それは、数百年前。私の能力がまだ体の奥底で眠っていた頃。
私はお姉さまに招かれて、毎晩のように紅魔館にあるテラスで一緒に紅茶を飲んでいた。
紅い館の蒼い夜、テラスには淡い月の光が降り注ぎ、そこには静寂だけが響いていた。
まるで、お伽噺の様に美しいそんな夜に、いつも私はお姉さまと取り止めのない話をしていた。
庭に咲く一輪の薔薇の話から世界の理に至るまで。
ある晩から、私達はテラスで紅茶を飲みながら、同じ光景を眺めていた。
紅魔館の敷地の外にある小高い丘の上。
僅かに積み重ねられた石の前に、血だらけの妖怪の子供が一人、佇んでいた。
墓の下に埋葬されたのが、親なのか、兄弟姉妹なのか、
それともそれ以外の、小さな守るべき命だったのかは、私にはよくわからない。
子供は泣き叫ぶでもなく、無表情のまま、伏せ目がちに、赤く染まった掌で石を撫でていた。
灰色の石が緋色へと染まり始めると、その子供は手を離した。
そうして、もう二度と小石に触れようとはしなかった。
石の傍に蹲って、ただ石を見つめていた。
次の日も、その次の日も、ずっと。
そのうちやがてふつりと姿を消した。
下級妖怪にでも食い殺されたかと私が忘れかけていたその頃に、再びその子供は現れた。
それからは、毎晩のように積み石の前に来た。
まるでそこが自分の居場所であるかのように、夕刻に現れ、眠り、朝方にはまた何処かへと去っていく。
遠い光景ながら、その子供が、相手の死を心から悼んでいるように私には見て取れた。
その子供はやがて成長し、年を経て、そしてついにいなくなった。
最期まで、冷たい石の前で蹲りながら。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「吸血鬼で良かったよ」
お姉さまが、崩れかけた積み石の方を見て、そう呟いた。
数百年の空白を経て、今、私がいるのは懐かしい時と場所。
紅い館の蒼い夜、テラスには淡い月の光が降り注ぎ、静寂だけが響いている。
あの時と変わらず、お伽噺の様に美しいこの夜に、私はお姉さまと取り止めのない話をする。
庭に咲く一輪の薔薇の話から世界の理に至るまで。
「どうして?」
「だって、吸血鬼は死んだら塵になってそれで終わり。埋葬する、体もなければ手間もいらない。周りの奴らにも、環境にも優しい」
「死に纏わる儀式をするのは、残された者の為でもあるって魔理沙は言っていたけど。それならお姉さまは非情だよね。悼む体も残さないなんて」
「お前だってそうだろうに」
呆れたように言うお姉さまに、私は笑いながら答える。
「うん。だから、私も非情。でも、私はそれでいいんじゃない? 一番うしろは私だから」
私は遥か昔にあの子供がずっとより添っていた積み石に目を向ける。
そこに佇む影はもう見えない。
最期までたった一人のあの子供は、きっと後ろに、誰も必要としなかったんだろう。
見守る者の居ない緋色の小石は、やがて風化し、ただの塵へと還っていく。
「非情なお姉さまと違って、咲夜や美鈴やパチュリーは体があるからね。良かったよ。私はあの子供のように石の前で跪いて、きっと嘆くことができるだろうから」
「ふ~ん」
「なに?」
「私の時は?」
「お姉さまの時?」
「ちょっとは悼んでくれるのか? 体は塵に還ってないけどさ」
「残された者に優しいんじゃなかったの?」
「それはお前……微妙な姉心と言うやつだ。あの子供みたいにずっと悲しまれるのは嫌だけど、死ぬ間際、その時だけは涙の一つも零してほしいよ」
その言葉を聞いて私は少しばかり愉快な気持ちになり、お姉さまにばれないよう、口の中で小さく笑う。
「お姉さまは意外と寂しがりだもんね」
「――お前ほどじゃないよ。第一、先に逝く方の身にもなってみろ。『恨めしい』の一言さえ言えやしないんだぞ。せめて、今の内に聞いておくくらいはいいだろう?」
……そういうふうに聞いてくるところが、寂しがりだって言っているんだけどな。
でも、仕方ないか。
私達は魂すら塵に還ってしまうんだから。
妹としては残される方の身にもなってほしいところだけどね。
「そうだねぇ……泣くんじゃないかなぁ」
「嬉し泣きじゃないよな」
「さあ」
「……」
顔をしかめるお姉さまを横目で見て、私はまた小さく笑う。
お姉さまを困らせるのはいつだって楽しい。昔も、今も。
「それが嫌ならさ、もう少し私に優しくしておいた方がいいんじゃない?」
「私は今でも十分優しいと思うがな」
……ため息をつきながら言われてもね。しかも本気で言ってるの?
「そう思っているのはお姉さまだけだよ」
今のままじゃあ全然足りない。
もっとたくさん甘やかしてよ。
そうしてくれたら、もっとたくさん、泣いてあげるから。
「そんなことないだろう? 私はフランの嫌いな料理が出たら代りに食べてあげてるし、好きなお菓子が出てきた時は、多めにお前にあげてるじゃないか」
「……優しさってなんだろうね?」
「哲学的だな。そんなものは人によって違うんだから、多様で複雑。例えば、相手に殺してほしいと言われて、殺すことと、殺さないこと、この行為はまるっきり反対だけれど、その根源は同じだしな。愛と一緒で、どう表出していくかは個人次第なんだから、こういうものだと簡単に一言では表しきれないよ」
「……」
はぁ、皮肉も通じない。
本当にお姉さまは……。
「ただフラン、優しさも愛と同じだとすると――」
「すると?」
「与え、与えられて、初めて満たされるものなのかもしれない」
「……つまり?」
「私は十分優しいよな。それでも足りないってことは、フランが私に優しくすればいいんじゃないか?」
そういうことか。
素直に寂しいって言えばいいのに。
「わかったよ」
そう言うと私は、笑顔でお姉さまを優しく押し倒した。
お姉さまは一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに苦い顔をして私を見上げてくる。
「フラン? これのどこが優しさなんだよ」
やけに落ち着いて言うお姉さまがなんだか可笑しくて、とても可愛かった。
私を突き飛ばさないあたり、きっとこれがお姉さまの優しさなんだろうね。
「私に押し倒されて涙目のお姉さまに、何もしないで我慢しているのが私の優しさ、かな?」
「……素直に喜べない。第一、涙目って何だよ」
「嫌じゃないんなら、死ぬ前に1回くらいしちゃおうかなぁ」
「な、なにをだよ!」
「何だろうね?」
ようやくお姉さまの焦った顔が見れた。
私は笑いをこらえながら、顔をゆっくり近付けていく。
霊夢達と戦っていた時だって、そんな焦った顔はしていなかったよね?
「――っやっぱり、お前は私にぜんぜん優しくないよな」
「どうして?」
「そんなことをされたら、その瞬間に私の鼓動が止まるから」
「……」
「この年で実の妹に殺されるなんて御免だな」
「あはは。それはさすがに、私も寝覚めが悪いや」
そう言いながら私が体をずらすと、お姉さまは体を起こし、きまりが悪そうにドレスの埃を払っている。
それを見て私はそっと溜息を吐く。
相も変わらずお姉さまは、勝手だよね。
私の最期は、お姉さまに殺されるようなものなのに。
だっていつも私が側に行かないと、すぐに何処かへ行ってしまうでしょう?
なんだか、それがとても忌々しい
忌々しいから
このまま、その鼓動を止めてやってもいいんだけれど
今がとても楽しいから、それは我慢してあげよう
お姉さまの鼓動が止まる、その瞬間までは
「ねえ。お姉さまが最期まで私を選ぶんならさ、もっと優しくしておいてよ」
それでも、突き飛ばされないだけじゃつまらない
お姉さまの方から、私の所に来て、触れて欲しい
「……努力するよ」
「うん。期待してるね」
ねぇ、お姉さまの言っていた『嬉し泣き』ってさ、それは、半分当たって、半分外れなんだよ。
だって、死ぬ間際。
私はそれまでお姉さまの側に居ていいってことなんだよね?
この先、死ぬまで。ずっと一緒に。
けれどきっと、その瞬間は、胸が抉れるほど悲しいに違いない。
今でさえ、予感しただけで、こんなにも息苦しい。
自分勝手なお姉さまは死んだ後も、二度と私の所に来られないんだろうからね。
だから私も、その直ぐ隣で自分自身を殺している。
呼吸が出来なくなるその前に
お姉さまに殺されるその前に
自らこの心臓を差し出して――
「何を考えている?」
「――ん? うん……お姉さまといると退屈しないなあって」
「……私もだよ。お前がいてくれて、良かった」
「あは。それなら、もっと。もっとたくさん、いろいろな話をしようよ。塵になったら話もできない、でしょ?」
「そうだな」
なんでもいい。
今、思ったことを伝えたい。
たとえ最期は、全てが塵になったとしても。
私は目の前のテーブルに控え目に生けられている、仄かに香り漂う一輪の薔薇を手に取って、微笑んだ。
「そう言えばね。昨日、咲夜が――」
薔薇が散ってしまうその前に、私はこの花の美しさとすぐ傍にある優しさを、愛しいこの人に伝えよう。
今、彼女は此処にいるのだから。
いやぁ、こういう作品、何か素敵でした。