「あ~……つ~……い~……」
うだるような暑さの中、響く声もずいぶんとへたっているような気がします。
「クーラーほしいー……」
足をぱたぱたさせながら、そんなことを呻いています。
「アイス食べたいー……」
仰向けになって、上着の裾をまくりあげてぱふぱふしながら、そんなことをうなっています。
「暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑いー!
クーラー、アイス、クーラー、アイス、クーラー、クーラー、クーラー!」
……ついに癇癪を起こしたようです。
はぁ、とため息を一つついて、
「……諏訪子さま、申し訳ありませんが、我慢して頂けませんか?」
「無理! 暑い! クーラー!
あ、そうだ、早苗! クーラー買いに行こう、クーラー!」
「そんなのありませんよ」
「やーだー! クーラー、クーラー、クーラー!」
ないとわかると余計に欲しくなるのが人間の常と言いますか……まぁ、この方は人間じゃありませんけど、それはさておいて……より一層、じたばた暴れだす諏訪子さまには辟易してしまいます。
ああ、もう……お腹丸出し、下着丸見えで暴れないで下さい……。
「何でクーラーないの!? ここ!
っていうか、何で持ってこなかったの、早苗!」
「電気設備がないから仕方ないじゃないですか」
『暑いケロー。クーラーがないと干からびて死んじゃうケロー』
「腹話術やっても無駄ですよ」
つくづく、あの帽子は一体どんな仕組みになってるんでしょうか。
いつもかぶってる帽子をぱくぱくさせる諏訪子さまに、ちょっと疑問点。
とはいえ、どんなに暴れられてもわがままを言われても、ないものは仕方ないわけで。というか、私達の暮らす、この神社周辺は、この辺り一帯でも標高の高いところにあるのだから、風が吹けば充分涼しい……はずなのですが……。
「あー、もう我慢できない! 天界の連中に掛け合って、雨を降らせてもらってくる!」
「やめてください、諏訪子さま!」
そんな個人的な理由で天界にケンカを売られたら、また霊夢さんに「あんたら幻想郷で余計なトラブル引き起こすんじゃない!」ってどつかれるんですから!
そんな、私の必死の説得もなんのその。いざゆかん、と開け放たれたままの障子から飛び出そうとする諏訪子さまに、
「諏訪子、早苗! ちょっとは静かにしなさいっ!」
……まさしく、文字通りの雷が落ちました。
一瞬、しーん、と静まりかえる私たちの前に現れたのは、いわずもがな――、
「全く……。
諏訪子、あんたには神としての威厳と自覚はないの!? クーラークーラー、って俗的なもので騒いで! 心頭滅却しなさい!」
「神でも無理なもんはむーりー。
っつか、神奈子、あんた暑苦しいし。第一、クーラーあった方がいいじゃん。早苗だって、ほーら、額に汗かいてる」
「早苗、あなたも。
仮にも神おわす社に仕えておきながら、この程度のことで取り乱すなんて。修行が足りない!」
「……それって私のせいじゃ……」
「口答えしない!」
「は、はい! ごめんなさい!」
いつも通りの、怒れる神奈子さま登場。
飄々として神奈子さまの怒りのボルテージを引き上げる諏訪子さまと、へこへこしてしまう私と。何だかとっても対比的な存在になっているのはなぜでしょうか……。
「夏は暑いものと相場が決まっているでしょう!
こんなところでだらだらしてないで、久方ぶりに布教にでも行って、信仰を集めてきなさい!」
「えー? 暑いからやだー」
「諏訪子、あんたは早苗の手伝い! わかった!?」
「べー」
「早苗、行って来なさい。
ついでに、何か買い物があったのでしょ? 一緒にこなしてきなさい」
「……は、はい」
「さあ、ほら! つべこべ言わず、行く! いいわね!?」
「ぶー」
「……はい」
……というわけで、諏訪子さまのとばっちりで怒られる私でした。しくしく……。
「っていうかさー、この暑いのに信仰も何もないと思わない? あー、やだやだ」
「まぁ、そう仰らずに。頑張りましょう、ね?」
「早苗は健気だねぇ。
現代の都会っ子ほど、こんな田舎の暮らしなんて耐えられないだろうにさ」
「そんなことないですよ」
諏訪子さまは『暑い』と騒いでいるけれど、実際はそんなに暑いとは感じない。アスファルトに覆われたコンクリートジャングルと、自然がそのまま残ってるこの幻想郷と。同じ気温であるのかもしれないけれど、こっちの方がずっと涼しいのは事実なわけで。
少なくとも、『気温』という面から見れば、今の環境の方がずっと過ごしやすかった。
「だけどさー、今日は気温38度だよ。真夏日だよ、真夏日」
「あれ? 38度って猛暑日じゃありませんでした? そもそも、どうやって気温を?」
「あれ。真夏日でしょ」
「いえ、猛暑日ですよ」
そして、どうやって気温を知ったのやら?
しばしの沈黙の後、諏訪子さまは「ま、いっか」と話題を打ち切ってしまいました。
「神奈子の奴も、あんなに目くじら立てなくてもいいのにねー。
自分だって暑いくせに、あんながっつり着込んだりしてさ」
また上着の裾をぱたぱたさせながら、諏訪子さま。
……だから、人目のあるところでそういうことをするのはやめて欲しいのですが。言っても多分、聞いてくれないんだろうなぁ、と思ってため息。
「で、どうする? ほんとに信仰集め、やるの?」
人里にやってはきたものの、さて、どうしようかと言わんばかりに諏訪子さまは訊ねてくる。
……まぁ、やってきた以上、何らかの活動をしないと仕方ないわけなのですけど……。
「ん? 何これ」
その時、諏訪子さまが、足下に落ちていた紙を拾い上げた。
その中身を一読して、目をきらきらと輝かせる。
「早苗、早苗! ほら、これ! 喫茶店のオープン記念でソフトクリームが半額だってさ!」
「ソフトクリームですか」
……いいですねぇ、ソフトクリーム。こんな暑い日にぺろりと一口したら……。
「ほーら、早苗だって、やっぱ暑いんじゃん」
「うっ……」
思わず、その涼味を想像して顔の筋肉が緩んでしまう。それを見逃さない諏訪子さまが、にやにや笑いを浮かべながら指摘してきた。
「よっし、けってーい! 布教活動は喫茶店!」
「あ、ち、ちょっと諏訪子さま……!」
「それ行けー、ソフトクリーム!」
……ああ、もう。
わかってはいたことだけど、私じゃ諏訪子さまは止められない。この人の自由奔放なところと、突拍子もない行動力には、とてもじゃないがかなわない。
「……と?」
その時、一陣の風が吹いた。
あまりにも唐突なそれに驚いたのか、諏訪子さまがぴたりと足を止めて、風の源に目を凝らす。
「あ、何だ。天狗じゃん」
「何だとは何よ、もう」
「あ、こんにちは。は……」
「ほたてさん」
「誰がほたてよ、はたてよ、はたて!」
「わかったわかった、ほたてさん」
「きーっ! あんた、わざと言ってるでしょ!?」
……お願いですから、周囲の人と、余計な軋轢作らないで下さい、諏訪子さま……。にししし、って笑わないで下さい……。
「あ、あの、はたてさん。どうかなさいましたか?」
相手がいぢれる相手だととことんいぢる諏訪子さまの口をふさいで後ろに回し、やんわりと訊ねる。
はたてさんは、手に持った風扇を、とりあえず収めてから、
「……別に用事なんかないわよ。
ただ、ちょっとね」
そんな彼女は、手に、何かを持っている様子。何だろうと、少しだけ目を凝らした私の横を、すっと駆け抜ける黒い影。
……って、まさか。
「おー! ソフトクリームのタダ券ー!」
「なっ!? あんた、いつのまに!?」
「あああああああああ!」
……やっぱりか、この人は!
小柄ゆえの利点を活用し、私の拘束をすり抜け、はたてさんの手からそれを掠め取った諏訪子さまは、「一枚ちょうだい!」と、すでに複数枚がつづりになっているそれを切り取り、笑顔で言う。
「ダ、ダメよ、ダメ! それは、わたしの取材の成果なんだからね!」
「取材……?」
「そうよ。
あんた達が持ってる、そのチラシの店を取り上げて記事にしてやったのよ。そしたら『ありがとうございます』ってもらえたの」
……。
「何よ、その顔」
「え? あ、い、いえ! そんな、別に!」
「天狗のゴシップ新聞も、たまにはまともなこと書くんだなー、とかは思ってないよね。早苗」
「すっ、すすすす諏訪子さまっ!?」
「……あんたら、わたしにケンカ売ってるのね」
諏訪子さまに茶化されて、はたてさんのこめかみに青筋一つ。……まずい、相当怒ってる。
天狗の力の強さは幻想郷でもトップクラスって聞くし、いくら諏訪子さまが神様とはいえ、相当な騒動は避けられないわけで……。
そ、そんなことになったら、また霊夢さんに怒られてどつかれるぅっ!
「あっ、ああああの、はたてさんは、その、何をなさっていたんですか!? な、何か誰かを探していたようですけどっ!?」
「なっ……!?」
……あれ?
「ち、ちょっと! 誰が誰を探していたってのよ! じ、冗談やめてよね! あんた、ばっかじゃないの!?
わたしは別に、誰とは言わないけど、甘いものが好きなバカを探してたりとかしてないわよ! わかった!?」
……あの、薄情しちゃってますけど。
視線を、はたてさんの後ろに向ければ。『これはいいこと聞いた、きしししし』な顔をしている諏訪子さまが。
そのまま、諏訪子さまは大きく息を吸い込むと、
「あーっ! こんなところに特ダネがーっ!」
……叫びました。ええ、そりゃもう、幻想郷の端から端にまで聞こえるんじゃないかってくらい大声で。
そして聞こえる、きーん、という何かの音。
「黒の翼に望みを乗せてっ! 写せ、奇跡の特ダネスクープ! 幻想郷特急射命丸! 定刻通りに……って、おや、ほたてさん」
「誰がほたてかっ! はたてよ、は・た・て!」
「あはは、わかってますよ。ただ、からかっただけです。ほたてさん」
「射命丸ーっ!」
……時々、思うのですが。
このお二方にとって、このやりとりって、もはや基本どおりなのでしょうか。何かもう、ノリのよさとかボケとツッコミのテンポとかが教科書レベルに完成されてるのですが……。
「特ダネという声が聞こえたのですが。
何かあったのですか?」
「特ダネも特ダネだよ、ほら。美味しいソフトクリームがタダなんだよ」
「おお、いいですねー。私も食べたいですよ、夏は冷たいものが特に美味しいですから」
文さんと諏訪子さまのその会話に、二人の視界の外ではたてさんの表情が若干変化。
……なるほど。
「これさー、はたてが持ってたんだよね。で、一杯あるから、他の誰かに配ろうとしてたみたい」
「何と! それは珍しい!」
「ちょっ……! どういう意味よ、文!」
「私にもくださいよ~、ね? 友達じゃないですか~」
「は、はぁ!? 何で、わたしのライバルのあんたなんかにあげないといけないわけ!? あんた、暑さで頭が腐ったんじゃないの!?」
ぎゃいぎゃいかみつくはたてさんと、そのはたてさんを手玉に取ってる文さんと。
そのやり取りをしばらく眺めていると、
「……ったく。仕方ないわね。
言っておくけど、おごりなんだからね。わたしに感謝しなさい」
「はいはい、わかりましたわかりました」
「はい。勝手に持っていきなさいよ」
「まぁ、そういわずに。どうせなら一緒に行きませんか?」
「……べ、別にいいけど……」
「それはよかった」
はたてさんは文さんから顔を逸らして、何やらぶつぶつつぶやいて。
そうして、文さんが「先に行って列に並んできますね」と飛んでいってしまう。ややしばらくしてから、諏訪子さまが「行かないの?」と声をかけると、はたてさんは二枚、チケットをちぎって、諏訪子さまに手渡しました。
「……お礼」
「にひひ、どうもどうも」
「ちょっと! 何よ、その顔! 別に、あんた達に感謝なんてしないんだからね! わかった!?」
「はいはい、わかってますよー」
「ああ、むかつくっ! あんたのその顔、もう見たくないわっ! ふんだっ!」
騒ぐだけ騒いで、はたてさんは飛んでいってしまいました。心なしか、その横顔は、ちょっぴり嬉しそうだったな、なんて。
「人間じゃないけど、女ってのは、なかなか素直にならない生き物だよねぇ。
にししし」
「……もう」
「ほら、早苗、わたしらもいこ」
「わかりました」
「バニラにチョコにストロベリー♪ あ、ミントとかクランベリーソースとかもいいよね~」
歌いながら歩き出す諏訪子さま。
その後ろ姿を見ながら、思う。こういうところには、やっぱり、それなりの『片鱗』というものが出てくるんだな、と。
ちょっと過大な評価もしれませんけどね。
「ただいまー」
「あの、ただいま戻り……」
「遅い。もう外は暗くなってきてるわよ。うちの門限は、暗くなるまで、だったはずだけど」
「まったいいじゃん、神奈子~。
そんなに早苗が心配? 悪い虫がつかないか、とか」
「うるさい」
いつも通りに諏訪子さまをあしらって、神奈子さまの視線が、じろりと私に。
一瞬、びくっ、と背筋がすくんでしまうのだけど、「あの……」と声を上げる。
「何?」
「……その……ごめんなさい、神奈子さま。今日は……その……お仕事、サボってしまいました」
「ふぅん」
「それで……その……えっと……」
じれったいなぁ、と後ろから声がした。
途端、体が前に泳ぐ。バランスを崩した私を、神奈子さまが「危ない!」と抱きとめてくれた。
「こら、諏訪子! 早苗が怪我をしたらどうするの!」
「じれったいんだもん、早苗ってばさ」
「どういう意味?」
「その……ですね。諏訪子さまと一緒に、人里に、新しく出来た喫茶店に行って……そこで、ソフトクリームを食べてきて……」
えへへ、と笑いながら身を起こす。
神奈子さまは『あきれた』と言わんばかりの視線。その神奈子さまの前に、
「……それで、とても美味しかったので。神奈子さまにも、お一つ」
「……ふぅん」
「早苗が自分のお小遣いから買ったんだよねー。えらい、えらい」
後ろから茶化す諏訪子さまをじろりと一瞥してから、神奈子さまの視線が私に。その顔は厳しくて、思わず、体が堅くなる。
――ただし、
「……ったく。それなら、もう、怒るに怒れないわね」
よしよし、と。
その手は、私の頭に載っていた。
「このソフトクリーム、美味しい?」
「は、はい! すごく美味しかったです! 諏訪子さまなんて二つも食べたんですよ!」
「相変わらずね」
テーブルの上に載っている、お持ち帰り用のパックを一瞥して。
「諏訪子。あんた、何か知ってるでしょ」
「あ、ばれてーら」
え? と振り返った私の視線の先。
諏訪子さまが、私が持ち帰ってきたのと同じパックを持っていた。ただし、サイズは少しだけ、そちらの方が大きい。
「暑い中、二人とも頑張ってくるだろうなと思ったから。
あなた達、ソフトクリーム、好きだったでしょ?」
開いた箱の中に、ソフトクリームが二つ。同じ店の、同じもの。
視線がしばらく、そこで留まった。体が動かなかった。
「暑い中、並ぶの大変だったんだから」
「神奈子はほんと、素直じゃないよねー」
「うるさい。
さあ、二人とも、晩御飯作るから手伝いなさい。あと、早苗は、ソフトクリームを氷室に入れてきて」
「……はい」
「早苗?」
「わかりました!」
立ち上がった視界が、じんわりにじんでいた。うれし涙なんて、初めて流したような気がする。
二人はもちろん、何も言わなかった。
「神奈子ー、今日は冷やし中華ねー」
「ソフトクリームなんて食べて、散々、体を冷やしたんだから。今日はあったかいものよ」
「いいじゃん。神様は暑いも寒いも関係ないんだよ」
「言ってることが午前中と違う」
「わたしは過去は振り返らないのさ」
いつも通りのやり取りをしている二人にそっと頭を下げて。
私は一人、部屋を辞するのでした。
さて、それから数日後のこと。
「早苗」
「あ、はい。何ですか? 神奈子さま」
私の部屋に神奈子さまが訪れる。折しも着替え中だったので、ちょっとだけ、顔を赤くして返事。
「今日も暑いなって」
「そうですね」
「いつもの服じゃ、暑苦しいでしょ? だから、はい、これ」
「え?」
渡されたのは、ひらひらのワンピース。見た目にも涼しそうなそれを私に手渡して、「今日は一日、遊んできていいわよ」と神奈子さまは去っていった。
手渡されたそれは、ちょっと少女趣味かなと思ったけれど、
「……あ、かわいい」
袖を通して、姿見に映すと、なかなか私に似合っていた。
着替えをして、さて、どこへ行こうかなと鼻歌交じりに廊下を歩いていく。すると、視線の先に諏訪子さまが現れた。
「諏訪子さま。おはようございます」
「くぁ~……ん……おはよ」
……どうやら、今、起きた様子。ちなみに時刻は、我が家の起床時刻である朝の7時を遙かに回っている。いつもなら、神奈子さまの怒声が飛んでる頃だ。
「あれ? 早苗、何、その服」
「あ、似合いますか?」
「うん。似合ってるけど……」
「けど?」
「あんたも、神奈子のお下がりなんて着るんだね」
「……………………え?」
「それ、昔、神奈子が気に入ってたやつだよ」
そんじゃね、と朝はローテンションな諏訪子さまが視界から消えていく。
私の視線は、そのままゆっくり、下へ。ふりふりのワンピースへ。
……その日は一日、何だかとても寒かったような気がしました。
うだるような暑さの中、響く声もずいぶんとへたっているような気がします。
「クーラーほしいー……」
足をぱたぱたさせながら、そんなことを呻いています。
「アイス食べたいー……」
仰向けになって、上着の裾をまくりあげてぱふぱふしながら、そんなことをうなっています。
「暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑いー!
クーラー、アイス、クーラー、アイス、クーラー、クーラー、クーラー!」
……ついに癇癪を起こしたようです。
はぁ、とため息を一つついて、
「……諏訪子さま、申し訳ありませんが、我慢して頂けませんか?」
「無理! 暑い! クーラー!
あ、そうだ、早苗! クーラー買いに行こう、クーラー!」
「そんなのありませんよ」
「やーだー! クーラー、クーラー、クーラー!」
ないとわかると余計に欲しくなるのが人間の常と言いますか……まぁ、この方は人間じゃありませんけど、それはさておいて……より一層、じたばた暴れだす諏訪子さまには辟易してしまいます。
ああ、もう……お腹丸出し、下着丸見えで暴れないで下さい……。
「何でクーラーないの!? ここ!
っていうか、何で持ってこなかったの、早苗!」
「電気設備がないから仕方ないじゃないですか」
『暑いケロー。クーラーがないと干からびて死んじゃうケロー』
「腹話術やっても無駄ですよ」
つくづく、あの帽子は一体どんな仕組みになってるんでしょうか。
いつもかぶってる帽子をぱくぱくさせる諏訪子さまに、ちょっと疑問点。
とはいえ、どんなに暴れられてもわがままを言われても、ないものは仕方ないわけで。というか、私達の暮らす、この神社周辺は、この辺り一帯でも標高の高いところにあるのだから、風が吹けば充分涼しい……はずなのですが……。
「あー、もう我慢できない! 天界の連中に掛け合って、雨を降らせてもらってくる!」
「やめてください、諏訪子さま!」
そんな個人的な理由で天界にケンカを売られたら、また霊夢さんに「あんたら幻想郷で余計なトラブル引き起こすんじゃない!」ってどつかれるんですから!
そんな、私の必死の説得もなんのその。いざゆかん、と開け放たれたままの障子から飛び出そうとする諏訪子さまに、
「諏訪子、早苗! ちょっとは静かにしなさいっ!」
……まさしく、文字通りの雷が落ちました。
一瞬、しーん、と静まりかえる私たちの前に現れたのは、いわずもがな――、
「全く……。
諏訪子、あんたには神としての威厳と自覚はないの!? クーラークーラー、って俗的なもので騒いで! 心頭滅却しなさい!」
「神でも無理なもんはむーりー。
っつか、神奈子、あんた暑苦しいし。第一、クーラーあった方がいいじゃん。早苗だって、ほーら、額に汗かいてる」
「早苗、あなたも。
仮にも神おわす社に仕えておきながら、この程度のことで取り乱すなんて。修行が足りない!」
「……それって私のせいじゃ……」
「口答えしない!」
「は、はい! ごめんなさい!」
いつも通りの、怒れる神奈子さま登場。
飄々として神奈子さまの怒りのボルテージを引き上げる諏訪子さまと、へこへこしてしまう私と。何だかとっても対比的な存在になっているのはなぜでしょうか……。
「夏は暑いものと相場が決まっているでしょう!
こんなところでだらだらしてないで、久方ぶりに布教にでも行って、信仰を集めてきなさい!」
「えー? 暑いからやだー」
「諏訪子、あんたは早苗の手伝い! わかった!?」
「べー」
「早苗、行って来なさい。
ついでに、何か買い物があったのでしょ? 一緒にこなしてきなさい」
「……は、はい」
「さあ、ほら! つべこべ言わず、行く! いいわね!?」
「ぶー」
「……はい」
……というわけで、諏訪子さまのとばっちりで怒られる私でした。しくしく……。
「っていうかさー、この暑いのに信仰も何もないと思わない? あー、やだやだ」
「まぁ、そう仰らずに。頑張りましょう、ね?」
「早苗は健気だねぇ。
現代の都会っ子ほど、こんな田舎の暮らしなんて耐えられないだろうにさ」
「そんなことないですよ」
諏訪子さまは『暑い』と騒いでいるけれど、実際はそんなに暑いとは感じない。アスファルトに覆われたコンクリートジャングルと、自然がそのまま残ってるこの幻想郷と。同じ気温であるのかもしれないけれど、こっちの方がずっと涼しいのは事実なわけで。
少なくとも、『気温』という面から見れば、今の環境の方がずっと過ごしやすかった。
「だけどさー、今日は気温38度だよ。真夏日だよ、真夏日」
「あれ? 38度って猛暑日じゃありませんでした? そもそも、どうやって気温を?」
「あれ。真夏日でしょ」
「いえ、猛暑日ですよ」
そして、どうやって気温を知ったのやら?
しばしの沈黙の後、諏訪子さまは「ま、いっか」と話題を打ち切ってしまいました。
「神奈子の奴も、あんなに目くじら立てなくてもいいのにねー。
自分だって暑いくせに、あんながっつり着込んだりしてさ」
また上着の裾をぱたぱたさせながら、諏訪子さま。
……だから、人目のあるところでそういうことをするのはやめて欲しいのですが。言っても多分、聞いてくれないんだろうなぁ、と思ってため息。
「で、どうする? ほんとに信仰集め、やるの?」
人里にやってはきたものの、さて、どうしようかと言わんばかりに諏訪子さまは訊ねてくる。
……まぁ、やってきた以上、何らかの活動をしないと仕方ないわけなのですけど……。
「ん? 何これ」
その時、諏訪子さまが、足下に落ちていた紙を拾い上げた。
その中身を一読して、目をきらきらと輝かせる。
「早苗、早苗! ほら、これ! 喫茶店のオープン記念でソフトクリームが半額だってさ!」
「ソフトクリームですか」
……いいですねぇ、ソフトクリーム。こんな暑い日にぺろりと一口したら……。
「ほーら、早苗だって、やっぱ暑いんじゃん」
「うっ……」
思わず、その涼味を想像して顔の筋肉が緩んでしまう。それを見逃さない諏訪子さまが、にやにや笑いを浮かべながら指摘してきた。
「よっし、けってーい! 布教活動は喫茶店!」
「あ、ち、ちょっと諏訪子さま……!」
「それ行けー、ソフトクリーム!」
……ああ、もう。
わかってはいたことだけど、私じゃ諏訪子さまは止められない。この人の自由奔放なところと、突拍子もない行動力には、とてもじゃないがかなわない。
「……と?」
その時、一陣の風が吹いた。
あまりにも唐突なそれに驚いたのか、諏訪子さまがぴたりと足を止めて、風の源に目を凝らす。
「あ、何だ。天狗じゃん」
「何だとは何よ、もう」
「あ、こんにちは。は……」
「ほたてさん」
「誰がほたてよ、はたてよ、はたて!」
「わかったわかった、ほたてさん」
「きーっ! あんた、わざと言ってるでしょ!?」
……お願いですから、周囲の人と、余計な軋轢作らないで下さい、諏訪子さま……。にししし、って笑わないで下さい……。
「あ、あの、はたてさん。どうかなさいましたか?」
相手がいぢれる相手だととことんいぢる諏訪子さまの口をふさいで後ろに回し、やんわりと訊ねる。
はたてさんは、手に持った風扇を、とりあえず収めてから、
「……別に用事なんかないわよ。
ただ、ちょっとね」
そんな彼女は、手に、何かを持っている様子。何だろうと、少しだけ目を凝らした私の横を、すっと駆け抜ける黒い影。
……って、まさか。
「おー! ソフトクリームのタダ券ー!」
「なっ!? あんた、いつのまに!?」
「あああああああああ!」
……やっぱりか、この人は!
小柄ゆえの利点を活用し、私の拘束をすり抜け、はたてさんの手からそれを掠め取った諏訪子さまは、「一枚ちょうだい!」と、すでに複数枚がつづりになっているそれを切り取り、笑顔で言う。
「ダ、ダメよ、ダメ! それは、わたしの取材の成果なんだからね!」
「取材……?」
「そうよ。
あんた達が持ってる、そのチラシの店を取り上げて記事にしてやったのよ。そしたら『ありがとうございます』ってもらえたの」
……。
「何よ、その顔」
「え? あ、い、いえ! そんな、別に!」
「天狗のゴシップ新聞も、たまにはまともなこと書くんだなー、とかは思ってないよね。早苗」
「すっ、すすすす諏訪子さまっ!?」
「……あんたら、わたしにケンカ売ってるのね」
諏訪子さまに茶化されて、はたてさんのこめかみに青筋一つ。……まずい、相当怒ってる。
天狗の力の強さは幻想郷でもトップクラスって聞くし、いくら諏訪子さまが神様とはいえ、相当な騒動は避けられないわけで……。
そ、そんなことになったら、また霊夢さんに怒られてどつかれるぅっ!
「あっ、ああああの、はたてさんは、その、何をなさっていたんですか!? な、何か誰かを探していたようですけどっ!?」
「なっ……!?」
……あれ?
「ち、ちょっと! 誰が誰を探していたってのよ! じ、冗談やめてよね! あんた、ばっかじゃないの!?
わたしは別に、誰とは言わないけど、甘いものが好きなバカを探してたりとかしてないわよ! わかった!?」
……あの、薄情しちゃってますけど。
視線を、はたてさんの後ろに向ければ。『これはいいこと聞いた、きしししし』な顔をしている諏訪子さまが。
そのまま、諏訪子さまは大きく息を吸い込むと、
「あーっ! こんなところに特ダネがーっ!」
……叫びました。ええ、そりゃもう、幻想郷の端から端にまで聞こえるんじゃないかってくらい大声で。
そして聞こえる、きーん、という何かの音。
「黒の翼に望みを乗せてっ! 写せ、奇跡の特ダネスクープ! 幻想郷特急射命丸! 定刻通りに……って、おや、ほたてさん」
「誰がほたてかっ! はたてよ、は・た・て!」
「あはは、わかってますよ。ただ、からかっただけです。ほたてさん」
「射命丸ーっ!」
……時々、思うのですが。
このお二方にとって、このやりとりって、もはや基本どおりなのでしょうか。何かもう、ノリのよさとかボケとツッコミのテンポとかが教科書レベルに完成されてるのですが……。
「特ダネという声が聞こえたのですが。
何かあったのですか?」
「特ダネも特ダネだよ、ほら。美味しいソフトクリームがタダなんだよ」
「おお、いいですねー。私も食べたいですよ、夏は冷たいものが特に美味しいですから」
文さんと諏訪子さまのその会話に、二人の視界の外ではたてさんの表情が若干変化。
……なるほど。
「これさー、はたてが持ってたんだよね。で、一杯あるから、他の誰かに配ろうとしてたみたい」
「何と! それは珍しい!」
「ちょっ……! どういう意味よ、文!」
「私にもくださいよ~、ね? 友達じゃないですか~」
「は、はぁ!? 何で、わたしのライバルのあんたなんかにあげないといけないわけ!? あんた、暑さで頭が腐ったんじゃないの!?」
ぎゃいぎゃいかみつくはたてさんと、そのはたてさんを手玉に取ってる文さんと。
そのやり取りをしばらく眺めていると、
「……ったく。仕方ないわね。
言っておくけど、おごりなんだからね。わたしに感謝しなさい」
「はいはい、わかりましたわかりました」
「はい。勝手に持っていきなさいよ」
「まぁ、そういわずに。どうせなら一緒に行きませんか?」
「……べ、別にいいけど……」
「それはよかった」
はたてさんは文さんから顔を逸らして、何やらぶつぶつつぶやいて。
そうして、文さんが「先に行って列に並んできますね」と飛んでいってしまう。ややしばらくしてから、諏訪子さまが「行かないの?」と声をかけると、はたてさんは二枚、チケットをちぎって、諏訪子さまに手渡しました。
「……お礼」
「にひひ、どうもどうも」
「ちょっと! 何よ、その顔! 別に、あんた達に感謝なんてしないんだからね! わかった!?」
「はいはい、わかってますよー」
「ああ、むかつくっ! あんたのその顔、もう見たくないわっ! ふんだっ!」
騒ぐだけ騒いで、はたてさんは飛んでいってしまいました。心なしか、その横顔は、ちょっぴり嬉しそうだったな、なんて。
「人間じゃないけど、女ってのは、なかなか素直にならない生き物だよねぇ。
にししし」
「……もう」
「ほら、早苗、わたしらもいこ」
「わかりました」
「バニラにチョコにストロベリー♪ あ、ミントとかクランベリーソースとかもいいよね~」
歌いながら歩き出す諏訪子さま。
その後ろ姿を見ながら、思う。こういうところには、やっぱり、それなりの『片鱗』というものが出てくるんだな、と。
ちょっと過大な評価もしれませんけどね。
「ただいまー」
「あの、ただいま戻り……」
「遅い。もう外は暗くなってきてるわよ。うちの門限は、暗くなるまで、だったはずだけど」
「まったいいじゃん、神奈子~。
そんなに早苗が心配? 悪い虫がつかないか、とか」
「うるさい」
いつも通りに諏訪子さまをあしらって、神奈子さまの視線が、じろりと私に。
一瞬、びくっ、と背筋がすくんでしまうのだけど、「あの……」と声を上げる。
「何?」
「……その……ごめんなさい、神奈子さま。今日は……その……お仕事、サボってしまいました」
「ふぅん」
「それで……その……えっと……」
じれったいなぁ、と後ろから声がした。
途端、体が前に泳ぐ。バランスを崩した私を、神奈子さまが「危ない!」と抱きとめてくれた。
「こら、諏訪子! 早苗が怪我をしたらどうするの!」
「じれったいんだもん、早苗ってばさ」
「どういう意味?」
「その……ですね。諏訪子さまと一緒に、人里に、新しく出来た喫茶店に行って……そこで、ソフトクリームを食べてきて……」
えへへ、と笑いながら身を起こす。
神奈子さまは『あきれた』と言わんばかりの視線。その神奈子さまの前に、
「……それで、とても美味しかったので。神奈子さまにも、お一つ」
「……ふぅん」
「早苗が自分のお小遣いから買ったんだよねー。えらい、えらい」
後ろから茶化す諏訪子さまをじろりと一瞥してから、神奈子さまの視線が私に。その顔は厳しくて、思わず、体が堅くなる。
――ただし、
「……ったく。それなら、もう、怒るに怒れないわね」
よしよし、と。
その手は、私の頭に載っていた。
「このソフトクリーム、美味しい?」
「は、はい! すごく美味しかったです! 諏訪子さまなんて二つも食べたんですよ!」
「相変わらずね」
テーブルの上に載っている、お持ち帰り用のパックを一瞥して。
「諏訪子。あんた、何か知ってるでしょ」
「あ、ばれてーら」
え? と振り返った私の視線の先。
諏訪子さまが、私が持ち帰ってきたのと同じパックを持っていた。ただし、サイズは少しだけ、そちらの方が大きい。
「暑い中、二人とも頑張ってくるだろうなと思ったから。
あなた達、ソフトクリーム、好きだったでしょ?」
開いた箱の中に、ソフトクリームが二つ。同じ店の、同じもの。
視線がしばらく、そこで留まった。体が動かなかった。
「暑い中、並ぶの大変だったんだから」
「神奈子はほんと、素直じゃないよねー」
「うるさい。
さあ、二人とも、晩御飯作るから手伝いなさい。あと、早苗は、ソフトクリームを氷室に入れてきて」
「……はい」
「早苗?」
「わかりました!」
立ち上がった視界が、じんわりにじんでいた。うれし涙なんて、初めて流したような気がする。
二人はもちろん、何も言わなかった。
「神奈子ー、今日は冷やし中華ねー」
「ソフトクリームなんて食べて、散々、体を冷やしたんだから。今日はあったかいものよ」
「いいじゃん。神様は暑いも寒いも関係ないんだよ」
「言ってることが午前中と違う」
「わたしは過去は振り返らないのさ」
いつも通りのやり取りをしている二人にそっと頭を下げて。
私は一人、部屋を辞するのでした。
さて、それから数日後のこと。
「早苗」
「あ、はい。何ですか? 神奈子さま」
私の部屋に神奈子さまが訪れる。折しも着替え中だったので、ちょっとだけ、顔を赤くして返事。
「今日も暑いなって」
「そうですね」
「いつもの服じゃ、暑苦しいでしょ? だから、はい、これ」
「え?」
渡されたのは、ひらひらのワンピース。見た目にも涼しそうなそれを私に手渡して、「今日は一日、遊んできていいわよ」と神奈子さまは去っていった。
手渡されたそれは、ちょっと少女趣味かなと思ったけれど、
「……あ、かわいい」
袖を通して、姿見に映すと、なかなか私に似合っていた。
着替えをして、さて、どこへ行こうかなと鼻歌交じりに廊下を歩いていく。すると、視線の先に諏訪子さまが現れた。
「諏訪子さま。おはようございます」
「くぁ~……ん……おはよ」
……どうやら、今、起きた様子。ちなみに時刻は、我が家の起床時刻である朝の7時を遙かに回っている。いつもなら、神奈子さまの怒声が飛んでる頃だ。
「あれ? 早苗、何、その服」
「あ、似合いますか?」
「うん。似合ってるけど……」
「けど?」
「あんたも、神奈子のお下がりなんて着るんだね」
「……………………え?」
「それ、昔、神奈子が気に入ってたやつだよ」
そんじゃね、と朝はローテンションな諏訪子さまが視界から消えていく。
私の視線は、そのままゆっくり、下へ。ふりふりのワンピースへ。
……その日は一日、何だかとても寒かったような気がしました。
はたてと文は甘いのを見てみたい。
ありがとう!
あ、タグはあった方が分かりやすいと思います。
>……あの、薄情しちゃってますけど。
白状かな? 誤字かと思いますので報告を。
持ってるペンは動輪ペンですね。
非想天則の会話見ると諏訪子様はなんとなくそんな性格のイメージが沸きますね。
タグはまあ、出演キャラだけでも、目安としてあれば嬉しいです。でも作者様の負担になるくらいなら別に無くても構わないとも思います。