ある日英語で宛名の書かれた書かれた手紙が私、レミリア・スカーレットのもとに届いた。私は幻想郷にきてどのぐらいたっただろう。昔から英語は得意ではなかったのに、長い間親しんでいないので、言葉を忘れているかもしれない。
読めるかどうか、不安になりつつ封を切ると「i am speaking to you」、という文字だけが便せんに印刷されていた。なるほどこれなら読める。だけど、だからどうだというのだろう。怪文書だ。私は何気なく指先でくるりと紙をまわす。すると裏側には日本語で「2時までに来てください」と書いてあった。こちらは万年筆で書かれていた。
ははあ、これはいつ頃からか山に籠ったパチュリーの仕業で、いつものあれだな。と私は得心して、思いがけず訪れた幸福に、心の奥から楽しげな音楽が届くのを聞いていた。パチュリーはいつも暗号風のデートの誘いをしてくるのだ。こうしちゃいられない、と湯浴みをして身支度することにした。
妖精メイドたちはいつでも里からもらってきたブリキの盥にお湯をはって、よたよたと部屋に入ってくる。点々と、滴が廊下の向こうまで続いている。彼女たちを天井から見れば、ちょうど盥を中心に花びらのようにみえるだろう。
私は体を拭かれながら考える。パチュリー・ノーレッジは一人で籠って修行するのが好きだ。そして時折人恋しくなると私に手紙をくれる。でも私の顔を見ると幻滅した様子を見せて、すぐに隠しようもない軽蔑をもって追い出される。要するに彼女は、私のことが嫌いなのだけど、それでも手紙を寄越すのだ。
是非にとせがむ妹のフランドールを連れて、白い車で細い山道を昇る。車は幻想郷では私しか持っていない。それには様々な理由があるが語るほどのことでもない。それより私とパチュリーの妹であるフランドールの趣味についてひとこと述べておこう。フランドールは精神が幼いと一般的に考えられているがそうではない。しかし、姿は幼い。ここが問題なのだ。だから彼女は文字を好んだ。容姿と違い、自らを自らの責任においてあらしめることができると考えるからだ。パチュリーの妹であるとはそういうことだ。私の意見は違った。私は、彼女たちが言葉の上だけで存在するとは考えなかった。
酷く暗かった。
舗装された道路や幾多の休憩所や張り巡らされた電線をともにひきつれて、その有名な霊峰はずいぶん前から幻想郷の北西に居を構えていた。開かられた場所は折れた骨が厚くなるように、伸び放題の草木が過剰な天蓋となり夜を作っている。車のヘッドライトは半ば朽ちかけた葉っぱに浸食されたアスファルトを照らしている。
いつまでたっても同じ道だった。くねくねと、山を回っていた。私たちは化かされていた。フランドールは「おばけがいる」と前方を指さす。「ははは」、私は怖気づいた。おばけは白いもやと黒い目鼻から構成されていた。車の速度や進行方向に関わらず、暗闇の向こうから私たちに向かってきて、フロントガラスを超えたところでキスをするように消えてしまう。「助かったね」フランドールは胸を張った。「私が道を教えて、って頼んだの。感謝してよ」
私はフランドールさえいれば安心だと思って、快適なドライブを楽ぬことができた。はずだった。ところが私たちは幾度となく同様の事件にぶつかった。そのたびにフランドールは友達を増やしたが、山頂には夜明け頃になって到着した。
「2時に来てくださいって書いていたのでしょうお姉さま。どう考えても間に合わなかったわ。遅くなったわ」
「そうだったかしら、手紙を忘れてきてしまったわ。それに、どこに行けばいいのか分からなかったし」
「分かってたことじゃない」
「そうね言い訳よ。許してちょうだい」
確かに私は全てを措いておばけに熱中していたわけではなかった。私はとっくに熟慮のうえ、時間の指定など体裁であり、場所なんて一番目立つところに違いない、という結論を出してここへ来たのだった。
森林の中心にぽっかりと空いた茶色い枯葉ばかりの空き地に、まだ青く薄暗い早朝の色に紛れてブルーシートが撒かれていて、どうやらそこには色々と雑多な品が陳列されているようだった。
「あれなに」
好奇心が強いフランドールが地面に何か並べられているのを見て、楽しそうにそちらに走っていくのを慌てて呼び止める。「いけない」強く腕を掴む。
『骨髄』と太い黒マジックで書かれた画用紙の上に、重しのようにビニール袋に入った黄ばんだ粉が鎮座していた。その隣の数個のガラスビンには灰色の液体が入っていて、『出汁』と書かれてあった。次には外界で一番の売上を誇る有名なスーパーの袋に茶色い半固形のものがパンパン入ってくくられていた。『残り』と書かれてあった。
そして最期に薄紫色の帽子と服がのっぺりと転がされていた。私は中身について議論することを避け、何か分からないふりをした。
「一体これは何かしらね。パチュリーはどこに居るのでしょう」
「くそがっ、騙しやがったな」とフランドールは叫んでのけぞった。
「え、何」
「邪魔な妹もこんな風に陳列しようって寸法だろう」
「ご、ごかいよフラン」
「殺人者レミリア・スカーレットに天誅を! ふてぶてしい面構えをしやがって」
空高く飛び上がり大声でわめきながらフランドールは消えた。もう私が紅魔館へ帰っても、フランドールは私を家に入れまい。これがフランドールとの一生の別れなのだろう、時が経つにつれ強くなるその確信に私は悲しくなった。
私はひとり取り残された。おかげさまでブルーシートの周りをぐるぐる回り沈思黙考することができた。
思い出したことがある。たしかパチュリーの服と帽子を私は褒めた。この2つがこの痛ましい惨状にもかかわらず無事に残っていたのは、多分私が褒めたことがあるからだ。このよく分からない発想に自分で満足した。
私はうろうろ歩き回りながらだんだん確かなところを思い出しはじめた。
いや、正確にいえばそれはパチュリーの記憶だ。この場に残ったパチュリーの精神が霊的な作用により逍遥する私に馴染んで居場所を見出しかけているのだ。なんという奇跡だろう。私は感嘆した。
私はこの復活の歩みを止めてはいけない、と無心に広間に円を描いて彼女の記憶を呼び戻すことにした。やがて私は導かれて夢のように広場の隅の淀んだ小池へ足を運んだ。何かの機械が搬入されたために出来た大きなわだちが残っていた。新しいものだ。土も生ぬるい。まだ機械の蒸気が見えるようだった。そして草葉に見えるコンクリートには大きな血液の染みができていた。
「ひゃあ」
私は目を閉じて走り去った。このような惨劇の余韻が看取される場所を何個か廻った末に、彼女の復活は完成した。いまやパチュリーの記憶は私の掌中のものとなった。
彼女は自分が助からないことを知っていたので、もっと犠牲者を増やしてやろうとデートを装って私に手紙をくれたのだ。確実なのは、あの手紙の指定通り2時に着いていたら、私も殺されて、同じようにあのシートの上に分類されているところだったということだ。というわけで、パチュリーの最期の悪意をもってした目論見は失敗した。しかしそれにしても私は彼女を愛していたし、彼女のほうでも常に手紙の相手は私だったわけだ。なるほど。これは………というところで、うまい言葉が見つからず沈黙した。
わたしはポケットから英語の辞書を繰り出し、綺麗な字面を探すが、どうもいけない。首をかしげた。「暗い森、死んだ恋人、云々」森に向かって連呼したが、しっくりこない。「詩神は9柱居るというが、我が詩神よ……そなたは一人で九倍だった。生まれた頃から完成していたミネルヴァよ、最期の一瞥を我に給わん……」私は力んでどうしようもない駄作を木々に聞かせた。疲れてしまったので、私は帰ることにした。
ふと思うところがありブルーシートをばさりと裏返すと、やはり思案のとおり文字があった。『犯人はレミリア・スカーレットである』と、書かれていて。「無礼な!」私は激憤を認め、スーパーの袋を開いて中身を散らかすと紐状の内蔵をびちゃびちゃ散らしながら文字を消した。 しかし、消えなかった。
車へもどると八雲紫とその手先である秩序の信奉者どもが御用提灯をぶらさげてたむろしていた。そして私を見ると怒鳴って殴りかかってきた。ピストルが太ももを貫いた。私は押し倒されて身動きができなくなった。「確保! 確保!」と一番の若造が叫んでいたので、プライドが傷つけられた。私は殺人犯になるのだろうか、どうやらそのようだ。
留置所の壁を見ながら身の振り方についてあれこれ思い描く。私は全てを失ったが、しかしギロチンだけは避けねばならん。ちょうどうまい弁護士が知り合いに居るので、連絡を頼んだ。
「つまらないことに巻き込まれましたな。死刑ですぞ死刑ですぞ」小悪魔がにやにやしながら面会場へ入ってくる。彼女は弁護士資格を持っているのだ。しかし私はその資格に敬意を払ったことがなく、ただのメイドとして扱っていた。だから私は彼女が責任を持って弁護を果たしてくれるのか不安だった。「紅魔館からあなたの私物が一掃されていますよ。新しいご主人は立派なかたですがね、私はむしろあなたの紅魔館に追憶の情を抱くのです」彼女は私のご機嫌をとった。「うむ」私は前主人の威光の残照を感じ、事態はそれほど悪くないぞ、と気を盛り立て弁解を始めた。つまり私がパチュリーを愛していたこと、そしてパチュリーも私を愛していて、そのために帽子と腕が残っていたことなどを証拠立てると、「度を超えたメルヘンチックな弁明ですが、私を前に錯乱を装うのはうまくないですな」とあきれ果てた答えが返ってきた。
しかし裁判の結果は良好だった。小悪魔の頑張りもあり法廷は私のパチュリーに対する愛情と無罪を認めた。というわけで八雲紫の手先である秩序の友たちは私にぺこぺこ謝りながら留置所の門を開いた。私は陽気な気分になり、あの日私の関節を破壊した若造に「百年前ならお前を今頃ナメクジのようにしてやっているよ」と囁き、真っ青になった顔を楽しんだりした。
霧雨魔理沙が出口で私を待っていて、丁寧な口調で語りかけてきた。「今日は良い天気ですねレミリアさん」彼女は麦わら帽に浴衣という涼しげな姿をしていた。「そうね」私は彼女がここで約束もなく待っていた理由を、彼女自身に語らせることにして、「ええまったく、いい天気ね」ただ微笑んで首をかしげた。 とりあえず話題はパチュリーだった。会話が一段落したところで霧雨魔理沙は私の肩に手を置いた「魔女の仲間と参墓を森に用意しましたよ」私はひとしきり感謝して溜め息をついた。
「ありがとう。いや、それにしてもなんというか彼女は、可哀相な魔女だったな」
「それにつけこんでいい思いをした私が言うのもなんですがね、もうちょっと悪どくならねばなりません」
「紅魔館の書物や備品についてなら私のものともいえるのだから、今からでも返せるわよ」
「所有の観念についての話はよしましょう。それは魔法使いにとって一朝一夕に済む話題ではありません。そんなことより」パチュリーの庵には私に向けた遺品があったという。
「これです」
霧雨魔理沙はかごから野菜を取り出した。「ほう見事に成ってるわね」このみずみずしいキク科の一年草はレタスと呼ばれ、サラダに適する。
これが遺品であるのか。霧雨魔理沙の顔にはウソと書かれていた。不愉快になった私はは話題を変えるためにフランドールの調子を聞いたが、「フランなんかあの程度です」とだけ言って、霧雨魔理沙は空へ浮かんだ。
霧雨魔理沙は知らない。私はパチュリーの記憶を持っているので、実は霧雨魔理沙がパチュリーを殺したことは分かっているのだし、あの手紙も霧雨魔理沙が許したからこそ届いたということも分かっていた。私がその知識を持てあましていると、体の中のパチュリーの悪意が最後の力を振り絞って声帯を支配した。背を向けて離れていく彼女に向けて大声で叫ぶ。「お前が隠していることを知っているぞ。お前の罪を!」私の告白に霧雨魔理沙はばっと振り返り、空に浮かんだまま凄絶な憎しみを混めた言容で「いいことを教えてくれてありがとうレミリア・スカーレット。お礼に今月の4週目の水曜日までに未だかつて誰も味わわなかった苦痛を味合わせて殺してやる」と宣言し、遠のきながら拷問器具の名称やら肉体の部位やらを耳鳴りがするほどの声量で物騒に喚き散らしていた。
「え、いえ。……今のは違うの。私じゃないの」
しかしその言葉を聞くものは誰もなかった。
「一体、私は今からどこへ行けばいいのだろう」
自分の引き起こした結果に腕を抱いて途方に暮れる。
私には理解者も家族も住居も既に私の内にしかない。もはや幻想郷にはどこにも居場所がないので、いい年をして野良妖怪とならねばならない未来に憂鬱な気分になった。レミリア・スカーレット激動の云百年の歴史のいやはてにこんな見窄らしいアンチ・クライマックスが計画されていたとは。しかも、ただ拱手傍観せざるを得ないとは。私の運命を操る程度の能力とはいったい何だったのだろうか。
思い出したように能力を使ってみるが既に自分の運命を見ることも操ることもできなかった。全てが暗黒に包まれていた。
「なるほど、暗闇には音がある。死のさざ波の音が私に近づいてきている」
日が沈む。
私はパチュリーの形見のレタスを抱えつつ山に分け入って奇蹟を待つことに決めた。 私自身を描けない奇蹟を。
たわむれにレタスを野良のよしみで山のイノシシにやると、泡をふいて倒れた。完全に毒物だった。
「これが全てが復讐か」
私は体を這い回る虫を感じながらじっと頭を抱える。
「パチュリー、これがお前の復讐か。おい、聞いているのか」
夜露が髪をしめらせる。
一人でぶつぶつつぶやいても返事は帰ってこない。私はそれを分っていながら芝居をしつつ朝を待つしかなかった。
今朝は迎えるだろう。
読めるかどうか、不安になりつつ封を切ると「i am speaking to you」、という文字だけが便せんに印刷されていた。なるほどこれなら読める。だけど、だからどうだというのだろう。怪文書だ。私は何気なく指先でくるりと紙をまわす。すると裏側には日本語で「2時までに来てください」と書いてあった。こちらは万年筆で書かれていた。
ははあ、これはいつ頃からか山に籠ったパチュリーの仕業で、いつものあれだな。と私は得心して、思いがけず訪れた幸福に、心の奥から楽しげな音楽が届くのを聞いていた。パチュリーはいつも暗号風のデートの誘いをしてくるのだ。こうしちゃいられない、と湯浴みをして身支度することにした。
妖精メイドたちはいつでも里からもらってきたブリキの盥にお湯をはって、よたよたと部屋に入ってくる。点々と、滴が廊下の向こうまで続いている。彼女たちを天井から見れば、ちょうど盥を中心に花びらのようにみえるだろう。
私は体を拭かれながら考える。パチュリー・ノーレッジは一人で籠って修行するのが好きだ。そして時折人恋しくなると私に手紙をくれる。でも私の顔を見ると幻滅した様子を見せて、すぐに隠しようもない軽蔑をもって追い出される。要するに彼女は、私のことが嫌いなのだけど、それでも手紙を寄越すのだ。
是非にとせがむ妹のフランドールを連れて、白い車で細い山道を昇る。車は幻想郷では私しか持っていない。それには様々な理由があるが語るほどのことでもない。それより私とパチュリーの妹であるフランドールの趣味についてひとこと述べておこう。フランドールは精神が幼いと一般的に考えられているがそうではない。しかし、姿は幼い。ここが問題なのだ。だから彼女は文字を好んだ。容姿と違い、自らを自らの責任においてあらしめることができると考えるからだ。パチュリーの妹であるとはそういうことだ。私の意見は違った。私は、彼女たちが言葉の上だけで存在するとは考えなかった。
酷く暗かった。
舗装された道路や幾多の休憩所や張り巡らされた電線をともにひきつれて、その有名な霊峰はずいぶん前から幻想郷の北西に居を構えていた。開かられた場所は折れた骨が厚くなるように、伸び放題の草木が過剰な天蓋となり夜を作っている。車のヘッドライトは半ば朽ちかけた葉っぱに浸食されたアスファルトを照らしている。
いつまでたっても同じ道だった。くねくねと、山を回っていた。私たちは化かされていた。フランドールは「おばけがいる」と前方を指さす。「ははは」、私は怖気づいた。おばけは白いもやと黒い目鼻から構成されていた。車の速度や進行方向に関わらず、暗闇の向こうから私たちに向かってきて、フロントガラスを超えたところでキスをするように消えてしまう。「助かったね」フランドールは胸を張った。「私が道を教えて、って頼んだの。感謝してよ」
私はフランドールさえいれば安心だと思って、快適なドライブを楽ぬことができた。はずだった。ところが私たちは幾度となく同様の事件にぶつかった。そのたびにフランドールは友達を増やしたが、山頂には夜明け頃になって到着した。
「2時に来てくださいって書いていたのでしょうお姉さま。どう考えても間に合わなかったわ。遅くなったわ」
「そうだったかしら、手紙を忘れてきてしまったわ。それに、どこに行けばいいのか分からなかったし」
「分かってたことじゃない」
「そうね言い訳よ。許してちょうだい」
確かに私は全てを措いておばけに熱中していたわけではなかった。私はとっくに熟慮のうえ、時間の指定など体裁であり、場所なんて一番目立つところに違いない、という結論を出してここへ来たのだった。
森林の中心にぽっかりと空いた茶色い枯葉ばかりの空き地に、まだ青く薄暗い早朝の色に紛れてブルーシートが撒かれていて、どうやらそこには色々と雑多な品が陳列されているようだった。
「あれなに」
好奇心が強いフランドールが地面に何か並べられているのを見て、楽しそうにそちらに走っていくのを慌てて呼び止める。「いけない」強く腕を掴む。
『骨髄』と太い黒マジックで書かれた画用紙の上に、重しのようにビニール袋に入った黄ばんだ粉が鎮座していた。その隣の数個のガラスビンには灰色の液体が入っていて、『出汁』と書かれてあった。次には外界で一番の売上を誇る有名なスーパーの袋に茶色い半固形のものがパンパン入ってくくられていた。『残り』と書かれてあった。
そして最期に薄紫色の帽子と服がのっぺりと転がされていた。私は中身について議論することを避け、何か分からないふりをした。
「一体これは何かしらね。パチュリーはどこに居るのでしょう」
「くそがっ、騙しやがったな」とフランドールは叫んでのけぞった。
「え、何」
「邪魔な妹もこんな風に陳列しようって寸法だろう」
「ご、ごかいよフラン」
「殺人者レミリア・スカーレットに天誅を! ふてぶてしい面構えをしやがって」
空高く飛び上がり大声でわめきながらフランドールは消えた。もう私が紅魔館へ帰っても、フランドールは私を家に入れまい。これがフランドールとの一生の別れなのだろう、時が経つにつれ強くなるその確信に私は悲しくなった。
私はひとり取り残された。おかげさまでブルーシートの周りをぐるぐる回り沈思黙考することができた。
思い出したことがある。たしかパチュリーの服と帽子を私は褒めた。この2つがこの痛ましい惨状にもかかわらず無事に残っていたのは、多分私が褒めたことがあるからだ。このよく分からない発想に自分で満足した。
私はうろうろ歩き回りながらだんだん確かなところを思い出しはじめた。
いや、正確にいえばそれはパチュリーの記憶だ。この場に残ったパチュリーの精神が霊的な作用により逍遥する私に馴染んで居場所を見出しかけているのだ。なんという奇跡だろう。私は感嘆した。
私はこの復活の歩みを止めてはいけない、と無心に広間に円を描いて彼女の記憶を呼び戻すことにした。やがて私は導かれて夢のように広場の隅の淀んだ小池へ足を運んだ。何かの機械が搬入されたために出来た大きなわだちが残っていた。新しいものだ。土も生ぬるい。まだ機械の蒸気が見えるようだった。そして草葉に見えるコンクリートには大きな血液の染みができていた。
「ひゃあ」
私は目を閉じて走り去った。このような惨劇の余韻が看取される場所を何個か廻った末に、彼女の復活は完成した。いまやパチュリーの記憶は私の掌中のものとなった。
彼女は自分が助からないことを知っていたので、もっと犠牲者を増やしてやろうとデートを装って私に手紙をくれたのだ。確実なのは、あの手紙の指定通り2時に着いていたら、私も殺されて、同じようにあのシートの上に分類されているところだったということだ。というわけで、パチュリーの最期の悪意をもってした目論見は失敗した。しかしそれにしても私は彼女を愛していたし、彼女のほうでも常に手紙の相手は私だったわけだ。なるほど。これは………というところで、うまい言葉が見つからず沈黙した。
わたしはポケットから英語の辞書を繰り出し、綺麗な字面を探すが、どうもいけない。首をかしげた。「暗い森、死んだ恋人、云々」森に向かって連呼したが、しっくりこない。「詩神は9柱居るというが、我が詩神よ……そなたは一人で九倍だった。生まれた頃から完成していたミネルヴァよ、最期の一瞥を我に給わん……」私は力んでどうしようもない駄作を木々に聞かせた。疲れてしまったので、私は帰ることにした。
ふと思うところがありブルーシートをばさりと裏返すと、やはり思案のとおり文字があった。『犯人はレミリア・スカーレットである』と、書かれていて。「無礼な!」私は激憤を認め、スーパーの袋を開いて中身を散らかすと紐状の内蔵をびちゃびちゃ散らしながら文字を消した。 しかし、消えなかった。
車へもどると八雲紫とその手先である秩序の信奉者どもが御用提灯をぶらさげてたむろしていた。そして私を見ると怒鳴って殴りかかってきた。ピストルが太ももを貫いた。私は押し倒されて身動きができなくなった。「確保! 確保!」と一番の若造が叫んでいたので、プライドが傷つけられた。私は殺人犯になるのだろうか、どうやらそのようだ。
留置所の壁を見ながら身の振り方についてあれこれ思い描く。私は全てを失ったが、しかしギロチンだけは避けねばならん。ちょうどうまい弁護士が知り合いに居るので、連絡を頼んだ。
「つまらないことに巻き込まれましたな。死刑ですぞ死刑ですぞ」小悪魔がにやにやしながら面会場へ入ってくる。彼女は弁護士資格を持っているのだ。しかし私はその資格に敬意を払ったことがなく、ただのメイドとして扱っていた。だから私は彼女が責任を持って弁護を果たしてくれるのか不安だった。「紅魔館からあなたの私物が一掃されていますよ。新しいご主人は立派なかたですがね、私はむしろあなたの紅魔館に追憶の情を抱くのです」彼女は私のご機嫌をとった。「うむ」私は前主人の威光の残照を感じ、事態はそれほど悪くないぞ、と気を盛り立て弁解を始めた。つまり私がパチュリーを愛していたこと、そしてパチュリーも私を愛していて、そのために帽子と腕が残っていたことなどを証拠立てると、「度を超えたメルヘンチックな弁明ですが、私を前に錯乱を装うのはうまくないですな」とあきれ果てた答えが返ってきた。
しかし裁判の結果は良好だった。小悪魔の頑張りもあり法廷は私のパチュリーに対する愛情と無罪を認めた。というわけで八雲紫の手先である秩序の友たちは私にぺこぺこ謝りながら留置所の門を開いた。私は陽気な気分になり、あの日私の関節を破壊した若造に「百年前ならお前を今頃ナメクジのようにしてやっているよ」と囁き、真っ青になった顔を楽しんだりした。
霧雨魔理沙が出口で私を待っていて、丁寧な口調で語りかけてきた。「今日は良い天気ですねレミリアさん」彼女は麦わら帽に浴衣という涼しげな姿をしていた。「そうね」私は彼女がここで約束もなく待っていた理由を、彼女自身に語らせることにして、「ええまったく、いい天気ね」ただ微笑んで首をかしげた。 とりあえず話題はパチュリーだった。会話が一段落したところで霧雨魔理沙は私の肩に手を置いた「魔女の仲間と参墓を森に用意しましたよ」私はひとしきり感謝して溜め息をついた。
「ありがとう。いや、それにしてもなんというか彼女は、可哀相な魔女だったな」
「それにつけこんでいい思いをした私が言うのもなんですがね、もうちょっと悪どくならねばなりません」
「紅魔館の書物や備品についてなら私のものともいえるのだから、今からでも返せるわよ」
「所有の観念についての話はよしましょう。それは魔法使いにとって一朝一夕に済む話題ではありません。そんなことより」パチュリーの庵には私に向けた遺品があったという。
「これです」
霧雨魔理沙はかごから野菜を取り出した。「ほう見事に成ってるわね」このみずみずしいキク科の一年草はレタスと呼ばれ、サラダに適する。
これが遺品であるのか。霧雨魔理沙の顔にはウソと書かれていた。不愉快になった私はは話題を変えるためにフランドールの調子を聞いたが、「フランなんかあの程度です」とだけ言って、霧雨魔理沙は空へ浮かんだ。
霧雨魔理沙は知らない。私はパチュリーの記憶を持っているので、実は霧雨魔理沙がパチュリーを殺したことは分かっているのだし、あの手紙も霧雨魔理沙が許したからこそ届いたということも分かっていた。私がその知識を持てあましていると、体の中のパチュリーの悪意が最後の力を振り絞って声帯を支配した。背を向けて離れていく彼女に向けて大声で叫ぶ。「お前が隠していることを知っているぞ。お前の罪を!」私の告白に霧雨魔理沙はばっと振り返り、空に浮かんだまま凄絶な憎しみを混めた言容で「いいことを教えてくれてありがとうレミリア・スカーレット。お礼に今月の4週目の水曜日までに未だかつて誰も味わわなかった苦痛を味合わせて殺してやる」と宣言し、遠のきながら拷問器具の名称やら肉体の部位やらを耳鳴りがするほどの声量で物騒に喚き散らしていた。
「え、いえ。……今のは違うの。私じゃないの」
しかしその言葉を聞くものは誰もなかった。
「一体、私は今からどこへ行けばいいのだろう」
自分の引き起こした結果に腕を抱いて途方に暮れる。
私には理解者も家族も住居も既に私の内にしかない。もはや幻想郷にはどこにも居場所がないので、いい年をして野良妖怪とならねばならない未来に憂鬱な気分になった。レミリア・スカーレット激動の云百年の歴史のいやはてにこんな見窄らしいアンチ・クライマックスが計画されていたとは。しかも、ただ拱手傍観せざるを得ないとは。私の運命を操る程度の能力とはいったい何だったのだろうか。
思い出したように能力を使ってみるが既に自分の運命を見ることも操ることもできなかった。全てが暗黒に包まれていた。
「なるほど、暗闇には音がある。死のさざ波の音が私に近づいてきている」
日が沈む。
私はパチュリーの形見のレタスを抱えつつ山に分け入って奇蹟を待つことに決めた。 私自身を描けない奇蹟を。
たわむれにレタスを野良のよしみで山のイノシシにやると、泡をふいて倒れた。完全に毒物だった。
「これが全てが復讐か」
私は体を這い回る虫を感じながらじっと頭を抱える。
「パチュリー、これがお前の復讐か。おい、聞いているのか」
夜露が髪をしめらせる。
一人でぶつぶつつぶやいても返事は帰ってこない。私はそれを分っていながら芝居をしつつ朝を待つしかなかった。
今朝は迎えるだろう。
なんか文句でも言ってやろうか。
と、思いつつあとがきを見たら、夢ですか。夢なら仕方ない。
……なんだかなぁ
とりあえず、夢で本当によかったw