「私、この名前に改姓するわ」
風呂上がりに、輝夜は永遠亭の面子に宣言した。
輝夜が恒例としている例の決闘から、丸一日以上が経過した時の事である。
竹林で倒れているところを偶然発見したメディスンによって、うつぶせのまま足を持たれて、地面を引きずられての帰還であった。
今回で、実に十五連敗。
ここまで負けが込んだのは、輝夜も初めての経験である。
「思えば、妹紅があの悪口を言うようになってからなのよね」
輝夜は、風呂で念入りに洗った髪の毛を二匹の妖怪兎に櫛でとかせている。
「なによ、『あほーらいさん』って。あまりにもセンスのない馬鹿馬鹿しい罵り方だから、言われた私も全身の力が抜けちゃうのだわ。きっと」
そういった輝夜はあくまでも真剣だった。
傍らには、八意永琳が、火照った輝夜の肌を浴衣の上から団扇で優しく冷ましていた。
「で、姫様。どんな名に?」
「ほら」輝夜は書き付けた和紙を皆に見せる。
「はあ。こ、これは……変えるのは、姓だけですか。名前は変えないのですね」永琳は、少し不機嫌そうにいった。
「ええ、今の『輝夜』の名は地上の大切な人に付けてもらった名だから。これは変えるわけにはいかないわ」
「でしたら、私に言ってくれれば、素敵でハイセンスな名字を考えたのに……」
永琳は心底残念そうなため息をつく。
「いえ結構よ。永琳の溢れんばかりの才能は是非とも薬のことに専念してもらいたいもの。ねっ、長耳イナバ?」
「えっ、何で私にふるんですか?」
「どうなの?!」
「ええ、はあ、まあ」鈴仙はそういうしかなかった。
「そうよね! やっぱり貴方もそう思う?」
輝夜はにこにこと微笑んだ。上機嫌で、髪を梳かせていた二匹の兎を下がらせる。
「じゃあ、いこっ。ピュアちゃん」
「まってよー、ポンちゃん」
ちなみにこの二匹、永琳によって「ピュアンデキシィ・イナバ」と「ポンジュリャマルテ・イナバ」という名前を与えられている。
――ええ、決して師匠のセンスがださいんじゃない。
あまりにも最先端過ぎて、誰もが二十万年くらい遅れているのよ、と鈴仙は心に言い聞かせた。
そしてその蓬莱人を仰ぎ見た。彼女も姫様と同様、とびきり最上級の笑顔で自分を見ている。
「うどんげ。あとで、貴方のトラウマをじっくりと『相談』する必要がありそうね」
「そんなあ」
彼女は思わず辺りを見回した。
だが、この部屋にいる者で彼女の味方になりそうな者は居なかった。
姫様は言わずもがな、隅っこにいるてゐは期待できないし、彼女とおしゃべりしているメディスンは事態を把握していないようだった。
「ミドルネームも付いてるんですね。で、どうしてこれに改姓するんですか?」
「わたしも気になるわ。とくに、この、名字の部分が」永琳が言った。
「ふふふ、それはね人間的に凶暴な強さを徹底的に追求したのよ」
「どういう事ですか?」
「モンゴル帝国は知ってるわよね? 馬と弓で、広大な領土を征服し、数多の国々をその欲望で攻め滅ぼした国。私はかれらにちなんた名字とした。本当は誰かのモンゴル武将の名字をそのまま使っても良かったんだけど、あの国は英雄に事欠かないから、迷っちゃったわ。特にチンギスハーンと四狗四駿は捨てがたいから」
「それで、この名字ですか。少し誤解してましたわ」永琳は言った。少し顔がこわばっている。
「そういえば、チンギスハーンは征服した王室の娘をオルドに送り込んだというわ。私も真似しようかしら。あ、いや、性的な意味じゃなく、藤原のあの娘を完膚無きまでに心身ともに屈服させる、という意味でよ」
勘違いしないでよね、と永琳に釘を刺す輝夜。
対する永琳は、自分に向けられた輝夜の人差し指の先を、ただただ見つめるだけであった。
「姫様、じゃあこのミドルネームはなんですか? 意味がありそうで、それでいて意味はなさそうなんですが……」鈴仙はいった。同じく、永琳も無言で首をひねっている。
「これはね。決闘への心積りを込めたの」
輝夜は、恒常的な人殺しの話を、まるで初恋の思い出話を語るように話す。
「私達は、数え切れないほど殺しあいをやってきたわ。何度も何度も、気が狂いそうになるくらい。その果てに気がついたの。私もあの子も、もはや憎しみなど関係ないことに。今となっては、あるのは只、純粋な殺意のみ。最も原始的で、純粋そのものの感情」
輝夜は開け放たれた障子越しに、空に浮かんだ月を見る。
「愉快ね。憎しみなど、月面にはない穢れの最たる物だというのに。極めれば、穢れは昇華する、とでも言うのかしら?」
「さあ、どうでしょうか」
「私も貴方も、元は月面の住人。ここらの地上の理屈は、まだ良く分からないわね」
輝夜は笑った。
「話を元に戻すと、私は純粋にあの娘に殺意がある。それこそ、あの娘が死ぬのなら、この命を何十回も捧げてもいいと思えるほどに。だから、こういうミドルネームというか屋号を付けたわ」
「そうだったんですか。わたしはてっきり――」
「でもね。私、永遠亭の皆や、永琳の命を引き替えにはしたくないと思った。私が捨てても良いと思える物は、せいぜい自分の命だけ。ふふ、やっすい代償ね」
輝夜は嗤った。
「姫様……」
「こらイナバ。しんみりとした声出さないの。お話はこれで終わり!」
そういった輝夜は、てゐを呼び寄せ、手紙を託した。
「予定日は明日の夜よ。あいつにあうのが今から楽しみだわ」
てゐが去った後、メディスンが心配そうに輝夜を見やる。
「ぐやさん、また闘うの? 嫌だよ。わたし、ぐやさんがゴミクズみたいにズタボロになって竹林に捨てられる姿なんか見たくないよ。永遠亭に残されたえーさんだって哀しくてえんえん泣いちゃうと思うよ?」
「安心なさい、メディ。そんなことには決してならないから」
輝夜は自信たっぷりに胸を張って見せたのだった。
~藤原 妹紅殿~
私と貴方の仲よ、変に形式張る事はやめにしましょう。
明日の夜、伺うわ。
そこで人間の最も原始的な感情をたぎらせましょう?
お互いの獣性を嫌と言うほど確かめ合うの。
貴方の都合なんか知らないわ。でも、尻尾を巻いて逃げ出す、なんてまねはしないで頂戴な。
あと、貴方の堅い炎の防御を突破する意気込みとして、私は改姓したわ。
新しい名前でもって、貴方に会いに行きます。
私のことを、いつもの輝夜、なんて侮っていたら、承知しないんだから。
最後に。
覚悟なさい。
あらあらかしこ
蒙古譚=相死=輝夜
風呂上がりに、輝夜は永遠亭の面子に宣言した。
輝夜が恒例としている例の決闘から、丸一日以上が経過した時の事である。
竹林で倒れているところを偶然発見したメディスンによって、うつぶせのまま足を持たれて、地面を引きずられての帰還であった。
今回で、実に十五連敗。
ここまで負けが込んだのは、輝夜も初めての経験である。
「思えば、妹紅があの悪口を言うようになってからなのよね」
輝夜は、風呂で念入りに洗った髪の毛を二匹の妖怪兎に櫛でとかせている。
「なによ、『あほーらいさん』って。あまりにもセンスのない馬鹿馬鹿しい罵り方だから、言われた私も全身の力が抜けちゃうのだわ。きっと」
そういった輝夜はあくまでも真剣だった。
傍らには、八意永琳が、火照った輝夜の肌を浴衣の上から団扇で優しく冷ましていた。
「で、姫様。どんな名に?」
「ほら」輝夜は書き付けた和紙を皆に見せる。
「はあ。こ、これは……変えるのは、姓だけですか。名前は変えないのですね」永琳は、少し不機嫌そうにいった。
「ええ、今の『輝夜』の名は地上の大切な人に付けてもらった名だから。これは変えるわけにはいかないわ」
「でしたら、私に言ってくれれば、素敵でハイセンスな名字を考えたのに……」
永琳は心底残念そうなため息をつく。
「いえ結構よ。永琳の溢れんばかりの才能は是非とも薬のことに専念してもらいたいもの。ねっ、長耳イナバ?」
「えっ、何で私にふるんですか?」
「どうなの?!」
「ええ、はあ、まあ」鈴仙はそういうしかなかった。
「そうよね! やっぱり貴方もそう思う?」
輝夜はにこにこと微笑んだ。上機嫌で、髪を梳かせていた二匹の兎を下がらせる。
「じゃあ、いこっ。ピュアちゃん」
「まってよー、ポンちゃん」
ちなみにこの二匹、永琳によって「ピュアンデキシィ・イナバ」と「ポンジュリャマルテ・イナバ」という名前を与えられている。
――ええ、決して師匠のセンスがださいんじゃない。
あまりにも最先端過ぎて、誰もが二十万年くらい遅れているのよ、と鈴仙は心に言い聞かせた。
そしてその蓬莱人を仰ぎ見た。彼女も姫様と同様、とびきり最上級の笑顔で自分を見ている。
「うどんげ。あとで、貴方のトラウマをじっくりと『相談』する必要がありそうね」
「そんなあ」
彼女は思わず辺りを見回した。
だが、この部屋にいる者で彼女の味方になりそうな者は居なかった。
姫様は言わずもがな、隅っこにいるてゐは期待できないし、彼女とおしゃべりしているメディスンは事態を把握していないようだった。
「ミドルネームも付いてるんですね。で、どうしてこれに改姓するんですか?」
「わたしも気になるわ。とくに、この、名字の部分が」永琳が言った。
「ふふふ、それはね人間的に凶暴な強さを徹底的に追求したのよ」
「どういう事ですか?」
「モンゴル帝国は知ってるわよね? 馬と弓で、広大な領土を征服し、数多の国々をその欲望で攻め滅ぼした国。私はかれらにちなんた名字とした。本当は誰かのモンゴル武将の名字をそのまま使っても良かったんだけど、あの国は英雄に事欠かないから、迷っちゃったわ。特にチンギスハーンと四狗四駿は捨てがたいから」
「それで、この名字ですか。少し誤解してましたわ」永琳は言った。少し顔がこわばっている。
「そういえば、チンギスハーンは征服した王室の娘をオルドに送り込んだというわ。私も真似しようかしら。あ、いや、性的な意味じゃなく、藤原のあの娘を完膚無きまでに心身ともに屈服させる、という意味でよ」
勘違いしないでよね、と永琳に釘を刺す輝夜。
対する永琳は、自分に向けられた輝夜の人差し指の先を、ただただ見つめるだけであった。
「姫様、じゃあこのミドルネームはなんですか? 意味がありそうで、それでいて意味はなさそうなんですが……」鈴仙はいった。同じく、永琳も無言で首をひねっている。
「これはね。決闘への心積りを込めたの」
輝夜は、恒常的な人殺しの話を、まるで初恋の思い出話を語るように話す。
「私達は、数え切れないほど殺しあいをやってきたわ。何度も何度も、気が狂いそうになるくらい。その果てに気がついたの。私もあの子も、もはや憎しみなど関係ないことに。今となっては、あるのは只、純粋な殺意のみ。最も原始的で、純粋そのものの感情」
輝夜は開け放たれた障子越しに、空に浮かんだ月を見る。
「愉快ね。憎しみなど、月面にはない穢れの最たる物だというのに。極めれば、穢れは昇華する、とでも言うのかしら?」
「さあ、どうでしょうか」
「私も貴方も、元は月面の住人。ここらの地上の理屈は、まだ良く分からないわね」
輝夜は笑った。
「話を元に戻すと、私は純粋にあの娘に殺意がある。それこそ、あの娘が死ぬのなら、この命を何十回も捧げてもいいと思えるほどに。だから、こういうミドルネームというか屋号を付けたわ」
「そうだったんですか。わたしはてっきり――」
「でもね。私、永遠亭の皆や、永琳の命を引き替えにはしたくないと思った。私が捨てても良いと思える物は、せいぜい自分の命だけ。ふふ、やっすい代償ね」
輝夜は嗤った。
「姫様……」
「こらイナバ。しんみりとした声出さないの。お話はこれで終わり!」
そういった輝夜は、てゐを呼び寄せ、手紙を託した。
「予定日は明日の夜よ。あいつにあうのが今から楽しみだわ」
てゐが去った後、メディスンが心配そうに輝夜を見やる。
「ぐやさん、また闘うの? 嫌だよ。わたし、ぐやさんがゴミクズみたいにズタボロになって竹林に捨てられる姿なんか見たくないよ。永遠亭に残されたえーさんだって哀しくてえんえん泣いちゃうと思うよ?」
「安心なさい、メディ。そんなことには決してならないから」
輝夜は自信たっぷりに胸を張って見せたのだった。
~藤原 妹紅殿~
私と貴方の仲よ、変に形式張る事はやめにしましょう。
明日の夜、伺うわ。
そこで人間の最も原始的な感情をたぎらせましょう?
お互いの獣性を嫌と言うほど確かめ合うの。
貴方の都合なんか知らないわ。でも、尻尾を巻いて逃げ出す、なんてまねはしないで頂戴な。
あと、貴方の堅い炎の防御を突破する意気込みとして、私は改姓したわ。
新しい名前でもって、貴方に会いに行きます。
私のことを、いつもの輝夜、なんて侮っていたら、承知しないんだから。
最後に。
覚悟なさい。
あらあらかしこ
蒙古譚=相死=輝夜
本当に大ちゃんがそのポーズをしている様にしか見えなくなったではないか。
GJなお話でした。
蒙古の英雄ならジャムカも捨てがたい気がします