A ◇ ◆ ◇
ある日、森の中、きのこハントに出くわした。
「……よう、アリス」
「……こんにちは、魔理沙」
微妙な空気が流れた。どうせならイヤリングを拾ってくれる親切な熊さんに出会いたかった。
ご近所さんの魔理沙とは、たまにばったり出会う。でも、何を話したらいいのかわからない。
……私、つまらない人だから。家にこもってばかりで、誰かと楽しくお喋りできるような話題なんて、持ってないから。
仕方なく、魔理沙の腕に下げた籠いっぱいのきのこに、無難そうな話題を見出す。
「……どう、きのこ狩りの調子は?」
「おかげさまで順調だぜ」
「それは良かった。じゃ、私もう行くから。きのこにまみれた素敵な一日を」
「まあまあ、そう急ぐなよ。ここで会ったのも何かの縁。私の今日の成果を見せてやる」
「……正直、いらないんだけど」
魔理沙は私が何を言っても気にしなかった。
基本的にマイペースで、興味の赴くまま、自分のやりたいことをやる。魔法使いなんて人種は、皆そういうものだ。
「ここに取り出しますは、新種のきのこ」
「……気味悪っ」
まずい、正直な感想が出た。こんなだから、人付き合いが苦手なんだ。
でも、本当に気味が悪いきのこだった。うすい白の嵩を開いたきのこは、形は繊細だった。なのに、表面に虹色の膜が張って、てかてか光っている。名づけるなら、宇宙きのこって感じだ。見た目からして、毒がありそうだ。
引き気味の私とは裏腹に、魔理沙の表情は浮き浮きしていた。きのこを嬉しそうに近くで見つめ、あーんと口をあける。
「まず、噛んでみる」
目を剥いた。隣人がこれほど危険人物だとは思わなかった。
「ちょっ、何やってるのよ、吐き出しなさい」
いきなり背中を叩かれて驚いたのか、魔理沙は目を白黒させた。全体的に白黒なんだから、もう十分でしょうが。
とにかく、吐き出させないと。ドンドンと容赦なく叩くと、んぐ、と魔理沙が妙な音を立てた。
「……ああーっ。呑んじまった」
「ああもう、言わんこっちゃ無い。危ないでしょうが……」
「アリスが驚かせるからだろっ」
悪いのはあきらかに魔理沙なのに、涙目で文句を言われた。
「正体不明の落ちてるものをいきなり食べるやつに言われたくない。……それにしても、どんなきのこなのよ。もちろん毒は無いんでしょうね」
「さあ……新しく見つけたばかりだし」
「……最悪ね」
「おまえのせいだよ、ばか」
「驚かせた事は、謝るわ。でも、新種のきのこを見つけたら口に入れてみるなんて、危ないでしょう。そんな無鉄砲で、今までよくも生き延びられたわね、ばか」
「いや、私もそこまで命知らずじゃないぜ。少しかじって、味だけみて吐き出すんだ」
「……。あっ、そう。そういうことは先に言ってちょうだい……」
いらぬお節介をしてしまったようだ。どっと疲れた。
「食べちまったもんはしょうがない。家に帰って成分分析して、解毒にかかるとするか。この貸しは、次会ったとき、貴重な魔術書を捧げてもらうまで預かっとくぜ」
ふと魔理沙を見ると、きのこの残りをスカートのポケットにねじこもうとしていた。慌てて奪い取る。抵抗されたから、小さな手のひらに、少しだけ欠片が残った。魔理沙は唇を尖らせて、ぶうぶう抗議する。
「おい、ひったくるなよ。私が見つけたきのこだぜ。それともアリスもきのこに興味を持ったのか」
「……とりあえず、私の家に来てちょうだい。解毒くらいするわ」
「……やけに親切だな。下心でもあるのかと勘ぐりたくなるぜ」
「下心なんて、私の興味引くものを持ってるときに言いなさい。今のあんたの持ち物といえば、籠いっぱいのきのこだけ。それも毒きのこが混じってれば、今夜のスープにもできやしない」
魔理沙は疑り深そうにこっちを見ていたが、やがてニヤリと笑った。
「……ああ、ちょっとは責任感じてるのか?まあ大丈夫だろ。ほんの一欠片だ、こんくらいじゃ魔理沙様は死なないぜ」
あまりの脳天気っぷりに、深いため息をつく。私はそんなに親切じゃない。斜に構えて物事を見るくせに、魔理沙は人の善意を期待しすぎる。根がまっすぐなのだろう。
「……魔理沙。つい先月、おかしなきのこを誤って食べて、錯乱のあまり森を半壊させたのが誰だったか、忘れたんじゃないでしょうね。あんなことはもうごめん。何よりここじゃ、私の家が近い。毒きのこを食べさせた恨みで隣人にいきなり吹っ飛ばされるなんて最後は、さすがに嫌だからね」
「……ずいぶんな言われようだな」
背中側で、魔理沙が機嫌を損ねた気配がした。本当にへそを曲げられたら厄介だった。
「……今回は私も悪かったわ。余計なことしちゃったから、少しでも埋め合わせがしたいの」
珍しくしおらしい私の言葉は、意外と効いた。魔理沙から感じていた視線の棘が、和らいだ。
「……まあ、いいさ。せっかくのアリスの申し出だ。乗ってやるぜ」
M ◇ ◆ ◇
こうして私は、魔法の森のお隣さん、アリス・マーなんとかの家にお邪魔することになった。
実は、アリスの家にはちょっと興味があった。どこかのお金持ちのお嬢様らしく、こんな森の中に青いとんがり屋根と白い壁を持った、小奇麗な家をかまえている。同業の魔法使いの家にお邪魔するなんて機会、めったにないことだ。
部屋には、人となりが出る。私の部屋なら倉庫かと勘違いされるくらい散らかっているし、一度だけ押しかけたパチュリーの部屋なら、彼女が愛して止まない本だらけだ。果たして、アリスがくつろぐ部屋はどんなものだろう。
物見高い好奇心がうずくのには、訳がある。
アリスの性格が掴めないのだ。
どう接して良いか、困る。魔法の森のお隣さんで、顔をあわせる機会も多い相手に対して持つには、地味に痛い悩みだった。
見かけは等身大のビスクドールのような、美しい少女だ。柔らかに光をはじくプラチナブロンド、サファイアをはめこんだかと思うほど鮮やかな青い瞳、血が通っているのか不思議になる、白磁の頬。
アリスの顔を思い出そうとすると、真っ先に、ひんやりとした冷たい微笑が浮かんでくる。
その裏にあるはずの、こころ、が読み取れない表情。行動から推し量ろうにも、アリスはあるときは理屈っぽいかと思えば、今日のように世話焼きで、行動基準がいまいちわからん。人と感性がずれているのかもしれない。
乱暴な行動に紛れがちだが、私は一応、他人に気を使う人間である。
霊夢のところに遊びにいくときは、好みの煎餅を土産にしようかと考えるし、パチュリーの図書館から借りるときは、せめて今読み途中らしい魔道理論に関する書物は避けようと思う。焼け石に水だが。
だがアリスは、と考えると、いまいちピンと来ない。感情の薄い、人形のような表情を前にすると、何を話したらいいのか、とたんに困ってしまう。
まあ、そんなアリスの部屋を見てみるのも一興だ。
得体の知れない毒きのこを食べるのは日常茶飯事なので、私は浮き浮きと道を急いだ。……のだが。
「……殺風景だなあ」
第一声が、部屋のすべてを表していた。
本当にシンプルな部屋だった。無彩色、といったらいいんだろうか。黒、白、灰色、この三色で部屋が構成されている。家具も、テーブルと椅子、棚と最低限必要なものしか置いていない。
特筆すべきこととして、棚の上はおろか窓やテーブルの上も、人形があふれかえっていた。人形たちは、アリスが玄関のドアを開けるなり、かいがいしく動き出した。あるものはアリスのそばに寄ってケープや小脇に抱えていた魔道書をひきとって本棚に仕舞い、おまけに脱いだ靴を磨きだす。あるものは、キッチンに飛んでお茶を沸かし、バタークッキーを皿に盛りつけ始めた。そして、ある人形は、アリスからきのこを受け取って実験室へと飛んでいく。働き者の、小さな妖精さんみたいだ。いやあ、これは便利。
もっとも、ゆっくり観察している時間は無かった。アリスは鍵のかかる客間におもむき、魔法を封じる魔方陣を描くと、そこへ私を押し込めた。錯乱した私がいつマスタースパークを撃つかわからない、と言って。私は時限爆弾か。
扉を閉める前に、アリスは私の異常を点検するように、頭のてっぺんからつまさきまでサッと視線を走らせた。
独り言のような口調で言う。
「……今なら、無害な人間の女の子なんだけどね」
「はん。魔法使いでなくなった私なんて、私じゃないぜ」
「あら。霧雨魔理沙じゃなくなって、何になったの?」
「……うるさいなあ。ただの美少女だろ」
「美少女失格ね、その乱暴な言葉遣い。お口もチャックしなきゃ」
「なんだよ、その針と糸は。私の口を縫いつけようっていうのか?」
「心配しないで、痛くないから……。ま、冗談よ」
そう言って、あのひんやりと冷たい微笑を見せる。笑えない冗談はやめようぜ。
客間のドアには小さな嵌め殺しの硝子窓がついていて、そこから居間の様子を見ることができた。明り取りの窓からのぞくと、アリスは人形が運んできた紅茶を一口飲んで、図鑑をめくってから、首を振って自ら実験室に引っ込んだ。
アリスが実験室にこもっている間、私は部屋の床に書かれた虹色の輝きを放つ魔方陣を調べて、紅茶を飲みクッキーを食べこぼし、お供として付き添っていた人形と遊んで過ごして、それも飽きて、床にだらーんと脱力していた。
……退屈だ。一人って、つまらん。誰か喋る相手が欲しい。
やがて、フラスコ片手にアリスが姿を見せた。
「お待たせ」
「おう。で、何の毒だったんだ?」
床に平べったく伸びてる私を、冷たい目で見下すアリス。やめろよ、その軽蔑した目。くせになりそうだ。
「……軽い自白剤みたいなものね」
「自白剤なら、怖いこと無いな。私はいつだって本音で生きてるからなあ」
「あら、そう。いい機会だから、あんたの弱点を聞いておかないと」
「怖い怖い。これだから、魔女は」
「冗談よ。人間の魔法使いなんてどうとでもできるし、百年も経てば土の下。別に聞くこと無いわ。はい、口あけて」
解毒薬は薄いピンク色のシロップだった。とろりとしたシロップを銀のさじにすくって差し出されると、反射的に口をあけてしまった。味は、うぇ、甘苦い。こくりと飲み込んだ私を見て、アリスがため息をつく。
「……一応、忠告しておくけど。こんな魔窟で一人暮らししてるくせに、お人よしすぎるわね。もしも私が悪役だったら、次に目がさめたときは知らない場所に売り飛ばされてるわよ」
「……アリスは悪役なのか?」
「聞くな」
う、今さら、ちょっと不安になってきた。知らない人に付いてっちゃいけません。知らない人から、食べ物をもらっちゃいけません。子どもの頃に言われたっけ。このシロップが、安全かどうか確かめるには……そうだ。
「……悪役じゃないなら。ほら、口あけろ」
今度は私が、薄いピンク色のシロップをさじにすくって、アリスの口元へ寄せた。簡単なことだ、アリスにも飲ませればいい。
アリスの鮮やかな青い瞳に、一瞬、困惑したような色がかすめる。やがてそれは、諦めたように伏せられた長いまつげに隠されて、見えなくなった。
「……一応、悪役では無いつもりよ」
大人しく、シロップを一口すする。私はほっと、胸をなでおろす。これで一応、安全は確認できた。
「安心したかしら」
「一応な」
「……言うまで危険を感じなかったってことは、私のこと、ちょっとは信頼してくれてるのかしら。隣人としては光栄だわ」
「隣人っていうか……ちょっと観察してみたいというか」
「……観察?」
いかん、自白剤のこと忘れてた。訳も無く気分が高揚して、勝手に口が私の考えをべらべらと垂れ流してくれる。
「だってアリスは、人形みたいだ。本当に笑った顔も怒った顔も見たことがない」
「……そうね。私も、自分が人形なんじゃないかって思うときがあるわ」
「何だよ、それ」
「……服薬タイプの解毒薬だから、効くまで二時間ないし三時間かかるわ。窮屈でしょうけど、その間はこの魔法を封じる部屋で我慢してちょうだい。何か欲しいものがあれば人形に言って。運ばせるわ」
そう言って、アリスは背を向ける。慌てて、翻った青いワンピースの裾を、はしっと掴んだ。
「待てよ。どこ行くんだ」
「私は、居間で人形作りをしていようと思うんだけど」
「ここに居たってできるだろ。せっかくだから、何か話そうぜ」
「別に話すことなんて無いでしょ」
「えぇ~。退屈なんだぜ~」
「……はぁ。まあ、いいけど。……私といても、退屈だと思うわよ」
さびしいやつだな、と思った。退屈だと自分のことを言うなんて。アリスは、自分自身が好きじゃないのかな。
アリスは椅子と裁縫セットを持ってくると、宣言通り、人形の服を作り始めた。
アリスの裁縫は、優雅な手品を見るみたいだった。白魚の指が銀の針を閃かせると、寸分の狂いもない針目が整然と並んでいる。私じゃ、こうはいかない。ぷつりと糸を噛み切る一連の動作までよどみなく終えると、アリスは流れるように自然な動作で、端切れをごみ箱へ捨てようとした。
そこで初めて、私は声を上げる。
「ちょっと待った」
「何?」
「もったいないだろ」
アリスは不思議そうな顔で、端切れをてのひらに乗せ、私の前にそっと差し出した。
「……食べる?」
天然なのか、わざとやってるのか、どっちだよ。
「食べない。消化不良を起こす。まったく、これだからお嬢様は。普通は、端切れ一つとっても、大事に使うもんなの」
「じゃあ、持って帰る?はい」
「……私をゴミ箱扱いするな。……おまえ、裁縫好きなら、パッチワークでもやってみろよ」
「パッチワークって、何かしら」
「端切れを縫い合わせて一枚の布を作るんだ。たくさん縫い合わせれば、ベッドカバーだってカーテンだって作れるぜ」
薄紅、薄紫、薄水色。紫陽花みたいな淡い色合いを選んで縫うと、色とりどりの端切れの寄せ集めができあがった。
本当は、青系統の色だけ使ってグラデーションにするとか、花びらの形に裁断した端切れを縫い合わせて花のモチーフをつくって埋め尽くすとか、工夫しようと思いさえすれば、いろいろあるんだけど。面倒なので、人形の服の切れ端をただ縫い合わせた。グラスを置くコースター代わりにはなるだろう。と思ってテーブルをみると、既に繊細なレースのコースターが敷いてあった。……まあ、もうちょっと頑張れば風呂場の床マットくらいにはなるだろう。
針を置いて、椅子から大きく伸びをする。
「ああ、目が疲れた。こういうチマチマした作業、あわないんだよな」
伸びをした拍子に、ぐうっとお腹が鳴った。さりげなくアリスを見ると、あきれた目に出会った。頬が熱くなった。
「……さて、夕飯どうする?」
「食べないわ。お菓子だけ」
「不摂生だなあ」
「私は種族としての魔法使いだもの。食べなくても平気なの」
「あーそうかい。あいにく、私は人間なんでね。腹が減るんだよ」
「……わかった。何か作ればいいのね?」
「ありがたい。持つべきものは出来たご近所さんだなあ。これからも食べさせてくれれば、なおいいんだけど」
「あのね。言っておくけど、私はあんたの便利な定食屋さんになるつもりは無いわ。利用しようと思うなら、その分対価を頂戴することは、覚えておいた方がいいと思うけど」
「今夜の夕飯の対価は、食べられるきのこの提供でいいだろ。まあ、アリスの作る夕飯が美味しかったら、もっと弾んでもいいけどな」
軽口を挑発と受け取ったのか、アリスはひんやりとした微笑を浮かべた。おお、怖い怖い。
あまり期待しないでよ、と言い置いて台所に向かっていくアリスの背中を見送っていると、ふと嫌な予感がした。
「……ちょっと待ってくれ。今までに料理作ったこと、ある?」
「ないわ」
「何つくるの?」
「そうね。甘めのブリオッシュと、野菜たっぷりのミネストローネ、半熟卵のせ。あと、白身魚を焼いたのにバジルソースをかけようかしら」
「おっ。期待できそうじゃないか」
「ただ、味付けがよくわからないのよね。お菓子みたいに、砂糖で甘くしてあげればいいかしら」
「……だめだ、こりゃ。一緒に作ろう」
アリスが指をちょいちょいと動かすと、人形が飛んできて、キッチンにある食材のメモを渡された。
さっと目を通して、白米があったときは驚いた。思わずアリスの背中を叩いてしまったら、迷惑そうな顔をされた。
「おまえ、実は和食派なのか。似合わないなあ!」
「お米なら、この間ライスプティングを作ったときの残りだけど」
「……プディングってつまりプリンだよな?米を甘くするのか?考えられないな」
「……お餅だってお団子だって似たようなものでしょ。あと、おはぎとか」
結局、お菓子作りの材料しかなかったので、アリスが買出しに行ってくれた。口では何だかんだ言うものの、毒きのこを食べさせた責任を感じてるようだ。いい奴だ。何より、人を働かせて自分はごろごろできるのって素晴らしい。
A ◇ ◆ ◇
結局、魔理沙の夕食のために、買い物にいくことになった。ああ、もう、今日は薬草摘みに行こうと思ってたのに。山の端に沈みかかった夕陽を見て、ため息がくちびるから落ちた。
でも、久しぶりの誰かとお喋りしたおかげで、少しだけ気が晴れた。
重力を離れて宙に浮く体が、あの月まで飛んでいけそうに軽い。なんて、言いすぎかしら。
家に帰れば、きっと退屈をもてあました魔理沙が待っている。
いつも、私を迎えてくれるのは、明かりの無い空っぽの部屋だった。森の中に隠した、一人ぼっちのお城だった。そこは私と人形たちだけの王国で、とても居心地が良かったけれど。今日は家に帰れば、きっと魔理沙がくちびるを尖らせて、遅い、なんて文句を言うのだろう。想像すると、くすっと笑みがこぼれた。
きっと魔理沙は、我がままを許される環境で育ってきたのだろう。周りの人たちに愛されて、甘やかされて。自由奔放さと、その底に流れる他人の善意を信じたがる性格は、その結果か。花のようだ、と思う。太陽の恵みをたっぷり浴びて、顔を上げて咲く可憐な野の花に、彼女は似ている。魔理沙が帰ったら、花を買おうと心に決める。私の無彩色の部屋も、明るい色の花が一輪あれば、きっと見違えるだろう。
……他人と一緒にいて、沈黙が苦しくなかったのは、嬉しい驚きだった。魔理沙のマシンガントークもちょっとは役に立つ。耳だけ傾けてれば、勝手に喋ってくれるんだもの。外出の準備をしながら、喋りかけてくる言葉に生返事ばかりしていたら、魔理沙のやつ、調子に乗り始めたっけ。
「アリス、紅茶こぼした」
「はいはい」
「アリス、上海人形が火の輪くぐりしてる」
「はいはい」
「……なあアリス。あの魔法薬、借りていいか?」
「はいはい」
「よしよし。話がわかるなあ。ほんのちょっと、借りるだけだぜ」
「……簡単なことよ。借りるってことは、中身は減らないんだから。そのくらいどうってことないわ」
「……うぇ、聞いてた。訂正する。ちょっと使わせてもらうぜ」
「……まあ、いいわよ」
馬鹿みたいな会話だった。暮れかかる空を分ける、むらさきと水いろの境目で、私の青いスカートがひらりと翻る。
心が、ふわふわと浮かれはじめる。
我が家に帰った頃は夕暮れで、ちょうど魔理沙の毒も抜けた頃あいだった。
よっぽど退屈だったのか、材料の到着を待ちかねたように、魔理沙は腕まくりをしてキッチンに立つ。とんとんとリズミカルに山菜を切るついでみたいに、私に尋ねた。
「夕飯、アリスも食べるか?」
「……お腹をすかせた人間のために作る夕食でしょ。私は魔法使いよ。いらないわ」
「じゃ、心置きなく私好みの和食を作るぜ」
9月とはいえまだ蒸し暑いから、夏向けのメニューになった。
食卓には、きのこと山菜の炊き込みご飯、冷しゃぶ、揚げ茄子のおひたし、冷やしたトマトの梅酒煮が並んだ。それから、冷たいビール。これは欠かせない、らしい。黄金色の液体をそそぐと、しゅわしゅわと真っ白い泡がふくらんで、グラスの端からこぼれそうになる。テーブルいっぱいに食べ物が並ぶのは、もの珍しい光景だった。
食卓の上の箸は一膳分。さっき、私は食べないって遠慮したから、魔理沙の分だけだ。
「いっただきまーす」
いかにも嬉しそうに宣言すると、魔理沙は、みずみずしいレタスの上に冷しゃぶをのっけて、梅とおろしをポン酢で和えはじめる。毎日こんな風に食べ物に束縛されるなんて。ただでさえ人に許された時間は短いのに、非効率的なことこの上ない。
呆れながら見ていたら、魔理沙は、細い体のどこに入るのかと呆れるくらい、美味しそうによく食べた。成長期なのかしら。ぱくぱく食べる姿を感心しながら眺めていたら、だんだん魔理沙の箸が重くなって、ついには箸を置いた。
「……そんなに熱いまなざしで、大口開けて食べる私を眺めて楽しいか。正直、気まずい」
「そんなものかしら」
「……やっぱり、アリスも食べるか?」
どうやら気を使わせてしまったようだ。私はうなずいて立ち上がり、スプーンとフォークを持ってきた。
ところが、魔理沙が首を振る。
「だーめ。和食にフォークなんて、邪道だ。断固として認めん」
「……駄目かしら。困ったわね、箸なんて使うの初めてよ」
慣れない箸にもたつきながら、出汁の中から揚げ茄子をすくおうと奮闘する。
向かいの魔理沙は、縁日の金魚すくいに熱中する子どもを眺めるみたいに、ニヤニヤしながら見ている。さっき私が眺めていたことへの仕返しかもしれないが、しゃくにさわった。やっとの思いで箸につまんだ揚げ茄子を、どうだ、とばかりに見せびらかしてから、ぱくっと食べる。とろけるように柔らかな茄子を噛めば、鰹の濃い出汁がじゅわりとあふれて、後を追うようにピリリとした唐辛子の辛味が広がった。
行儀悪く頬杖ついて、小首をかしげた魔理沙が、微笑みながら尋ねる。
「美味いか?」
「……食べた事のない味。しょっぱいわ」
「あーそうだろうね。高尚なお嬢様の舌に、庶民の味はあわないだろうな」
美味しいと言って貰えることを、魔理沙だって期待した訳じゃないだろう。食事すらほとんど取らないような私だ。味覚が多少鈍っていても仕方ないだろう。
でも、せっかく作ってくれたのに、と思うと気が滅入った。
一緒にキッチンに立ったから、魔理沙が、手間かけて料理を作っていたのを知っている。
美味しくするためだっていって、豚肉をお酒と葱の青いのと一緒に沸かした湯にさっとくぐらせたのは、たぶん肉臭さを消すためだろう。揚げ茄子をはじめに作って、濃い目の出汁に漬けて冷やしたのは、味をきちんと染みこませるためだろう。濃い醤油色の出汁を見て、しょっぱそう、とこぼしたら、箸休めの甘いの、と言ってトマトの梅酒煮を作ってくれた。
きっと魔理沙は、自分が食べたかったから頑張って作ったんだろうけど。
食卓にあまるほど並べられた皿を見渡す。この分量は、一人分じゃない。私は、食べないって言ったのに。ちゃんと二人分だった。おそらく、だけど。いっしょに食べようって、言葉じゃなくて態度で示してくれたんだ。
そう思い至ると、私は目を伏せた。
いつも私は気遣いが足りない。いっしょにいる人に、きっと不愉快な思いをさせてしまう。人付き合いの苦手な自分が、どうしようもなく嫌になるのはこんなときだ。
「……美味しいわ、魔理沙」
もう遅いかもしれないけど、そんなお世辞を言ってみた。
魔理沙は私の内心を見透かしたように目を細め、しょうがないな、と言って笑った。
M ◇ ◆ ◇
困った、アリスが掴めない。
いい機会だから、今日一日、アリスを観察してみたのに、結果が「わかりません」か。
アリスは親切かと思えば悪役ぶって、冷静かと思えば笑えない冗談をかます。機械みたいに理論重視かと思えば、思いやりから優しい嘘を言う。ふだん大人しく分別のある行動をとるから目立たないけど、改めて目を向けると、言動に一貫性がない。天使の輪のかかるプラチナブロンドの頭を開いて、いっぺん中身を覗いてみたい。
でも、何となく気づいたこともある。たぶんアリスは、自分自身が好きじゃないんだ。
いつも、他人にあわせようとしている。
アリスの言動に一貫性が無いのは、反応をみて出方を変えるからだろう。
自分の我がままを抑えて、相手の顔色を読んで、求められるがままに動く。
お人形さんだ。
そして、お人形さんのくせに、プライドが高い。
冷たい笑みもそっけない口調も、我が身を守るためにある、薔薇の棘。
部屋は多少なりとも、その人となりをあらわすっていうから、白と黒と灰色の部屋を見まわしてみる。
たくさんの人形にあふれたその部屋は、手を伸ばせば必要なものがすぐ届くよう、機能的に整えられていた。その反面、感情のぬくもりが感じられなかった。花の一つ、絵の一つ、心やすまるものを飾ることは簡単だろうに、それもしない。
アリスの振る舞いの裏に透けて見える姿に目をこらせば……寂しいやつだった。
なんとなく、もやもやする。振り回されるのは趣味じゃない。他人を振り回してこその私だというのに。
私は、アリスが心から笑った顔も怒った顔も見たことがない。
たぶん、それはアリスが私に心を開いていないからだ。
アリスにとっての私は、隣人ではあるものの、遠い他人にすぎないのだ。
彼女が今までに示した反応は、すべて目の前の私にあわせた結果だった。
アリス自身が、何に喜び、何を怒り、どんな行動を示すのか。
素の反応が読めない。予想がつかない。だから興味がわく。私は彼女のことを何も知らないんだ。
アリスのことを、もっと知りたくなる。
目の前の彼女に向かって言ってやれば、いったいどんな答えが返ってくるだろう?
「なあ、アリス。ほんとのお前は、どんなだよ?」
A ◇ ◆ ◇
夕食を食べ終わって、皿も鍋も洗ってすっかり綺麗にしてしまうと、魔理沙は帰っていった。
また来る、と言っていたけど、お世辞は結構だ。
魔理沙がいなくなった部屋は、妙に殺風景に感じられた。
人形たちをのぞけば、色のない部屋だ。白いテーブル、黒い椅子、灰色のソファ。見慣れた景色のはずだったのに、どこか物足りない。
いや。視界に一つだけ、目を惹く色があった。
テーブルの上に、魔理沙の残した、作りかけのパッチワークが置いてあった。淡い紫陽花のような色彩の、端切れの寄せ集めだ。
「どうしろっていうのよ、これ……」
手にとって、呆れた声で独り言をこぼす。思い直して、くすっと笑った。人形の服の端切れは、また溜まるだろう。
そうしたら、端切れを縫い合わせて虹色のカーテンを作ろう。幾百、幾千の端切れをつないで、色の洪水を綴ろう。天井から床までを曇り空に見立てて、きらきら輝く虹をかけよう。
思いつきは、なかなかいいアイディアに思われた。
暗い色の部屋を、少しだけ変えてみたくなった。部屋の模様替えをするように、私の心も着替えてみたくなった。変わらない毎日に魔理沙が飛び込んできたことで、もたらされた変化だった。
人付き合いの下手な自分を疎んじて、誰かと顔をあわせないように、部屋に閉じこもっていた。誰も招くことの無い部屋は、柔らかな色彩を失って、いつか機能性だけを重視した、無彩色の部屋になった。
でも、今の自分が好きじゃないなら、変わることができる。いつだって、遅いなんてことは無いのだろう。
「あなたの残した端切れが、いつか虹色のカーテンに変わったら……」
そうしたら、魔理沙に伝えられるだろうか。
魔理沙にとっては、ほんのささやかなものに過ぎない今日の一日。この一日を共に過ごせたことで、私が優しい、暖かな気持ちをもらったことを。少しだけ、自分を変えてみる勇気が出たことを。
でも、それにはまだ、時間がかかるだろう。端切れは、ほんの数センチ四方だ。それを集めて窓を覆う虹色のカーテンを作るなんて、夢みたいな話だ。秋と冬の寒い間じゅう使ってやっと完成する、根気の要る縫い物になるだろう。
花のようだったな、とまた思う。魔理沙がいる間、綺麗な色の花が、ぱっと部屋に咲いたみたいだった。
明日になったら、まずは花を買いにゆこう。この無彩色の部屋を、少しだけ明るくするために。魔理沙が垣間見せてくれた、私の新しい可能性を、忘れないために。
そうやって、一歩ずつ変わっていこう。たぶん、私以外の誰も気づかないような、本当に小さな歩みだけれど。
明日は、晴れるといい。
朝がきたら、きっと私は扉を開けて、まばゆい陽射しに目を細めて。
軽やかに、外への一歩を踏み出そう。
距離を縮めようとする二人が良い。
新鮮な気持ちで読めました!
この先も、こういう関係が続くんだろうなぁ…
マリサとアリスのお話しでは一番好きかも