょっと速過ぎるわ、もう少しゆっくり歩いてちょうだい」
けれど、聞こえてきたのは、どこか弾んだ楽しげな声。笑い混じりの声。
そこには怒りは感じられなくて、かえって戸惑ってしまう。ためらいながら、立ち止まって。おっかなびっくりで振り返る。
そこにいたのは、満足げな笑みを浮かべた輝夜だった。
「情熱的なエスコート、ね」
すっかり固まってしまっている鈴仙に、にっこりと微笑みかける。どこかからかいを含んだ声。冗談めかして、手をつないだままの輝夜の左手と鈴仙の右手をあげてみせた。
「すっ、すいませっ、あ、あの、えっと」
「あら、離したらだめよ。最後までエスコートしてくれなくちゃ」
慌てて手を引っ込めようとする鈴仙の手を輝夜はやや強く握ることで、引き止める。
柔らかな物腰だけれど、決して、反抗することを許さない雰囲気をまとって、輝夜は囁く。少しだけ腰をかがめて、すっかり俯いてしまった鈴仙の顔を覗き込むように。
「誰かと手をつないで歩くなんて、どれくらいぶりかしら。ふふ、こういうのも素敵ね」
「す、すいません! 失礼なことを……」
「私は嬉しいのよ? こうやって、イナバと手をつないで歩けて」
「え……?」
輝夜は一度手の力を緩めると、もう一度力を込める。今度は先ほどよりももっと優しく、そっと空いていた右手も添えて、包み込むように。
そうして、甘く甘く微笑むのだ。ほのかに頬を色付かせて、すべてを溶かしてしまいそうなそんな笑み。
「こういうの、大好き」
「へって、ええっ、あ、あのっ?」
その言葉に、鈴仙の顔が赤く色づいていく。熟れた林檎のようにまっかな頬。
手をぐいぐい引っ張ってしまった、ということは、要するに手をつないで歩いた、ということで、ずっと手を握っていたということで。
それに考えが思い至ると、やたらめったら恥ずかしい。それでもとても嬉しくて。
顔が暑くてしかたがない。心臓がどきどきと高鳴って、今更ながら、意識してしまう。
大切な人と手をつないだこと。
「そっ、それはあの! 不可抗力、というか、あの、えっと」
しどろもどろになって、ごにょごにょと。最後には誰にも聞きとれないほど小さく口の中だけで呟いているような状態の鈴仙を見て、くすくすと声を立てて輝夜は笑う。
「さ、そろそろ帰りましょう? 永琳が待ってるわ」
「あ、は、はいっ」
くい、とつないだままの手を引いて、輝夜は歩き出す。
それにつられるようにして鈴仙も。赤い顔のままで、おぼつかない足取りで、あとに続く。
「今日は楽しかったわね」
「……そう、ですね。紅葉が見れなかったのは、残念だったかもしれませんけど」
「あら?」
立派な竹の並び連なる林の中を二人は進む。もうすっかりあたりは暗いけれど、その足取りに淀みはない。
長いこと住みなれた竹林だ、目をつむっていたって迷うことなどないだろう。
何とはなしに交わしていた会話、輝夜を慮った鈴仙の言葉に、輝夜は、いたずらっぽく微笑む。
「紅葉なら、きちんと見れたわよ?」
「へ?」
「ふふっ」
そう言って、輝夜は。
鈴仙の赤く染まった頬にそっと、右手の指先で触れたのだった。
姫様も鈴仙も可愛いよ!!!
略称はどちらも捨てがたいですが、ぐやんげは妙なインパクトがあって癖になりそう。
あ、いや鈴仙も可愛いよ!
ぐやんげ…
ぐわんげというシューティングがあったような。
ありがとう!
ごちそうさまでした。
姫うどんの方が可愛いけどぐやんげのインパクトデカすぎ
姫さまもうどんげもかわいすぎる
こういう付き合い、いいですよね。
鈴仙と輝夜の些細なやりとりもほのかに甘くて、最後は姫様らしい風流な所作
氏らしい素敵な小品でとても心和みました。読了後の余韻が心地良い
姫様と鈴仙の絡みをもっと見たくなりました。
あー興奮してわけのわからないコメをしてしまいましたお許しを。