「最初に心からの謝罪をするわ。どうもすみませんでした」
深々と下げられた頭と曲げられた身体を見て、私は素直に「はい?」と煎餅を齧るのを止めてしまう。
珍しいというよりは在り得ないと言うか、とにかくこの幻想郷に置いて、心からの謝罪なんてものを受けた事のない私は、もしやこれは夢ではないかと半ば本気で疑ってしまう。
「ちょっと……アリス?」
「本当に調子に乗っていたわ。自分が恥ずかしくて今にも引きこもりたいぐらいよ。でも後悔はしていないわ」
「いや、だから。……何なのよ急に」
夏の午後。厚い雲と深い青が眩しいこの時間帯に、突然にやってきたアリス・マーガトロイドはやってきた途端に深々と謝罪してきたのだ。
これに驚くなという方が無理である。
だが、驚きはどうやらこれで終わりでは無かったらしい。
よく見ると、アリスは真白い布を丁寧に背負い、そこから何やら人の髪みたいなのが見えた。
「……アリス?」
「実は、つい勢い余って」
「いや、いやいや?」
「いくら鬱陶しかったし、強引だったとはいえ、やりすぎたかなぁ、とは思っているの。でもやっぱり後悔はしていないの」
背筋に冷たいものが走る。
いや、おい。ちょっと待ちなさい?
アリスの言動と、先ほどからぴくりともしない、背中に包まれた誰かさん。
えっと…………死体遺棄?
「あ、アリスー!?」
「うっ……やっぱり怒るわよね。ごめんなさい」
「いや怒る怒らないって、何でそんなの此処にもってくんのよ?!」
びっくりどころじゃない。
暑いのにぞくぞくするぐらいプチホラーな光景だった。
「あんたねぇ! そんなの此処に持ってくるぐらいなら埋めるなり食うなり人形にするなりすればいいじゃないのよ!」
「え? していいの?」
「は?」
きょとんと意外そうな表情。それに勢いを削がれている内に、アリスは本当に貰ってもいいのかしら? とどこか迷いをみせたまま、慎重にそれを下ろす。
そこには、とあるパパラッチというか、最近も取材に来たというか、もの凄く見た顔のあやややややぁとか鳴く烏天狗がいた。
―――――。
ピシっと。何かよく分からないけど、そんな音がした。
私の中から。
「……えぇと。霊夢、本当に貰っていいなら、是非とも心から可愛がらせて」
「誰がやるか退治すっぞ」
「うんそうよね! 分かってたわすいませんでしたっ!」
早く短く低く言い放つと、アリスが顔色を青くしてまた頭を深く下げていた。今度は地面に付きそうなぐらい大げさな謝罪であった。
「……はぁ、で? どうしたのこいつ」
その様子にとりあえず理由を聞こうという気になって、私はアリスにこっちに来なさいとおいでおいでする。
そして、早速この烏天狗を布の中から引っ張りだして様子を見ると、文はぐったりと目を回して気絶している様だった。
「よいしょ」
とりあえず、どれ程に具合が悪いのかは分からないので、揺れが無い様にと気をつけて抱き上げて、そのまま膝の上に頭を乗せる。
「………わあ」
すると、アリスが微妙な顔でこちらを見ていた。「?」と見つめ返すと、静かに目を逸らされた。
そのまま、何故か力が抜けているというか白けた顔のまま、私に促されたままに縁側に座る。
「どこから話そうかしら?……そうね。文がね、私の家に取材に来たのよ」
まあ、そこからでしょうねと、私は文の髪をぐしゃぐしゃっとしながら聞く。
「……それで、文があんまり強引でしつこくてうざかったものだから、私としたことが頭にきてね。昨夜、魔理沙と喧嘩別れしてイライラしていたとか暑かったとかもあって、うっかり軽い呪いをかけちゃったのよ」
「ああ、それはこいつが悪いわね。で?」
「えっ、いいの? え? ええ。それで、そしたら困った事に、文が『もどせー!』って怒って手がつけられなくなったの。だから、思わず霊夢人形を盾にして動きを止めた隙を狙って、背後から岩石をぶつけたの」
「……へ、へえ」
「で。そこでやりすぎたわって反省して。霊夢の所に引き渡しに来た、という訳」
……ん、んん。
色々と突っ込みたい所はあるけれど、話は分かった。
全面的にこいつが悪いので針でぷすぷすと刺して、アリスを釈放することにする。
「納得したわ。帰ってよろしい」
「はいはい」
あえてふざけた調子で言うと、アリスは苦笑しながら立ち上がる。
「貴方みたいな人が、唯一ご執心な彼女を、流石に苛めすぎたのはまずかったかなぁ、と心配したわ」
「……何よそれ」
「だって貴方、私が訪ねてきたら彼女の話ばかりするんだもの」
くすくすと笑う声に、返す言葉が見つからず、奥歯を噛んでそっぽを向くと、アリスは肩の荷が下りたと言わんばかりにさっさとこちらに背を向けてしまう。
―――と。不意に忘れていたとばかりに、軽く振り返った。
「そうそう。あのね霊夢」
「んー?」
「……えぇと、文の頬がとても柔らかいのがここからでも良く分かるのだけれど、あんまり伸ばさないであげて。……というか、私が文にかけた呪いなんだけどね」
「ああ、そういえばそんな事も言ってたわね」
アリスは、特に興味ももてなかったそれを、さらりと口にした。
文が激怒したという呪い。
……その呪いは。
それは、非常にくだらないものだった。
そして現在。
私は、アリスに賞賛というかありがとうっていうか私の方こそごめんね! って熱い友情の握手をしたいぐらい感謝していたりする。
彼女がかけた、そのくっだらねぇ呪い。
それは『あ』の発音がどんなに頑張っても『にゃ』になるという、しゃっくりがとまらなくなるとかと同レベルの、鼻で笑うしかない阿呆すぎる低級な呪いで。
しかし。
それは、ある例外に関してだけは、幸せの鐘が鳴り響く愛の呪文だったらしい。
「にゃ、にゃやややややや?! にゃりすさんめぇ! この呪いを解いて行きませんでしたね?! うにゃあああ!! くそっ! こんなの、射命丸にゃやがにゃややってふざけんなー!!」
やばい。
にゃやややって、にゃりすさんって……!
どうしようマジで凄く可愛い。
……くっ! ……あ、そういやアリス。なんか何度も後悔はしていないって言ってたけど、なるほどね。
これは後悔しないわ。うん。
今すぐお持ち帰りレベルっていうかそれを実行する為の計画を本格的に画策するぐらいの素晴らしき光景だものこれ。
「くっ、屈辱です……!」
起きた早々、跳ね起きてアリスを探して『にゃややややや』である。
ちょっとどうしよう。すごいときめく。っていかこの子飼いたい! 一生大事にするから!
「……ん、落ち着いた?」
「にゃ、霊夢さん」
また……っ、また『にゃ』って言ったよ、この子……!
私が内心、どんだけ悶えているかも知らず、文は慌てて取り繕うようにして、羞恥に顔を赤くしたまま、口をきゅっと引き結ぶ。
「……どうも、お手数おかけしました」
「いいわよ別に」
「……それで、彼女、この呪いについて、何か言っていませんでしたか?」
「あぁ、そうね。聞いたわよ」
「マジですか?!」
うわ、凄い食らいつき。
どうやら、文当人にとってこの呪いは本気で嫌なものらしく、がっしりと肩を掴まれてキッと強く睨まれた。
「どうすれば直るんですか?!」
「……簡単よ」
「はい!」
「アリスが言うには、とりあえず時間が解決するらしいわ。ぶっちゃけ三週間後ですって」
「成程! 三週間後……って、却下ですよ却下! そんなに待てません! こんな、にゃがにゃって言えない生活なんて、はたてとか椛とか、色々なのに馬鹿にされるに決まってるんです! いくらにゃだけとは言っても、にゃなんて会話の中に普通に良く出る気もするし、早期解決が望ましいです!」
……にゃ。
にゃ! 何度言うきよ! 何度私を悶え殺そうとしてるのよ!
あんたね、自覚無いだろうけど今、立派に殺人未遂中なのよこのにゃややめ!
「い、いいじゃないのよそれで!」
「よくないですよ何言ってるんですか!」
怒鳴ったら怒鳴り返された。
……あ、ちょっとショック。
がーんと後ずさると、文がハッとして慌ててフォローのつもりなのか、勢いよくしゃべりまくる。
「い、いえ、大人気なかったというか、でもですね。霊夢さんだって人事だからそういいますけれど、にゃって……にゃにゃ、イライラする。
だから、にゃがにゃって言えないのがどんだけ恥ずかしいか分かってないといいますか、ただ私はにゃりすさんにちょっと最近のにゃりすさんの恋愛事情を聞きたかっただけなのに、それをにゃんなに怒って、大人げないのがいけないのです!」
……にゃん、なに? って、あんなに? あんなに、って言いたかったの?
やば、くぉ、つ、ツボに。
「って、笑わないで下さいよ! ぐぬぬ。にゃにゃもう! 早くこんな下らない呪い解かないとやってられません!」
……にゃにゃもう? ……ああもう?
―――ぐあっ!!
「って、霊夢さん? え? ちょ?! どうしたんですか?! 鼻から大量出血ですけど、は、はやくにゃんせいにしなくちゃ! えっと、ティッシュは」
……にゃんせい? ……あんせい。
―――ごふっ!!
「ってついには口から吐血をー?! 何故にそんな突然に重体なんですかにゃなたは?! やばいですって、人間がこんだけ血を流したらすぐさま三途の川ですよ! って、虚ろな目でそれでも穏やかにやり遂げた顔をしないで下さいー!!」
アリス、どうもありがとう。
私、なんかもう悔いがないっぽいわ。
「霊夢さーん?!」
文の悲痛な声を最後に、私は晴れやかな気持ちのまま、満ち足りて意識を手放した。
ふっ、と。
体感時間ではほんの一瞬。
されど、どうやら私は相当に長い時間、気絶をしていたらしい。
ふと目を開けると、文が安堵した表情で息を吐いていた。
「……にゃにゃもう、驚かせないで下さいよ」
目覚めの一発が永眠レベルの愛くるしさなのは今は置いておくとして、はて?
どうして文は、私の寝巻きを着ているのだろう?
「え? にゃ、これですか? いえ、私の服、嫌味で言いますけれどどっかの誰かの血液で派手に汚れてしまいましたので、借りました」
……それはどうもすいませんでしたねぇ。
「ちょっと、そんな目をしないで下さいよ。こっちは本気でにゃせったんですからね。ったく、人騒がせな人間ですよにゃなたは本当に」
……所々の萌えはしっかりと記憶して後で反芻して楽しむとして、私は鈍く痛む頭を押さえたまま、ゆっくりと起き上がる。
どうやら文はわざわざ布団を敷いて、ずっと横で看病してくれていたらしい。
そんなさりげない優しさに、悔しいながらも嬉しく感じたりして。ちょっと照れる。
そして、どうやら私は我ながら相当に馬鹿みたいに出血したっぽいなと、体のだるさに苦笑したりする。
「霊夢さん? もうおきにゃがっても大丈夫なのですか?」
「ええ、平気よ。あとどうしよう私死にそうだわ……!」
「そりゃ、にゃんだけ血を流せば普通に死ねるレベルですしね」
ずれた会話のキャッチボール。
しかし訂正するつもりもないので、私は幸せを噛み締めて、呆れた顔の文を見る。
障子越しの外の色は、すでに夕暮れのオレンジ。
その色に染まり、こちらを若干迷惑そうに、しかし心配そうに見る文に、私は微笑む。
「ま、お礼を言っとくわ。ありがとう」
「……ま、いいんですけどね。別に」
どこか適当に肩をすくめて、文は私が本当に大丈夫だと安心したらしく、ようやく普通に笑う。
その笑顔に、また心臓付近をくすぐられる様な感触を覚えて、まったくむかつく天狗だわと、その頬を引っ張ってやる。
「………にゃにしてるんですか」
「あら、こうしていると『な』でも『にゃ』ね」
「にゃたりまえです。ほら離す」
ぴしっと手を叩かれて、しぶしぶ離すと、文は何考えてんだこの人間、と。露骨に呆れた顔をして、私の額を人差し指でぐりぐりとつついた。
「まったく。呪われた身の私に看病させて、にゃまつさえ恩をにゃだで返す態度。せめて、とはいいませんが、今晩私を泊めるぐらいの恩返しはして貰えますよね?」
「はぁ?」
「いえ、私は今日、もう絶対に山に帰りませんから。帰ってネタにされるぐらいならここに泊まります」
「……いや、いいけどさ」
いいんだけど。
そんな、にゃややややややあ! って顔でこっちに迫られると、ほら、心臓がフル稼働してまた出血多量っていうか、色々と困る。
人間っていうのは、けっこう馬鹿みたいな事で死んじゃう、そういう生き物なのだから。
つまり、今なんか幸せすぎる展開に倒れそう……
「よっし! それじゃにゃ、今晩の夕食は私にお任せ下さい! それぐらいの事はさせて貰いますよ!」
「あんた私を殺す気!?」
「はにゃ?! ちょっ、失敬な! 毒なんていれませんよ!」
「すでに今の状況が致死量よ!」
「何言ってんだにゃんた?!」
うん訳が分からない。
でも、なんっつーか。
察しろ困るんだ! って、感じなのだった。
「文のすっとこどっこい!」
「いきなり悪口?!」
「っていうか、記者っていう割には、人の気持ちとかに鈍感だし!?」
「どっ、ちょっ?!」
「たかだか、『あ』が『にゃ』なだけで、本気で激怒するとかガキだし」
「―――――ッ?!」
もう、カッチーン、てきました。って顔。
いや、私も言い過ぎたって分かってる。分かってるんだけど。
……それで止められたら苦労しない。
「霊夢さん、にゃなたねぇ!」
「何よ」
「ッ! いいですか! これはほんっとーに大事な事なんですよ!」
「だから何で?」
「いいですか?! にゃがにゃって言えなかったら」
「言えなかったら?」
「告白の言葉が格好悪いでしょうが!!」
――――。
は?
売り言葉に買い言葉。
そんな言葉のやり取りの険悪ムード。
が、それは先ほどの文の言葉にすぽんっとどっかにいってしまう。
「だって、私が霊夢さんにちゃんと告白しようって思っても、これじゃ、情けなすぎじゃないですか! せっかく、頑張って勇気を振り絞ったというのに、また三週間も待てって、無理ですよ!」
「……………へ?」
「へ、じゃにゃりません! いいですか?! 『にゃいしています』なんて、もうやり直しが聞かないぐらいに、格好、が、わる、い…………」
……。
…………。
拝啓、とりあえず紫へ。
どうやら、私は告白されました。
告白の言葉は、にゃいしています。
とりあえず。一生胸に刻んで忘れてやらない事にします。
「…………死にたい」
「……うっ、何ていうか、その、本当にごめん」
しくしくとうざ可愛い文の話を聞いて、本気で悪いことをしたと思っているアリスは、素直に謝っていた。
彼女は昨日から謝りすぎである。
「ま、まさか、文が私と魔理沙の馴れ初めを参考にしようとしていたとか、気づかなくて」
「…………やっぱ死のう」
「いや、本当に悪かったと思うの! た、確かにそのタイミングであの呪いはないわよね! 空気読めなくてごめんね!?」
さめざめと悲しむ文に、それはダメージ酷いわぁ、とばかりに慰めようと頑張るアリス。
ちょっと、私より仲が良さそうに見えて、軽く嫉妬。
「……もう、散々です。さいにゃくです。私の一世一代の大切な台詞が、酷い事に」
「大丈夫よ! 可愛いわ!」
「……にゃにゃ、ぶっとばしたい」
「う、ごめんなさい」
やっぱ謝るしかないアリス。
さっきからずっと、そんなやり取り。
流石に鬱陶しくなって、私はぺしりと文の頭を叩く。
「ちょっと、文。あんたうざすぎ」
「酷い!?」
「酷いじゃないわよ。いつまでも過ぎた事をうじうじと、いいじゃないのよ。私にはドスンときたんだから」
「は?」
「だから、この心臓に、ドスンと…ね!」
しっかり眼を見て言うと、文は「にゃ、にゃやや……」と顔を赤くして俯いてしまう。
……。
こら。
私まで赤くなるでしょうが。
ついつい照れが伝染して、もじもじと似合わない動作をしてしまう。
掃除中なので持っていた竹箒で、地面に『の』とかも書いたりしてしまう。
「よし、帰ろう!」
そんな中で、アリスは爽やかに言い放つ。
そんな夏の朝。
私たちは、お付き合いしました。
なんて事を、一番最初に知ったアリスは、どうした事か、本当にさっさと帰ってしまい。
私たちは「にゃ、にゃの」とか「その」なんて、どうしてか息苦しさと心臓のドキドキを感じながら、誰かがくるまでずっとそうしていた。
つまり、簡単な結論。
の、呪いなんて恋する二人の間では、ただのきっかけというか、ただの『プレイ』にしかならないって事よね! うん! 多分!
だから、私は文の呪いが解けた時の、二回目の告白を。
出血しないで受け止めるために、今からちょっと頑張ろうと思う。
猫耳幻視したw
とても良かったです!!
にゃや可愛いです。
そしてアリスグッジョブ!
ごちそうさまでした
アリスさんもいい仕事してますね。
ニヤニヤしすげて頬の筋肉が痛いです、どうしてくれるんですか、私幸せなんでけど!
馴れ初めですね。
ってそんなことはともかく、3人とも可愛すぎるだろうちょっと。
何気に「あ」が「にゃ」になる、なんて呪いを思いつくアリスの可愛さにもきゅんときたりするんですが。
それと何より「にゃややややや」って…!破壊力が強すぎてニヤニヤが止まらなかったですはい。
作者は(イグ)ノーベル賞ものの大発見だな。