博麗神社台所。
「おいこら」
「んぅ?」
戸棚の前にかがみ込んで、中を漁ろうとしていた小さな影の首根っこを、霊夢はむんずと掴まえた。
とぼけた顔で振り返ったのは、金色の髪に赤いリボンを結んだ妖怪の少女。ルーミアだ。
「人んちの食い物、勝手に漁るな」
「うー」
「魔理沙の奴はどうしたのよ?」
もがくルーミアを押さえつけて、廊下に引きずり出す。
ルーミアは不満げに霊夢の顔を見上げていたが、「向こう」と縁側の方を指差した。
「よう、霊夢」
見やれば、こちらを覗きこんで手を振る魔理沙の影。
霊夢はため息とともに肩を竦めて、ルーミアを引きずったまま縁側へ足を向ける。
「ちゃんと見張ってなさいよ」
「いや、悪いな」
縁側で、苦笑する魔理沙へ向けてルーミアを放り出す。
その小さな身体を受け止めて、魔理沙は苦笑してルーミアの顔を覗きこんだ。
にぃ、と魔理沙が笑うと、にー、とルーミアも笑い返す。仲が良さそうで結構なことだ。
「今日はどうしたのよ?」
「いや、こいつがこないだのおはぎがまた食べたいって聞かなくてな」
縁側に腰を下ろして、魔理沙はルーミアを膝に乗せる。
両足をぶらぶらさせながら、ルーミアは幸せそうな顔で魔理沙の胸元にじゃれついた。
魔理沙もまんざらでもなさそうに、その金色の髪を撫でている。
「だからって、うちにたかりに来るな」
「いや、すまん。人里は行きづらいんだよ」
「それは知ってるわよ。……まだ残ってかしらね、あのおはぎ」
「おはぎ!」
ルーミアが目を輝かせる。八重歯を除かせて口を開けたルーミアに、「そんなに好きか」と魔理沙が苦笑した。
「おはぎ、おいしかったー」
「そうだな、美味かったな」
「にー」
「うりうり」
「うー」
ルーミアのほっぺたを弄くり回してじゃれる魔理沙の姿を横目に見ながら、霊夢は立ち上がる。
おはぎなら、さっきルーミアが漁っていた戸棚に確かまだ仕舞ってあったはずだ。
「お茶いる?」
「貰えるものなら貰うぜ」
「はいはい」
意味もなく笑い合うルーミアと魔理沙の声を背に、霊夢は台所に向かった。
全く、たかりに来ないで欲しい、とは考えてみるものの。
魔理沙が変わらずそこで笑っていることに、小さな安堵を覚えている自分は否定できなかった。
◇
薄曇りに隠れた午後の気怠い陽射しは、ほのかな陽気を連れている。
その陽気の下、神社の庭を走り回るルーミアを、霊夢は魔理沙と縁側に腰掛けて眺めていた。
「やっぱり美味いな、このおはぎ」
「それで最後だからね」
皿に残っていた最後のひとつを魔理沙が口に放り込む。
口元についたあんこを拭う魔理沙の左手に違和感を覚えて、霊夢は目を細めた。
お茶を啜りながら、横目で数をかぞえる。……足りない。
「……魔理沙」
「ん?」
「あんた、その指どうしたの」
本来五本あるべき指の数が、四本しか無かった。小指が無い。
魔理沙は指摘されて気付いたという風に、「ああ、これか」と軽く手を振った。
「ちょいと研究中にドジっちまってな」
「……指が吹っ飛ぶような研究してるわけ?」
「ま、そこは魔法使いの企業秘密だ」
ずず、とお茶を啜って、魔理沙はこちらを振り向いたルーミアに手を振った。
その笑顔があまりに幸せそうで、霊夢は何と言葉をかけていいのか解らない。
「なあ、霊夢」
「何よ」
「……いや」
口を濁した魔理沙に、霊夢が言葉をかけようとしたところで、足音がした。
庭の片隅に咲いていた、名も知らない白い花を摘んで、ルーミアは魔理沙の元に駆け寄る。
魔理沙はその花を受け取ると、ルーミアの頭を五指が揃っている右手で撫でた。
「う?」
くすぐったそうに笑うルーミアは、不意に霊夢の方を振り向き、びくりと小さく身を竦めた。
自分が向けた疑念に気付かれたような気がして、霊夢はルーミアから視線を逸らす。
――いや、疑念ではない。それは確信のようなものだ。
しかし、もし想像の通りだとしても、――自分が何を、このふたりに言えるのだろう。
「ルーミア」
魔理沙が受け取った花の茎を、ルーミアの指にくるりと巻いて指輪のように仕立てた。
ルーミアはご機嫌の表情で、花の指輪を見下ろす。
それから、また新しい花を摘みに、庭の隅の方へと駆けていった。
「可愛いだろ?」
しゃがみこむ背中を見つめて、魔理沙はひどく優しい顔で目を細めた。
「……あんたがそう言うなら、そうなんでしょうね」
やはり、霊夢に言えることなど何もないのだ。
しばし、沈黙が落ちる。雲がゆっくり、ふたりの頭上を流れていく。
「霊夢」
「何よ」
「人間ってのは、不便だよな」
小指を無くした左手をぷらぷらとさせながら、冗談めかして魔理沙は呟いた。
「寿命は短いし、すぐ死ぬし、無くした指は生えてこないし」
霧雨魔理沙は人間だ。
その友達であるルーミアは、妖怪だ。
そして、博麗霊夢は――人間だ。
「腕の一本ぐらい、無くしてもすぐに生えてくりゃいいのにな」
そのはずなのに、今はすぐ隣にある魔理沙の横顔が、なぜかひどく遠く見える。
――どうして、こうなってしまったのだろう?
考えても、答えなど出るはずはないのだけれど。
「すぐに生えてくるとしたって、腕を無くすのは嫌よ。痛いじゃない」
「そりゃそうだ、な」
霊夢の答えに、魔理沙は苦笑する。
いつから、この幼なじみはこんな風に笑うようになったのだろう。
あの不敵でがむしゃらだった霧雨魔理沙が、諦観のような笑みを浮かべている。
だけどその笑顔は、泣き出しそうなぐらいに幸福そうなのだ。
霊夢の知らないところで、魔理沙が変わっていく。
――自分は、それをどうすべきなのだろう?
「魔理沙ー、いっぱい咲いてた」
「おー、大量だな。なあ霊夢、この花って食えるか?」
「知らないわよ」
ルーミアが両手いっぱいに摘んできた花を、魔理沙は笑って受け取る。
それから、片手で器用に自分の指にも花を一輪、指輪のように巻き付けた。
おそろいだ、と額を寄せ合って、魔理沙とルーミアは笑っている。
人間と妖怪が、笑い合っている。
「……っと、ちょっと雲行きが怪しいな。降り出す前に帰るか」
と、魔理沙が空を見上げて立ち上がった。「帰るの?」と魔理沙を見上げて首を傾げたルーミアに、魔理沙は「ああ、霊夢にばいばいだ」とその背中を叩く。
「じゃな、霊夢。おはぎと茶、ごちそうさまだぜ」
「ごちそうさまー。ばいばい」
「……お粗末様。ばいばい」
手を振る。魔理沙がルーミアと手を繋いで、霊夢に背を向ける。
その背中が、遠い。
「魔理沙」
思わず、霊夢はその名前を呼んでいた。魔理沙が振り返った。
ルーミアはきょとんと、魔理沙の顔を見上げていた。
魔理沙はその視線に気付いて笑いかけた。ルーミアも笑った。
――それだけで、霊夢に言えることは何も無くなってしまった。
「……なんでもない」
そう、たとえ魔理沙の小指が失われた理由が、自分の想像通りだとしても。
その現実を、抗いがたい事実を、ふたりが受け入れて笑い合っているのなら。
霊夢の想像する未来が、想像してしまう結末がいつか、現実になったとしても。
――そのとき、失われるもののために涙を流すのは、自分の役目ではないのだ、既に。
「じゃあな」
魔理沙が手を振って、箒にまたがった。ルーミアが、その背中にしがみつく。
星屑を撒き散らして、魔理沙とルーミアの姿は遠く曇り空に消えていく。
それを待っていたように、ぽつり、ぽつりと雫が、庭の土を黒く濡らし始めた。
そして小さな雫は、やがて静かな雨に変わる。
人間は不便だ。
失った指は生えてこない。
その寿命は短すぎる。
それ故に、変わっていく時間も、短すぎる。
静かに降りしきる雨の中、霊夢はぼんやりと、魔理沙の撒き散らした星屑の残照を見上げていた。
…魔理沙が喰われたら、霊夢は何を思いながらルーミアを退治するんだろうか。
もしこのまま進んで、その結果魔理沙が死んだら霊夢はどうするんだろう。
そこが心配になります
でも良かった。
霊夢さんが
そんな可能性の世界ですね。
複雑ですが…
けど、幸せでいっぱいな人間を止めることはできません。
幸せって何なんだろうなー・・・。
あれ、目から汗が・・・
「流れ星」とよく似た別のお話ですか。
ルーミア、魔法使いにならないかなぁ…。
切ないけど、これはパレットさんGJと言いたい。
ありがとうございました。
でも、その先を考えると切なく…
>まだ残ってかしらね、あのおはぎ
残っている、ですか?