一日の終わり、と言うにはにはまだ少し早い時間。今日もようやく日が沈む。ふと止まって眺めていると、太陽はゆっくりと、しかしあっという間に山の向こうへと消えてゆく。
なかなかどうして、夕日というものは見ていて飽きないものだ。太陽の後を追うように、空に広がった橙が同じく山の向こうへと去ってゆく。ああ、もちろん猫の事ではない。
……おっと、いけない。いつものごとく取材をしていたら少し遅くなってしまった。今日は誰が来ているだろうか。紅魔館の連中は来ていないだろう。つい先日来たばかりだ。そうだ、そろそろ白玉楼の主従が来る頃だろう。少し庭師をからかってやろうか。最近なかなか来ないので、ネタがたまっているのだ。そうだ、そうしよう。
お気に入りのカメラの代わりに手土産の酒を携えて、手帳を開きつつ鳥居を飛び越し神社の裏手にまわる。
そこでは大きくはなく、かと言って小さいわけでもない宴会が開かれていた。
「あやや、亡霊たちではありませんでしたか」
「あんたまた来たの? 呼んだ覚えはないんだけど」
「まぁいーじゃん霊夢、酒は大勢で飲んだ方が美味しいよ」
「そうですよ霊夢さん、胡瓜さんの言うとおりです」
沈黙。
突然、空気が硬くなった。あれ、すべった? どうせもう酔っぱらってると思ったのに。……ま、待って下さい! 鎖を巻きつけないで! 霊夢さんも、ご愁傷さま、見たいな眼差しは……。
「……烏天狗、思い残すことはないかい?」
「あやややや! すみません、冗談です! だから鎖は……。そうだ、今日はいいものを持って来たんですよ!」
「そうやって誤魔化そうったって……お、それは『隙間殺し』だね。うん、確かにいい酒だよ。なかなかセンスがいいじゃないか」
手土産の酒を見せると途端に上機嫌になった。ふっ、計画通り。……永琳さんに感謝です。
「まったく、酒の話になるとすぐ機嫌が良くなって……。それにしたって、それ本当にお酒なの? ただの毒だったりしないでしょうね。……まあ、毒なんかで死ぬような奴じゃないけど」
そう言って霊夢さんはチラリと後ろに視線をやる。その先には件の隙間妖怪こと八雲紫が守矢の一柱八坂神奈子と熱弁を交わしている。その二人の世話をしているのが紫さんの式である八雲藍、彼女ほどの働き者はこの幻想郷にはいないのではないだろうか。少し視線をずらすと、守矢の残り二人が白黒魔法使いと騒いでいる。風祝は既に少しできあがっているようだ。
今日は全部で九人か。……あれ、九人? ……ああ、そうか。私を入れれば九人だ。……あれ?
○○○○○
――それでな、アリスの奴……
――だったらいっそのこと押し倒……
「そういえば、藍さんが酔ってる姿って見た事ありませんよね」
今は魔理沙さん、諏訪子さんと一緒に居る。紫さん、神奈子さん、藍さんは相変わらずで、そこに胡瓜さんが加わっている。私の霊夢さんは早苗さんを介抱している。膝枕なんかしちゃって、初々しいなぁ。今に見てろ……。
「ん? どしたの?」
「いえ、藍さんっていつもあまり飲んでませんよね。……一度思い切り酔わせてみたくなりませんか?」
「そうだねぇ、あんたもなかなか酔わないけど。あの式神も……面白そうだねぇ。魔理沙はどう思う?」
「でもパチュリーが……っと、何の話だ?」
「文が『藍を酔わせてみよう』ってさ」
「藍を? ……面白そうだな。よし、やってみようぜ」
どうやら二人も興味があるようだ。よしよし、何か面白いネタが手に入るかも。わくわく。
――そうだ、良い案があるんだけど……
――お、いいな。だったら……
――それでしたら私は……
――……決まりだ。これより作戦を決行する
○○○○○
――それでな、命蓮寺の子鼠が……
――だったらいっそのこと押し倒しちゃえば……
――しかし萃香、私には諏訪子という……
――それに、それでは可愛い虎にも咬まれますわよ
――では、この想いはどうしたら……ああ、すまない
「藍、私にも」
「はい、ただいま」
「藍、あんたも呑みなよ。ほら」
「ああ、すみません。では――」
「きゅ……すいかー、ちょっと藍を借りてくぜ」
「――っとと。魔理沙か、急に引っ張るな。溢すところだったじゃないか。……んぐっ」
「お、いい飲みっぷり。ちょっとお前もこっち来いよ。一緒に飲もうぜ」
「一体何だ? まあ、かまわないが。……では、私は少し外します」
「おー、行ってらー」
――そうか! 虎を消せば……
――やめときなさい。あなたも消されるわよ。……私に
○○○○○
「……あれ、霊夢さん? どうして?」
「早苗、起きたのね。大丈夫?」
「少し、くらくらします」
「まったく、あんなに一気に飲むからよ。ほら、まだ寝てなさい」
「あはは、すみません。……霊夢さんに呼んで頂けたことが嬉しくて、つい」
「……ばか」
優しく、優しく。髪を梳く手は止まらない。
○○○○○
「文、お前さんは可愛いなぁ……食べてしまいたくなるじゃあないか」
どうしてこうなった。
さすがに相手は九尾の妖狐。作戦通りには行かなかったが、こちらだって負けてはいない。千年の鴉天狗に四天王の一角、さらに……きのこの専門家? とにかく、あの手この手で藍さんにたっぷりと飲ませることには成功した。今や藍さんは完全に酔っている。その結果……。
魔理沙さんと諏訪子さんは既に避難している。おのれ、私を見捨てたか。
「さあ、連れて行ってあげよう。私達の幻想郷へ」
「ま、待って下さい! いけません、私には霊夢さんという相手が……」
援護を求む。期待を込めた視線を飛ばすが……。
「霊夢ならあっちで寝てるぜ。……早苗と」
「あらら、二人とも幸せそうな顔しちゃって」
「ほら、何も気にすることはないさ」
「ちょ……ふ、二人とも! 裏切りましたね!」
「さあて、どの二人かな?」
「きっと寝てる二人だよ」
「お前らだー!」
くそう。自分たちは逃げられたからって、余裕をこいて……後でとっておきのネタをばら撒いてやる。
「文、あまり私を焦らさないでくれ。それとも、私の事は……嫌いか?」
普段は欠片も見せない妖しい表情で迫ってくる。優れた美貌に色気が混じり、心臓が鷲掴みにされる。もう、はやく押し倒して……って、ちがう! 私には霊夢さんが、霊夢さんが……あ、可愛い寝顔……って、うがぁぁぁぁぁ!
だんだんと藍さんの顔が近づいて来る。逃げ出そうにも尻尾で体を包み込まれてしまい、私の力では振りほどくことができない。それどころか藍さんの整った顔に、酒気を帯びて殊更に妖艶な表情に、そして何より色っぽく赤く輝く柔らかそうな唇に、私の意識は釘づけになる。
何故だろう頬に一筋の涙が伝う。
「なに、怖がることはないんだよ……文」
「え?……あ」
藍さんの甘い囁きに、自然と体から力が抜ける。やがて互いの吐息がかかるほどの距離になり、唇と唇の間がみるみる無くなり、そして私は……白い世界に放り込まれた。
○○○○○
くちゅんっ! ごそごそ……。
「あら、てゐ? 何か探しているの?」
「ああ、お師匠様。この辺にあった酒を知りませんか?」
「ええ、知ってるわよ。『隙間殺し』でしょう。そこに無造作に転がってたから片付けようと思ったんだけど、でもあれ、私が知っているものよりも少し濁っていたのよね。だからあげちゃったわ……昼間来た天狗に。……やっぱりあげない方が良かったかしら?」
「あげちゃったんですか? いやぁ、その、何と言うか……まあいいか。多分死にはしないし……」
「あなた、何か毒でも混ぜていたの?」
「いえいえ、とんでもない。ほんのちょっと、鈴仙が作ってた謎の薬を……やっぱり全部だったかな? あ、でも封はきちんとしておいたので大丈夫ですよ」
「ふふっ、それなら安心ね」
「鈴仙も、誰に使うつもりだったんでしょうねえ」
「ほんとに。こそこそと何をやってるかと思えば……」
「……ふふふ」
「……うふふふ」
――まったく、何て黒い会話をしているのよ。永琳たら、なかなか来ないから呼びに来てみれば……
○○○○○
「よろしい、ならば夜這いだ! 待っていてくれ可愛い子鼠よ!」
「……行ってしまったわ。明日は修羅場かしら。怖いわね、お酒って。……お酒って。ふふっ」
カシャッ。シャッター音が闇の中へと溶けてゆく。まばゆい閃光に誰も気がつかないのは、無意識の為せる業か。
――御苦労さま。またいつでも遊びにおいでなさい
――うん。またねー
○○○○○
ふと目覚めるとそこは自分の部屋であった。外を見るとまだ夜が明けたばかりのようだ。どうやら普段着のまま布団で眠っていたらしい。
なんだか変な気分だ。胸がもやもやとする。昨晩のことを思い出そうとするが、どうも記憶が曖昧だ。神社の宴会に行ったことは覚えているが、……珍しく飲みつぶれたのだろうか? だとすると、誰かがここまで運んできてくれたことになる。まあ、どうせ隙間妖怪あたりだろう。しかし彼女がただの親切で運んでくれる筈がない。どうも何か引っかかる……。
けれどこれ以上考えていても仕方がない。昨日の取材で撮った写真を現像してしまおう。確か昨日は永遠亭の薬師に……。
考えながら昨日机の上に置いておいたカメラを手に取……ろうとしたが、壁に掛っていた。おかしいな、机に置いたつもりだったけど。とにかく、カメラを持って真っ暗な部屋に入ってゆく。
○○○○○
「神奈子、何か言う事は?」
「ち、違うんだ! これは……」
地に伏す神奈子様を見下し、睨みつけるようにして問い詰めている諏訪子様。神奈子様は言葉に詰まり、ただ諏訪子様にすがるような視線を向ける。少し離れて見ている私にとってはたったの数秒、しかし神奈子様にとってはおそらく長い長い沈黙の後、諏訪子様はふいに険しい表情を崩して心から湧きあがるような優しい笑みを浮かべた。
「……ふふっ、冗談だよ。私は心が広いからね。それに、私と神奈子の仲じゃないか。いつだって信じてるよ。……そうだ、私はちょっくら出かけてこないと」
「あ、ああ。そうか……どこに行くんだ?」
「地底。デートにね」
――まったく、諏訪子様も意地が悪い。でも今回は神奈子様の自業自得です
「諏訪子ー! わ、私が悪かった! お願いだ、戻ってきてくれ!」
○○○○○
「な、なんでこんな写真が入っているの!」
現像し終えた写真を確認していると、一枚だけ覚えのない……いや、覚えはありすぎる、たった今すべて思い出した、しかし入っているはずの無い写真が紛れ込んでいた。
そこには頬に朱がさしている八雲藍が、こちらは見事なまでに顔一面を真っ赤にして潤んだ瞳の私の顎を指で僅かに上に向け、互いの鼻が触れるほどに顔を近づけ……しかし二人の唇を隠すように緑の葉が一枚、わざとらしく自然に宙に浮いている。
瞬時に昨晩の出来事が頭の中によみがえる、と同時にからだ全体が茹であがる。一度思い出してしまうともう冷静に立っていることが出来ず、蒲団に倒れ伏して見悶える。胸が高鳴り、額に汗がにじむ。
ああ、藍さん、私の心に割り込まないでください。私は身も心も霊夢さんものだというのに、なぜこんなにも切ないのか。目を閉じると藍さんの甘い囁きがよみがえり、まぶたの裏には妖しい表情が映る。
……これは風邪だ。風邪のせいに決まっている。だからこんなにも身体が熱いのだ。霊夢さん……看病に来てくれないかなぁ……霊夢さん……
○○○○○
「藍、あなたってああいうタイプが好みだったのね」
「……お願いします。昨夜のことは、どうか忘れてください。……忘れさせてください」
「ふふふ、可愛い子。……食べちゃおうかしら」
○○○○○
昼下がりの博麗神社。昨晩の宴会の跡は既にすっかりと片付けられている。穏やかな夏の陽気の中、畳の上に寝転がりだらしなく口元を緩めて眠っている少女が一人。楽しい夢でも見ているのか、幸せオーラに満ち満ちている。その脳裏に映るのは一体何だろうか……。
「……もう……むにゃ、髪飾り、まがって……」
なかなかどうして、夕日というものは見ていて飽きないものだ。太陽の後を追うように、空に広がった橙が同じく山の向こうへと去ってゆく。ああ、もちろん猫の事ではない。
……おっと、いけない。いつものごとく取材をしていたら少し遅くなってしまった。今日は誰が来ているだろうか。紅魔館の連中は来ていないだろう。つい先日来たばかりだ。そうだ、そろそろ白玉楼の主従が来る頃だろう。少し庭師をからかってやろうか。最近なかなか来ないので、ネタがたまっているのだ。そうだ、そうしよう。
お気に入りのカメラの代わりに手土産の酒を携えて、手帳を開きつつ鳥居を飛び越し神社の裏手にまわる。
そこでは大きくはなく、かと言って小さいわけでもない宴会が開かれていた。
「あやや、亡霊たちではありませんでしたか」
「あんたまた来たの? 呼んだ覚えはないんだけど」
「まぁいーじゃん霊夢、酒は大勢で飲んだ方が美味しいよ」
「そうですよ霊夢さん、胡瓜さんの言うとおりです」
沈黙。
突然、空気が硬くなった。あれ、すべった? どうせもう酔っぱらってると思ったのに。……ま、待って下さい! 鎖を巻きつけないで! 霊夢さんも、ご愁傷さま、見たいな眼差しは……。
「……烏天狗、思い残すことはないかい?」
「あやややや! すみません、冗談です! だから鎖は……。そうだ、今日はいいものを持って来たんですよ!」
「そうやって誤魔化そうったって……お、それは『隙間殺し』だね。うん、確かにいい酒だよ。なかなかセンスがいいじゃないか」
手土産の酒を見せると途端に上機嫌になった。ふっ、計画通り。……永琳さんに感謝です。
「まったく、酒の話になるとすぐ機嫌が良くなって……。それにしたって、それ本当にお酒なの? ただの毒だったりしないでしょうね。……まあ、毒なんかで死ぬような奴じゃないけど」
そう言って霊夢さんはチラリと後ろに視線をやる。その先には件の隙間妖怪こと八雲紫が守矢の一柱八坂神奈子と熱弁を交わしている。その二人の世話をしているのが紫さんの式である八雲藍、彼女ほどの働き者はこの幻想郷にはいないのではないだろうか。少し視線をずらすと、守矢の残り二人が白黒魔法使いと騒いでいる。風祝は既に少しできあがっているようだ。
今日は全部で九人か。……あれ、九人? ……ああ、そうか。私を入れれば九人だ。……あれ?
○○○○○
――それでな、アリスの奴……
――だったらいっそのこと押し倒……
「そういえば、藍さんが酔ってる姿って見た事ありませんよね」
今は魔理沙さん、諏訪子さんと一緒に居る。紫さん、神奈子さん、藍さんは相変わらずで、そこに胡瓜さんが加わっている。私の霊夢さんは早苗さんを介抱している。膝枕なんかしちゃって、初々しいなぁ。今に見てろ……。
「ん? どしたの?」
「いえ、藍さんっていつもあまり飲んでませんよね。……一度思い切り酔わせてみたくなりませんか?」
「そうだねぇ、あんたもなかなか酔わないけど。あの式神も……面白そうだねぇ。魔理沙はどう思う?」
「でもパチュリーが……っと、何の話だ?」
「文が『藍を酔わせてみよう』ってさ」
「藍を? ……面白そうだな。よし、やってみようぜ」
どうやら二人も興味があるようだ。よしよし、何か面白いネタが手に入るかも。わくわく。
――そうだ、良い案があるんだけど……
――お、いいな。だったら……
――それでしたら私は……
――……決まりだ。これより作戦を決行する
○○○○○
――それでな、命蓮寺の子鼠が……
――だったらいっそのこと押し倒しちゃえば……
――しかし萃香、私には諏訪子という……
――それに、それでは可愛い虎にも咬まれますわよ
――では、この想いはどうしたら……ああ、すまない
「藍、私にも」
「はい、ただいま」
「藍、あんたも呑みなよ。ほら」
「ああ、すみません。では――」
「きゅ……すいかー、ちょっと藍を借りてくぜ」
「――っとと。魔理沙か、急に引っ張るな。溢すところだったじゃないか。……んぐっ」
「お、いい飲みっぷり。ちょっとお前もこっち来いよ。一緒に飲もうぜ」
「一体何だ? まあ、かまわないが。……では、私は少し外します」
「おー、行ってらー」
――そうか! 虎を消せば……
――やめときなさい。あなたも消されるわよ。……私に
○○○○○
「……あれ、霊夢さん? どうして?」
「早苗、起きたのね。大丈夫?」
「少し、くらくらします」
「まったく、あんなに一気に飲むからよ。ほら、まだ寝てなさい」
「あはは、すみません。……霊夢さんに呼んで頂けたことが嬉しくて、つい」
「……ばか」
優しく、優しく。髪を梳く手は止まらない。
○○○○○
「文、お前さんは可愛いなぁ……食べてしまいたくなるじゃあないか」
どうしてこうなった。
さすがに相手は九尾の妖狐。作戦通りには行かなかったが、こちらだって負けてはいない。千年の鴉天狗に四天王の一角、さらに……きのこの専門家? とにかく、あの手この手で藍さんにたっぷりと飲ませることには成功した。今や藍さんは完全に酔っている。その結果……。
魔理沙さんと諏訪子さんは既に避難している。おのれ、私を見捨てたか。
「さあ、連れて行ってあげよう。私達の幻想郷へ」
「ま、待って下さい! いけません、私には霊夢さんという相手が……」
援護を求む。期待を込めた視線を飛ばすが……。
「霊夢ならあっちで寝てるぜ。……早苗と」
「あらら、二人とも幸せそうな顔しちゃって」
「ほら、何も気にすることはないさ」
「ちょ……ふ、二人とも! 裏切りましたね!」
「さあて、どの二人かな?」
「きっと寝てる二人だよ」
「お前らだー!」
くそう。自分たちは逃げられたからって、余裕をこいて……後でとっておきのネタをばら撒いてやる。
「文、あまり私を焦らさないでくれ。それとも、私の事は……嫌いか?」
普段は欠片も見せない妖しい表情で迫ってくる。優れた美貌に色気が混じり、心臓が鷲掴みにされる。もう、はやく押し倒して……って、ちがう! 私には霊夢さんが、霊夢さんが……あ、可愛い寝顔……って、うがぁぁぁぁぁ!
だんだんと藍さんの顔が近づいて来る。逃げ出そうにも尻尾で体を包み込まれてしまい、私の力では振りほどくことができない。それどころか藍さんの整った顔に、酒気を帯びて殊更に妖艶な表情に、そして何より色っぽく赤く輝く柔らかそうな唇に、私の意識は釘づけになる。
何故だろう頬に一筋の涙が伝う。
「なに、怖がることはないんだよ……文」
「え?……あ」
藍さんの甘い囁きに、自然と体から力が抜ける。やがて互いの吐息がかかるほどの距離になり、唇と唇の間がみるみる無くなり、そして私は……白い世界に放り込まれた。
○○○○○
くちゅんっ! ごそごそ……。
「あら、てゐ? 何か探しているの?」
「ああ、お師匠様。この辺にあった酒を知りませんか?」
「ええ、知ってるわよ。『隙間殺し』でしょう。そこに無造作に転がってたから片付けようと思ったんだけど、でもあれ、私が知っているものよりも少し濁っていたのよね。だからあげちゃったわ……昼間来た天狗に。……やっぱりあげない方が良かったかしら?」
「あげちゃったんですか? いやぁ、その、何と言うか……まあいいか。多分死にはしないし……」
「あなた、何か毒でも混ぜていたの?」
「いえいえ、とんでもない。ほんのちょっと、鈴仙が作ってた謎の薬を……やっぱり全部だったかな? あ、でも封はきちんとしておいたので大丈夫ですよ」
「ふふっ、それなら安心ね」
「鈴仙も、誰に使うつもりだったんでしょうねえ」
「ほんとに。こそこそと何をやってるかと思えば……」
「……ふふふ」
「……うふふふ」
――まったく、何て黒い会話をしているのよ。永琳たら、なかなか来ないから呼びに来てみれば……
○○○○○
「よろしい、ならば夜這いだ! 待っていてくれ可愛い子鼠よ!」
「……行ってしまったわ。明日は修羅場かしら。怖いわね、お酒って。……お酒って。ふふっ」
カシャッ。シャッター音が闇の中へと溶けてゆく。まばゆい閃光に誰も気がつかないのは、無意識の為せる業か。
――御苦労さま。またいつでも遊びにおいでなさい
――うん。またねー
○○○○○
ふと目覚めるとそこは自分の部屋であった。外を見るとまだ夜が明けたばかりのようだ。どうやら普段着のまま布団で眠っていたらしい。
なんだか変な気分だ。胸がもやもやとする。昨晩のことを思い出そうとするが、どうも記憶が曖昧だ。神社の宴会に行ったことは覚えているが、……珍しく飲みつぶれたのだろうか? だとすると、誰かがここまで運んできてくれたことになる。まあ、どうせ隙間妖怪あたりだろう。しかし彼女がただの親切で運んでくれる筈がない。どうも何か引っかかる……。
けれどこれ以上考えていても仕方がない。昨日の取材で撮った写真を現像してしまおう。確か昨日は永遠亭の薬師に……。
考えながら昨日机の上に置いておいたカメラを手に取……ろうとしたが、壁に掛っていた。おかしいな、机に置いたつもりだったけど。とにかく、カメラを持って真っ暗な部屋に入ってゆく。
○○○○○
「神奈子、何か言う事は?」
「ち、違うんだ! これは……」
地に伏す神奈子様を見下し、睨みつけるようにして問い詰めている諏訪子様。神奈子様は言葉に詰まり、ただ諏訪子様にすがるような視線を向ける。少し離れて見ている私にとってはたったの数秒、しかし神奈子様にとってはおそらく長い長い沈黙の後、諏訪子様はふいに険しい表情を崩して心から湧きあがるような優しい笑みを浮かべた。
「……ふふっ、冗談だよ。私は心が広いからね。それに、私と神奈子の仲じゃないか。いつだって信じてるよ。……そうだ、私はちょっくら出かけてこないと」
「あ、ああ。そうか……どこに行くんだ?」
「地底。デートにね」
――まったく、諏訪子様も意地が悪い。でも今回は神奈子様の自業自得です
「諏訪子ー! わ、私が悪かった! お願いだ、戻ってきてくれ!」
○○○○○
「な、なんでこんな写真が入っているの!」
現像し終えた写真を確認していると、一枚だけ覚えのない……いや、覚えはありすぎる、たった今すべて思い出した、しかし入っているはずの無い写真が紛れ込んでいた。
そこには頬に朱がさしている八雲藍が、こちらは見事なまでに顔一面を真っ赤にして潤んだ瞳の私の顎を指で僅かに上に向け、互いの鼻が触れるほどに顔を近づけ……しかし二人の唇を隠すように緑の葉が一枚、わざとらしく自然に宙に浮いている。
瞬時に昨晩の出来事が頭の中によみがえる、と同時にからだ全体が茹であがる。一度思い出してしまうともう冷静に立っていることが出来ず、蒲団に倒れ伏して見悶える。胸が高鳴り、額に汗がにじむ。
ああ、藍さん、私の心に割り込まないでください。私は身も心も霊夢さんものだというのに、なぜこんなにも切ないのか。目を閉じると藍さんの甘い囁きがよみがえり、まぶたの裏には妖しい表情が映る。
……これは風邪だ。風邪のせいに決まっている。だからこんなにも身体が熱いのだ。霊夢さん……看病に来てくれないかなぁ……霊夢さん……
○○○○○
「藍、あなたってああいうタイプが好みだったのね」
「……お願いします。昨夜のことは、どうか忘れてください。……忘れさせてください」
「ふふふ、可愛い子。……食べちゃおうかしら」
○○○○○
昼下がりの博麗神社。昨晩の宴会の跡は既にすっかりと片付けられている。穏やかな夏の陽気の中、畳の上に寝転がりだらしなく口元を緩めて眠っている少女が一人。楽しい夢でも見ているのか、幸せオーラに満ち満ちている。その脳裏に映るのは一体何だろうか……。
「……もう……むにゃ、髪飾り、まがって……」
あっちこっちで何を言ってるんだww
いやぁ、いろんな視点が面白かったです。
>>けやっきー 様
困ったらとりあえず押し倒しとけ、って上白沢先生が言ってました。
>>奇声を発する程度の能力 様
ありがとうございます。とても励みになります。
>>3. 様
あとがきも作品の一部。結構色々と考えて書いています。なので笑って頂けたら何よりです。