※本当にどうしようもない話です
「橙…大丈夫か? 苦しいのか? 頼む、はやく目をあけてくれ! お願いだ…」
畳の間。白い蒲団に化け猫の橙が寝ている。その様子は安らかとは言い難く、時折顔をしかめて苦しそうな息を吐く。額には汗が滲んでいる。
その傍らには見守る人が二人。九尾の狐、八雲藍とその主、八雲紫。
藍は蒲団の横に膝をついて橙の左手を握りしめ、顔一面を不安に染めて橙に声をかけている。普段は立派な尻尾も今は見る影もない。
そんな藍の後ろに立っている紫は…割といつも通りの顔をしている。藍とは正反対に、その様子に焦りはない。
「…うう」
「ああ、橙…良かった。目が覚めたか」
「藍様? それに紫様も」
「橙、大丈夫か? どこか痛くはないか? 急に倒れたりして、一体何があったんだ?」
「え? あの?」
「こらこら。藍、慌てないで。そんな一度に聞かないの」
「は、はい…。では橙、体は大丈夫か?」
「はい。なんとも…」
びくっ。言葉を言い終える前に、突然橙は藍に握られた手を勢いよく引いた。
その動作に藍は何故か不安に駆られた。なにか嫌な予感がする。なにか…思い出してはいけないような…。
「ちぇ、橙? 突然どうしたんだ? 嫌だったのか?」
「え? あ、あの…私、なんで?」
藍が問うが、橙自身もよく分かっていないようだ。しかし紫はかすかにうなずいている。二人からは見えないように。
「とにかく何があったか話してくれ。今朝でなければ、昨日かもしれない。何もなかったのか?」
橙が倒れたのは昼のことだ。私が昼食を終えてかたずけをしていると珍しく橙がやって来た。橙はたいてい夕方に来るのだ。
私が声を掛けようと顔を見せた時に、それは起こった。私の顔を見るやいなやとても驚いた顔をして、何も言わずに倒れたのだ。
突然のことで私はすっかり動揺してしまい、今日は昼食も食べずに寝ていた紫様をたたき起して、あとはおろおろとしているだけだった。
我ながら情けない話だ。紫様が居てくださって本当に良かった。もしも私一人の時であったら…。
「今朝は…いつも通りに。昨日は、そういえば、夜に…はっ!」
がばっ。突如上半身を起こし、左腕を布団で隠しながら藍達から距離をとった。
本当に一体何があったのか。藍は今にも泣き出しそうだ。無意識に橙に手を伸ばすが…
「こ、来ないでください! 危険なんです!」
「な、何が危険なんだ?」
「私の…心の闇が、結界を破って…駄目だ! 出て来るな!」
「…橙」
「大いなる力が、私の身に…闇が、暴走する…いけない! 第三の尻尾が、左腕に…こんな所で発動させるわけには!」
もう何が何だか分からない。頭はとうとう考えることをやめてしまったようだ。
そんな藍には目もくれず、橙はまだぶつぶつと何かをつぶやいている。
「ら、藍様。今まで…ありがとうございました。私は、行かなくては…。でないと、世界を、破滅へと導いて…さようなら、光よ」
「待て、橙! どこにも行かないでくれ! 紫様! 私はどうしたら…」
――はぁ、しょうがないわねえ
ぶちっ。しょうがないとはどういう事だ! 紫様にとっては、私たちなど…
そんな考えが頭をよぎり、怒りが湧きあがった。思わず紫様につかみかかろうとしたところで
「藍、安心しなさい。こうすれば帰ってくるから」
そう言って紫様は橙の頭に思いっきり拳骨を落とした。
感情や思考が追い付かず、私はただ茫然とするしかなかった。
橙を見るとさっきまでの荒々しさは消え、いつも通りの橙が…頭を抱えてうずくまっている。
「いたいですよ、紫様。何するんですか!」
「ほらね、直ったでしょ? テレビと同じよ」
「て、てれび? …そんなことより! これはいったいどういう事なのですか? 橙は本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫よ、私を信じなさい。…これはね、儀式みたいなものよ。八雲の力に目覚める兆候なの。昔、藍にもあったのよ」
「は? 私にも、こんなことがあったんですか?」
「そうよ。第十の尻尾が、って言ってたじゃない。忘れたの?」
「い、いえ。全く覚えておりません」
「まあ、そうでしょうね。それにしても、橙に八雲の名をあげる時が近いのかしらね」
八雲の力の目覚め? さすがは八雲だ。わけがわからない。紫様から苦労して受け継いだものはこんな力だったのか。
この遣る瀬無さはどうしたらよいのだろうか。それにさっき私は本当に不安で、心配だったというのに。
体の力が抜け、蒲団に倒れこむ。とにかく、橙が無事でよかった。もう思い残すことは………ああ、ひとつあった。
「それでは、紫様には無かったのですか?」
「え? なんで私に?」
「これが八雲の力に目覚める兆候でしたら、かつて紫様にもあったのではないのかと」
「ば、ばかねえ。そんな事が私にあるわけないじゃない。わ、私は…そうよ、私は最初から目覚めてたのよ…おほほほ」
…なんだかなぁ。もういいや、私は永い眠りにつこう。橙よ、悲しまないでおくれ。私はいつだってお前を見守っている。風呂場とか…
「藍様? 藍様!」
「橙、いいから寝かせておいてあげなさい。それにあなたのことを本当に心配してたんだから、起きるまで一緒に居てあげなさい」
朝日が境内を照らす。手に持った竹ぼうきの影が長く伸びる。鳥たちは目を覚まし、互いに挨拶でもしているのか。
私は今、日課の庭掃除をしている。こういう仕事は涼しいうちに終わらせるに限る。昼間にやる気など出ない。
この時間は空気が澄んでいて気持ち良い。私にとっての日々のちょっとした幸せだ。おっと、お賽銭箱の周りは念入りに。あら? こっちに何かが飛んでくる。
「霊夢さん、おはようございます」
「ああ、文。今日はやけに早いわね、何かあったの?」
「あやや、霊夢さんが仕事をしています。これはスクープの予感」
「失礼ね。毎朝やってるわよ。で、なんの用なの? 新聞じゃあないみたいだけど」
「いえ、大した事ではありませんよ。ちょっと霊夢さんの寝顔を見に…」
「素敵な針なら見せてあげるわよ」
「いえいえ、それは勘弁願いたいです」
「冗談はいいから、何なの?」
「本当に冗談ではないんですが…この写真を見ていたら、霊夢さんの寝顔も見てみたくなりましてね」
「どれどれ」
「いてっ」
文の頭を竹ぼうきの柄で軽くたたきつつ、写真を覗き込む。
そこには一つの蒲団に三人が寄り添って寝ている姿が写っている。紫、藍、橙の順で、みんな昼間の服のままだ。
紫が掛け布団を半分とっているせいか、橙は黄色い尻尾に埋まるようにして寝ている。三人とも幸せそうな寝顔をしている。
まったく、あの一家は。相変わらず中の良いことで。
「というか、あんたなんでこんな写真持ってるのよ。よく撮ってこられたわね」
「えへん。新聞記者としての腕の見せ所です」
「単なる盗撮じゃない。…今日から寝室には結界を張っておくわ」
「あやややや。それは困ります」
――では、霊夢さんが起きていたので、私はこれで
――まあ待ちなさい。掃除ももうすぐ終わるから、ちょっと待ってて。お茶でも出してあげる
――おや、珍しいですね。もちろん、喜んでお待ちしますよ
――今は気分が良いのよ。たまにはいいでしょ、こういうのも
――ええ。私は毎日でも…
へくしゅっ。もそもそ。
寒かったのか、猫が狐に身を寄せる。しかし日が昇ればすぐに暑くなるだろう。目覚めの時は近い。
「橙…大丈夫か? 苦しいのか? 頼む、はやく目をあけてくれ! お願いだ…」
畳の間。白い蒲団に化け猫の橙が寝ている。その様子は安らかとは言い難く、時折顔をしかめて苦しそうな息を吐く。額には汗が滲んでいる。
その傍らには見守る人が二人。九尾の狐、八雲藍とその主、八雲紫。
藍は蒲団の横に膝をついて橙の左手を握りしめ、顔一面を不安に染めて橙に声をかけている。普段は立派な尻尾も今は見る影もない。
そんな藍の後ろに立っている紫は…割といつも通りの顔をしている。藍とは正反対に、その様子に焦りはない。
「…うう」
「ああ、橙…良かった。目が覚めたか」
「藍様? それに紫様も」
「橙、大丈夫か? どこか痛くはないか? 急に倒れたりして、一体何があったんだ?」
「え? あの?」
「こらこら。藍、慌てないで。そんな一度に聞かないの」
「は、はい…。では橙、体は大丈夫か?」
「はい。なんとも…」
びくっ。言葉を言い終える前に、突然橙は藍に握られた手を勢いよく引いた。
その動作に藍は何故か不安に駆られた。なにか嫌な予感がする。なにか…思い出してはいけないような…。
「ちぇ、橙? 突然どうしたんだ? 嫌だったのか?」
「え? あ、あの…私、なんで?」
藍が問うが、橙自身もよく分かっていないようだ。しかし紫はかすかにうなずいている。二人からは見えないように。
「とにかく何があったか話してくれ。今朝でなければ、昨日かもしれない。何もなかったのか?」
橙が倒れたのは昼のことだ。私が昼食を終えてかたずけをしていると珍しく橙がやって来た。橙はたいてい夕方に来るのだ。
私が声を掛けようと顔を見せた時に、それは起こった。私の顔を見るやいなやとても驚いた顔をして、何も言わずに倒れたのだ。
突然のことで私はすっかり動揺してしまい、今日は昼食も食べずに寝ていた紫様をたたき起して、あとはおろおろとしているだけだった。
我ながら情けない話だ。紫様が居てくださって本当に良かった。もしも私一人の時であったら…。
「今朝は…いつも通りに。昨日は、そういえば、夜に…はっ!」
がばっ。突如上半身を起こし、左腕を布団で隠しながら藍達から距離をとった。
本当に一体何があったのか。藍は今にも泣き出しそうだ。無意識に橙に手を伸ばすが…
「こ、来ないでください! 危険なんです!」
「な、何が危険なんだ?」
「私の…心の闇が、結界を破って…駄目だ! 出て来るな!」
「…橙」
「大いなる力が、私の身に…闇が、暴走する…いけない! 第三の尻尾が、左腕に…こんな所で発動させるわけには!」
もう何が何だか分からない。頭はとうとう考えることをやめてしまったようだ。
そんな藍には目もくれず、橙はまだぶつぶつと何かをつぶやいている。
「ら、藍様。今まで…ありがとうございました。私は、行かなくては…。でないと、世界を、破滅へと導いて…さようなら、光よ」
「待て、橙! どこにも行かないでくれ! 紫様! 私はどうしたら…」
――はぁ、しょうがないわねえ
ぶちっ。しょうがないとはどういう事だ! 紫様にとっては、私たちなど…
そんな考えが頭をよぎり、怒りが湧きあがった。思わず紫様につかみかかろうとしたところで
「藍、安心しなさい。こうすれば帰ってくるから」
そう言って紫様は橙の頭に思いっきり拳骨を落とした。
感情や思考が追い付かず、私はただ茫然とするしかなかった。
橙を見るとさっきまでの荒々しさは消え、いつも通りの橙が…頭を抱えてうずくまっている。
「いたいですよ、紫様。何するんですか!」
「ほらね、直ったでしょ? テレビと同じよ」
「て、てれび? …そんなことより! これはいったいどういう事なのですか? 橙は本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫よ、私を信じなさい。…これはね、儀式みたいなものよ。八雲の力に目覚める兆候なの。昔、藍にもあったのよ」
「は? 私にも、こんなことがあったんですか?」
「そうよ。第十の尻尾が、って言ってたじゃない。忘れたの?」
「い、いえ。全く覚えておりません」
「まあ、そうでしょうね。それにしても、橙に八雲の名をあげる時が近いのかしらね」
八雲の力の目覚め? さすがは八雲だ。わけがわからない。紫様から苦労して受け継いだものはこんな力だったのか。
この遣る瀬無さはどうしたらよいのだろうか。それにさっき私は本当に不安で、心配だったというのに。
体の力が抜け、蒲団に倒れこむ。とにかく、橙が無事でよかった。もう思い残すことは………ああ、ひとつあった。
「それでは、紫様には無かったのですか?」
「え? なんで私に?」
「これが八雲の力に目覚める兆候でしたら、かつて紫様にもあったのではないのかと」
「ば、ばかねえ。そんな事が私にあるわけないじゃない。わ、私は…そうよ、私は最初から目覚めてたのよ…おほほほ」
…なんだかなぁ。もういいや、私は永い眠りにつこう。橙よ、悲しまないでおくれ。私はいつだってお前を見守っている。風呂場とか…
「藍様? 藍様!」
「橙、いいから寝かせておいてあげなさい。それにあなたのことを本当に心配してたんだから、起きるまで一緒に居てあげなさい」
朝日が境内を照らす。手に持った竹ぼうきの影が長く伸びる。鳥たちは目を覚まし、互いに挨拶でもしているのか。
私は今、日課の庭掃除をしている。こういう仕事は涼しいうちに終わらせるに限る。昼間にやる気など出ない。
この時間は空気が澄んでいて気持ち良い。私にとっての日々のちょっとした幸せだ。おっと、お賽銭箱の周りは念入りに。あら? こっちに何かが飛んでくる。
「霊夢さん、おはようございます」
「ああ、文。今日はやけに早いわね、何かあったの?」
「あやや、霊夢さんが仕事をしています。これはスクープの予感」
「失礼ね。毎朝やってるわよ。で、なんの用なの? 新聞じゃあないみたいだけど」
「いえ、大した事ではありませんよ。ちょっと霊夢さんの寝顔を見に…」
「素敵な針なら見せてあげるわよ」
「いえいえ、それは勘弁願いたいです」
「冗談はいいから、何なの?」
「本当に冗談ではないんですが…この写真を見ていたら、霊夢さんの寝顔も見てみたくなりましてね」
「どれどれ」
「いてっ」
文の頭を竹ぼうきの柄で軽くたたきつつ、写真を覗き込む。
そこには一つの蒲団に三人が寄り添って寝ている姿が写っている。紫、藍、橙の順で、みんな昼間の服のままだ。
紫が掛け布団を半分とっているせいか、橙は黄色い尻尾に埋まるようにして寝ている。三人とも幸せそうな寝顔をしている。
まったく、あの一家は。相変わらず中の良いことで。
「というか、あんたなんでこんな写真持ってるのよ。よく撮ってこられたわね」
「えへん。新聞記者としての腕の見せ所です」
「単なる盗撮じゃない。…今日から寝室には結界を張っておくわ」
「あやややや。それは困ります」
――では、霊夢さんが起きていたので、私はこれで
――まあ待ちなさい。掃除ももうすぐ終わるから、ちょっと待ってて。お茶でも出してあげる
――おや、珍しいですね。もちろん、喜んでお待ちしますよ
――今は気分が良いのよ。たまにはいいでしょ、こういうのも
――ええ。私は毎日でも…
へくしゅっ。もそもそ。
寒かったのか、猫が狐に身を寄せる。しかし日が昇ればすぐに暑くなるだろう。目覚めの時は近い。
とても面白かったです!
>私はいつだってお前を見守っている。風呂場とか…
藍しゃま、それ台無しやwwww