夏の暑さがまだ少し残る長月の初め。日も少し傾く頃、僕は久しぶりに里へと降りていた。
主な目的は食料や茶葉の買出し、それと霧雨家に顔でも出そうかと考えていた。
里は秋祭りの準備に追われており、普段とは違った空気を感じる事が出来た。
やはり偶になら騒がしいのも悪くは無い。そんな事を考えながら歩いていると、見知った顔に出くわした。
寺子屋の教師にして里の守護者、そして僕の幼馴染である上白沢慧音だ。
丁度帰る生徒を見送る所だったのだろう。此方に気付き顔を上げた。
「む、霖之助か。お前が里に来るのは珍しいな。買出しか?」
「あぁ。霊夢や魔理沙がよく食べるからね……」
「お前の子供じゃないのに親みたいな事を言うんだな……」
「魔理沙は娘みたいなものだよ。実際赤子の時から知っているしね。霊夢も似たようなものさ」
「そうか」
「あぁ」
そこで会話は途切れる。里の喧騒で静寂が訪れる事は無いが、それでも二人で会話している時に不意に訪れる無言の時間というのは何とも言い難い気まずさがあるのだ。
暫く黙っていたが、やがて慧音が思い出したように口を開いた。
「そ、そうだ霖之助」
「ん?」
「店の方はどうなんだ?少しは儲かっているのか?」
「……ま、微妙だね」
「……大丈夫なのか?巫女と魔法使いの食事とかで」
「……赤一色とだけ言っておくよ」
今の慧音の顔の様に、だ。
「それは……まずいんじゃないのか?」
「まぁ、何とかなるさ」
「……そうか」
「あぁ」
「……里に来れば少しは売上が出そうなものだがな」
「騒がしいのは苦手だからね」
「むぅ。……なら」
「?」
「少し、助けてやろう。どうだ?今晩は家で食事でも」
「フム……」
考える。
慧音は助けると言ったが、食事で家計を赤くしているのは霊夢と魔理沙であって僕ではない。
そもそも僕は半妖だから食事は嗜好の一つでしかない。だから三色きちんと摂取する必要も皆無だ。
故に助けるというなら霊夢と魔理沙を食事に誘うのが自然だと思うのだが……
……まぁ、折角言ってくれているんだ。ここは素直に厚意に甘えよう。
「……なら、厄介になろうかな」
「そ、そうか!よし期待していろ!」
「そうだね、期待しよう」
慧音の料理は以前何度か食べた事があるが、どれも中々に美味しい。
その慧音が期待していろと言うのだ。望みどおり期待していよう。
「よし、じゃあ行くぞ霖之助」
「そっちは君の家と反対方向じゃないのかい?」
「何を言っている?今からおゆはんの食材を買いに行くに決まってるだろう」
「……成程」
やけに張り切る慧音に追いつき、僕と慧音は肩を揃えて歩き出した。
***
買い物を終え、慧音の家へと到着する。
「さて、そこで座って待っていてくれ」
「あぁ」
あの後、自分が買った荷物の他に慧音が買った食材も持たされたので疲れている。
言葉に従い、休ませてもらうとしよう。
「……ハァ」
座ると、思わず溜息が漏れた。
そういえば、溜息を吐くと幸せが逃げると言われている。一説では幸せを司る妖精がいて、溜息で死んでしまうらしいが……この説は嘘だろうと僕は考えている。
そも妖精とは自然の象徴の様な存在だ。そこに自然がある限り死ぬ事は無く、死んだとしても数十分もすれば復活する。
幸せという自然が存在するとは到底思えないし、何より死ねば蘇生すると言うのに何故殺しただけで幸せが訪れなくなるのだろうか。
しかもこの妖精は目に見えないのだ。視認が出来なく声も聞こえないというのに何故その存在を信じれようか。
それに幸せという一点ならば、幻想郷には因幡の素兎がいる。性格に少々問題があるが、その辺りは気にしてはいけない。
だがもし。
もし本当にその妖精がいたとすれば僕の幸せはもう無くなってしまったのではないのだろうか。
僕は今まで数え切れない程の溜息を吐いてきた。それこそ、一日に二十回は当たり前ぐらいの頻度でだ。
「……ハァ」
又、一つ。
「何を難しい顔して溜息を吐いてるんだ?出来たぞ」
「ん?あぁ」
思考を巡らせていた所為か、慧音の接近に気付けなかった。
連れられて、食卓へと向かう。
「さぁ、食ってくれ!」
「これは……凄いな」
そこには慧音が腕を振るったであろう数々の料理が並べられていた。
しかし、とても二人分とは思えない量だ。幽々子嬢なら何の苦も無く平らげるんだろうが……
「張り切って作りすぎた」
「矢張りか」
苦笑いを浮かべる慧音の額を軽く小突く。
「痛っ!……こら霖之助!女性に手を上げるとは何事だ!」
「戒めだよ。昔から君は一つの事に集中すると周りが見えなくなるからね」
「お前にだけは言われたくないな……」
「失礼な。これでも周りには目を向けているよ」
「じゃあ今し方私の接近に気付かなかったのは何処の誰だ?」
「そ、それは……」
「ふふ、お前が考え事をしている時は別だ。考える事はいい事だからな」
「……そうかい」
「さぁ、暖かい内に食べてしまおうか」
「……あぁ」
言って席に着く。
「……頂きます」
「頂きます」
慧音は対面に座り、早く食えと目で訴える。
その視線は軽く受け流し、込められた意味だけを汲み取る。
それを行動で示すため、先ずは中央に置かれた天麩羅に手をつけた。
「………………」
箸に取ったのは薩摩芋の天麩羅。
口に入れると衣の食感が歯を通して伝わり、その後すぐに芋独特の甘味が口一杯に広がった。
美味い。
その一言に尽きた。
素材が旬という事もあるが、天麩羅は綺麗に揚げるのが難しいのだ。慧音の料理の腕もあっての美味しさだろう。
「うん、美味しいよ」
「本当か?」
「あぁ」
「フフフ……」
言うと、慧音は満足そうな笑みを浮かべた。
が、すぐに考えを取り払う様に首を左右に軽く振った。
「あ、当たり前だ!私が腕によりをかけて作ったんだからな!美味いのは当然だ!」
「知ってるよ」
「ふぇ?あ……そ、そうか」
「あぁ」
言いながらも食事の手は休めない。味噌汁を啜り、一息。
「あぁ……。久しく君の料理を食べた気がするね」
「まぁ最後に作ってやったのは確か……二月程前だったか」
「時の流れは速いね……」
「外に出ないからそう感じるんじゃないのか?」
「外には出てるよ。商品の仕入れにね」
「仕入れと言っても拾い物だろう」
「先日その拾い物のぬいぐるみを買って行ったのは何処の誰だか……」
「な!あ、あれは寺子屋の生徒が誕生日だからと……!」
「話は変わるが、あそこに置いてあるぬいぐるみは何処で買ったんだい?」
「あ、う、うぅ……」
「ほら、冷めるよ?」
そんな他愛もない会話をしながら、食事は進んでいった。
***
食事も終わり、僕は縁側で涼んでいた。
「……すっかり暗くなってしまったな」
「そうだな」
何時の間にか傍らに座っていた慧音が答える。
何時から?とは聞かないでおこう。
「……いい月だな」
「あぁ。中秋の名月には少し早いが、中々にいいものだ」
「酒でも飲みたくなってきたんじゃないのか?」
「……そうだね。肴にすれば風流なものだろう」
「ふふ、そういうと思って……ほら」
言って、慧音は御猪口を差し出す。そして自身の傍には数個の徳利。何とも準備がいい事だ。
「気持ちは嬉しいが、今から酒宴を始めようものなら僕は帰れなくなるんじゃないかい?」
妖怪に襲われない事があるとはいえ、酒が回った状態で夜道を歩くのは違った意味で危険だ。
「な、なら泊まっていけばいいだろう」
「簡単に言ってくれるが……迷惑じゃないかい?」
「何を言ってるんだ。私と霖之助の仲じゃないか」
「フム……」
考える。
確かにこの月を見ている時に酒が欲しくなったのも事実。
それに向こうが泊まっても構わないと言ってくれているのだ。
「……なら、今晩は世話になるよ」
ならば、この酒宴を愉しもう。
「そうか、なら飲もう。呑まれるまで飲もう」
「呑まれたら駄目だろう」
言いながら、自分と慧音の御猪口に酒を注ぐ。
「乾杯」
「乾杯」
御猪口を上に掲げ、ゆっくりと喉へと送ってゆく。
冷たい。恐らくは冷やしていたのだろう。どこまで用意がいいのやら……。
「……美味いな」
「……あぁ、美味い」
言いながら、慧音は自分と僕の御猪口に酒を注ぐ。さっきのお返しのつもりだろうか。
「……矢張り、酒はこう飲むに限るね。騒がしいのはどうも苦手だ」
「私もだ。騒いで飲むのも嫌いじゃないが、こうやって落ち着いた雰囲気で飲むのも好きだ」
そんな事を話しながら、酒の水鏡に月を映し、飲む。
風に揺れる葉鳴りの音が心地良い。
「しかし、冷えた酒とは……何時から冷やしてあったんだい?」
「夕飯の準備の時にだ。買い物をしてる時、お前が空を見ていたからな。大方月を肴に酒を飲みたいんだろうと踏んだんだが……その通りだったな」
「そこまで見透かされていたとはね……君本当は覚りなんじゃないのかい?」
「ふふ、何年お前の幼馴染をしていると思ってるんだ?それくらい分かるさ」
「そうか」
「そうだ」
そこまで話し、ふと思った。
料理が出来、些細な行動にも気付き、気配りも出来て博識。
まさに淑女と言えるだろう。
「ん、どうした?急に黙り込んで」
「いや、君は結婚すればいい奥さんになるんだろうなと思ってね」
素直に思った事を口にした。
「――な」
「……慧音?」
見ると、慧音は顔を赤らめて俯いている。
「な、え、えと、そんな、急に……」
「……いきなりどうしたんだい?」
「……へ?」
「いや、驚かれても困るんだが……?」
「……あぁ、なんだ。違うのか……」
「慧音?」
「いや分かってる。お前はそういう奴だ」
「……?」
「少しでも期待した私が馬鹿だったよ……」
「……何を言ってるのかは分からないが、さっき言った事は本当だよ」
「……ふぇ?」
「君は結婚すればいい奥さんになるだろう。だからそろそろいい人でも見つけたらどうだい?」
自分で何を言っているのだろうと思った。酒が入っている所為か?普段は言わないような事を言っていた。
「……いい人、なぁ……」
「言い寄ってくる男がいないのかい?」
「や、少しはいるさ。本当に少しだが」
「意外だね。……なら、その男にいい人はいなかったのかい?」
「いや、夫にするならいい人はいたさ。収入も安定してるし、家庭的で優しそうだし」
「なら何故だい?」
「ム……」
慧音は少し唸った後、僕の目を見据え、決心したように言い放った。
「私には……心に決めた相手がいるからな」
「……そうかい」
「……あぁ」
「君の様な女性に好意を寄せられて、その男性は幸せだろうね」
その瞬間。
ぶちり、と。
何かが切れた音が聞こえた気がした。
「ッ……お前はっ!!!」
慧音が大声を上げ何事かと思い振り向くと、僕が見たのは此方に向かって腕を伸ばす慧音だった。
「うわっ……!!!」
そのまま肩を掴まれ、縁側に押し倒される。
「お前はぁ……っ!!!」
「け、慧音……?」
慧音の頭から帽子が落ち、僕の顔のすぐ傍に落ちる。
「何でだ」
「え……?」
「何故だ!どうしてだ!何でお前は分かってくれないんだ!」
「慧……音……?」
その時。
ぽたり、と。僕の頬に水滴が落ちた。
「……泣いて、いるのかい?」
「……煩い」
「取り敢えず、落ち着いてくれ」
「煩い!私は、私は……!!!」
「……?」
「お前は変な事は真面目に考えるのに、どうしてこういう事には気付かないんだ!」
「……どういう事だい?」
「ここまで言っても分からないのか……?さっきの私の言葉を聞いても、何も感じなかったのか!?女が自分の家に男を泊めるという行為が当人にとってどんな意味を持つ行為か、分からないって言うのか!!?」
「……話が見えないんだが……?」
「……そうか、分かった。ならこれならどうだ……!」
そして慧音は、涙を流しながら、言い放った。
「霖之助の事が好きだ!!!始めて会った時から、ずっと好きなんだ!!!」
***
「霖之助の事が好きだ!!!始めて会った時から、ずっと好きなんだ!!!」
あぁ、言ってしまった。
頭の隅にある冷静な部分で、そんな事を考えていた。
遂に言ってしまった。
今までずっと心に仕舞っていた、私の気持ち。
いくら思いを寄せても全く気付かない、私の下で目を白黒させている幼馴染。
今まで何度勇気を振り絞ってぶつかって行っても、同じ数だけ失敗した。
今日こそは。
今日こそは思いを伝えよう。
何度そう思ってコイツの店に足を運んだ事だろう。
その思いが。
どんな形であれその思いがやっと伝わったというのに。
何故、私が感じている感情は『後悔』なんだ?
もっとちゃんとした状況で伝えたかったからか?
それとも、酒の力を借りて言ったからか?
はたまた、霖之助が何も分かっていないような顔をしているからか?
――いや、違う。
怖かったんだ。
霖之助に拒絶され、今までの関係を全て壊してしまうのが、怖かったんだ。
そうは思っても、酒の力を借りた私の言葉は止まらない。
伝える相手を無視して、勝手に飛び出していく。
「ずっと霖之助の事が好きなんだ!子供の頃からずっとだ!霖之助と同じ時間を歩む為に半獣になった!この気持ちは誰にも負けない!霖之助と夫婦になりたいとも思ってる!それぐらい!私は霖之助の事を愛してる!!!」
言っている間、肩を掴む手に力が入る。
「慧……音……」
「ハァ……ハァ……」
言い終え、肩で息をする。
「……急すぎて混乱してはいるが……取り敢えず、君は僕の事を……?」
「……あぁ、愛してる」
呼吸が少し落ち着いてきた。
「そして僕と……?」
「夫婦になりたいと思っている」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
痛いぐらいの、静寂。
さっきまで心地良く感じていた風の音が、今はただ雑音でしかない。
「………………」
「………………」
やがて、霖之助が口を開いた。
「……君は、馬鹿だ」
「!……どういう意味だ……ッ!!」
肩を掴む手に、再び力が入る。
「意味も何も、言葉通りの意味だよ」
「……お前は!!!私が思いを伝えた事を馬鹿だと言うのか!?」
「あぁ、馬鹿だね」
「ッ……!!」
更に腕に力が入る。このままだと肩を握り潰してしまうかもしれない。
「何故だ、霖之助」
「………………」
「私の……私の何が駄目なんだ」
「………………」
そう問うと、霖之助は少し黙った後、口を開いた。
「誰も駄目だとは言ってないだろう」
「…………え?」
「僕が言った馬鹿という意味は、言葉通りの意味ではあるが……君が感じ取った意味とは違うよ」
「え……?」
言いながら、霖之助は上体を起こそうとする。
「いくら互いに幼少期からの知り合いとはいえ……いきなり結婚は流石にどうかと思ったんだよ」
「ぁ……」
霖之助の上体が完全に起き上がり、互いに見つめ合う形になる。
「僕も、君のその気持ちには答えたい」
「あぁ……!」
霖之助の手が私の肩に置かれる。
「だから……」
霖之助は少し溜めてから、言った。
「まずは……恋仲から始めよう。君となら、夫婦になる事も悪くない」
「ッ…………!!!」
「……慧音?」
「あ……あぁ……!」
「慧音?」
言葉が出ない。
長い間待ち続けた言葉をかけられるというのは、こんなにも心が満たされるものなのか。
「うっ……グスッ……」
「け、慧音?」
涙が止まらない。拭っても拭っても溢れてくる。
でも、さっきの涙とは違う。
「わ、私、ず、ずっとぉ……グスッ」
返事をしようにも、言葉が纏まらない。
「落ち着いてからでいい。それまで……何時までも待とう」
あぁ、駄目だ。やっと思いが伝わったんだ。待たせる訳にはいかない。
でも返事は出来ない。なら、どうすればいい?
「!……んっ!」
「むぐっ……」
気付いた時には私はもう一度霖之助を押し倒し、霖之助との距離が零になっていた。
***
次の日の朝。僕は慧音の家で朝食をご馳走になり、店へと帰る所だった。
「じ、じゃあまたな。霖之助」
「あぁ」
慧音は頬を赤らめ、僕に手を振っている。
「じゃあ、また来るよ」
「あぁ」
言って、手を振り帰路に着く。
「……いい天気だ」
雲一つ無い空を見ながらそう思った。
「………………」
昨日、僕は幸せと溜息について考えていた。
溜息を吐けば、幸せは飛んでいってしまうという。
しかし、この説は嘘ではないかと思っている。
幸せなんていうものは、人それぞれによって異なる。
大金を持っているのが幸せという人もいれば、何も変わらない平凡な毎日を暮らせるのが幸せだという人もいるだろう。
つまり幸せとは概念的なものであって、明確な幸せなどというものは存在しないのだ。
存在しないものを溜息一つで消せる訳が無い。
「………………」
僕は溜息を吐く回数が多い。この説に当てはめれば、幸せなどとっくに訪れない程に。
だが今、僕はこの説は真っ赤な嘘だと胸を張って言える。何故なら。
何者にも代え難い、大切な人が出来た幸せを感じているのだから。
次は小兎姫か妖夢を!
朴念仁ではない霖之助というのも意外に悪くないと、変なジャスティスに目覚めそうです、ええ……。
慧霖は真理にして正義!
めちゃくちゃ甘かったです!
と思ってた私を許してください。
こんなに甘い、そして読んで幸せな気分になれたのは久しぶりです!
砂糖が....グフッ!
甘すぎるでしょうこれ。
>>華彩神護.K 様
むぅ、まだ朴念仁ですか……
>>淡色 様
死ぬ程!?
変ってなんですかw
>>3 様
さ、サッカリン!?そんなにですか!?
真理です!正義です!
>>奇声を発する程度の能力 様
悶えてくださるなんて……
甘かったですか!良かった
>>けやっきー 様
許しましょう、幻想郷は全てを受け入れてくれます。
幸せを感じてくださるとは……嬉しいです!
>>6 様
そ、そこまで甘かったんですか!?
読んでくれた全ての方に感謝!
思わず身悶えしそうだよ!!!
甘すぎて死にました、5回ほど。
おいしゅうございました!!