時間なんてものは、いくらでもあると思っていた。
周囲が頑張っている間も、私はただ日々を楽しく無為に暮らしていた。
卒業して、バイトして、遊んで、遊んで、繰り返して、流されて。
気が付けば、一日をただ寝て過ごすこともあった。
「――飽きた」
楽しいこともある、やらなければいけないことは山積み。
すべてを後手後手にした。
私の身の回りにあるものは子供のおもちゃだった。
買った時は凄く嬉しかった。楽しかった。でも数年後にはガラクタになった思い出の品。
なんでこんなのにお金を使ったんだろう。
捨てた。
なんでお年玉も貯めなかったんだろう。
使った。
なんで繰り返してるんだろう。
絶望、寝る。
わかったようなふりをして、その実わかっていたけれど、何もしなかった。
もう何もしたくない。このまま寝ていたい。
食事も必要じゃなくなればいい。トイレだってそうだ。
ただ微睡みの中に全て置き去って、私は私であれば良かった。
そう念じたら、
「え?」
身体が石になっていた。
そもそも意味が解らない。
ベッドも携帯も、いや部屋どころか町が無くなってて、まるでどこかのド田舎みたいな風景。
山、山、森、林、原っぱ、野原、荒れ地、あぜ道、あぜ道? いやなんかの土だけの狭い道、
そして私。お地蔵様。
巣鴨にあるような立派じゃないのが、視線だけ動かせたのでわかる。
お堂みたいな屋根も無い、野晒しの小さな石像がそこにあるだけだ。
当然、パニクった。
だってそうでしょ? 普通、こんな夢みたいなことあったら。
夢のわりには長かったけど、私は夢だと信じていた。
なんか時代劇みたいな格好をした人が、日本語っぽくない日本語を話していた。
おばあちゃんにお供え貰ったり、旅人っぽい人が会釈したり、色々。
時には偉そうな籠が通ったり、お供えを盗んでいった乞食がいたり。色々。
春夏秋冬流れに流れて、漸く私は悟ったのだ。
――ああ、夢が叶ったんだなぁ。
何もしなくて良い。寝転ぶのは難しいけど自分で立ってるわけでもないから辛くない。
食べなくて良いし一歩だって歩く必要は無い。
つまり、布団の中にいるのと同じだ。
私は久々に、感情というのを思い出した。
泣きっ面に蜂とは言うが、大雨が降っていてちょうどいい。
お父さんもいない、お母さんもいない、馬鹿な兄ちゃんもいない。
とっくに就職した同級生も、親友っぽくやってた自営業も、バイトのチーフになったのも。
たまらなく寂しくて、辛くて、かけがえのない日々であったと。
泣いて泣いて、枯れた頃には秋になり、叫んでみたら冬になり、不貞寝したら春。
傍らでいつの間にか桜の木が大きくなって、気が付いた頃には紫色になっていた。
道が無くなって、代わりに紫の桜が、彼岸花が咲き乱れる。
此の世のものとは思えない景色の中で、石が意思で動かす、なんてオヤジギャグを飛ばせる程度に元気を取り戻した。
「よし、動きますか」
第一歩は案外困難だった。すっかり錆び付いた足は同化してしまったようで、けれどこちとら何年も暇をやったんだ、また何年も足をすっぽ抜かそうなんてのは、高校入学直後に買ったブーツより容易い。――見栄張ってワンサイズ小さいの買ったからなぁ……。
抜けた。
歩んだ。
同じ要領で腕が、動いた。
ゴトリと後で音がしたので、振り返ろうと思ったらできた。
そこには高そうな鏡と服一式、貴族が持ってそうななんかの棒。
身体もだいぶ動かせるようになったので、全裸じゃ不味いと服を着る。
鏡を見て、……うん、なんか髪が不良っぽい色だけど可愛いから良し。
「さてと」
まずはこんな所に送り込んだ馬鹿野郎に、挨拶しに行きますか。
●
探しに行くまでもなく向こうからやってきてくれた。
そいつ曰く、私は閻魔様ってやつになったらしい。ただの人間が随分と偉くなったもんですなぁ。
「正確には見習い候補である」
威厳たっぷりに偉そうな、ナントカ庁のスーツの鬼が言った。
そいつが言うには、ここは幻想郷とか言うマンガ的な場所らしい。そして私はここに就職予定。親に役所勤務が決まったと言えば涙して喜びそうだけど、残念ながら私は外に出られない、というか時代からして違うので行けないそうな。閻魔の癖に。
「貴方には真面目に閻魔業をしていただき、その結果次第では正式に任命されます」
「ほぅ、つまりエリートですか。給料いいの?」
「……まずはその俗世的な考えから直す必要がありますね。ちなみに私の給料は円換算で五十三万です」
「げぇ、バイトで五万の私はゴミかよ!」
凄いな公務員。役所勤務のメル友は安月給だけど、あいつエリートじゃないからなぁ……。
ともあれ、
「頑張ればそれぐらいいけるってことでしょ? よし!」
「言っておきますが、出来なければまた地蔵戻りですのでお気をつけ下さい」
「えーなにそれ! 酷くない?」
「決まりですから」
うわ出たよお役所人間! いや鬼!
「ではあとはこの解説書と指南書と服務規程と閻魔十王各人の著書をお読み下さい」
「秦広王著『しょーなのか』とか読む気失せるんですけど……」
「読んでください。私も頑張って読みましたから」
あ、ちょっとだけ苦労した顔見せた。同情。
「ではこれで。後のことは古参の死神にでも聞いて下さい。前任は六道一周ツアーに出発してますから」
「ちょっと待ってよ」
「はい、質問ですか?」
「どうして」
何故、
「私なんかが閻魔様に選ばれたんですか?」
私のような、むしろ裁かれる立場にある者が、
「……私は人事部では無いので把握しておりません」
わからなくて、
「そう、ですか……」
けれど、
「ただ、閻魔は七回の審理と三回の再審を行い最後まで救済をしようと努めます」
情けなのだろうか。
「――悔い改めた者は、悔いる者よりも悔いた事がない者よりも、救済を知るかと」
ならば、
「……じゃあ、向いてますかね、私」
鬼は苦笑とも言える笑みを浮かべ、
「それは今後次第でしょうね。……では失礼します、未来のヤマザナドゥ」
「私そんな名前じゃないけど」
「ヤマザナドゥとは閻魔という役職そのものを指す言葉です。名前とは関係ありません」
「それって不便じゃない? 名前の方が良いし」
そうですか、と鬼は眼鏡を掛け直して、
「えーと、貴方の名前は……」
「あ、待って。改名するわ。山田とかダサイ名前だったし」
はぁ、とビジネスバッグから資料を取り出す資料を変え、
「では、変更しておきましょう。どうぞ」
「エカテリーナ十六世、って!? 嘘、嘘、冗談だって!」
煩わしさを辛うじて堪える鬼の前で、彼女は考え、唸って、考え、
「……四季、そうね。私は春夏秋冬見つづけてきた」
あの時の思いを忘れてはならないと思い、
「『四季』っと。……これだけにしておきますか?」
「なんかそれだけだと劇団とかの感じで名前っぽくないのよねー。下の名前かー」
あ、と気付いた。もう一つ忘れてはなら無い物があることに。
「私さー、映子って言うんだよね。今時"子"とか、花子じゃないんだからさー、て思ってたの。
でも親からもらった名前で、みんなその名前で呼んでくれたんだよね」
だから、
「四季映子……じゃ語呂良くないなぁ。ってかやっぱ子がダサイ」
「御自身の大切な名前だと言っていたような……」
「あー? そんなの忘れなきゃ大丈夫だって。友達にだって「えーちゃん」呼ばれてたし」
ならば映の下か。様々な文字が浮かんでは却下し、しかし鬼は長くは待たなかった。
「よし、姫使おう姫。高貴な感じがするけど中二病臭くないし」
一息、
「四季・映姫。それが私の名前よ」
「良い名前かと。では名前の変更は報告しておきます。――それでは今度こそ、失礼します」
「うん、なんか色々ありがとね」
仕事ですから、と彼は消えていった。
●
「いやあ、今日も平和だねぇ」
「ほう、この積乱雲が見えないとは随分と呆けた平和のようで」
「いいっ!?」
呆けた目が覚醒し、声の主を見た。小柄な少女であり、手には笏を持っている。
「四季様! あーその、こうも平和だと呆けるのも無理はないと言いますか……」」
「小野塚小町。貴方にはあそこで待っている魂も平和だと思うのですか」
「あいつら結構遊んでるし悩み無いしなぁ……、平和じゃないですかあたいより?」
笏が額を打つと、快音と悲鳴が響いた。
痛さにしゃがみ込む小町に対し映姫は、
「時間は死神とて魂とて有限です。限りがあると思わなければ無限に遊んでしまうのです。つまり」
「つまり?」
「さっさと仕事に戻りなさい――――ッ!!」
はい! と背筋を正した直後、前につんのめりそうになりながら駆けていく小町を、やれやれと映姫は見た。
彼女が魂を乗せて船をこぎ始める。見届けてから、後ろを振り返った。
「…………」
三途の川の此岸には、彼岸と同じく赤い花が咲いている。
彼岸花の群生は此の世でありながら彼の世を彷彿とさせる。
曖昧な世界を、少女は歩き始めた。
その先には桜がある。大きな紫の桜が。
面白かったです!
ところどころに散りばめられたギャグも全く違和感がなかったです!