ライスカレーが目の前にある。目の前で、これでもかと言う存在感を発しながら、湯気を立てていた。
「いただきます」
両の手を合わせて、深く頭を下げた。この世の全ての物に対しての感謝であった。
この永江衣玖、長く生きているほうだとは思うが、ライスカレーなるものを初めて食したときの感動は、その中でもっとも衝撃的であったといっても過言ではない。
初めて食べたのは、何日間ただ飯を行脚できるかを敢行していたとてつもなく暇だったときであった。
空気が読めると自負している私は、ごく自然に家族で囲む食卓に混ざりこみただ飯を食っていた。
それだけ、財布の中身が困窮していたのであった。何も麦酒の買いすぎが悪いのではない。この世に麦酒を作り出したものがいるから悪いのである。
なぜなら麦酒がこの世に存在していなければ、ただ飯を行脚することなどなかったのだから。
しかし麦酒が存在したことで私は困窮し、ライスカレーに出会うことができた。
運命とはかくも、不可思議なものであったのだ。
いかん。
ライスカレーと私の出会いについて考えている間にも、奇跡の時間は刻一刻と削られていくのだ。
銀のスプーンで米の白山を崩し、辛味と旨味がギュっと詰まったルーと絡ませて、口へと運ぶ。
「はふ……っ!」
実にうまい。
どれぐらいうまいのか説明するのが野暮なほどに、うまい。
これよりも繊細な料理はいくらでもあるだろうし、豪快な料理だってあるだろう。
けれども、一口運ぶごとに次が欲しくなる中毒性に於いてはライスカレーに比肩するものはない。
初めて出会った命蓮寺でも、ライスカレーの日には普段の倍の米を炊かなければ間に合わないという。
福神漬も実に良く浸かっている。ほのかな甘味と酸味が、バカになった口の中をシャッキリと戻してくれるのだ。
里にある喫茶店では、ライスカレーがいつでも食べられる。
その話を職場で聞いたときには、表情には出さなかったものの心が躍った。
そして終業後すぐに、私は件の喫茶店へと出向いたのだった。
壮年期を過ぎた店主の男性は私を一瞥すると驚いたような顔をしたが、空いたテーブル席に座ると水を出してくれた。
メニューには、掠れた文字で珈琲と、サンドウィッチなどが並んでいた。
違う、私が求めているのはサンドウィッチではないのだ。
水をチビチビしながらメニューと睨めっこしていても、ライスカレーは載っていない。
謀られたか。
きっと、さとり妖怪が天女の中には混じっていて、私を哂い者に仕立て上げようとしているのだ。
そう考えるとむしょうに腹が立ったが、それ以上に腹が減った。
ええい、メニューにないのなら。
私は手をあげて、できる限りよく通る声で――もちろん誰もいないことを確認したあとでだ。
ライスカレー、と言った。
あとで知ったことだが、壁にライスカレーの一覧が貼ってあった。
一通り頂いて満足してから、私は家に帰って恥ずかしさに枕を濡らした。
そんな過去はおいといて、今はすっかり私は常連であった。
今日のカレーは大根と鳥腿肉のカレーであった。他の食材は入っていない。
初めはカレーに大根、おでんでもあるまいしと鼻で笑ったのだが、これが実にうまい。
大根の中に鶏肉の旨味と各種香辛料がたっぷりと沁み込んで、中から濃縮された出汁が溢れてくる。
ほふほふ、と口の中で転がして、火傷しないように気をつけて嚥下する。
鳥腿肉を口に運べば、滴る肉汁が口一杯に広がる。
むぅ、これは実にいけない。
仮にも女たるもの、甘いものに甲高い声を上げなければいけないという義務感を感じないこともない。
しかし、この大根が、鳥腿肉が、ぷちんと口の中で弾ける旨味が。
その微かな義務感から私を解放し、堕落へと導いていくのであった。
思うに、このライスカレーの辛味にも食欲を増す要素があるのだと睨んでいる。
次から次へと、辛いのに欲しくなってしまう。水を飲んで、汗も垂れているのに止まらない。
お腹の底から全身が熱くなって、胸元のボタンを二つは開ける。
勤務中では、どんなに暑くても開けたことはないにも関わらず、ライスカレーの前では無力であった。
注がれる水。何も言わずとも、店主は減った水を足しにくる。
構わんよ、存分に水分を取るがいい。口の中の辛味を浄化し、もう一度蹂躙しなおすのだ。
ある種マゾヒスティック的な喜びに浸るのだと強要されているかのような、歪んだ楽しみすら感じてくる瞬間である。
水。
水。
水。
ライスカレーの付け合せに珈琲など邪道である。
お供は常に、水と相場が決まっている。
熱い珈琲では辛味を流すことは難しいし、そもそも苦味で舌が馬鹿になる。
単品での珈琲は好むのだけど、ライスカレーのお供としては最悪の組み合わせである。
動物の乳は相性が良いと聞くけれど、私は断固として水を推したい。
米をかっ食らう。
肉を口へと運ぶ。
水を流しこむ。
汗をかく。
大きく息を吐く。
お釣りのでない会計を席に残して、帯を少し緩めたまま外へと出る。
これが山羊の乳であったら、興醒めもいいところであろう。
「ごちそう、さまでした」
からん、と空になった皿にスプーンを残して、財布からいつも通りの金額を机へと置いた。
実に幸福であった。
ライスカレーを食すときほどの幸福は、滅多にない。
独り飯はこのように、静かで、救われていなければならないのだ。
私が店を出ると、店主は閉店の札を店の前へと下げる。
ここでライスカレーを食べるときは、いつも最後の客なのである。
すっかり世間は、そういう時間帯になっているのだ。
あとは家へ帰って、ひとっ風呂浴びて、煎餅布団で寝るだけなのである。
ああ、明日は天麩羅蕎麦を食いに行こう。どうもそんな気分になってきた。
これでまた、明日を生きる理由が一つ増えた。
「胸元のボタンを二つは開ける。」頑張れライスカレーもっと頑張れ。
しかしこれだけ書いておいてタグは蕎麦なのかww
…ってなにが「これ」なんだろう…
残ったカレーに和風だしを加えて、カレーそばやカレーうどんを作るのもまたよし。
ああお腹すいてきた・・・
そして明日は天麩羅蕎麦。
>空気が読めると自負している私は、ごく自然に家族で囲む食卓に混ざりこみただ飯を食っていた。
衣玖さん何やってるんすかww
くっ、夜ごはん食べた後だというのに、カレー食べなきゃもう眠れないじゃないか…。
それはともかくキーマカレーを作らねば