夏の夜の宴会は、いつもとどこかが違う。
熱気と湿度の関係なのか、とにかく、皆が皆、真昼の暑さにうんざりして苛立っているのだ。
だからこそ、この場を借りてそれらの鬱憤を発散させようと、大いに盛り上がっている。
あちらこちらから上がる爆発音なんて、今宵に限っては珍しくもなく、爆風の生温い風に血気盛んな住人たちは苛立ち、酒を煽って誰彼構わずに喧嘩をふっかけると、もはややりたい放題。
月が眩しい夜空を舞台に、派手な弾幕が四方八方で華麗に見目鮮やかに展開していた。
「いやぁ、皆さん無粋ですねぇ♪」
鼻歌混じりに、それらを嬉々として写真に収め、様々な人妖たちを取材し、今回の物騒な宴会についての記事を明日にでも書けると、胸躍らせて神社の境内へと降り立つ。
今回の様に胸がすっとする宴会は久しぶりだなーなんて、滲んだ汗を無視して乾いた喉を潤そうと、鼻を鳴らして好みの酒を探す。
口当たりのきつい辛口が飲みたい気分だったので、その匂いを辿ろうとして足を進めた所で、おや? と振り返る。
とたとたとた。
と、何とも緊張感の無い足音が、宴会の喧騒の中に異質なぐらい暢気に届いたからだ。
ぎゃいぎゃいわいのわいのと、あちらこちらで笑い声と怒声の絶えないこの空間だからこそ、あまりに緊張感が無さすぎて気になった。
「んー……」
少し考えて、何故かその足音が止まり、私が一歩進むと、とて。
二歩進むと、とてとて。
念のために三歩進んで、とてとてとて。
「……」
思い切って十歩ぐらい大股で歩くと、とたたたたたたたたたた! と迷うまでも無く私を付けているらしい分かりやすい足音がする。
もう一度だけ短く考えて、くるりと体を反転。
そのまま、足音が聞こえた一団の後方を覗くと、予想通り、びっくり眼の悪戯好きの氷精の姿。
「おやおや?」
「っ、な、なんだよ!」
生意気に口答えするつもりらしい彼女に苦笑し「どうかしましたか?」なんて声をかけてくるお人好し団体に「何でもないですよー」と返して、興味も失ったので辛口の焼酎を探してまた徘徊する事にする。
「♪」
とてとてとてとて。
振り向かなくても分かるが、どうやら彼女は付いて来ているらしい。
? 見つかったのにまだ付いてくるとは珍しい、と僅かに不思議に思いながらも、気まぐれの権化たる妖精のする事だと、すぐに気を持ち直す。
何か用があるのかないのか、まあどちらでも構わないと、意識から外して興味を引いた対象を撮影したりしながら、盛り上がる宴会の空気を味わいながら足を進める。
とてとてとてとて。とたたたたたたた。とてとて。とたたたたたたた。
足の長さが違うのだから当然だが、歩いたり走ったり、後ろの彼女はけっこう忙しそうである。
喧騒の中で、やはりその足音だけは不自然に平穏というか、和むというか。
「……うーん」
頬をかきながら、ついつい飛んだ方が速いと分かっているのに、自分の足で歩いてしまう事に苦笑。
こういう無害に可愛いだけなら、妖精も扱いやすくて良いのに、なんて軽く考えた。
と。目の前に取材対象発見。
「あ、どうもー、地底のうぶうぶカップルさんたちじゃないですかー♪」
早速声をかけると、一人は露骨に「げっ?!」て嫌そうな顔をして、もう一人は不思議そうにそっと桶の中に顔を隠した。
どうやら二人で月見酒でもしてい様で、相変わらずで評判の、見ているだけで青春を思い出せると地底で愛されるカップルさんたちである。
ヤマメさんはともかく、キスメさんは桶の中からいつも通り、一歩も出てくる気が無い様で、インドアなのかアウトドアなのか、今度真面目に取材してみようと思った。
「……お前、また変な事を書くつもりじゃ」
「ええ? まさかー、声をかけただけですよ。ね、キスメさん」
「……?」
よく分かっていないキスメさんに優しく声をかけると、ヤマメさんがキスメさんを庇うかの様に桶の前に立つ。
そして、右手をわきわきさせて、隙を見せたら病気にでもさせられそうな剣幕でこちらを睨んできた。
信用がないというか、余裕が無いというか、やきもち焼きな彼女と、そんなヤマメさんを見てもじもじしながら暖かな眼差しで見守る、すでに私の存在が見えていないキスメさん。
二人の周りだけ空気が違っていた。
が、それは桃色というよりも爽やかなミントの香りがしそうな青い風だ。
本当、いまだ口付けどころか「好き」の単語にすら過剰反応して真っ赤になってフリーズしてしまうお二人にお似合いすぎる空気いうか、いやぁ、にやにやしますねぇ。
「うんうん。お二人とも今日も変わらずにラブラブな様で、何よりですねぇ」
「へ?! ら、ぶって何を言ってるのさっ!」
「……!」
「今も逢引の途中だったみたいで、お邪魔しちゃって、いやー失礼しました」
「あ、いびき?! ちが、く、はないっ! ……けど、あの、き、きしゅめ?」
「……! ……!」
真っ赤になってぷすぷすしだすヤマメさんと、桶にひっこんでカタカタ揺れるキスメさん。
なんてからかいがいのあるカップル。大好きです。願わくば、後数百年は進展しませんように!
そんな優しいお姉さんの気持ちと、ちょっとばかしの愉快な気持ちで二人に背を向けて、さてさて、お次はー。なんて条件反射的に二人を撮影してから、勘に従って目的を定めずに歩いてみる。
とてとてとてとて。
後ろの足跡もちゃんとついて来ていた。
本当に何がしたいのかと、内心で首を傾げながら前方を見て、ついつい口元が緩む。
「おやおや」
またもや見つける取材対象。
というよりも、無心で歩こうとしていたものの、我知らず、この香ばしくも鼻腔を刺激する優しい暴力に屈していたらしい。
うーん。そういえばお腹がすきました。
「どうもーミスティアさんと、その紐のルーミアさん」
「あ、いらっしゃい文さん!」
「わはー……齧るぞー?」
私の顔を見て嬉しそうに笑う可愛いミスティアさんと、そのミスティアさんのお手伝いをしつつもお腹を満たす事に忙しい、駄目旦那なルーミアさん。
「おいしそうですね。お一つ頂けますか?」
「うん! 今日は一杯作ってきたから、文さんにも、はい」
「どうも、ん。おいしいです」
ひょいっと差し出される串で炙られた八目鰻を齧ると、口一杯に広がる秘伝のたれと鰻の油が絶妙にマッチして舌を愛撫し、空きっ腹を癒してくれる。
それも、ミスティアさんから手付かずのあーんである。まずいわけが無かった。
「………ッ」
ルーミアさんが、こちらを見ながら笑顔のまま器用にギリリリリッと歯軋りしていた。
っていうか、ルーミアさんの周りが普段の倍以上暗くなっている所を見ると、相当に私は邪魔らしい。なんというか、先程のカップルより進展しているとはいえ、こっちの夫役も余裕無しですねぇ。
「それで、文さんは今日も取材ですか?」
「ええ、本当はお酒でも飲んで楽しむつもりだったのですが、何だかまだ面白い物が見れそうな気がしまして。ぶらぶらと歩いているんですよ」
「………ギリギリ」
「そうですか、じゃあ、終わったらまた寄って下さいね! ご馳走しますよ」
「あややや、それはありがとうございます。そうですねぇ、気分が乗ったら寄らせて頂きます」
「はい♪」
「…………………ギギリギギリ」
さて。
ひしひしと伝わってくるじっとりとした殺意がいい加減鬱陶しいので、からかうのは止めて大人しくミスティアさんから離れてあげる。
そうしたら、すぐにルーミアさんがミスティアさんに飛び掛るように抱きついて、私とずざっと距離をとる。
「わっ?! ちょ、ルーミア?」
「みすちー、あーん!」
「へ?」
「あーん!」
「……えっと、あーん」
口を開けて、ルーミアさんが差し出す八目鰻を疑問符だらけにもむもむと食べさせて貰うミスティアさん。
それを見て、パアッとようやく安心したみたいに満面に笑うルーミアさん。
とりあえず、意味は分からなかったけれど無意味に可愛かったので激写して、ついでに八目鰻の串を二本ばかし失敬して、そのまま邪魔をしない内に立ち去る。
とてとてとてとてとてとて。
とりあえず、一本齧って「うんおいしい」等と呟いて、振り返らずに「はい」と後ろのでこりずに付いてきているのに渡してあげる。
彼女は、比較的大人しくそれを受け取り、はぐはぐと食べ始めた様だ。
「おいしいですか?」
「うん!」
返事も元気である。
ならいいかと、どっかに辛口のお酒は無いだろうかと、また探してみる。
その調子で、もぐもぐと口を動かしながら歩いていくと、またまた、前方にからかいがいのありそうなカップルを発見。
にんまりと近づく。
「おやぁ、お久しぶりですね、命連寺の船長さんとぬえさん」
振り返る二人。
以前ちょっとだけ強引に取材したのを警戒しているのか、かの勢力は私を見ると口を噤む傾向があるので、私は他にないぐらい丁寧に頭を下げて挨拶する。
そうすれば、ほら。性格と立場上、同じく丁重に挨拶を仕返すしかない船長さんはおざなりにあげた手を下ろして帽子に触れる。
その顔は、逃げ切れそうにないなぁ、と諦め気味の苦笑である。
そして帽子を胸の前に当てて丁寧に挨拶する、が。相方のぬえさんの方は私をゴミをみるみたいに睨んで、早く行こうと船長さんの服を引っ張っていた。
……うーむ。嫌われたものです。
「こ、こんばんは。文さん」
「ええ、船長さんは楽しんでいますか? 今回の宴会は荒っぽくていけませんが、その分料理はけっこう豪勢ですよ」
「あ、はい、本当に。お酒もお料理もおいしくて、今は、里でおいしいと評判のお団子を食べていたんですよ」
「ほう、それはそれは」
「ちょっと、ムラサ……!」
くいくいっと、私の相手をしてくれるムラサさんの服を引いたまま、私と彼女の壁になる様に移動したぬえさんは、ムラサさんが私の話術から逃げるのは無理そうだと悟り、ムラサさんの口にそのお団子全部を突っ込んだ。「ちょっ?! ぐえっ」と苦しげな悲鳴は一切無視して、ぬえさんは私をきりっと睨む。
「乱暴ですねぇ。船長さんはぬえさんのお尻の下という事ですか」
「……そーいう事よ。っていうか、あんたねぇ、お人良しのムラサが嫌がってるのが分からないわけ? カメラ構えてにこにこ寄ってくる烏の相手をする気分じゃないのよ、こっちは! …………せっかくいい所だったのに、何でいっつも邪魔が」
最後はぶつぶつ言いながら、ぎろんと睨む目は、なるほど、何やら鬱屈したものを感じて、普段どれだけ邪魔されているのかと、少しは不憫になるが取材は取材、私はあえて悲しげに肩をすくめて、彼女との会話を続けようとする。
「おやおや、ぬえさんは冷たいですねぇ」
「当たり前でしょうが! 消えろ烏!」
「うわぁ、酷いです」
「ああ鬱陶しい! 去れ! っていうか死ね! 私とムラサの時間を邪魔すんじゃないわよ!」
むぅ、この様子では取材は無理そうである。
仕方ない。ちょっと遊んで撤収するか。私は深く溜息をついて、ぬえさんと、そして団子を頑張って飲み込む船長さんを見る。
「……あーあ。せっかく。せーっかく。この私が、船長さんの鎖骨についてるキスマークとか、ちらりと見えるおへそ横の噛み跡なんてエッチなものを無視してあげたのに、あんまりです。……記事にしてやる」
「むぐっ?!」
「ちょっ?!」
大きくびくつく船長さんと、慌てて服をめくって確認するぬえさん。
あれ? その慌しさに、私の方が面食らう。
……冗談、だったんですけど?
「んくっ! ……ふぅ、あー、なんだ、やっぱり消えてる。びっくりしたー」
「っ?!」
「良かったね、ぬえ。文さんの嘘みたいだよ」
「こ、ここここのお馬鹿あぁぁああ!!」
「へ?!」
船長さんの素敵な失言に、顔を真っ赤にしたぬえさんのローキック。わざわざ距離をとったあたりに照れ隠しと本気の怒りを感じます。
「そ、それでは失礼しまーす」
やばいですね。
これ以上ここにいては危険だと急いで逃げる。このままここにいて観察したい気持ちも少しはあるが、馬に蹴られるのも、巻き添え喰らうのもごめんである。
本気で展開されかける弾幕の気配に、慌てて飛ぼうとして。
とてててててててて。
「…………」
足跡の事を思い出してしまって。
舌打ちして急遽方向転換。
ぐいんっと風を操り、広がる風圧を殺しつつ、そのまま手を伸ばす。
「わわっ!」
驚いて咄嗟に反応できない、食べきった鰻の串を持ったままの彼女をひょいっと持ち上げて、そのまま急上昇。
羽を一度大きく膨らませて羽ばたいた。
背中で、相変わらずの正体不明の弾幕がいきなりレインボーで展開されていた。
「び、びっくりしたー」
雲さえつき抜け、月の光に反射される雲の流れなんてものを見下ろして、どんぱんと弾幕でまだまだ賑わう下界を眺めながら、あーやっぱり、境内で思いっきり暴れてる。とっとと逃げて良かったぁ、なんて感想を持つ。
「すげー、文、ねえ、地面が遠いよ!」
「でしょうねー」
「あたい、あたいね! こんな上まで飛んだの初めてだよ!」
「はいはい。ここは空気が薄いから、あんまり興奮しないで下さいねー」
適当に答えて、うきうきわくわくと子供な反応で、大人しく私の腕の中にいる彼女を改めて見る。
「? なあに」
串を両手で持ったまま、強い風に髪や服を乱しながら、彼女は私を一心に見上げていた。
私が、このまま手を離すかもとか、からかって遊ぶかもとか、このまま放って帰るかもしれないとか、そういう可能性をちっとも考えていない、彼女らしくもない無邪気すぎる顔をしていた。
「……む?」
いや、知らず眉間がきゅっと絞られる。
いつもなら「何すんのよー」とか「あっちいけー!」とか、そういう反応だからこそ、対応に迷う。
もしや、偽者だろうかなんて半ば本気で疑って、この面白い氷精を抱きしめる体勢から、抱っこするみたいに観察しやすく持ち直す。
「おお?」
ぷらぷらと揺らしてから、上下と左右に揺らしてみたが、特に何らかの揺らぎは感じられなかった。
どうやら本物らしい。
「チルノさんチルノさん」
「なによー」
「このまま私がチルノさんの手を離すとします」
「うん」
「どうなるでしょうかー?」
「? 何が」
うん、本物だ。
「落ちたらぐしゃっ! ですね」
「平気よ! あたいったらさいきょーだもん!」
うん、間違いなく本物だ。
確信を持てたので、ちゃんと持ってあげる。
そうしたら、まるで猫みたいに心地よさそうに、ごろにゃあん、とか鳴きそうな顔でもぞもぞと私の胸元に顔を寄せてきた。
「……」
あれ、やっぱ偽者?
どうにもいつもと違いすぎて、何かよからぬ者によからぬ事でもされたのかもと更に疑うが、私の目にも鼻にも風の流れと勘が知らせる何もかもが、それは無いんじゃないか? と否定する。
「チルノさん?」
「うぅにゅ」
「……もしかして、酔っているとか? それか、私をからかって楽しむという新しい遊びを実行しているとか?」
「?」
疑ってかかったら、純粋無垢な綺麗な瞳に見つめられた。
……なんか気まずくなってすぐに逸らす。
「……んー」
考えてみれば、今日の彼女は最初から面白かったけれど、それに理由でもあるのだろうかと、今夜の事を思い出す。
とてとて。
とたたたた。
はむはむ。
……歩いて走って食べていた。
いつもの彼女の行動だと考えると、そうおかしくも、ない? けれど、そういえばどうして彼女は私の後ろに付いて来たのだろう?
「チルノさーん」
「何よぉ、文」
「どうして、今日は私の後ろに付いてきたんですか?」
途端、ぬぎゅゅ。
と、変すぎる音がした。
見ると、チルノさんがカチコチっと先ほどまでごろごろとふやけていた体を固まっていて、先程のは、思わず口から漏れた鳴き声らしい。
ぬぎゅ、って……意識せずに口から出る音だろうか? なんて考えて、新しいというか、意外と可愛い声だったからか変に耳に残った。
「……えと、な、なんで?」
「? いえ、気になったんですよ」
「……どう、してよ」
「? チルノさんが面白かったら、理由がしりたいでしょう」
「…………」
やはり、反応がいつものチルノさんと違う。
じい、と。
大きな瞳が迷う様に揺れていた。
その瞳に、月と星と私がもう一つの夜空の様に反射していて、その光景に一瞬、自分でも知らぬ内に呼吸を止めていた。
「……」
意識して、深呼吸をする。
そして気を取り直して、急に岩みたいになったチルノさんの頬をつつくと、柔らかかった。
「ん? どうしました」
「………ぅ」
優しく尋ねて、急に危うくなったチルノさんを懸念して、空中で体を横たえる様にしてお腹にチルノさんを乗せる。
両足でバランスを崩さない様にチルノさんの丸くなる体を支えて、間違っても落ちない様に気遣う。
「あ、あのさ……!」
「はい」
「……あたいね」
「ええ」
「あたい、さいきょーでしょ?」
「……ええ、まあ、ある意味で」
「だから、ね」
ぎゅっと、乗りかかる様にしている、チルノさんの顔が真剣になっていく。
この体勢だと、私がチルノさんを見上げなくてはいけないので仕方ないのだが、こう、、まあ、あれです。というか。
……幼女、とはいえ、
「ん」
こういう真剣な顔で俯く姿を、こうやって見上げるのは、どうにも、こう、呼吸が乱れますね。
深い意味は、ちっとも無いですけど、も。
目を離せなくなる。
静かに、彼女が口を開くのを、いつまででも待てそうだった。
「あ、あたい、頑張るの。さいきょー、だから」
チルノさんが、ぽつりと呟いて、私を見下ろしたまま、彼女らしくない茹った様な顔色で私の服を痛いぐらい掴む。
それから、震える唇を開いて、震えて、怯えている様な顔をする。
「あたい、あたいね? ……文のせいで、体がおかしいんだ……!」
「チルノさん?」
「ぐ、ぐちゃぐちゃっていうか、あたいの中の音が、壊れてるんだ。……く、口から出るのが変な声ばっかりになって、あたいの体なのに、勝手にドクンって凄いのがきて、その後も叩いてるみたいにすっごくて……っ」
ギリッ、と服越しに爪がささる。
言葉に、ぎゅうぎゅうに押し込められて、閉じ込められる強い感情を感じる。
視線を逸らし、彼女の小さな手が、痛いぐらい結ばれていたのを見かねて、彼女の手を服から引き離す。
と、すぐに、とんとん、と。
胸を叩かれた。
とんとん。とんとんとん。とんとんとんとん! どんッ!
次第に、強くなる。
痛いというよりも戸惑いの方が強かった。
「文の、せいだもん……!」
癇癪を起こした子供まるっきりに、強く叩かれる。
此方が反応できない事を良い事に、力任せに乱暴に、どんどん! と。鈍い音になりながら。
止まらない。
拳が。
「あ、文が、文が文が文が……! あたいに会いに来ないからだ! いつもどっか行ってて、なのに、急に会ったら頭撫でてきて、他の皆は馬鹿っていうのに、文は面白いって、言って……っ! そんで、今日だって、あたいを無視してどっか行って、追いかけたら逃げていって、なのにご飯くれて、どっちか分かんなくて……! だけど今は抱っこしてくれて、さっきからまたあたいの中が壊れた音してて、怖くて…変で…わかんない。あたい、わかんない…よぉ」
ぼろぼろと、とうとう大粒の涙を流しだして、私の頬に爪をたてる。
…………。
痛い、のか何なのか、知らず、私の両腕は彼女の背に回されていたので、抵抗もできない。
言いたいことは言い切ったのか。
それとも言いたい事が分からないのか。
頬の痛みが鋭くなっていく頃には、彼女はただ泣くだけだった。
ぽたぽたと、私の服を、汚していくだけ。
「……つーか」
ぼそりと、言葉は自然に出ていた。
彼女は、鼻をすすって、いやいやと私の上で首を振って、私の言葉を何も聞きたくないとばかりに、なのにちっとも私から逃げようともどこうともしないで、また、私を叩く。
とん、と。
弱々しく。
そんな、彼女を見て、また、意図せずに自然と呟いていた。
たぶん、しかめっ面になって。
「私が今、自分の中の音が、壊れてんですよ。……凄い事に、なってるんですけどねぇ……」
酷く、格好悪い台詞を放った。
「……え?」
「……。……え、じゃないわよ。貴方のせいで、私の音が、狂っていると言ってるの」
最後だけ、素で伝えて「ふぇ、え?」とぼろぼろの、ぐしゃぐしゃの顔を見て苦笑。
ちゃんと言おうと、少し強く彼女を抱き寄せてみた。
ほら、私の胸元に、彼女の耳がくるように。
それから、意を決して、私らしくなく震えそうになる声を調整して息を吸う。
「さて。…………」
そうやって。
ようやく、準備が出来て、
続けようとした言葉が、胸元から漏れる「ふぇぇえん…っ!」という泣き声に、きゅぅ、と塞き止められて、喉が熱を持つ。
「……!」
また、壊れる音がする。
ああもう、なんて、変に優しく言ったりして、頭とか背中を撫でてあげて。
先程とは違う、暖かな泣き声に、力が抜けそうになる。
チルノさん風に言うのなら、体の中が、壊れてしまう音で一杯だった。
「あや、あやあやあやあやぁ♪」
「はいはい」
べーったりと、あれから一時も離れる事を嫌がって、ぎゅうぎゅうにくっつくチルノさん。
魔理沙さんや霊夢さんが、この炎天下だからこそ羨ましそうに「よく懐けたな」とか「こっちに頂戴。少しでいいから」とか言うが、断固笑顔でお断りである。
大体、真夏はいいが、真冬は寒さで死に掛けるだろうから、今の内に幸せ補充をしておきたい。
「あのね、あのねあのね?」
「どうしました?」
「あたいの中がね、どっくんどっくんしてる」
「……そうですか」
「えへへぇ、文、大好き」
すっごくとろけた笑顔。
こういうのが、早苗さんが言っていたデレって奴なのかと、こっちの方が壊れそうな音でくらくらしながら、ぽんっとチルノさんの頭を撫でる。
「ねえチルノさん」
「うん!」
「あの………………」
「?」
ひんやりで可愛い彼女を見つめながら、私は口を噤む。
うん。壊れている音が、鳴り止まない。
好意の言葉すら、躊躇して伝えられないぐらい、喉が変わらぬ熱を溜めて、今にも爆発しそう。
どくんどくんと、壊れた箇所が治る前に、壊れて壊れて、すでに修復不能。
「私」
もう、やだなぁ、照れる。
「貴方が―――――」
耳元で囁く、心からの愛の告白。
爆発する前に、優しく情熱的に教えてあげる。
彼女は「……うきゅぅ」と、それは愛らしい壊れた音をたてる。
ドキドキと、一生平常運転は無理かもしれない、なんて髪をかきまわして。
彼女からの「あ、あたいも……!」なんて破壊力が存分に込められた台詞に、口で「がらがらー」なんて壊れた音を出して。
穏やかに、笑って目を閉じた。
ホワイトな粉詰めすぎだよ!
氷砂糖とかそんなチャチなもんじゃ断じてねぇ…
もっと恐ろしい物の片鱗を見たぜ……
読んだこっちも壊れそうだ!
ところで俺の口から砂糖が流れ出るのが止められないんだかどうしたらいいだろう?
なんというか、照れるSSですね。デレ期チルノと文がヤバイ。実にヤバイ。
どんどんやっちゃってください……私はここまdガハァッ(吐糖