人間は信用できない。もう嫌だ。吸血鬼だからなんだというのだ。襲わないって言ったのに、なのに……! あぁもう、早く館に帰ろう。ご飯冷めちゃうし。美鈴に八つ当たりキックでもしようかしら。
私が苛立ちを周囲に振りまきながら、歩く。
あぁ、飛べるんだった。飛ぼうかな。うん、飛ぼう。
軽く翼をはためかせていると、一人の人間が暗がりから近づいてきた。銀髪の綺麗な娘だった。
少女は問いを投げかけた。
「どうして、泣いているの?」
+++
「ん……」
私は図書館のソファーで目を覚ました。寝なれないところで寝たせいか、首がおかしな方向に曲がっている。捻ると、ゴリッ、っと骨の動く音がして、私の異常は解消された。
僅かな疼きを感じたその衝撃で、私の夢は完全に覚めた。
「どうして……、ねぇ……」
かすかに残る夢の残像を目で追いながら、私は再び睡魔に襲われる。
あぁ、眠い。もう一眠りしようか。
私がゆっくり瞼を下ろそうとしたとき、誰かが近づいてきた。不愉快だ。眠りを妨げられるのは、人間に恐れられないのと同じくらいに不愉快だ。
「レミィ。図書館で寝ないでね。小悪魔が怯えちゃう」
まどろみの中の声は、直接脳に響いてくるから嫌いだ。現実に無理やり引き戻されたみたいだ。
「あぁ、パチェね。うっかり不機嫌すぎて殺気出しそうになっちやった」
「出てたわよ、十分にね。眠るときはいつも出てる」
そうだったのか、気づかなかった。
「どうでもいいけどね、私は眠いのよ。だから寝るわ」
「あっそ」
呆れた様子で踵を反し、向こうのほうに歩いてゆく魔女の後姿に私はふと思った。
「……あのさ。パチェは寝ているときと、起きているとき、どっちが好き?」
「はぁ、ずいぶん突飛なクエスチョンね。……まぁ、当然起きてる時でしょうね」
「なんで?」
「寝るのは、馬鹿がすることよ」
「私はでも育ってないわ」
「胸とかね」
「うるさい」
その後も少々、私たちは戯言を続けた。先ほどまでは、不機嫌だったのに今は上機嫌だ。つくづく馴れ合いというものは恐ろしい。ついでに眠気も吹っ飛んだ。
私は適当に選んだ本を腕に抱え自室に戻った。
……少しふかふかすぎるソファーにもたれる。
「私は寝てるほうが好きだわ」
誰に話しかけるでもなく、呟く。
寝ている間は、何も考えなくていいから。
血の色とか、悲鳴とか、攻撃とか、脳内を駆けずり回るいやな妄想が断ち切られる。
イライラ、機嫌が悪かったとき、初めて寝てみた。起きて、感動した。
その頃くらいから、私は私に引きこもるようになった。
「……ん」
なんとなく目線を泳がせていたら、借りてきた本が視界に入った。
「読もうかなぁ」
ぺらぺらと、ページをめくる。自分の心音と、息遣いと、紙をめくる音が支配する空間。
「へぇ……」
世界の名言集らしい。またつまらないものを借りてきてしまったと、ため息をつく。
ぺら。
どくっ。 どくっ。
ぺら。
はぁ。 どくっ。
ぺら。
どくっ。 どくっ。
どくっ……。
気になる文章が視線を掠める。
『人生でもっとも苦痛なことは、夢から覚めて行くべき道のないことです。』
「……さかな……じん?」
日本語は、話せるし、少しは書けるけど、難しい漢字は苦手だ。あまり得意ではない。
なんだろう。不思議な気分だ。心臓の奥のほうが、きゅって締まって、悲しくなる。
なんだろうな、夢って何かな。道ってなんだろう。
あぁ、やっぱり読書は性に合わないらしい。だめだ、やめよう。おわりだ。
寝ることにした。
おやすみ、わたし。
+++
夕食。美鈴の作ったディナーを魔女と二人で食す。今日はフレンチらしい。
「でさぁ、私は寝たわけよ」
小前菜のサラダであるズッキーニやら、オニオンやらが盛り付けられた皿を、恨みがましく睨みつけているパチェに話しかける。
「少しは考えなさいよね」
ふぅむ。オニオンが特に減ってない。しかめっ面の彼女を私は見つめながら、半月切りにされたトマトを口に運ぶ。
「……パチェ、野菜嫌いよねぇ。それ、オニオンとか特に」
「はぁ……。私は要らないっていつも言ってるのに」
「オニオンはね、血がサラサラになるらしいよ? 糖質も高いし、疲労気味なパチェにはぴったりだと思うけど」
「あなた、悪魔の癖に健康的よね」
「他が悪すぎるだけ」
他愛のない会話が続く。
「あ、そういえば」
パチェが思い出したように言った。
「ペット探しはもうやめたの?」
「ん……、いや、続行中だけど?」
「猫にしてね、玩具」
「あぁ、わかった犬にするわ」
「それでいいのよ」
ペット探し、私と彼女の間でそう呼ばれるもの。それは訳すと従者探し。
あまりにも暇なので、パチェが私に玩具を頼んだのだ。
本当はあまり外部と接したくない私なのだが、パチェの頼みでは仕方ない。
コンコン。
ドアがノックされた。
「お話中、失礼いたします。コンソメスープでございます」
小悪魔が配膳らしい。彼女はさっさと皿をテーブルに並べると、パチェに「お野菜食べてくださいね」と言い残し戻っていった。
「嫁みたいね、あいつ」
「まぁね。本契約って結婚みたいなものだし」
「へぇ……」
契約ってなんだろうなぁ、と考えつつ、銀のスプーンにスープをよそう。
「おいしいね、これ」
パチェがにっこり笑いながら、スプーンをすすめる。
「コンソメってね、完成された、って意味なんだって」
「完成されたスープってわけね」
「そういうこと」
私はスープを飲み終わり、スプーンをトレイに置く。パチェも飲み終わっているけれど、いまだにオニオンと格闘している。
テーブルの端に置いてあるベルを鳴らす。
「はい」
小悪魔が、闇から溶け出したみたいに現れる。
「今日、肉料理いらないわ。いい?」
「はぁ……。もう少し早く言ってくださいませ」
わざとらしく肩を上げ、ため息をつく小悪魔。これは、次のメニューあたりに何か混入してくるかもしれないなぁ。もちろん、美鈴が完全指揮を取って。サテュリオンとか。
「ねぇ、何で肉料理いらないの?」
「ちょっとね、今日はたくさん飛び回るから」
「ふーん。ペット探しね」
「えぇ。コンソメ犬探してくるわ」
その後、サーモンのポアレが運ばれてきた。赤ワインを使ったソースが、甘酸っぱくて、少し私は苦手な味だった。デザートはシャルロットの四分の一ホール。ストロベリーとオレンジはいい感じの甘さで、パチェは喜んで食べていた。
「ごちそうさま」
食事を終え、立ち上がる。パチェも一緒に立って、部屋を出る。
「私ね、嬉しいの」
廊下を歩いていると、パチェがポツリと呟いた。
「へ? なんで」
間抜けな声を出す私。
「レミィが自分から、外に行くって言ってくれて」
「……、私が引き篭もりみたいね」
「まあ、そんなものじゃないの。妹様もびっくりの篭り具合」
「ひどい言われようね」
やさしい表情のパチェを見て、心配してくれたんだなぁ、と嬉しくなる。心がふっ、と潤った気がする。
「夢をね、見たのよ。……もしかしたら運命かもしれないけど」
「いい夢?」
「えぇ。従者、見つかるかもよ?」
「良かったわね」
パチェは結局、門の前までついてきてくれた。
さっきからなんだかもじもじしているのは、きっと気のせい。媚薬とか、多分効いてない。
「じゃ、行ってくるよ」
パチェに挨拶をして、翼を羽ばたかせる。
「あ、そうだ」
パチェを振り返る。そして問う。
「道ってなんだろね」
その言葉とともに、私は夜の闇に飛び立った。
パチェは悲しそうに、目を伏せていた。
コンソメ犬っていいなあ
続きが楽しみです