妖怪の山、その滝の裏側に、二つの影がある。
一つは緑色の帽子を被った猫の妖怪、もう一つは赤色の帽子を被った狼の妖怪である。猫の妖怪は地面に大の字に寝そべっており、狼の妖怪はその隣に座り込んでいた。
「なんで勝てないのかなあ……」
「弾に自分から突っ込んでるからじゃないの?」
「またたびが足りないのかなあ」
「なるほど酔拳ね、余計当たりそうな気がするけど」
橙のぼやきに、椛は律儀に返事を返す。真面目な彼女らしい行動と言える。
本来滝の後ろは、彼女の仕事場なのだがその仕事はほとんどやってこない。もう仕事場というよりは遊び場である。最初は河童と将棋を指すぐらいだったのだが、そこに橙が加わり、にわかに騒がしくなった。
「椛ー、もう一回」
「面倒くさい」
一言ですっぱり切り捨てられたことに、橙は不服そうに唸った。大方、いつも通りの事である。
橙が妖怪の山に来たのは、もう随分と昔の事になる。新しく妖怪がこの山に住むことになると聞いて、少し見てみたいと思っていたところ、橙の方から接触してきたのだ。
以後、それからよく、橙は椛のところに来ているのだ。目的は主に弾幕ごっこ。
そういえば、と椛は疑問を発する。
「橙はなんで私に話しかけたの? 他に猫に近い妖怪だって居そうだけど」
「私でも倒せそうだったから」
「は?」
「あの時、倒せそうな相手から弾幕勝負を挑んで、どんどんレベルを上げていこうと思ってたの」
「ははあ、そうすると貴方は私を修行相手第一号に選んで、見事に返り討ちにされたと」
「ぐう」
橙は不満そうな顔をしたが、事実なのでどうしようもない。椛は橙の予想より遥かに強かったのだ。
「なんでそんなに強いのに、いつまでも下っ端天狗なのよ」
橙の純粋な疑問に対し、椛はほほを困ったように掻いた。
「そもそも活躍できる機会が無いと言うか……私の仕事は真っ向勝負じゃないし」
「残念ね……でも偉くなっちゃうと椛とあまり会えなくなるんだよね。じゃあこのままでいいや」
「うれしいこと言ってくれるね」
「友達と会えなくなるのは、そりゃ悲しいわよ」
そう言って体を起こすと、橙の耳がピクリと動いた。その目は滝の向こうを見ている。すると、少ししてそこから新たな人影が入ってきた。全身を寒色系の色で統一したその影は、河童の、河城にとりである。
「お、いつも通りだね。お邪魔だったかな?」
「いや、今終わったところ。将棋やる?」
「いいね」
「ねえ椛、もう一回」
「だめ」
「えー」
口では不満を口にするが、橙にはこの友人が意外に頑固だということが分かっていた。だから今の会話は交渉ではなく、ただ問答を楽しむためのものだ。椛ももちろんそれを分かっており、返す言葉には笑みが含まれていた。
そして、駒が並べられて将棋が始まった。小さな音を立てて、駒が動く。二人が向かい合って戦略を巡らせる中、橙は将棋盤の横でそれをじっと見ていた。それを見て、にとりが問いを発する。
「橙は将棋はしないのかい? まだ一度もしているの見たことが無いけど」
「んー、将棋はよく分かんない。一度うる覚えでやったら大変なことになったし」
「駒を扱うって柄じゃないよ、橙は」
「もしかして馬鹿にしてる?」
椛の物言いに橙は突っ込みを入れた。それに対して椛は短く笑いを返し、また一つ手を進める。それに対してにとりは「あっ」と、しまったと言うような声を上げた。正直、なにが「あっ」なのかさっぱり分からない。
「私だって努力はしてるわよ。マヨヒガに猫を集めたのも、しもべとして使うためだし」
「ことごとく失敗してるけどね」
「むう」
そこまで言われて、橙は考える、自分に足りないものはなんだろうと。何をしても里の猫たちは言うことを聞いてくれない、いつまで経っても、引っかき傷が増えるばかりである。足りないものは一体何なのか──
「またたびが足りないのかなあ」
「結局、そこに落ち着くの?」
◇◇◇
黒く塗りつぶされた空、聞こえる虫の音。それらが否応なしに今が夜であることを決定付ける。その夜の中、博麗神社の縁側で博麗 霊夢と八雲 藍がお茶を飲んでいた。
頭上には少し欠けた月が燦然と輝いている。霊夢がふと横を見ると、藍の横顔が照らされて端正な顔立ちが際立って見えた。
「満月までもう少しだな」
少しうれしそうに言うその言葉に、霊夢は疑問を覚える。
「月なんて、あんた達にとっては嫌な思い出しかないんじゃないの?」
「それと月の美しさとはまた別物だよ」
「そういうもんなの?」
「そういうものだ」
その言葉で霊夢は話が一区切りついたと判断したのか、そういえば、と一言おいて他の話題に切り替える。
「橙のことなんだけど。あんた達って仲いいのに確か別居状態なのよね、なんで?」
「いや、私としても橙となるべく一緒に居たかったのだけど、本人が決めたことだしなあ」
「橙から言い出したことなのね。てっきり紫の差し金かと」
「お前の中で、よく分からないことは全て紫様のせいなのか」
呆れ顔で言う藍に霊夢は「大体あってるでしょ」と答える。
「よく分からないことが、巡りめぐって紫が原因だったなんて事、一度や二度じゃないわよ」
「まあ……それはそうかもなあ」
思わず納得した藍の頭にべちりという音と共に衝撃が走った。ふと横を見ると、彼女の主がジト目で藍を見ていた。
「げげ、紫様」
「げげ、とはご挨拶ね、藍。誰があなたの主が思い出させてあげましょうか?」
「どうでもいいけど、やるなら外でやってよ」
藍が救いを求めるような表情で見てくるが、霊夢はそれを容赦なく無視をする。それどころか、どんなお仕置きが始まるのかと横目で事の成り行きを見守っていたのだが、紫はそれ以上怒ることは無く、霊夢を挟んで藍の反対側に腰を下ろした。口から出てきたのは、先ほどの話の続きらしい。
「橙が出て行った後の藍は色々と大変だったわ……いつ見ても生気が無くて、普段の完璧さが見る影も無かったし、仕事をほっぽり出して橙に会いに行こうとするし」
「それは大変だったわね…………どうやって解決したの?」
「藍の式を橙と音声通信できるように設定しなおしたわ」
「便利ね」
霊夢が藍の方向を見るとばつが悪そうな顔をしているのが見える。藍の橙に対する溺愛ぶりは知っていたつもりだったが霊夢にとってそれは予想以上だった。
この九尾、橙に嫌われようものなら首すら吊ってしまいそうである。
「紫……」
「え、何かしら?」
「あんたも大変ね……」
霊夢は心からの同情を込めて紫に言葉をかけた。そして、これからはもっと紫に優しくしようかとも思ったりした。
そして夜は更けていく──
最後の霊夢のしみじみとした描写に心惹かれました。
で、にとりとかに対してだけフランクな感じ。
それはともかく、橙がどこか可愛いらしくて好きです。