なんだこれ。
はぁ。私はこめかみ辺りに右手人差し指をおっつけて溜息ひとつ。
テーブルの上には、何やら文字が羅列されている紙切れいちまい。
『エンカイ キタル テキトウニ クルベシ』
意味合いとしては極めて単純なのにやたら回りくどい。何故片言表現なのかも理解出来ない。
そりゃ家にはあんまり居ないけど。そりゃ周知のことなんだけど。でもこれ何? ポストに何か突っ込まれてると思って中身覗いたらこんな。招待状? 招待状なのこれ? 朝起きて覗いた時には確かにポストはからっぽで、ふらふら出かけて帰ってきたら在ったってこれ何。まず今日のどこかで突っ込まれたことには違いあるまい。
適当に来いって。いつ何処いきゃいいのよって裏返してみたら、
『ノ モウ カ』
私は冷静な素振りで紙を伏せた。
こう、ほら。幻想郷でも指折りに力が強いんだって自惚れじゃあなく思ってるつもりなんだけど、駄目なの。どうしても。お酒は駄目だ。あれ自体はとてつもなく美味しい飲み物もとい呑み物だってことは判ってる。けれどどうにもこうにも。ちょっとそれを口にしたらどうやら私の顔は真っ赤になってしまうらしくて、実際自分も熱が上がってるようで、その後の記憶はあんまりない。
だからこそ私はあんまり宴会とか名前のついたものに参加しない。前に出たときなんかここぞとばかりに散々に弄られていたらしいということを後でスキマ妖怪から聞いた。
どういうことなの私がそんな! あられも無い姿を晒していただなんて!
始めに抱いたのは何とも例えようの無い怒り。そしてその後なんだかやるせない気分になった。あまりにも残念な殺意の後には決まって失意がやってくる。暫く誰とも逢いたくなかった。
いいわよ。どうせなら一人こっそり呑むのがいいじゃないか。ひっそり。舐めるようにして。顔は火照ってくるし、そんな気分の高揚を一体なんと表現すればいいのだろうか。熱く。かつゆるく。ほんにゃり。……ほんにゃり? って何?
はぁ。左手元のグラスをテーブルにことりと置いてまた溜息ひとつ。
透明な器はいい。中身の揺れがよく見えるから。人差し指と中指をぴんと逸らせて、つぃっと指の腹でつやつやな表面を押し付けるのが好き。それでちょっと溶け始めの氷が「かろん」って音を鳴らすのも好き。まずいわ酔ってるこれ。自作の梅酒の出来があまりにも良すぎたのが悪いのこれ。良すぎて悪いんだから仕方ないのこれ。他の誰にも見られたくない有様よねこれ。
いや。いやいや。
元々そんな馴れ合いとか好きじゃないしね? 私は孤高の妖怪なの。暇っちゃ暇だけど私の周りにはいつだって花が咲き乱れてるし、それだけで心は満たされる。そこだけは疑いようもなくって、そうして私は生きてきたんだから。随分長いとこ。良いじゃない。ねぇ?
きぃ。
ふと、家に帰ってから開けっ放しにしてる窓の外を見やる。そこそこ暗くなってきてる。夜に入り込む際に流れる風も、ゆるやかながら涼しいものになってきた。
秋が来るのねぇ。
ぱたん。
……よいがよくない。ただでさえ回りやすい酔いが頭の後ろっ側とか胸のど真ん中あたりでゆるーく渦巻いてる。こんな夜が初めの宵っぱりでたったひとり酔っ払ってんのがとってもよくない……梅酒おいしい。駄目だ駄目だ、惰性でグラスを口につけるのが駄目だ! ……氷まだあったかしら。ロックよねー、やっぱり。一際冷えた透明な塊に指を押し付けて、埒外につめたい感触を愉しむ。
ふぅむ、氷ねぇ。こないだ私の向日葵畑凍らして遊んでた輩が居たわねぇ。
陽射しがやけに強い日だった、あの時は。
* *
あなた、私の可愛い向日葵たちをさんざ凍らしといてその態度?
「それは……」
さんさんと降り注ぐ太陽のひかり、私は日傘の下に身を置きながら殊更に微笑んでやった。大体の輩はここで逃げ出してしまうのが常。でも逃がしてあげないから。
周りを見渡せば、見るも無残に氷漬けにされてしまった夏の花たち。それをやったのは氷を操る妖精だった。
花はどれもこれも好きだけれど、夏の向日葵だけは私にとって特別な意味を持つ。
太陽に顔を向ける、力強い子たち。黄金を彩るそれらは、そのかたちそのものが太陽にも見える。
どうしてくれようかしら。どんな風に「苛めて」やろうかしら。
うふ。高々妖精の類、逃げ足なんてたかが知れてるものね。
「ごめんなさい」
しゅんとした感じで、上目遣いでこちらを伺いながら氷精は言う。
……んー? なんかやけに素直だ。調子狂うわ。
「幽香怒ってる。あたい悪いことしたんだ。悪いことしたらごめんなさいしないと駄目なんだって。あたい知ってるもん」
謝ってそれで済むかって言われたら別なお話になっちゃうけど、あながち間違ってもいない。
と言うかこの娘、私の名前知ってるのか。知っててやらかしたんなら尚更。あとは……うーん。見たことあるのよねぇ。花の異変の時だったかしら。
ふむ、と一息考えて。不意に閃き、ぽんっひとつ手鼓が頭の中で鳴る。
そうそう、雪ノ下がよく似合いそうな娘だなって。あの氷精か。相変わらずだ。あの花はもうこの季節じゃあ萎れてしまっているだろう。時期を過ぎてしまったから。
「近頃つまんないんの。みんな外があっついからってへばっちゃってさ。遊ぼうよって言っても森の方が涼しいからって、出てこないし。でもここに来たら幽香居るって」
それで向日葵凍らしてたわけ? 私が出てくるからって?
「うん。でもやめとけって言われた。絶対近付くなって」
何処の誰かは知らないけれど、教え自体は殊勝。しかしながら、名前だけ教えてもその正体を明かしたことにはならない典型。そしてこの娘が下した独断は愚かだった。なかんづく相手が私だったというのがなんとも。
無知とは罪だ。ときにそれだけで命を落としかねないほどに。妖精の類なら殺しても直ぐに元に戻ると言えど、果てるまでには痛みを伴う。そして私は。痛く「する」のが、好き。
「なつ」
うん?
「夏、おわっちゃうわ」
妙なことを言い出した。
あなた氷精でしょ? 夏よっか冬の方がいいんじゃないの? 外も冷えるし。
「あたい、夏も冬も、春も秋もすきよ。全部すき」
眉根を寄せた表情はあいかわらずのまま、自分よりも大層目線の下に居る娘は話し出す。精一杯背伸びをして。精一杯顔をあげて。
「どれもすきだけど。どれも終わっちゃうとき、なんかさみしい」
寂しい。
季節と呼ばれる時の流れ、天道の時節に寂寥を覚(さと)るか。多分この娘は感覚でものを言っているだろう。全身で感じ取ったものを、そのまま声に出す。頭の良し悪しはあんまり関係のないこと。
私はそれを花の生命で感じ取る。その移り変わり。為すがまま、流れるがままに四季は折々の花を以て、大きくも小さくもその命を誇る。……そして絶え。また芽吹く。
「さみしいの、いやだから。凍らせたら、ずっとこのままでいられるって思った」
……ふぅん。
命の保存。かたちあるもの、押しなべて皆朽ちる。生命の巡りは熱の循環だ。生あるものは、裡より沸き出でる熱をいずれ失う。死してのち。周囲の熱が身を腐らせる。そして大地に還る。
果てに至る前。そのかたちを残す為の、最も原始的で最も単純な方法。根源にある熱をまるまる奪ってしまえばよい。
「あたい出来たよ。枯らせたりなんかしないわ。霊夢はね、あたいがはしゃぐと花が枯れるって言ってたけど。そんなこと無い。あたい最強だもん」
改めて周囲を見渡してみる。見事なまでにかたちを残し、太陽に顔を向けたままかちかちに凍った向日葵たちがそこに在る。
確かに、半端な冷気では為しえないことだった。単純に冷やすだけなら、それこそ萎れて枯れるがままになってしまっていただろう。ただの妖精にしては、力が強すぎるきらいがある。
向日葵がずっと残ってたら、ずっと夏のまんまだと思ってたわけ?
「うん」
ほんとうに?
「……うぅん。うそ。でも夏はおわっちゃう。それもさ、多分。しってたけど」
そう。
「でもさ。これから秋が来るわ。そしたらすぐ冬になる。それでひまわりが咲いてたら、なんかすごい気もする。見せてあげたいの」
誰に?
「あたいの知り合い。冬にしか居ないけど。多分ひまわりとか見たことないし」
ああ、どうかしら。冬の向日葵はね。この幻想郷できっと、たった一度だけ咲いたことがある。
「え、そうなの?」
そうよ。私が咲かせたから。他にそんなこと考えて出来る輩がいなければ、本当にたった一度だけ。本当に本当に、昔のお話なのよ。
花の異変が起きたのは、少し昔の春の日だった。それより前も春。またその前も。だから、冬の向日葵が咲いたことなんてあの日以外に無かった筈だ。
眼の前で凍ってしまった花たち。そのイメージは、遠い遠い昔を私に想起させる。
*
私は花を操る程度の力を持つから。季節に外れた花を咲かせることなんて造作も無い。
でもそれは時違いの花。季節の花は、季節にあってこそうつくしい。いのちの流れに沿っているのだから、何とも当たり前のこと。
けれど、どうしても見たかった。あまりにも高い空の向うにあった、小さな太陽。真冬の最中にあったというのに、雲ひとつ無くって。それでいながら寒さだけは確かその冬いちばんで、ぴぃんと空気が張り詰めていて。頭上から注がれる白い光、足元に広がるは白い大地。その中に向日葵が咲いていたら、どんなに幻想的な景色なのだろう……。
それを思ったら、もう止められなくて。私は目一杯の力を使って、雪の平原に黄金の花を根付かせた。
冬の太陽は、夏よりももっともっと遠いところにあるのだろう。
それでも尚、力強く太陽へ顔を向ける花の有様。
一吹きで凍えてしまうような風が一陣通り抜けて、僅かに揺れる。
すばらしい、と。
考えるより前に、私は一言声に出した。
でも。それが白い息のかたちになって、眼の前に現れたとき。
何かが違う、と直ぐ思い直した。
淡雪の大地に、この黄金はあまりに鮮烈すぎる。
確かな土色を食み。そこに生えてこそ、向日葵という花のいのちは映えるということを。
実際にこの眼で確かめてみるまで、私は気付こうともしなかった。
*
「でも、やっぱり駄目かなぁ」
眼の前で発せられた声で現実に引き戻される。
駄目って、どういうことかしら?
「駄目だよ。凍らせちゃったら、幽香怒るもん。だから出来ないよ」
……そういうことか。素晴らしく間違ってない。そんな振る舞いはまず赦さないだろうし、生きてることを後悔しちゃうくらいの色んなことを「する」準備は私の中で十二分――だった。でも、何やら興が殺がれたというかなんというか。毒気を抜かれた塩梅で私はまた笑みを浮かべる。今くらいは、この表情の裏に何か隠すこともあるまい。
でも、まあねぇ。
「どしたの?」
どしたの、じゃないってば。
まぁ、あれよ。花に可哀想なことをしてしまった、とかいう点についてはね。私もあんまり他人のこと言えた口じゃないなって思っただけ。
冬の向日葵を精一杯に愛でた。枯れるまでは間もなくて。けれどせめて今度は夏、強い陽射しの中で逢いましょうと心に誓いながら。
知り合い、ね。そうか。うん。冬に生きるものが向日葵を見ることなんて、確かに簡単じゃないことだけど。私が気紛れに咲かせたあの黄金を、ひょっとしたら見かけたかもしれないわね?
「そうかな」
そうそう。だから安心なさい。あなたはそれを思うだけでいいの。
あと凍らせるのとかやめなさいよね。
「うん……わかった」
こくりと頷く姿を見て、私は小さく溜息ひとつ。
事の発端といえば、この娘が夏の終わりを寂しく思ったことであって。そればかりは私の力を以てしてもどうにもならないし。その流れの下に生きるというならば、この娘にもその手立てを教えておこう。
終わりを、愉しみなさい。
「え?」
次の始まりが約束された終わりなのよ。なんて贅沢な。残酷でもある、か。それでもね。緩やかな終わりを愉しまない手は無い。判るかしら? 寂しいと思うのは、心が動いている証拠に他ならないの。何事も平坦はつまらないわ。減(め)りと張りが在るのがいいんじゃない。
「うん。……うーん?」
むつかしいか。
寂しいって思うのも悪くないってこと。寂しいと思った分、次にあるかもしれない愉しさへの期待は大きくなるでしょう? これから秋が、そして直ぐ冬が来るって言ったじゃないの。知り合いに逢うんでしょ。冬が来なければ逢えない知り合いに。季節の終わりにある寂しさは、その時感じる喜びの為にあるの。
「うん……なんとなくわかった」
ほんとかしら、ね。
改めて凍った向日葵に目線を向けた。氷の表面が少しずつ溶け始めて、雫がきらきらと光を反射している。このままでは流石に冬までは保つまい。毎日凍らせに来るつもりだったのかしら、この娘。
でもこうして眺めてみると、やっぱり一瞬の力はとても大きいように感じる。ひょっとしたら、飛んでるものでも凍らせられるような。弾幕とか……いや、どうだろう。その内、そんな類稀なことをやってのけるときが来るのかしら。
さて。あなたの謝罪は受けたけど、とりあえずそれで終わりってわけにもいかないのよねぇ。
「え」
当たり前。悪いことしたら謝る。正しいわ。でも、罰を与えないと繰り返す輩も居るわけよ。
また始めの頃の笑顔に戻しながら言う。お腹の辺りに力を込める。
「あ、あたい、もうやらないよ」
哀れにも声を震えさせながら返す氷精の様子を見ながら思う。そう、多分この娘は嘘を言ってない。もうこの太陽の畑で向日葵を凍らせることなんてしないだろう。
……あぁ。でも、この表情とかいいわね。とても。常に自信たっぷりで、力もそこそこ。一点においてはかなりのものを光らせるこの娘はしかし、色んなところで挫折を味わったりもしてるに違いない。現に花の異変のときも私はこの氷精を凹ませた筈。その時はあんまり興味が無かったから覚えてない。でも、あれから何度この娘は私では無い誰かに戦いを挑み、時に勝ち、そして敗れてきたのか。
きっと敗れる度に見せた筈の表情が、今眼の前にある。
「う、ぅ、ううぅ」
泣いちゃう? いいのよ泣いて。そして、これから私の言う罰を……。
そう言いかけたとき。
気配を感じた。本当にただ、「気配」だけ。
気付かなければなんとも無いこと。でも、ほんのちょっと鋭ければ誰でも気付けるようなその存在。
氷精の丁度真後ろ。その空間に、音も無くすぅっと真横に引かれたの黒き一線。在り得ない筈の裂け目。その両端には、まるでその境界を結んでいるように見えるリボンの装飾。こんなふざけた意匠を施す輩なんて、私が知ってる中ではひとりだけだ。
黙ってみてなさい。私がそんな節操ないように見える?
「うぅ、え、うぅ」
なんでもないの。あなたに言ったんじゃないの。
氷精は既にべそをかきながら頭にクエスチョンマークを浮かべてるが、とりあえずその娘の後ろに見える横一線の先に居る奴には届いたようだった。その裂け目を開く様子は無い。
かちわり氷。
「え、えぇ? ……かちわり?」
そう。かちわり氷とか作りなさい。私のために。定期的に。向日葵を一瞬で凍らせられるんだから。出来るでしょ?
「……できる。あたい最強だもん。でも、なんでかちわり」
それを知りたいなら、あなたを私の家に招待しなければならないわね……。特別に踏み入れることを許しましょう。もう準備は出来てるのよ……?
「し、し、知らなくっていい! や、やる。あたいつくるよ、かちわり氷」
あらそう。残念。
おかしいな。今度は普通に笑ったつもりだったんだけど。
そんなやりとりをしている内に、いつの間にか境界の裂け目は無くなっていた。
* *
……おぉう。寝てた。回想が夢に出るって大したものね。お陰で随分と生々しく再生することが出来た。
そんなやりとりを以て今眼の前にあるのがその氷な訳。本当に重宝してる。これは今日出かけた折に作ってもらった分。あの娘が酒を呑めるかどうかは判らないけれど、いつか誘ってみたいと思ってる。でも如何せん、あの日からそれは出来ず仕舞いのままだ。切り出すタイミングが無いのよ、どうも。
独りで呑むのは愉しいけど。たまには誰かいてもいいわよねー……。
「随分とまた初心なことねぇ」
そうかしら……ってちょっとー!? いつから居たのあなた!
「あなたが壮大に舟漕ぎ始めるちょっと前あたりから。ちゃんと扉から入ったわよ? うふ。寝顔は随分可愛らしいじゃない?」
とち殺すわよこのスキマ妖怪。
「あらあら怖い。残念な殺意の後にやってくるのは失意だけよ?」
うっさいわねぇ。
「貴女、自覚が有るのか無いのか知らないけど。ひとたび勝負になったら容赦なんて微塵も無いでしょうに。そんな幾ら躊躇いがちになったところで、相手には伝わらないわ」
ぐっ。
言葉に詰まる。
眼の前ではスキマ妖怪、八雲紫が椅子に腰を下ろしている。ちゃっかりグラスも用意して。
ちょっと紫。何であなたが私の梅酒呑んでるわけ。
「ご相伴に与ろうと思った次第ですわ? ……あぁ、いいわね。この深い甘み。たまには普通の冷酒とは違った甘さを愉しむのも良いわねぇ。あとこの氷。実にかちかち、すばらしく冷えてるじゃないの。梅酒はロックで嗜むと素敵な世界が広がる」
……あらそう?
自分で作った酒を褒められるのは悪い気がしない。
まぁ、そういうことならねー……とか。思える位には酔ってるということか。危うい。
「相変わらず弱いわねぇ、幽香。折角招待状を届けたというのに来ないんですもの。今頃神社でどんちゃん騒ぎよ?」
あれ出したのあなただったの。何よあの文面、脅迫状かと思っちゃったじゃない。場所とか時間とか書いてなかったし。宴会っていったら場所はそりゃあ限られてくるけど。不親切でしょうが。
テーブルに伏せてあった紙をつまんで、ぴらぴらとひけらかす。
「正確には私じゃないけど。あの文字を書いたのは件の氷精」
えぇ?
「平仮名から教えようと思ったんだけどね。あの娘の名前が片仮名だから。それに合わせて、とりあえず一通りは。あれを書いた頃は文字の形しか理解してないだろうから、言われるままだったと思うけど」
じゃあやっぱり紫の言葉なんじゃないの……。
「いいえ、あの娘がそう伝えたいからって言ったのよ。だからその文意としては私のものでは無い」
そうなのか。なんか意外。そうなの、あの娘がそん「にやけてるわよ顔が」うっさいっての!
ふん。それにしたって、随分気にかけてるじゃない。
「貴女がそれを言う? まぁ。太陽の畑に近付くなって言付けた手前もあったからかしら。一応のこと、最後まで見届けてみようかと思ったの」
それでか。いちいち世話焼きなことねぇ。
「この場所。幻想郷は私の子供のようなものだからね。其処に住まうものには、出来る限りで眼を配らせたい。配るだけ、だけど。それ以上に『何か』が起こるとするならば、私としては自然のままに任せたいところ。あの娘は……そうねぇ。妖精、という類で括ればとりわけ強い力を持っている。その内異変を巻き起こすかもしれないわよ? 博麗の巫女が出張るほどのものでは無いとしても、いつかきっと」
……知らないわ、そんなこと。
はぁ。この日何度目かわからない溜息をまたひとつ。
酔ってるんだな。でも、何だか本当に心地よい。眼の前に居るスキマ妖怪は本当にザルだというし、多分今日の神社で行われている宴会にはそんな類がいっぱい揃ってる。それでも。この位静かな雰囲気ならば、酔いを愉しみながらに会話することも出来るのだ。
「さぁ。いつまでそうしてるの?」
は?
よく判らなくて素っ頓狂な声をあげる。
「折角あの娘の気持ちが込められた招待状。それを無碍にするほど貴女の器も小さくないでしょう、花の女王。頂いた梅酒、大層美味しゅうございましたわ。でも、私が今日此処にきた目的はそれではないの。判るわね?」
ぐっ。
またしても言葉に詰まる。
でも。でもなぁ。器がどうこうって言われたところで、ほんにゃりしてしまった私のキャパシティ自体がもう駄目だ。たった独りの酔いどれが、あの宴会の渦に放り込まれたら一体どうなる。
「……重症ねぇ」
仕方ない、と。また空間に横一線の切れ目を顕し、紫はその裂け目に上半身をぬるりと滑り込ませる。
『とりあえず神社に行ってから、後で連れてこようと思ってたんだけど』
何がよ。
腰より下しか見えない状態で声が聴こえてるというのが、そこはかとなくシュールだ。
『あの娘、直ぐに帰っちゃったわ。貴女が来ないと知ったものだから』
え?
『よぉい、しょっと!』
「おわぁ!?」
スキマの向う側から引っ張り出されたのは、見慣れた氷精の姿。
「え、え、なにここ。どしたの紫。……なんで幽香いるの?」
……私の家だからね。
「こ、ここが幽香の家……」
そう。あなたが来たがらなかった私の家。
そんな風に言ってやると、背丈の低い妖精はわたわたした感じで言い返してくる。
「来たくなかった訳じゃないわよぅ。でもなんかさ。怒られた後だったし。あたいなんかかっこ悪かったから、その」
え、えぇー……?
「あらあら。ほんと杞憂ってあるものよ。よかったわねぇ」
うっさいわよ紫!
あぁもう。あぁもう! なんかもうどうでもいい。
全部全部、酔ってる所為にしてしまえ。紫、台所の棚から新しい梅酒の瓶持ってきて!
「台所のどの辺?」
上棚二段目の右から三つ目の瓶!
「承知承知。はいこれ」
歩いてとってきなさいよ……便利ねぇそのスキマ。
「自堕落を語らせたら霊夢すら私の足元にも及ばないわ」
どうなのその駄目自慢。
「さぁ、呑みましょうか。良い酒も揃っているし。夜はまだまだ長いわけだし」
「あー、宴会? 幽香、いざじんじょうにあたいと勝負よ! 呑み比べ!」
冗談じゃない。酒で比べられたら私なんて速攻で潰れる。
それにしても懲りてないな。一度は散々に苛めてやろうと思って、その気配は十二分に感じてた筈じゃないのかこの娘は。でも今はその眼を爛々とさせて、私に話しかけてくる。
裏表が無いのだろうと、大分くるくるきてる頭で考える。
「大丈夫大丈夫。この娘も言うほど強く無いから。多分貴女といい勝負。酔うと面白いわよ、氷出させると虹色になってるの」
うそ!?
「強いもん! あたい最強なのよ!」
やれやれ。とりあえずあなた、かちわり氷とか作っといて。まだ虹色にしなくていいから。あなたの分のグラス、特別に私が用意してあげる。
「折角声に出したところで、その言い方も誤解を招くんじゃないかしらねぇ」
……はぁ。はいはい。
もううっさいとか言うのも疲れたから、代わりに溜息で返してやった。
ちょっとだけ覚束ない足取りで台所へ向かう。スキマで持ってきてもらうことはしなかった。
ほとんど使われて無い、けれどぴかぴかに拭かれたグラスを手にとる。この家で、こんなことが起きるだなんてねぇ。長く生きていれば、それだけ珍しいこともあるものね。
硝子戸の向うを見やる。そこには白々と光る月があった。
夏も終わりね、なんて。なんでもないひとつの寂しさを声に出した。
季節が巡り変わっても。月だって太陽だって、変わらず頭上に輝いているのだろう。秋になれば、あの月は殊更にうつくしく見える。きっとそうだ。その下には、月光に照らされる花があればきっといい。淡く儚く、そのいのちを誇るに違いないから。
そんな思いを抱くために。今、夏の終わりの寂しさを。愉しんで受け止めよう。
部屋に戻れば、かしましいふたりが待っている。
私はこれから。きっと今まで生きてきた中で始めて。
自分から「かんぱい」の言葉を告げようかと、随分と酔った頭で考えているのだ。
この感じがとても素敵でした!
面白かったです。
いつもあなたの作品を楽しみにしています。此度も素敵なお話でした。
酒飲み書かせたら随一。
登場人物も皆「らしくて」優しいタッチで描かれてて、温かい気持ちに包まれました
この読了後の不思議な余韻はなんだろうか……ゆらりゆらりと、心地良いです
お酒が手元にないのに、なのになんで、こんなに酩酊した心地よさがあるんだろう。
心地好いSS、ありがとうございました。
下戸なんだがなあ……
酔って可愛さが増す幽香さんかわいい
自分はお酒飲めませんが、こういう素敵な酔いにひたってみたいものです。
チルノいい子すぎるでしょう…。
それと、こういう文体はすごく憧れます。
自分も精進せねば。
下戸な幽香という設定も妙にハマってる。
というかやべぇ梅酒飲みたくなって来た。
ゆうかりんかわいい
…真っ昼間からは飲めないなぁ。
この読了時の心地良い酩酊感は何?
相変わらずのステキな文章楽しく拝見させて頂きました。
向日葵の件は「何も無いお話」と繋がっているようで氏の作品を読み直したくなりました。