「そもそも、見るっていう言葉は、遠くにあるものをみるっていう意味なんだ」
教壇の上で説明する人物を、子供達が熱心に見上げていた。
「みんなの遠いご先祖様の時代からの慣わしで、ほら花見にしても月見にしても遠くにあるものを愛でるだろう?
え?花見の桜は近くにある?
いや、それはほんの最近の風習で、昔は山の中腹に咲く桜を遠くから愛でた。雲か霞かという表現は遠くにあって煙る花の様子を例えたものなんだよ。
だから行事で使われる、見る、という言葉は本来は遠くにあるものをみる事なんだ。
……うん、そう。眺めるっていう意味だね。
それとは別に近くにあるものを見る事は、狩る、と言う。
紅葉狩りとか蛍狩りなんか良い例かもしれない。あれらは決して捕まえる事が目的ではなくて、近くで見る事が目的なんだよ。
そう。
今日は「狩る」んじゃない。「見る」方の行事だね。
みんな、お家から丸いもの持ってきたかい?ああ、すごいな。里芋に栗に梨。早生の林檎まであるじゃないか!
持って来れなかった子はこっちにおいで。先生の分を上げるよ。ほら、これとこれ!良いだろう?先生が作ったお団子だよ。
わわ、みんな良いじゃないか。どうせ夕方のお祭りで……こほん!なんでもないよ。失礼しつれい。
さあて、全員手に持ったかい?
そしたらお月様の見えるところにお供えしよう」
玄関先に棚が作られ、飾られたすすきの穂が揺れていた。子供達が次々にお供え物を棚の上に置くと、見る間に賑やかになっていく。
全員が置いたのを確認すると、教師は部屋の中に生徒達を呼んだ。元気良く返事をしながら子供達は中に駆け込み、
再び動くものは秋の風に揺れるすすきのみとなった。
「あと二つばかり話して今日の授業は終わり。みんな良く聴いて。
一つ。月は見て楽しむだけが良いよ。ある程度の距離があって初めて美しく思えるものだから。
二つ。今夜は何人かで遊びに行くんだよ。
以上。
今日の授業はおしまい。みんな気をつけて帰るんだよ」
生徒達はぱっと席を立ち、さよならを口々に言いながら村へと帰っていった。
※※※
縁側で一人酒を飲む。
昔からの慣わしで盥に水も張ったのだが、なんとなく水鏡を見ないうちに空が曇ってしまった。
日が沈んでからは、玄関先で息を殺した子供の気配が頻繁にしていたのだが、深夜ともなれば鈴を鳴らしたような虫の音しか聞えない。
水を飲みに立った際確認すると、お供え物は月の代理である子供達によって順調に貰われているようだ。
無事に行事は終わったのだ。
終わったというのに、教師は待っていた。
座して静かに。
どの位待ったのだろうか。時間の狭間に落ちたような気分で教師は我に返った。
微かに、玄関で気配がする。
この遅くに子供だろうかと彼女が首をひねると、立ち去る様子も無くそこに居る。
思わず唾を飲んだ。
「だれ?」
教師の誰何にその気配が答える事は無かった。
立ち上がり気配のする方へ向かう。
懐かしい感じ。
どくどくと心臓が脈打つ。
胸が熱くなって、息を吸い込むのが苦しいくらいだ。
しかし、玄関を開けると影は身を翻して消えてしまった。緑の尻尾の先のみ教師の目に残像となって残った。
※※※
「そんな顔をするな」
「だって。慧音、けーねが……」
「ほら妹紅、私は半分白沢だから」
妹紅は沈痛な顔を、横たわる人に向けた。
慧音と呼ばれたその人物は、対して可愛らしい笑顔を見せる。
本当は、彼女は残していく人を抱きしめたかった。しかし布団が重すぎて指先一つ動かせなかった。
だからせめて、
彼女は笑顔を見せた。
「人間の分が死んでしまっても、白沢の分は残るさ」
「なんでっ……そんな事、言えるのさ!」
「勘だ」
妹紅は慧音に抗議しようとして、やめた。
この期に及んで何時も通り自信たっぷりの表情を見せる彼女に、何故だか安心させられてしまう。
どんなにしわが増えても、細く軽くなってしまっても、
慧音の芯は変らなかった。
「それじゃ、……そうだな、月の節句に……また」
「慧音」
「月は妹紅をさびしくさせるだろ」
「慧音」
「また
「けーね……?」
布団に一滴、ぽたりと落ちた。
※※※
ぽたりと雫が落ちた。
糸の様な繊細な雨が降りだした。夜を徐々に濡らして溶かしていく。
東の空はぼんやりと明るくなって、どうやら夜明けが近いらしい。
お供え物は大半が消えていて、中でも妹紅の作ったお団子は皿だけ残して一つも無くなっていた。
人のたましいは、二つあるのだという。
魂と魄。
妹紅は慧音の部屋を片付けていて、綴じ本に挟まった覚書で知った。
勘などではなかったのだ。
几帳面な彼女はきちんと調べてから約束を結んでくれたのだろう。
そしてちゃんと会いに来た。
でも……
「慧音。……姿、見たかったなぁ」
さらさらと降る雨の中、妹紅が呟く。
それから微かに笑って、獣の去った方を見つめた。
月よりも、もっといとしい。
たっていてもすわっていても夢のなかでさえも未だに焦がれるその人。
「会うよ。うん、会うからね。ちゃんと会わないで約束なんて、果たされてないんだからね」
今年の節句はこれにて終了。
妹紅は棚に静かに火をつけた。
鮮やかな色は、揺らめきながら全て飲み込んでいく。
拍子抜けするほど軽い逢瀬。取り敢えず炎の色でも添えてやろう。
妹紅はふわ、と大きなあくびをすると暗い部屋の中に戻っていった。
※※※
おまけ!/ハッピーエンドが良い人のみ反転。
「本当に会わなくって良かったの?」
「ああ、すまない。忙しい時だというのに。どうにも心の準備がな……」
魂魄とはそもそも医学用語である。
ここは永遠亭。
白沢・慧音が、薬師に呆れた顔で見つめられていた。
慧音は人間としての生が終わる前に、この薬師に相談して魂魄を分離する術を得ていたのだが。
「折角会いに行ったのに尻尾しか見せられなかった、と」
永琳は呆れてため息をついた。
「本当にすまない。来年こそは必ず会いに行く!」
「あなたはちょっと頭が固いのよ。別に約束にこだわらずに今すぐ会いに行けば良いじゃない」
実はこんな問答を、節句の前から繰り返していた。
中々決心のつかない慧音と、永遠を生きるが為に彼女を急かす事はしない永遠亭の人々。
そんな訳で、
慧音と妹紅が再会するのはもう暫く先の中秋の名月なのだがそれはまた別の機会に。
ハッピーエンドバージョンがあって良かった…
もう少し説明文を組み込んだら、もっと読みやすいものになるのではないでしょうか。
しかし作品自体に溢れる、静かで澄んだ雰囲気は素晴らしいものと思いますので、もっといい作品を書けていけるのではと思います。
次回作に期待しております。
ハッピーエンドより、もう一方の雰囲気の方が個人的には好みでした。
どうにも切なくて…
慧音、約束とかいいから会いに行ってやれよ!とww
しかしもこたんは良い教師になったなあ。