※ この話はジェネリック作品集63、『妹紅、慧音に相談すること。』からの続きとなっております。
その訪問者は必ずと言って良い程、日が傾きかけた夕暮れにやってきます。
大股で歩く足音を廊下に響かせながら今日も彼女はやってきたようです。
「やあ阿求殿。邪魔するよ。」
襖から顔を覗かせた慧音さんは若干申し訳無さそうにしながらも、私にそう断って入ってきました。
「別に、私は構いませんよ。」
拒む理由もありませんが、そんな顔をされては余計断れません。
最早屋敷の女中達も案内をするだけ無駄だと悟るに至った程にここの所、熱心に通い続けている慧音さん。
いえ……熱心とはまた違う。だって彼女は何か私に聞きたい事があって来ている訳では有りませんから。
「…………。」
席に着くと同時に黙々と書類を片付けていく慧音さん。
私たちは並んで作業している訳でもなく、かと言って背を向けあっているわけでも有りません。
私からは横目で慧音さんの背中が見られる──そんなポジションで何時も彼女は作業をされます。
最初は来る度に出していた机も、今やそこに常置されてしまいました。
「今日は……どうでしたか、慧音さん?」
会話が無いのも寂しいと思い、他愛のない話題を振ってみました。
「今日? なに、何時もと変わらないさ。」
一瞬、手に持った筆を止めるだけで慧音さんはこちらを振り返ってはくれませんでした──変わらず、寂しい日々を送っていると言うことでしょう。
言葉よりもその煤けた背中が物語っているように感じました。
そんな慧音さんの背中を眺めるだけの日々がもう一月以上経ちます。
そう、あの時から、ずっと……。
『妹紅……もこう……。』
慧音さんが泣き咽びながら私の元へやって来たあの日……私は絶好のチャンスだと思いました。
ずっと妹紅さんに向いていた慧音さんの心を私に振り向かせるチャンスだと……。
だけど私は焦りすぎたのです。
寝室に連れ込んで組み伏せるようにして馬乗りになっても、慧音さんの口から零れるのは妹紅さんの名ばかり……私は結局、彼女を抱くのを断念しました。
あんな悲しそうに泣く慧音さんを無理やり抱き締めたところで、彼女はおろか私の心だって満たされはしないでしょう。
あれから一ヶ月。
今もきっと慧音さんが想っているのは妹紅さんただ一人なのでしょう。
その妹紅さんは永遠亭の姫君、輝夜さんと結ばれたそうです。
未練……慧音さんの心を縛り付けているのはきっとそれなのでしょう。
出なければ、あの強い慧音さんが未だ吹っ切れる事も出来ずこんな悲しそうな背中をしている筈が有りません。
ただ分からないのは、どうして私の所へ来るのかという事です。
最初は怒りに来たのかと思いました。
それぐらいの事はしてしまったという自覚が私にはありました。
むしろ、もう暫くは顔を合わせる事も出来ないと覚悟していたと言うのに、すぐ次の日から慧音さんは此処を訪ねて来たのです……。
だから説教でも頭突きでも甘んじて受けよう……そう思っていました。
しかし慧音さんはそんな素振りを一度も見せません。
寂しいだけかも知れない……しかしそれなら私で無くても、そう、よりによって私である必要が有りません。
それならばきっと理由がある筈……考えた末の答え、それは謝罪の言葉を待っているのではないかと言うことでした。
私から頭を下げて来るのをずっと慧音さんは待っていてくれている……正義感が強く情に厚い慧音さんならそう考えて──いえ、そうに違いないと私は踏んでいます。
だけど頭では分かっていても身体は思うように動いてはくれません。
怖いのです……拒絶されるのがどうしようもなく……。
しかしそんな事を言っていても話は一向に進みません。
私は振り絞ってもう何度目かも知れない勇気をもう一度、振り絞る事にしました。
「阿求……殿?」
「あっあのっ……! え? あっはい!」
び、びっくりしました。まさかこのタイミングで向こうから声を掛けてくれるとは……。
しかしよくよく考えてみると慧音さんから声を掛けてくれるなんて初めてかも知れません……って私は何を呑気に構えているのでしょうか……!
ひょっとしたらこれが最後の会話になってしまうかも知れないと言うのに……。
そう思うと再び恐怖心が蘇ってきました。
このまま慧音さんに喋らせて本当に良いのでしょうか?
その口から告げられる次の言葉がタイムリミットを告げるものではないと、どうして言い切れるでしょうか。
私は……! 私は一体どうしたら……!
…………もう手遅れですね。
今更じたばたしたところでなんの意味もないです。
時間ならあった筈なのだから……後はもう慧音さんの言葉を真摯に受け止める──それしか無いでしょう。
私は覚悟を決めました。
例えそれが今生の別れになったとしても……!
「結婚しよう……阿求殿」
「はい…………。」
……………………………………
……………………
…………
……え?
「い、今なんて?」
聞き間違いです、きっとそうです。
そうでなければ慧音さんの口から『結婚しよう』なんて告白まがいな言葉が発せられる筈がありません。
「……結婚しよう、と言ったんだ。そう何度も言わせないでくれないか?」
「そ、それじゃあまるで告白みたいじゃないですか!?」
「まるでも何も……私はそのつもりで言ったんだが……。」
信じられない──私の頭は未だかつて無い程の混乱状態に陥っています。
ここで言う『かつて』とは『阿礼』から続く私の記憶を指し、それすなわち何世紀にも及ぶ稗田家の歴史でもあってそしてそんな事など今はどうでも良くて!
そんな表情も変えずに淡々と告白する人が居ますか普通?
私だって乙女なんです!
それは確かに趣味がおっさん臭いなんて言われがちですが、稗田の乙女である事には違い有りません!
それなのに、それなのに何の感慨も無くサラッと──ん?
「……慧音さん、顔……赤く有りませんか?」
「うっ……つ、詰まらない事を一々指摘していないで、さっさと返事を貰えないだろうか?」
『私だって恥ずかしいのだから///』
という呟きを私は聞き逃しませんでした。
ひょっとして慧音さん、今までずっと告白する期を窺っていたんですか?──といけません。口を滑らせたばかりだというのに、私の中の探求心がまた余計な質問をするところでした……。
そんな事でどうするのです、阿求!
仮にも乙女を名乗るならこの状況、このシュチュエーションにあった答えを見つけられなくてどうするのです!
そう、慧音さんにこの溢れんばかりの想いを伝える最良の答え……それは──
「し、仕方ないですね。でも誤解しないでくださいっ……! 別に貴女の為なんかじゃないですからっ……!」
……………………す、滑った──!
よ、よりによってなんで私はツンデレなんかを選んでしまったのでしょうか!?
「ああ……それでも構わないさ。」
ここは素直に頷くだけで良かったものを今のは慧音さんだって流石に引く──え?
「ほ、本当ですか?」
「聞いているのは私の方だぞ? もちろん、両想いに越したことはな──」
「好きです! 愛してます! ずっーと前から! 具体的には初代から!!」
「──そ、それはどうも……///」
これ以上墓穴を掘る訳にはいかないので半ば自棄になって叫ぶ私にちょっぴり気圧されながらも照れた笑みを浮かべる慧音さん。
ああ……その微笑みはまるで女神のよう……幻想郷の神々はもっと彼女を見習うべきでしょう。
「そうと決まれば早速初夜です! さあ今度こそその美しき裸体を──」
結ばれた恋人達がする行為なんて一つしかありません……!
はやる気持ちを抑えきれず、私は立ち上がって慧音さんを寝室へと誘いました。
「こらっ!」
ゴツンっ!
「──いっ……いたひれす……。」
思わぬ制裁におでこをさすりながら慧音さんを見上げると憤然とした顔で腕組みをしていました。
「……物には順序というものがある……違うかな?」
「…………はい仰るとおりです……。」
逆らうなんて許さない、そんな威圧感を含ませた言葉にただただ頷くしかない私……だけどナニがいけなかったのか私にはさっぱり理解出来てませんが……。
だから素直に聞いてみることにしました。
「……なんだったら許して頂けますか?」
「…………キス、くらいなら///」
腕組みをしながら少しだけ考える素振りを見せて、慧音さんはそう言いました。
あの慧音さんからキスのおねだりなんて……これはもう辛抱溜まりませんっ!
「……ディープ?」
「フレンチっ……!」
怒る顔もまた可愛いと真っ赤になった慧音さんを見て思いました。
あっ、因みにディープキスとフレンチキスって同じ意味ですよ。
日本では誤解されがちですが、この場合、慧音さんが仰っているのは「ソフトキス」の事でしょう。
うまい具合に揚げ足を取って、その甘美であろう口内を余す事無くしゃぶりつくすのも吝かではありませんが……ここは空気を読むことにしましょう。
それはあくまで私の優しさであって何も嫌われるのが怖いとかそんなんじゃありませんよ?
…………絶対に違いますからね?
「はぁ……全く阿求殿は…………でもやっぱりこれくらいの悪ふざけがあった方が阿求殿らしいな……いや、それも全て私のせいか。本当にすまなかった。」
急に頭を下げる慧音さん……全くこの人は人が良いというかなんというか……。
私が言いたかったこと、先に言っちゃうんですから。
「謝らなければいけないのは私の方です。」
「? どうしてだ?」
「どうしてって……まさか覚えてないのですか?」
本当に心当たりが無いのか不思議そうに首を傾げる慧音さんに私はがっくりと肩を落としました……それじゃあ今までの苦悩は一体……。
「それで!……するのか、しないのか!?」
「も、もちろんします……!」
俯いていては折角のチャンスを不意にしてしまいます……やはりここは私がリードするつもりぐらいでいないと……!
大丈夫、自信はあります……!
こんなこともあろうとシュミレーション(という名の妄想)はバッチリしてきましたから!
そう意気込み張り切って顔を上げたものの想像を絶する事態に私は愕然としてしまいました。
──遠い!
こんなにも己の背の低さを呪いたくなったのは人生で初めてです……!
ああっ! 妄想の中の私はちゃんと慧音さんの顎に手が届いていたと言うのに……!
ひょいっ。
「ちょっ? えっ? 慧音さん??」
愕然としていた私でしたが不意に慧音さんによって抱きかかえられてしまいました。
突然の事にアタフタとしてしまいましたが、考えられる理由なんて一つしかありません。
「そ、それじゃあ……失礼するぞ?」
可愛いくらいに頬を染めながらそう尋ねて下さる慧音さんでしたが、私の方がよっぽど顔が赤いので答える余裕なんてありません。
恥ずかしいというよりは、もはや屈辱的と言ってもいい程にだがそれがいい。
「その……代りとかじゃないからな? あの夜から、私の頭の中は貴女の事ばかり──」
──なんだ、やっぱり覚えてたんじゃないですか。
熱暴走を引き起こした頭のどこかで私はそう思いました。
あの夜がどうして私の事を好きになってくれる理由になったのか皆目見当もつきませんでしたが、今はそんな事どうだって良いんです。
慧音さんが私を求めてくれている……ただそれだけが今の私の生き甲斐ですから。
ほら、見て下さいよ目を細め微笑を浮かべる彼女を……!
思わず見知らぬ誰かに自慢したくなりますよ。
彼女程の良妻はこの世には存在しないでしょうから。
そんな彼女が徐々に迫ってくるのに合わせて私の胸の高鳴りも強くなっていくようです。
「…………そろそろ目を閉じてくれても良いんじゃないのか?」
「そ、そうですね……!」
慧音さんに言われ慌てて目を閉じました。
視界が真っ暗になると余計にドキドキしてきます……。
ちゅっ。
終わってみれば本当にあっと言う間の出来事でした……。
目を開ければ俯いてこちらを見ようともしない慧音さんの姿が。
愛おしい……。
そんな安易な言葉しか出てこない自分が何とももどかしい。
だけど身体の内側から溢れてくれるようなこの幸福感にすぐに心が埋め尽くされていきます……。
そう──晴れて私達は念願のお付き合いをすることになったのです。
ああ……私はなんて果報者でしょう。
だけど一つだけ、不服に思うところがあります。
私、何時になったら降ろして頂けるのでしょうか?
キスをしてからずっと固まってる慧音さんに『たかいたかい』をされながら、そんな事を思う私でした。
ハッピーエンドで良かったと思いましたが慧音側の心境の変化とかがほしかったです。
次回作も楽しみに待ってます。
「結婚しよう……阿求殿」根本的なところで何かおかしいと突っ込みたくなった。
けどその後のあまりに自然なやり取りになんか自分のほうが間違ってるような気がしてきてどうでもよくなってきた。
3日ほど家を空ける……ああ、お疲れ様です(笑)
なにはともあれこれで稗田は安泰?だな!