Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

犬の話

2010/09/11 14:02:12
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桜の木の下には屍体が埋まっている。そういう文句を、ふと思い出した。誰の言葉だったろうか。こんなに詩的なせりふを私の貧相な頭が産めるわけがないから、たぶん有名な作家の書いた文章なのだろう。
作家の名前は出てこない。私はあまり本を読まないので、思い出せる見込みは薄かった。

普段は思いもつかないような文章が、今、頭を掠めたのは、足元の光景のせいだった。
私の目の前には、桜みたいに立派ではないひょろっとした木があって、その根元に死体がいる。私はこれからそいつを埋めようとしているところだ。


村はずれ。山の中腹の、西日が当たって温かい斜面。深く積もった落ち葉をかきわけて、黒々とした腐葉土をえっちらおっちら掘ること一時間ほど。
雑木林の土は、植物の根が複雑に絡み合っていて掘るのにとても苦労する。
もう九月の半ばとはいえ、西陽の当たる中、自然薯掘りのためのスコップを、振り上げ振り下げ、延々と体を動かしていると、こめかみを伝って汗がたらたらと垂れてくる。
こんなことならツルハシでも持ってくれば良かったと私はすぐに後悔した。
死体を埋めたついでに自然薯を掘ろうだなんてつまらない考えは捨てるべきだった。

苦労して掘りあげた、穴の幅は一メートルと少しある。深さはその半分ほど。ほんとうは、あとそれぞれ数十センチは必要だと思えたが、妥協した。途中で耐えられなくなったのだ。日も暮れてきたことだし。
山の日暮れは早い。私は一人きりだ。暗くなれば、慣れた山道でも、危ない目に遭うかもしれない。

丈の合わない穴の中に押し込まれた死体は、きゅうくつそうに背を丸めていた。毛むくじゃらの尾っぽを後脚の間に挟んで、目が少し開いているのが、その目が薄く白濁しているのが、いかにも、死体らしかった。
足元を眺めながら、穴に、こいつを押し込んだときの手触りを、私は思い出した。硬かった。冷たかった。
こいつの黒い鼻先は、若かったときも歳をとってからもいつだって濡れていて冷たいのが当たり前だったのだけど、今はすっかり乾いてしまっていて、それがとても、死体だなと思った。


死体は、生きていたころは、鼻のよく利くやつだった。他の仲間が気付かないような匂いも、すぐに嗅ぎ当てて、小動物の跡を見付けては、追いかけていた。
狩りをするのがうまかった。キジやウサギをたくさん獲った。父は狩猟をせず、こいつは家族以外の者の言うことには従わないやつだったから、村の利益には繋がらなかった。
こいつの狩猟能力は、そのほとんどが、こいつの腹を満たすか、私のおやつを確保することに役立てられていた。

失敗することもあった。
秋頃に、棚田脇のススキ野原で遊んでいると、時折、ドドドッという派手な音を聞くことができた。ヤマドリやキジの羽音だった。
そして、音のした方角を見ると、たいてい、こいつがいるのだった。
眉をハの字に寄せて、尻尾をちょっと揺らしながら、鳥が去っていった方を見ている。私が声をかけると、くるりと顔だけでこちらを振り返る。
そういうときのこいつの表情は、「ああ、恥ずかしいところを見られました。勘弁、勘弁」と言っているようで、情けないその顔を見るのが、私は好きだった。

「こんなに鼻が乾いちゃったら、もう、獲物は追えないね」

獲物の匂いに夢中になるあまり、トラバサミにひっかかることもないだろう。
もそもそした毛皮に手を沈める。腹のあたりはあばら骨が浮いている。毎日、いぬまんまをどんぶりに一杯食わせていたはずだが、腹に虫がいるのか、運動のしすぎなのか、こいつはいつも痩せていた。
痩せぎすで、目つきが悪くて、綱に繋がれるのが嫌いで、よその人には無愛想で、ワンと鳴かない。
おまけに、これはここ最近になってからの話だが、人骨を食べるという厄介な趣味を持っていて、山の中に点在している、無縁仏の墓を掘り返しては、茶色くなったしゃれこうべをしゃぶっていた。家の者が怒るとすぐにやめたが、ほとぼりが冷めると、夜中にこっそり抜け出して、たびたび、食べに行っているようだった。

ヤマイヌの子はやっぱりいかれてる、そのうち化け物になるんじゃないか、と、村の者には気味悪がられていた。
たしかに、その奇妙な趣味以外にも、真っ直ぐ張った尾と三角の耳、黄色い目と、埃っぽい色のごわごわした毛皮は、普通の犬とは違う雰囲気があった。私の村にいる犬は、だいたいが、赤毛で、こいつより一回りは小柄で、目が黒い。
父はこいつを村はずれのカエデ林で拾ったと言っていた。今から何十年か前までは、この辺りにも狼が住んでいたらしいから、あるいは本当にこいつには、狼の血が混じっているのかもしれなかった。
一七の私よりもずっと長く生きられたのも、野生の頑丈さを受け継いでいたからかもしれない。


土をかける踏ん切りがつかなくて、私はしゃがみこんだままこいつの体を撫でつづけた。
腐ったような匂いは、ほとんどしない。いつもの、こいつのくささがあるだけだ。犬くさい匂い。毎日のように私の脚にすりつけていた匂い。太陽の光で温まって、乾いた落ち葉の優しい甘い香りと混じる。


死んでいるのが見つかったのは今朝だった。見つけたのは母だった。
犬小屋代わりにしている縁の下の、お古の毛布の上で、いつものように体を丸めた姿。餌を持って行っても出てこない。不審に思って撫でてみたら、もう、息をしていなかったそうだ。
吐いた跡や血の跡はなかった。眠った体から、するりと命が抜け出したように、綺麗な死に顔だった。
見た目は若々しかったけれど、ずいぶん長く生きたから、やっぱり内側はいろいろと、ガタがきていたのだろう。
苦しんだ跡が見えないことが救いだった。

最初は、埋めるつもりは無かった。役所勤めの父が仕事から戻ってから、河原で荼毘に付す予定だった。
母も、祖母も、家族は皆、「こんなところに埋めるのはかわいそうだ」と言っていた。それを私が、半ば無理矢理、死体を持ち出した。

母達の言い分もわかる。確かに、ここに埋めるのはかわいそうなことなのだろう。
こいつはよそ様にはとことん無愛想だったけれど、そのぶん、人一倍、家族には懐いていたから。家族の匂いが大好きなやつだったから。
みんなの匂いがしなくなる場所に、亡骸をずっと残しておくよりも、灰にして、川や風に溶け込ませてやったほうが良かったのだろう。

けれども私はどうしてもこいつの体を燃やすことが我慢ならなかった。
命はみんな平等で、昨日私が絞めて食卓に並んだニワトリもつけあわせの畑のダイコンもこいつも、本質的には同じものなのだと頭では分かっていたけれど、私はどうしても、あのおいしい鶏肉の塩焼きのように、こいつがじゅうじゅうと脂を垂らして焼かれていく姿を見たくなかった。
死んだこいつがただの肉なのだと、認識したくなかったのかもしれない。
小さい頃、こいつと一緒になってよく遊んだ雑木林を埋める場所に選んだのは、せめて、私を近くに感じられるようにとの思いもあった。

子どもっぽいことをしているという、自覚はあった。こいつは死んでしまったのに。寂しいとか怖いとか、そんな感情も、体のぬくもりとともに消えてしまったのに。
こいつはもう、私の顔を見て尻尾をゆらゆら振ることはない。情けない顔見たさに私に尻尾を引っ張られたりマテの時間を長引かされたりすることもないし、縁側に頭を乗せて祖母のお茶に付き合うこともない。父の釣りのお供をすることも、母におかずの残りをねだることも、落ち込んで泣いている私のてのひらを、遠慮がちに、そっと舐めてくれることも、永遠になくなった。

肉体に宿る魂というものが、どういうものなのか、私は知らない。けれどその魂とやらは、こいつの体だけでなく私の心の一部にもくっついていて、こいつが死んだとき、ぱかりと外れてどこかに行ってしまったことは確かだった。きっと二度と帰ってこないことも。

三角形の耳を撫で付けた。耳の先が破れている。小さかった私を、野良犬から守ったときの傷だと聞いた。私のほうが後に生まれたから、もしかしたら、妹だと思われていたのかもしれない。ずいぶん、大きな妹になったものだ。
冷たくなった耳のうしろを、指先で揉むように掻いてやった。そうされるのが、こいつはとても好きだったなと、思い返しながら。

いつもいじめてごめんね。昨日、鶏肉のかけら、けちらないでお前にやれば良かったね。引越し目前になって死ぬだなんて、おまえ、ずいぶんな時期を選んだね。もしかして、自分がお荷物になると思っていた?そんなことはないのに。ちゃんと、荷台に乗せて、一緒に連れて行くって、言ったじゃない。気にしなくて良かったんだよ。何にも気にしなくて。ああ、でもきっと、この場所を、お前は離れたくなかっただろうね。
……分かるよ。私も同じだから。

「ありがとう。ほんとうに、今まで。……ありがとう」

いつだって守ってくれていた。いつだってこいつと一緒だった。萌える若芽の酸っぱさを分かち合い、カゲロウの舞う谷川で魚を追い、やまぐりを拾うときは指を怪我して、まっさらな雪に並んだ足跡を残した。
私が学校に行くようになって、スカートをはくようになって、野山を走りまわらなくなってからも、尻尾やヒゲを引っ張るたびに、こいつは、迷惑そうにキャンと鳴いてから、私の手のひらを舐めてくれた。
笑ったような顔で。

奥歯をしっかり噛み締めても、目から滴が、ぽろぽろと零れてくる。家族の前では泣かなかったのに。芋掘りのついでにお墓をつくってくると、妙な啖呵を切ったのが、強がりの限界だったらしかった。
我慢していたぶん、涙は次から次にあふれてくる。鼻水も、声も。私から零れた諸々は、白髪の多いごわごわした毛皮に落ちて、染み込んでいった。


そろそろ、立ち上がらないといけない時間だった。陽はだいぶ傾いた。薄闇の気配が強まって、同時に、冷気がひしひしと忍び寄ってくる。山道の下のほうで、私の名を呼ぶ、父の声がかすかに聞こえた気がした。心配をかけてはいけない。
これからは、暗い道も一人で歩いていかないとならないのだった。こいつの道案内無しに。


ここは小高い場所にある。谷あいにある、村の全てが見下ろせる。ススキ野原も谷川も、ふきのとうがよく採れる土手も、私達が住んでいる、小さな家も。
その全てが、私が美しいと、愛しいと思うこの光景が、あと数年のうちには、ダムの底に沈んでしまうけれど、この場所なら、水に浸されることもないだろう。
思い出の半分は、こいつと一緒に埋めていこう。もう半分は、私と一緒に。半分忘れて、半分、覚えておく。それが一番、寂しくならないだろうから。

立ち上がると、涼しい風が吹いた。もうすぐ沈む夕陽の、斜めに差す陽光を照り返して、色づきはじめた葉がきらめく。目の前の木から、一枚の葉が、風に煽られて舞い落ちた。
白い体によく目立つ。ちょうど、赤ん坊が手を広げたような形。こいつの名前と、同じ呼び名を持つ葉だった。自分よりかわいい名前だから、小さい頃は、それに嫉妬したこともあったっけ。私は少しだけ笑った。

「……さようなら。ありがとう、」

さらさらと優しい葉擦れが降りそそぐ中、私は最後に懐かしい名前を呼んで、こいつの頭をひとつ撫でた。








高く澄んだ空の上、咲き乱れる彼岸花を眼下に、一羽の鴉が飛んでいる。
赤い頭襟に高下駄を身につけた、人の形をした鴉だ。
翼を広げ大きく旋回して、秋風の涼しさを楽しんでいるようだったが、ふと、顔をうつむけると、突然羽根を畳んだ。
重心を崩した体が前のめりに傾いで、頭のほうから急降下する。そのままいくと潰れる勢いだったが、地面に届く直前に、鴉は大きく羽根を広げ、勢いを殺してふわりと浮いた。二本の足で優雅に着地した。
舞い降りたのは、桜の樹の前だった。太くごつい幹の、張り出した根の影を、鴉はひょいと覗き込んだ。

「――あら、気配を感じるから何かと思ったら、野良犬でしたか。手負いの妖怪かと思いましたよ。お前、どこから来たの?外から紛れ込んできた?」

鴉の目線の先には、木のこぶに寄りかかるようにして、一匹の獣が倒れていた。白髪の多い、埃っぽい色合いの毛皮。死んだように、ぐったりと四肢を投げ出していたが、鴉が声をかけると、耳がピクリと動いた。瞼がわずかに開かれて、黄金色の瞳が、鴉のほうをちらりと見た。

「おや、ちょっと。お前、その眼を見せてごらん。――ああ。これは驚きましたね。犬の血もだいぶ混じっているけれど、そうなの、お前。まだ外にも残っていたんですねえ」

鴉は、獣のそばにしゃがみこんだ。細い指先がその顔にそっと触れる。抵抗する気配は全く無い。呼吸をしているはずの胸さえ、弱弱しく震えるだけだ。

「ねえ、どうしてそんなにぐったりしてるんです?狩人にやられたか、毒餌でも食べましたか。目立った傷はないけれど……って、ん?」

獣の体をまさぐっていた鴉は、何かに気付いたようだった。

「……まさか、お前。……変化の途中?」

鴉の声が、わずかに大きくなる。獣の片目がしっかり開いて、鴉のほうをじっと見た。爛々と光る黄金色の瞳は、怒気も嫌悪感も含んでいなかった。ただ、その目は何かを渇望していた。

「……そうなの。何があったか知らないけれど、お前、変化に失敗しかかっている。そのままでは死にますよ」

なりそこないって、けっこう多いのよね。化ける時期を上手く合わせられなくて、結局、それが負担になって死んじゃうやつもいるし。
そう言いながら、鴉は、獣の頭を撫でた。

「普段は、こういうのを見つけても、放っておくのが私の主義なんですが。――さすがに、自分と同じ天狗になろうとしている者を、みすみす死なせるのは心が痛みますね。……そうですねえ、私が天魔様にかけあえば、お前を助けてくれると思いますけど。どうします?まだ、生きたいのなら、自力で立ってごらん。その気力も無いのなら、ここに置いていく」

鴉の言葉が通じたのか、獣は、ガフガフと息をついて、もがきながら身を起こした。
それが答えだった。

「そう。行くのね。それなら案内しましょう。ああ、そうそう、これを言い忘れてたわ。――ようこそ、幻想郷へ。忘れられた者達の楽園へ。ここに来られて、良かったですね。お前は運がいい」

立ち上がった獣の腹に腕を回して、鴉は抱き上げようとしたが、おやと呟くと、ひょいと獣の耳元に手を伸ばし、ひっかかっていたものをつまんだ。

「ああ、これも外から来たのかしら。こちらのほうはまだ秋が目覚めていないから。お前の故郷のもの?」

綺麗なもみじね。そう言って、鴉は笑った。








大切なものがあった。それを守りたいと思っていた。いや、守りたいだなんて、大仰な感じではなくて、ただ、少しでも長く側にいたかった。
感覚は今でも残っている。それを思うと胸がきゅうっと苦しくなる。けれど、それの正体が一体何なのか、私はずっと、思い出せずにいる。

化け猫にしろ、鴉天狗天にしろ、変化する前のことを、覚えている者はあまりいないらしい。
変化は、虫の蛹と同じで、半分死んだ状態になって、体をそっくり作り変える大仕事だ。頭の中身も一旦溶けてしまうので、記憶を保つのが難しいのだと聞く。
賢者のところの九尾のように、強い力を持てば、あるいは後々、思い出すことができるのかもしれないが、私にはその望みは薄いだろう。

あやうく命を落とすところで、この山の頭領に助けられた私は、天狗として最低限の力しか身につかなかった。獣に近い体に変化してしまったらしく、妖力を容れる器自体がとても小さいらしいのだ。
けれど、それについて恨み言を言う気はない。命は、あるだけで充分だ。ここの暮らしは楽しい。仲間は愉快で、水は澄み、土は美しい。妙な言い方だが、この土地は、もう忘れてしまった自分の故郷に、どこか似ているように思われた。

助けてくれた頭領達には、いくら感謝をしてもし尽くせない。
私を見付けて、拾ってくれた鴉天狗は、私の名付け親でもある。いちばん恩義を感じる相手だったが、真剣に礼を述べると決まってからかってくるので、時々、腹が立つのだった。それでもやはり、大切な仲間だ。
何かを守りたいというのなら、今、ここにあるこの山を、仲間達を守ることが、私のつとめなのだと思う。そう思って、過ごしている。

けれど、時々。
やはり、時々、こんな、よく晴れた、温かい秋の日には、無性に、切なくなることがある。そんな時、私は山を出る許可を貰って、郷の外れの無縁塚に行く。
私にとっては、思い入れのある場所だった。記憶に無くとも、大切な場所だった。
今は咲いていない紫の桜の、ごつごつした幹の根元に、山から持ってきた栗やあけびを置いた。今年は秋の神がみが早めに仕事にとりかかったので、山の幸も豊富だ。お供えもののように、それらを木の根元にかためた。

きっと、私は幸せだったのだろう。こんなに懐かしくて苦しいのも、天狗になって何年も経つのに、その感覚を忘れられないのも、私がただの獣であった頃に、幸せな生を送れたあかしなのだと思う。

山の実りのてっぺんに、ふところに忍ばせていた、小さな木の葉を乗せた。うすく紅く色づいた、私と同じ名前を持つ葉だった。

名も知らない誰か。私と一緒に、同じ時間を生きてくれた誰かへの、ありがとうの気持ちを込めて、私は、桜に深く、頭を下げた。


 
ヤマとかオチはありませんが、こんなものもアリかなあ、と思って書きました。
私にとっての秋は、風神録と、椛の季節です。早く秋になーあれ!
読んでくださって、ありがとうございました。
コメント



1.奇声を発する程度の能力削除
成る程、椛のお話でしたか。とても良かったです!
早く秋になって欲しいです…
2.けやっきー削除
私も老犬を飼っているので、とても切なさ、寂しさを感じられました。
読んでいて、とても引き込まれる作品だったと思います。

早く秋になーあれ!