「うらめしやぁ」
「あら小傘さん、いらっしゃい」
一通り上から下まで一瞥された後に、寒い日は居間に天気のいい日は縁側に、早苗は座布団を二枚とお茶と菓子鉢を置く。
それからやっと小傘の方を振り向いて、お茶にしませんか、と言って早苗は手招きして笑うのが、小傘が来た時のいつもの対応だった。
脅かしたんだけど、と小傘も一応は呆れては見るものの、すっかり舐め切られた扱いにも今では慣れてしまって、おとなしく座布団の上に腰を下ろす。
棒や札で追い払われるよりはましだし、早苗らしいからいいやとも思っている。
「妖怪でも、お菓子とか食べるんですねぇ」
唇の上についた煎餅の欠片をつまんで口に入れながら早苗は言う。
今日のお茶うけは、人里の煎餅屋の割れ煎餅詰め合わせらしい。木鉢の中には、中途半端な形をした醤油煎餅やらおかきやら揚げ煎餅が山と積まれている。
「早苗のとこの神様だってご飯食べるじゃない」
「確かに、しっかり食べなきゃ力が出ないと神奈子様は言われますね」
「そういうもんかなぁ、気分っていうか。食べないよりは食べた方が元気になれるし」
へぇ、と小さく呟いてから早苗は次はどれにしようかと鉢の上で指をさまよわせている。
小傘は横目で見ながら、堅焼き煎餅をお茶につけてふやかして齧る。
口を閉じたまま煎餅をかみ砕くばりぼりだのの音に混じって、ゆめを、と早苗は言った。
小傘が聞き返せば、湯呑みに手を伸ばしてこくりと飲み込み。口内を空にしてから早苗は口を開いた。
「夢を、見ている気分なんです」
「……眠いの?」
ああそういうのじゃなくて、と力の抜けた笑い顔で早苗は弱く手を振る。
「私、向こうで高校生だったんです」
「こうこうせい……?」
「起きたら携帯チェックして、制服着替えて、電車乗って、学校行かなきゃいけない気になるんです。今でも」
早苗は煎餅を口に運んだりお茶をすする合間に、視線をよこして、顔を正面に戻して、やっと話しだして、でもすぐにやめる。その隙間には、自分には訳がわからない事を、考えても意味なんてない事を山のように考えているのだろう。
夢を見ているだけなら、彼女は今でもあちらの世界で「こうこうせい」とやらをしている筈だし、こんな山の神社で縁側に座って、そこいらをふらふらしてる付喪神と煎餅を齧ってなどいない筈だ。
それでもまだそんな事を言うのかと、ぶすぶすと湧き上がってくるものはあるのだが、言っても何にもならない事はあると知っているので、小傘は口の中でふやけすぎた煎餅ごとお茶で流し込む。
東風谷早苗は確かにここにいるというのに、その瞳の中に映っているものを小傘は知らない。
「早苗」
「はい?」
「好きだよ」
「……なんですか、いきなり」
一瞬きょとんとしたのちに、けらけらと声を上げて早苗は笑った。ちょっと、と怒る振りをして早苗の膝を叩きながら、やっと小傘も安心して息をつける。どこかに行っていた煎餅の味が戻ってくる。
空すら飛べるようになってしまった彼女が、向こうの世界にいた時と恐らく同じ顔で笑える時間が今でも残っている事が救いだ。
「本当だって」
「小傘さんが好きなのは、お煎餅の方じゃないんですか?」
「そういう事じゃなくて、もう、ばか」
口の端に煎餅の欠片をつけて笑う早苗は、里で見る人間そのものだった。
彼女は神でもあるが、同時に人でもある。それを早苗が望んでいるなら、人の寿命が終わるまで続けばいいと小傘は無責任に思う。願っている。これも神頼みとでもいうのだろうか。
信仰する気もないし、頼る気もない。
けれども一つだけ何かを願うとしたら、この神様の幸せを小傘は願いたかった。
「知ってますよ」
小傘さんの事ならなんだってわかるんですって、ところころと体を震わせながら笑ってから、早苗は頭を傾けて体を寄せてきた。
全然わかってないくせに、と言いたかったが、頭蓋骨越しにゆっくりと伝わってくる人間の呼吸と体温は眠くなるほどに心地よくて、小傘は生欠伸で誤魔化した。
「あら小傘さん、いらっしゃい」
一通り上から下まで一瞥された後に、寒い日は居間に天気のいい日は縁側に、早苗は座布団を二枚とお茶と菓子鉢を置く。
それからやっと小傘の方を振り向いて、お茶にしませんか、と言って早苗は手招きして笑うのが、小傘が来た時のいつもの対応だった。
脅かしたんだけど、と小傘も一応は呆れては見るものの、すっかり舐め切られた扱いにも今では慣れてしまって、おとなしく座布団の上に腰を下ろす。
棒や札で追い払われるよりはましだし、早苗らしいからいいやとも思っている。
「妖怪でも、お菓子とか食べるんですねぇ」
唇の上についた煎餅の欠片をつまんで口に入れながら早苗は言う。
今日のお茶うけは、人里の煎餅屋の割れ煎餅詰め合わせらしい。木鉢の中には、中途半端な形をした醤油煎餅やらおかきやら揚げ煎餅が山と積まれている。
「早苗のとこの神様だってご飯食べるじゃない」
「確かに、しっかり食べなきゃ力が出ないと神奈子様は言われますね」
「そういうもんかなぁ、気分っていうか。食べないよりは食べた方が元気になれるし」
へぇ、と小さく呟いてから早苗は次はどれにしようかと鉢の上で指をさまよわせている。
小傘は横目で見ながら、堅焼き煎餅をお茶につけてふやかして齧る。
口を閉じたまま煎餅をかみ砕くばりぼりだのの音に混じって、ゆめを、と早苗は言った。
小傘が聞き返せば、湯呑みに手を伸ばしてこくりと飲み込み。口内を空にしてから早苗は口を開いた。
「夢を、見ている気分なんです」
「……眠いの?」
ああそういうのじゃなくて、と力の抜けた笑い顔で早苗は弱く手を振る。
「私、向こうで高校生だったんです」
「こうこうせい……?」
「起きたら携帯チェックして、制服着替えて、電車乗って、学校行かなきゃいけない気になるんです。今でも」
早苗は煎餅を口に運んだりお茶をすする合間に、視線をよこして、顔を正面に戻して、やっと話しだして、でもすぐにやめる。その隙間には、自分には訳がわからない事を、考えても意味なんてない事を山のように考えているのだろう。
夢を見ているだけなら、彼女は今でもあちらの世界で「こうこうせい」とやらをしている筈だし、こんな山の神社で縁側に座って、そこいらをふらふらしてる付喪神と煎餅を齧ってなどいない筈だ。
それでもまだそんな事を言うのかと、ぶすぶすと湧き上がってくるものはあるのだが、言っても何にもならない事はあると知っているので、小傘は口の中でふやけすぎた煎餅ごとお茶で流し込む。
東風谷早苗は確かにここにいるというのに、その瞳の中に映っているものを小傘は知らない。
「早苗」
「はい?」
「好きだよ」
「……なんですか、いきなり」
一瞬きょとんとしたのちに、けらけらと声を上げて早苗は笑った。ちょっと、と怒る振りをして早苗の膝を叩きながら、やっと小傘も安心して息をつける。どこかに行っていた煎餅の味が戻ってくる。
空すら飛べるようになってしまった彼女が、向こうの世界にいた時と恐らく同じ顔で笑える時間が今でも残っている事が救いだ。
「本当だって」
「小傘さんが好きなのは、お煎餅の方じゃないんですか?」
「そういう事じゃなくて、もう、ばか」
口の端に煎餅の欠片をつけて笑う早苗は、里で見る人間そのものだった。
彼女は神でもあるが、同時に人でもある。それを早苗が望んでいるなら、人の寿命が終わるまで続けばいいと小傘は無責任に思う。願っている。これも神頼みとでもいうのだろうか。
信仰する気もないし、頼る気もない。
けれども一つだけ何かを願うとしたら、この神様の幸せを小傘は願いたかった。
「知ってますよ」
小傘さんの事ならなんだってわかるんですって、ところころと体を震わせながら笑ってから、早苗は頭を傾けて体を寄せてきた。
全然わかってないくせに、と言いたかったが、頭蓋骨越しにゆっくりと伝わってくる人間の呼吸と体温は眠くなるほどに心地よくて、小傘は生欠伸で誤魔化した。
こがさな良いですね
この台詞ものんびりした感じで言ってそうで、すごい和みました。