「おやまぁ、一体なんだってんだい」
勇儀は目を丸くした。
井戸の周りに、何やら妖怪が集まっている。
一人は古明地さとり。井戸を挟んでその反対側では、彼女のペットたちが皆して泣いている。
「古明地。あんた、一体なにをしている?」
勇儀の問いに、腕組みしたまま険しい表情のさとりは説明してやった。
「いえね、妹とペットがイタズラをしたものですから。きついオシオキをしているのですよ」
オシオキといえども、ペットたちは井戸の前で泣いているだけ。そして妹の姿もない。
勇儀は首をひねる。心中を察し、さとりは答える。
「首謀者はこいしでしたから、あの子に一番きついオシオキをしているのです」
「うわーん。許しておくれよ、さとり様ー」
お燐が泣きながら主人に許しを乞うている。続いて隣のおくうが泣き喚く。
「早く引き上げないと、こいし様が死んじゃうよー」
そこで勇儀は漸く気づいた。さとりは、こいしを井戸に浸けているのだ。
「おいおい、妹に対して酷い事をする」
「当然の事です。私の大事なクッションをああもしてくれたのだから」
鬼は彼女の肩を叩くと、諌めるように言った。
「早く上げておやりよ。そうしないと、妹は溶けちまうよ」
「溶けるもんですか。窒息ならまだしも」
かれこれ、一時間はこいしを浸けていた滑車と縄がみしりと音を立てる。
さとりは漸く容赦して、おくうにそれを引き上げるように言った。
「さて、これで貴方達も反省したでしょう?」
ペットたちの頷くのを見て、さとりは満足気に胸を張る。
彼女が満足したのだから、彼女たちは心の奥底から反省したのだろう。
やがて、釣瓶が井戸の底から引き上げられる。
「あら?」
「おやおや」
そこには、水をたっぷりと汲み上げた釣瓶しか無かった。
さとりの妹、こいしの姿はどこにもない。
「あーあ、だから言ったろう? ここの井戸は強酸性なんだよ」
勇儀は言わんこっちゃないと目に手を当てる。
お燐とおくうを始めとして、ペットたちはまた泣き始めた。
「こいし様が、溶けちゃった!」
釣瓶には唯一、こいしの第三の目とそれに纏わり付く管が引っ掛けられていた。
今は固く閉ざされて、その機能を失った痕跡器官。
さとりは、それを手にとって井戸の底を見つめる。
◇ ◇ ◇
「古明地。このたびは、不幸な事故だったねぇ」
勇儀は訪れる慰問客に挨拶をする喪主を労った。
葬式は思いのほか妖怪たちが集まり、大規模なものになる。
故人を偲ぶ気持ちよりは、何かのお祭りのように浮かれて騒がしいのが地底の葬式らしかった。
「本日はご臨席頂きまして、誠にありがとうございます」
喪主の静かな声で始まった葬式は、やがて地上から呼んだ尼僧によって執り行なわれる。
お経など誰も聞いていないし、焼香は七割の妖怪が口にして「不味いコレ」と愚痴った。
「それでは、次に火葬です」
幸いにしてここは旧地獄。死体を燃やす火力なら十分にある。
だが問題は、燃やす死体がないという事だ。
「どうしますか?」
「しょうがないわ、これを燃やすしか……」
手に持たれたのは、第三の目とそれに纏わり付く管。
おくうは一生懸命に火力を上昇させて、主がやってくるのを待っている。
「これはあたいの仕事だからね」
お燐は悲しそうな目で第三の目と付随品を握り締める。
そして焼かれたそれは、何の残りカスも残さない。
あっけないお葬式はこうして幕を閉じる。
◇ ◇ ◇
「困ったわ、お骨がない」
墓に入れる骨がないのだ。
第三の目は、さっき跡形もなく燃やし尽くしてしまったのだから。
「それじゃあ、これはどうですか?」
お燐が持ってきたのは、バケツに移しかえられた水である。
それは井戸から組み上げられてきた釣瓶に入っていたこいしの水だ。
「仕方が無いわ。これを骨壷に注ぎましょう」
一見何の変哲もない水も、きっと妹の全てが溶け込んだ水なのだとさとりは思う。
液体に満たされた骨壷に蓋をして、それを尼僧へと渡す。
「それでは、これから納骨式を行います」
妖怪に墓はない。
ではどこに納骨すれば良いのか。
「井戸へ行きましょう」
さとりは静かに言った。
◇ ◇ ◇
「待ってよ、お姉ちゃん!」
骨壷を両手で抱えたさとりの前に、こいしが立ちはだかる。
「こいし様が生き返った!」
おくうの喜びの声に、さとりは骨壷を地面に置いてこいしを凝視する。
「本当に、こいしなの?」
「当たり前よ! 私が溶けるわけないでしょ!」
こいしは頬をふくらませながら姉と参列者たちの方へと歩み寄る。
「大変だったわ、釣瓶から落ちて冷たい水の中を延々と泳ぐのは」
彼女の髪の毛はまだ、濡れていた。
「そうそう、お姉ちゃん。井戸の中に私の目を忘れてきちゃった。知らない?」
お燐はとおくうは言いづらそうにしている。
だが、さとりは平気で告げた。
「ああ、あれ。死んだと思ったから火葬しちゃったわ」
その瞬間、こいしは目を見を開いてわなわなと震え始めた。
「なんて事を……あれは、私だったのに」
こいしは溶けてしまった。
地面一帯に、湯気を立てる水たまりが出来る。
「こいし様が溶けちゃった!」
「なんてこと! こっちが本物のこいし水だったのね!」
さとりは骨壷から水を捨てると、慌てて地面に広がったこいし水を手で掬いあげる。
そして少しずつ骨壷の中に入れていく。
「何をぼさっと見ているの、貴方達も手伝いなさい」
主に叱責されて、ペットたちも慌てて水をかき集めた。
◇ ◇ ◇
「夢か」
さとりは目が覚めると呟いた。
随分とシュールレアリズムな夢を見ていたと、自分でも可笑しくなる。
「さとり様、遅刻してしまいますよ」
お燐に急かされるとは自分らしくもないと自嘲する。
彼女は骨壷を抱えると、地霊殿を出発した。
「それにしても、どうして井戸なんですか?」
お燐は気になって尋ねる。
骨壷に目を落としながら、彼女は丁寧に教えてやる。
「あの井戸は地底全体に水脈を広げているの。それは、外の世界まで繋がっている」
「そうだったんですか、すごいですね」
大量の卒塔婆を抱えながら、おくうが感心する。
「あそこに、このこいし水を混ぜてあげれば。こいしは希釈されてあっという間に世界に広がっていく」
「なるほど、こいし様が形を変えて私たちを見守って下さるのですね」
お燐は感動で咽び泣いた。おくうも手に力を込めて泣き喚き、卒塔婆が何本かへし折れた。
そうしてようやく、井戸の前についた。
「これでお別れよ、こいし」
古明地さとりは、井戸の中にこいし水を注ぎ込んだ。
第三の目以外の妹の全てを、その穴蔵の中に注ぎこむのだ。
「わぁー、全世界に広がっていけ、こいし様」
「さとり様、この木の板って何に使うんですか?」
「それはこの井戸に蓋をする為の材料よ」
さとりは卒塔婆を井戸の上に置いていく。
まるで風呂に蓋をするように、その穴は塞がれた。
「永遠に、こいし」
◇ ◇ ◇
「古明地。墓参りかい?」
勇儀は宴会の帰りに、井戸の脇に立つ覚り妖怪に声を掛ける。
「ええ、そういうものです」
酒で上気した顔を扇子で煽りながら、勇儀は懐かしそうに目を細める。
「後追い自殺なんて馬鹿だねぇ。それに当の先人が、実は生きてましたってんだから」
「自殺……そうですね」
勇儀は「何か言ったかい?」とこいしの顔を見る。
だが無言のままの彼女を見て、興が醒めたのか鼻歌混じりに帰っていく。
「お姉ちゃん、いただきます」
引き上げた釣瓶から一口、井戸の水を啜る。
世界中に希釈されてしまった姉を、彼女は自らの自我から汲み上げる。
彼女の胸には、新しい第三の目が爛々と輝いていた。
お燐?
うーむ…何か凄かった…
はたまた、何か考えなくちゃいけないとこがあったり。
この雰囲気、読んでて何故かワクワクできました。
夢って一体どこまでが夢だったのか
あ、こいし水ドラム缶一杯分買わせてください