私はどうやら、妖怪に呪われてしまった様だ。
朝日が昇って来ているのに、もうお別れなのだろうか。あぁ、せめて聖の朝食を食べたかった……
私は多分、そう長く無い内に奴の手によって自分の意識を乗っ取られるだろう。
もしかしたら、もう手遅れなのかもしれない。だって、そこには奴の手が――――
命蓮寺の各々は寝起きが良い。何しろお寺では、規則正しい生活を聖にきっちりと教え込まれたから。
しかしそのおかげで気持ちの良い朝を迎える事が出来るのだ、大変健康的である。
まぁ、若干二名程はその健康に満ち溢れた朝を拝み損ねているのだが。
以外な事にその内の一人はあのネズミっ子ことナズーリンだ。
逆に星の方は毎朝しゃんと起きてくる。流石は神様代理、といった所かな。
この主従と呼んで差し支えがある二人は、朝方だけはその力関係が逆転する。まさにその光景は仲のいい姉妹を見ているかの様でもある。勿論ナズーリンが妹だ。これは揺るがない。
付けくわえて、朝だけじゃなく、稀に夜もその力関係が逆転してしまう事を実は知っている。
船長さんは物知りなのだ。が、同時に口も重いから大丈夫。さぁこの話はもうお終い。
「星の後始末で忙しいから遅寝になってるのかな?」
それともう一人、ねぼすけがいる。何を隠そう、ぬえだ。
彼女は多分体質的な物だろうか。里では低血圧とかなんとか。船長兼ぬえの友達としては、早起きをしてすがすがしい朝日を体一杯にあびて貰いたい所なのだが、いかんせん体質ならば仕方なかろう。
無理強いするのはよくないともどこかで聞いたかもしれない。
「私としては、昇って来るお天道様を眺めながら、寺の前で皆で仲良く体操をしたいんだけれども」
「あら、おはよう村紗。今日もお願いしますね」
「おはようございます、聖。里の事はこのキャプテン・ムラサに任せておいて下さい」
最近聖と私は夏の嵐で被害を受けた里の寺子屋の補修を手伝っていたりする。
なんでも聖が里に降りた時に、先生とおぼしき人物が困り果てた様子でいたために、手伝える事があるなら、と話を通してきたらしい。何の躊躇もせずにそういう話が出来る人っていうのは、私はすごいと思う。真似しようとしても中々出来る事ではないのだし。
「今日で大体の工程は終わりだそうです。短い間でしたが頑張りましたね」
「いえいえ。上白沢さんの、ためになる話も聴けたし、体も動かせました。私にとっては一石二鳥です」
難しい話も多かったけれど、そこは先生の成せる技か、私にもわかるように噛み砕いて教えてくれた。
あの人も聖みたいな人格者の感じがする。
「そうです。そろそろ朝食が出来るから、とあなたを呼びに来たのでした」
「分かりました聖。あっ、その前に私は、頼れる船長としてあの二人を起こしてきますね」
「えぇ、お願いしますね」
まったく、聖の美味しい朝食なのに、まだ起きないのかあのねぼすけ二人は。食べ逃したら勿体無いというのに。
トントン
「さぁナズーリン、朝ですよー起きなさー、ってあれ、布団が敷いてないなぁ」
今日は珍しく自分で起きれたのだろうか。いつもなら私か、もっぱら星が起こしに来るまでは、布団が自分の相棒だと言わんばかりにくるまりながらもにょもにょ言っているのに。
珍しい事もあるものだ。まぁ起きているならそれに越した事はない。
次はぬえの番か。ぬえはナズーリンよりかは起きるのは早いだが、今日はまだ姿を見ていない。
という事はやはり布団と夢へと逃避行をしているに想像は硬く無い。
流石、頭脳明晰な私だ。船長は頭の回転も速く無いといけないからね。ふっふっふ。
そんなことを考えていると、台所からじゃがいものいい匂いが漂ってきて私の鼻孔をくすぐった。
「おっ、今日のおかずは吹かし芋が並ぶかな」
ぬえの部屋へ行く途中、聖と一輪が談笑をしながら食器に味噌汁をよそっている姿を台所で見かけた。
私の視界の端にチラッと映ったのは湯気を立てている芋の集団だった。やはり今日はお芋らしい。
船長は、鼻が利く事も重要な審査事項の一つなのだ。
ちなみに、星は女の戦場である台所には立つ事を一輪から許可されていない。
理由は至極明快。お皿という名の敵軍を討ち滅ぼしてしまうからである。おっちょこちょい、ここに極まれり、という奴だ。
「そういう点では、ナズーリンの方が台所には向いているね」
誰ともなしにそう呟いているとぬえの部屋が見えてきた。
ぬえは起こされるときにうるさくされると、とても期限が悪くなる。
過去に私が、鍋のフタとお玉という王道的装備で起こしにいったときがあったのだが、その日から向こう一週間は口を聞いて貰えなかった。
その時の反省を踏まえて、それからはそーっと入って、そーっと起こして、そーっと朝御飯の所まで誘導するという起こし方を採用している。
「ぬえ、ぬえ、入りますよー?」
小声で呟きながらそっと部屋の障子を開ける。
案の定、ぬえは布団によって眠りの底へと捉えられていた。
そういえば昨日は珍しく、聖の代わりに私と一緒に里まで下りて行ってお手伝いをしていたからなのかも。ま、力仕事は私が引き受けて、ぬえは子供たちの遊び相手になっていたけれど。それでも立派な寺子屋の手伝いに変わりは無い。どっちかというと子供たちに玩具にされていた、と言った方が正しい気がするが。
「さぁ、まずは布団から出ましょうか。ゆっくりとでいいですよ、さぁ、さぁ」
「ん、んぅぅぅ」
どうやら半覚醒状態らしかった。認識が曖昧になっているのか、さっきからまくらに頬ずりを延々としている。しかも眠った体勢のままでだ。器用なんだから。
「ほら、その枕は持って行っていいですから、一回起きなさいってー」
「ふにゃぁ、ぬんむぅぅぅ」
おぉ、これが鵺の鳴き声という奴なのだろうか。ちょっと感動した私がいたり。
だってぬえったら、良い声で鳴いてみて、っていっても、赤くなって俯いちゃうんだもの。
そんなに鳴き声にコンプレックスでも持ってるのだろうか。今度本人に聞いてみようかな。
「むぅむぅむぅ…………」
「あっ、こら、布団に潜ったら駄目でしょうが、出てきなさいったら。」
「ぐぐぅうぅ」
「ちょっ、あっ、わわっ」
すぽん、としか言い表せない綺麗な音が部屋に響いた。いや、大袈裟だけれどもさ。
何が起こったかというと、ぬえを引っ張っていた手に強い力を感じた。
要するに、ぬえの居城である布団の中へと引っ張り込まれた訳で。
「んんんっ」
そしてぬえはその状態から両足を使って私の体をガッチリと抱き寄せる。
これを無意識のうちにねぼけてやっているとうのだから驚嘆に値する。
流石の船長もこれには驚くしかない。いや、ほんとびっくりした。
私達は今お互いに、向き合う形で布団に篭っている。あ、ぬえの匂いがする……
「いや、いかんいかん、この状態をどうにかしないとっ、御飯に間に合わなくなってしまうっ」
こう、体をひねってみたりするものの、足が離れる気配はない。
一体どんな夢を見ているのだ、このねぼすけさんめっ。
そうやってもぞもぞ動かしていると、不意にぬえがくぐもった声を出した。
「あ、むらさぁ」
そういっておもむろに私に向かって両手をのばして、って、えっ?えっ?
「むらさぁ、いっしょにさぁ、くっつこぅよー」
ちょ、えっ、待って、頭の処理が追いつかない。
流石の船長でもこの事態を演算する事は非常に難しいっ!
なんて私の思考が迷走してる間にもぬえの行動は止まらない。
「むぅ、にげないでよぉ」
くそぅ、なんて破壊力が高いんだっ。
半覚醒状態のぬえの口から紡がれる言葉は、少し舌っ足らずで、甘えた声色と相まって、私の抵抗力をガリガリと削っていく。
うぅ、なんだ、ぬえの言葉を聞いているとこう、胸がドキドキしてくるではないか!
これはあれか。前に寺子屋の先生が言っていた
「言葉という物は難しくてだな。優しい意味を形成する事もあれば、簡単に人を傷付ける道具になってしまう時もある。言葉を投げかける側の心に深く紡いだ言葉を潜りこませる事が出来れば、それは意味する所の良い、悪いに関わらず呪いとなるのだ。その言葉を思い出すたび、人は自分の感情に変化を見せる。勿論これも、良くも悪くも変化するだろう。だから言葉は、呪いというのだよ」
これに該当するの?この胸の昂りはっ。
そうこう考えていても、今だぬえの腕はこちらに向かってきている。
そしてその両腕が、私ののほっぺたをしっかりとホールドし、
正面に顔を向ければそこには、ぬえのふっくらとした唇が――――
「むらさぁ、だーいすきぃ」
そして、あわれ船長は、ぬえというとてつもない大津波に呑み込まれたのだった…………
その日の朝食は、何故か船長が顔を真っ赤にしており、それよりも更に数段顔を朱色に染めたぬえの姿が見受けられたとかなんとか。
ぬえがどういう格好で寝ていたのか、それが問題だ。
ぬゅっぬゅ
詳しく。
あ、写真、もらえますか?