「げ」
蕎麦屋の暖簾をくぐった八雲紫は開口一番、そう言った。
「失礼な人ですね。人の顔を見るなり」
そんなスキマ妖怪の失言に返したのは、幻想郷の閻魔である四季映姫・ヤマザナドゥである。
「い、いえ、映姫様がこんな所にいらっしゃるとは、思ってもみなかったものですから」
「今日は休みですので」
四季映姫が居るのは、蕎麦屋の座敷だ。
ここは閑古鳥が巣を作り、人間の里でも特に流行っていない蕎麦屋である。
なので、映姫の他に客の姿は無く、他には給仕をする蕎麦屋の娘が「いらっしゃいましー」と、言っているだけだ。
「なるほど、お休みでしたか」
そんな座敷にちょこんと座った映姫に対し、紫は慇懃に挨拶をして、
「それでは、お邪魔をしては悪いので、私はこれで失礼しますね」
などと言って、回れ右をして帰ろうとする。
それに対し、映姫は、
「何を言っているんですか。貴方もここの蕎麦を食べに暖簾をくぐったのでしょう」
と、店を出ようとする紫を止めた。
「ええ。でもお邪魔をしても悪いかなー、と」
「貴方が居ても居なくても、さして変わりはありません。それに、ここで店を変えるのもお店の人に悪いでしょう。さあ、早く入りなさい」
楽園の閻魔に促され、八雲紫は、まるで死刑執行前の罪人のような面持ちで、蕎麦屋に入るのだった。
そもそも紫は『境界を操る程度の能力』の持ち主である。
これは、物体や事象、概念の境目を曖昧なモノとし、色々と好き勝手をする能力だ。
ゲームに例えれば、裏技やバグ技の如きものと言えるだろう。
対して、映姫は『白黒をはっきりさせる程度の能力』を有している。
これは、曖昧なモノをはっきりさせる力であり、こちらもゲームに例えるならば、ゲームのバグを修正するパッチだろうか。
つまりは、八雲紫にとって、四季映姫・ヤマザナドゥは致命的に相性の悪い存在であり、それゆえに苦手意識を持っているのだ。
「貴方は何を頼みますか?」
「ええっと、それでは天ぷら蕎麦を」
そんな苦手な映姫と座敷で差し向かいになりながら、紫は天ぷら蕎麦を頼む。
それを聞いた蕎麦屋の娘が「はい、わかりました。天ぷら蕎麦一つ」などといって、厨房へと向かった。
他に客も居ないので、静かだ。
映姫は、興味深げに蕎麦屋のお品書きを眺めている。
そんな映姫を眺めながら、紫は所在なさげに壁に並んだお品書きを見ていた。
どうにも、空気が硬い。
「あの、映姫様」
その空気に耐えきれなくなった紫は、映姫に声をかけた。
「なんですか」
「映姫様は、ここの蕎麦屋によく来られるのですか?」
「いえ、初めてですが」
「そうですか。初めてですか」
そこで、会話は終わってしまった。
普段であれば八雲紫も、胡散臭い笑みの一つでも浮かべて、適当な話で繋いでいけるのに、映姫が相手だと、さしもの幻想郷を牛耳る妖怪も上手くいかない。
困った紫は「あー、厨房で天ぷら揚げてますねぇ」などと言いながら、明後日の方向を向いてお冷やを飲む。
そうしていないと、場が持たないからだ。
そもそも、どうして相席をしてしまったのかと、紫は自問する。
しかし、顔見知りが居る場で、
「それでは、私はこちらの席に」
などと、別の席にした場合、何とも言い難い奇妙な沈黙が蕎麦屋を支配しただろう。
きっと、凄い気まずい。
それを考えれば、紫の相席という選択は決して間違っていない。
上滑りをしているとはいえ、会話で繋いでいけるのだから。
「しかし、遅い」
ぽつりと、映姫が漏らした。
「そう言えば、映姫様の注文した品はまだ来ていないですね」
「ええ、遅いんですよ。貴方が来る前に注文したのに、まだ来ない」
そう言うと、映姫は頬杖をついて厨房を見る。
きっと、この店は『客など来ない』とタカをくくっていたのだろう。
よく、潰れずに生き残っていたものだ。
「何を頼んだのですか?」
「貴方と同じ、天ぷら蕎麦ですよ」
そんな話をしているうちに、天ぷらが揚がったらしく、給仕娘が運んできた。
先に映姫、次に紫と、二人で適当に天ぷら蕎麦を食べる。
天ぷらは、茄子や南瓜などの野菜物だけの精進揚げ。
これをそばつゆにつけて、いただく。
蕎麦は黒い粒が残る田舎蕎麦、脇には小皿に乗った香の物が盆にのっていた。
本来であれば、紫はここで冷酒の一つでも頼むところだが、目の前に閻魔が居るので控えている。
蕎麦に酒が付かない事に、心の中で溜息を吐きながら、紫は天ぷらに箸を付けた。
そうして、二人は食事をするのだが、途中から映姫は紫の方をジッと見始める。
「……どうかしましたか」
何か機嫌でも損ねてしまったのかと、紫が尋ねると、
「紫、貴方は箸の持ち方がおかしい。あと、いくら美味しいからといって、ひたすら天ぷらばかり先に食べるのは良くありません。ばっかり食いをせず、口中調味を心がけることが健康の近道と考えよ!」
店の中だというのに、閻魔による箸の持ち方と食育に関する御説教が始まってしまったのだった。
「ここは私が出しましょう」
心行くまでお説教をしたおかげか、蕎麦がよほど美味かったのか、妙に満足げな映姫は、財布を出して宣言する。
「……御馳走になります」
一方、説教に疲れ果てた紫は素直にそれを受け入れた。
ここは、素直に閻魔の好意に甘えて居た方が良いと判断した事もあるが、純粋に逆らう気力が萎えていたのだ。
紫が説教をされて、箸の持ち方を矯正されていたのは、ほんの十分ほどだが、それで彼女は十分に疲れ果ててしまったらしい。
これが、苦手意識のなせる業だろうか。
「では、紫。今度会う時までに、正しい箸の持ち方ができるようにしておくのですよ」
「分かりました」
疲れていた紫は、こくり、と素直に頷く。
すると、映姫は破顔して、
「良い子ですね」
と言って、少し背伸びすると八雲紫の頭を撫でた。
「え、あ、あのっ」
八雲紫が、顔を真っ赤にして、頭を押さえながら後退していると「では、また」と言って、映姫は大通りの方に消えしまう。
「……だから、あの方は苦手なのよ」
耳まで真っ赤になったスキマ妖怪は、天敵が消えていった方を見やりながら、ボソリと呟くのだった。
了
蕎麦屋の暖簾をくぐった八雲紫は開口一番、そう言った。
「失礼な人ですね。人の顔を見るなり」
そんなスキマ妖怪の失言に返したのは、幻想郷の閻魔である四季映姫・ヤマザナドゥである。
「い、いえ、映姫様がこんな所にいらっしゃるとは、思ってもみなかったものですから」
「今日は休みですので」
四季映姫が居るのは、蕎麦屋の座敷だ。
ここは閑古鳥が巣を作り、人間の里でも特に流行っていない蕎麦屋である。
なので、映姫の他に客の姿は無く、他には給仕をする蕎麦屋の娘が「いらっしゃいましー」と、言っているだけだ。
「なるほど、お休みでしたか」
そんな座敷にちょこんと座った映姫に対し、紫は慇懃に挨拶をして、
「それでは、お邪魔をしては悪いので、私はこれで失礼しますね」
などと言って、回れ右をして帰ろうとする。
それに対し、映姫は、
「何を言っているんですか。貴方もここの蕎麦を食べに暖簾をくぐったのでしょう」
と、店を出ようとする紫を止めた。
「ええ。でもお邪魔をしても悪いかなー、と」
「貴方が居ても居なくても、さして変わりはありません。それに、ここで店を変えるのもお店の人に悪いでしょう。さあ、早く入りなさい」
楽園の閻魔に促され、八雲紫は、まるで死刑執行前の罪人のような面持ちで、蕎麦屋に入るのだった。
そもそも紫は『境界を操る程度の能力』の持ち主である。
これは、物体や事象、概念の境目を曖昧なモノとし、色々と好き勝手をする能力だ。
ゲームに例えれば、裏技やバグ技の如きものと言えるだろう。
対して、映姫は『白黒をはっきりさせる程度の能力』を有している。
これは、曖昧なモノをはっきりさせる力であり、こちらもゲームに例えるならば、ゲームのバグを修正するパッチだろうか。
つまりは、八雲紫にとって、四季映姫・ヤマザナドゥは致命的に相性の悪い存在であり、それゆえに苦手意識を持っているのだ。
「貴方は何を頼みますか?」
「ええっと、それでは天ぷら蕎麦を」
そんな苦手な映姫と座敷で差し向かいになりながら、紫は天ぷら蕎麦を頼む。
それを聞いた蕎麦屋の娘が「はい、わかりました。天ぷら蕎麦一つ」などといって、厨房へと向かった。
他に客も居ないので、静かだ。
映姫は、興味深げに蕎麦屋のお品書きを眺めている。
そんな映姫を眺めながら、紫は所在なさげに壁に並んだお品書きを見ていた。
どうにも、空気が硬い。
「あの、映姫様」
その空気に耐えきれなくなった紫は、映姫に声をかけた。
「なんですか」
「映姫様は、ここの蕎麦屋によく来られるのですか?」
「いえ、初めてですが」
「そうですか。初めてですか」
そこで、会話は終わってしまった。
普段であれば八雲紫も、胡散臭い笑みの一つでも浮かべて、適当な話で繋いでいけるのに、映姫が相手だと、さしもの幻想郷を牛耳る妖怪も上手くいかない。
困った紫は「あー、厨房で天ぷら揚げてますねぇ」などと言いながら、明後日の方向を向いてお冷やを飲む。
そうしていないと、場が持たないからだ。
そもそも、どうして相席をしてしまったのかと、紫は自問する。
しかし、顔見知りが居る場で、
「それでは、私はこちらの席に」
などと、別の席にした場合、何とも言い難い奇妙な沈黙が蕎麦屋を支配しただろう。
きっと、凄い気まずい。
それを考えれば、紫の相席という選択は決して間違っていない。
上滑りをしているとはいえ、会話で繋いでいけるのだから。
「しかし、遅い」
ぽつりと、映姫が漏らした。
「そう言えば、映姫様の注文した品はまだ来ていないですね」
「ええ、遅いんですよ。貴方が来る前に注文したのに、まだ来ない」
そう言うと、映姫は頬杖をついて厨房を見る。
きっと、この店は『客など来ない』とタカをくくっていたのだろう。
よく、潰れずに生き残っていたものだ。
「何を頼んだのですか?」
「貴方と同じ、天ぷら蕎麦ですよ」
そんな話をしているうちに、天ぷらが揚がったらしく、給仕娘が運んできた。
先に映姫、次に紫と、二人で適当に天ぷら蕎麦を食べる。
天ぷらは、茄子や南瓜などの野菜物だけの精進揚げ。
これをそばつゆにつけて、いただく。
蕎麦は黒い粒が残る田舎蕎麦、脇には小皿に乗った香の物が盆にのっていた。
本来であれば、紫はここで冷酒の一つでも頼むところだが、目の前に閻魔が居るので控えている。
蕎麦に酒が付かない事に、心の中で溜息を吐きながら、紫は天ぷらに箸を付けた。
そうして、二人は食事をするのだが、途中から映姫は紫の方をジッと見始める。
「……どうかしましたか」
何か機嫌でも損ねてしまったのかと、紫が尋ねると、
「紫、貴方は箸の持ち方がおかしい。あと、いくら美味しいからといって、ひたすら天ぷらばかり先に食べるのは良くありません。ばっかり食いをせず、口中調味を心がけることが健康の近道と考えよ!」
店の中だというのに、閻魔による箸の持ち方と食育に関する御説教が始まってしまったのだった。
「ここは私が出しましょう」
心行くまでお説教をしたおかげか、蕎麦がよほど美味かったのか、妙に満足げな映姫は、財布を出して宣言する。
「……御馳走になります」
一方、説教に疲れ果てた紫は素直にそれを受け入れた。
ここは、素直に閻魔の好意に甘えて居た方が良いと判断した事もあるが、純粋に逆らう気力が萎えていたのだ。
紫が説教をされて、箸の持ち方を矯正されていたのは、ほんの十分ほどだが、それで彼女は十分に疲れ果ててしまったらしい。
これが、苦手意識のなせる業だろうか。
「では、紫。今度会う時までに、正しい箸の持ち方ができるようにしておくのですよ」
「分かりました」
疲れていた紫は、こくり、と素直に頷く。
すると、映姫は破顔して、
「良い子ですね」
と言って、少し背伸びすると八雲紫の頭を撫でた。
「え、あ、あのっ」
八雲紫が、顔を真っ赤にして、頭を押さえながら後退していると「では、また」と言って、映姫は大通りの方に消えしまう。
「……だから、あの方は苦手なのよ」
耳まで真っ赤になったスキマ妖怪は、天敵が消えていった方を見やりながら、ボソリと呟くのだった。
了
とても良かったです!!
>少し背伸びすると八雲紫の頭を撫でた。
おぉう…おぉう、何か妄想が掻き立てられ…w
映姫様なかなかやりますなぁw
胡散臭いゆかりんが一方的に映姫様に苦手意識を持ってるのは深読みしたくなりますねww
あと背伸びなでなで!!