今日の魔法の森は朝から程よい涼しさに包まれており、店の外からは蝉の鳴き声が聞こえてくる。
こんな日は読書に限る。そう思って、僕は読書と言う名の店番をしていた。
だがやはり此処には客が来ない。交通の便もあるのだろうが、誰も好き好んで危険地帯に足を踏み入れはしないと言う事か。その気持ちは理解できる。……が、一商人としては矢張り客が来ないと寂しいものだ。
そんな時は冷やかしでも常連の一人や二人来るものなんだが……珍しい事に今日は霊夢も魔理沙も姿を見せていない。そういえば、昨日は神社で宴会があったんだったか。恐らく二人とも酔い潰れているのだろう。
まぁ幸か不幸か、僕が嫌いな騒ぐだけの宴会が、今の僕に静寂な時間を与えてくれているのだ。静かに本が読める。それは本の内容がしっかりと頭に入ってくるという事であり、それはそのまま自分の知識を高める事と同義だ。確か紅魔館の魔女も同じ様な事を言っていたな。彼女とは気が合いそうだ。
と、そんな事を考えていると、扉に取り付けた鈴の音が来客を知らせた。
やれやれ、あの二人は普通の少女よりかなり酒に強いらしいな。
そんな事を思い本から顔を上げると、僕の目に映ったのは霊夢の紅白の巫女装束ではなく、魔理沙の黒白のエプロンドレスでもなかった。
「この青黒外道店主、今日こそ本を返してもらうわよ!てゆーか返せ!」
僕の目に映ったのは、赤い羽。
目の前の妖怪少女、朱鷺子の背中の赤い羽だった。
***
「……君か、朱鷺子。後、僕の名前は青黒じゃない、森近霖之助だ」
「長い。覚えらんない。だから青黒」
「全く……」
朱鷺子は以前霊夢が『何となく』で退治して、その時持っていた本を霊夢に奪われたという、何とも悲しい妖怪なのだ。
ちなみにその本は今は僕の手元にあり、あれ以来彼女は今の様に本を返せと言って店にやって来る。だがその本は正当な取引を経て僕の物になったのだ。返せと言われても返すつもりは無い。自分の物にしたいのであれば君も正当な取引をしろ、と何度言った事か。……まぁあの本は15巻あって初めて意味を成す物であり、第一いくら金を詰まれようが非売品は売らないから非売品なのだ。
「と、に、か、く!私の本!返せ!」
「何度も言っているが、あの本は正当な取引で僕の所有物になったんだ。今更返せと言われてもね」
「それは私の本なの!返しなさいよ!えーと……青黒!」
「森近霖之助、だ。今さっき言ったばかりだろう」
「長い!覚えてられないわよそんな長い名前!」
「やれやれ……」
今の会話から分かる様に、彼女は鳥頭だ。つい数分前に言った事を忘れているあたり、記憶力の低さが見て取れる。
だが、朱鷺子は本に関しては鳥頭ではないらしい。今こうして何十日も前に霊夢に奪われた本を求めて此処に来ている事が何よりの証拠だろう。
「早く返しなさいよ!『非ノイマン型計算機の未来・13、14、15巻』!」
「……ん?」
「何よ!?」
「そんなに長いタイトルを覚えているのかい?」
「当たり前よ!私の本だもん!」
「……僕の名前は?」
「え、えっと……も、もりち……青黒!」
「君の本は?」
「『非ノイマン型計算機の未来』!」
「僕の名前は?」
「あ、青く……青黒!」
「森近霖之助、だ」
「うぅ、……って、そんなのどうでもいい!」
「どうでも良くはないね」
「え……?」
「君はあの長い本のタイトルを覚えていた。それよりもはるかに短い僕の名前をすぐに忘れるのに、だ」
「興味の無い事は覚えられないわ」
「ほぅ、では矢張り君はあの本が相当気に入っている様だね?」
「当たり前よ!だって、外の世界の本よ!?見た事も無い世界を想像するのって、すっごくワクワクするじゃない!」
「フム……成程」
その考えは分からなくはない。本当に確かめる事は難しいが、思い描く事は楽で自由だ。朱鷺子とは気が合いそうだな。
そういえば、朱鷺子は何処からあの本を見つけてきたのだろうか。無縁塚か?いや、あの本は十二冊まとまって落ちていた。見落としは無かった筈だ。
だとするなら、朱鷺子はあの本を何処か別の場所で見つけたという事になる。僕の知らない場所……興味が無い訳が無い。
だがそこを知っているのは他ならぬ朱鷺子だ。彼女から聞き出しても良いが……余り遠い所だと拾いに行くのが面倒だな。
……いや、方法はある。その場所から僕が何の苦労無く本を手に入れる手段が。
その為には、朱鷺子と交渉する必要がある、か。幸いにも彼女に有利な物はある。
よし、交渉開始だ。
「……わかったよ」
「え?」
「君の熱意に負けたよ」
「じ、じゃあ……」
「あぁ、本は返さないよ。あれは僕の物だからね」
「えぇーーーーー!?」
「だが、君の思いには違う形で応えよう。……おいで」
言って、店の奥へ移動する。朱鷺子も僕について来ているようだな。第一段階は成功だ。
***
「此処は紅白にも白黒にも立ち入らせた事が無い、僕の書庫だ。君が奪われた本も此処に保管してある」
「奪った本人が言う台詞じゃないわね……」
「何度も言うが、あれは正当な取引だ。さぁ、入るといい」
書庫の扉を開け、朱鷺子を中に入れる。中に入った瞬間、朱鷺子は目を輝かせた。
「うわーっ!凄い!こんなに沢山の本!」
「量だけなら紅魔館の地下図書館には劣るがね。まぁ質で言えば、此処にあるのは全て外の世界の本だ」
「嘘!?これ全部!?凄い凄い凄い!」
「フフッ……」
蒐集家としては、蒐集物への賞賛というのは自分への賞賛と同義であり、それは僕とて例外じゃない。
「ほら、君の本はここだ」
「どこ?……って、なんか多い」
「君が持っていた本は、僕の持っていた本と合わせて初めて全巻揃うんだ」
「どうりであんまり分かんないと思った……」
「まぁ君が読んでいたのは最後の方だったからね。無理もない。
ちなみに、これは外の世界の式に関する本だ」
「外の世界の式!?」
「あぁ」
「凄い!外の世界にも式ってあるのね!」
「あぁ、そうだね」
適当に相槌を打ちながら、僕は暫くはしゃぎまわる朱鷺子の相手をしていた。
***
どれくらい時間が経っただろうか。数十分、或いは一時間近いかもしれない。
……そろそろ、か。
「……さて朱鷺子、そろそろ本題に移ろうか」
「え?」
「君はあの本を何処で見つけたんだい?」
「えーっと……色んな所」
「……成程。なら朱鷺子、一つ話がある」
「……何?」
「君が拾った外の世界の本を、僕に譲ってはくれないか?」
「な、何言ってるの!?譲るわけないでしょ!馬鹿なの!?」
「話は最後まで聞いてくれ。
……君は外の世界の本に興味がある。そうだね?」
「え、う、うん」
「そしてさっきも言った様に、此処にあるのは全て外の世界の本だ。……それも、僕が厳選した貴重な物ばかり」
「うん……」
「君は此処の本が読みたい筈だ。違うかい?」
「よ、読みたいけど……」
「……君が見つけた本を譲ってくれるなら、君が自由に此処で本を読む事を許可しよう。君から譲って貰った本も、此処に置こう」
「え……?」
「以前君が奪われた本も読め、紅白や黒白に邪魔される事は無い。本の管理も、僕がしっかり行おう。……どうだい?君にも悪くないと思うんだが?」
「え、えっと……」
「……ん?」
見ると、朱鷺子は何か言いたそうに、だがそれを言ってもいいものかといったような感じで体をモジモジさせている。
「……なんで?」
「ん?」
「なんでそこまでしてくれるの?」
「フム……」
何故、か。
その問いに対する答えは始めから決まっていた様なものだ。
「君と同じで、本が好きだからだよ」
「え……?」
「本というのは、知識の塊だ。そしてそれを知るというのはそれだけで大きな財産となる。今まで君は僕の本を奪い返そうとして必死で、僕もそれを守っていただけだったから気付けなかったが……、よくよく考えると君が余程本好きだという事が分かったからね。この話を持ちかけたという訳さ」
「え、えぅぅ……」
「……ん、どうしたんだい?」
見ると、朱鷺子の目には涙が溜まっていた。はて、何か泣かせる様な事をしてしまっただろうか?
「だ、だって……、本なんて、馬鹿みたい、だって、皆……」
「……あぁ、そういうことか」
合点が行った。要するに朱鷺子は自らの趣味を否定され続けていて、その趣味を褒められるという事に慣れていなかった為の嬉し涙といった所だろうか?
「……君の仲間がどういった価値観を持っているのかは分からない。が、これだけは胸を張って言える」
「ふぇ……?」
「君の趣味は素晴らしいよ。……朱鷺子」
「ッ―――!」
僕がそう言った瞬間、朱鷺子の目に溜まっていた涙が溢れ出した。
「う……ひっぐ……うぁあ……!」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を僕の胸に埋め、朱鷺子は涙声を漏らした。
「よしよし……」
言って、朱鷺子の頭を撫でる。
女性が泣きついて来た時は、黙って傍にいてやる。
修行時代、親父さんが(何故か)教えてくれた事だ。
親父さんの教えに倣い、僕は泣きじゃくる朱鷺子の頭を撫で続けた。
***
日が傾き魔法の森を茜色に染める頃、僕は店の前で朱鷺子を見送っていた。
「じゃあねー!青黒ー!」
「森近霖之助だと何度言ったら……全く」
あの後、少し変わった条件を出されたが、交渉は無事成立。朱鷺子は定期的に拾った本を香霖堂に持ってきてくれる事になった。
まだ見ぬ外の世界の本を思うと、年甲斐もなく少し興奮してしまう。
しかし、僕としては朱鷺子が出した条件が気になるな。
朱鷺子が出した条件、それは――――
***
『さて、もう大丈夫かい?』
『うん』
『それは良かった。……ところで、さっきの話だが……』
『……うん、良いわよ』
『……ん、それはよか『でも』……ん?』
『でも一つだけ、条件があるわ』
『……何だい?』
『こ、此処で働かせて頂戴!』
『……ゑ?』
『だ、だってその方が読書の時間も増えるし!』
『……それは、僕の様に読書しながら店番をすると言う事かい?』
『そ……そう!そういう事!』
『フム……(彼女が店番をしてくれるなら、外の世界の道具について考察する時間も増えるか……)』
『ど、どう?』
『……いいだろう、交渉成立だ』
『やったぁ!』
『……給金は君が本を読む権利として渡しておこう』
『うん!』
***
「えへへ……」
巣への帰り道、私は終始にやけていた。
「いい人だったな……」
初めてだった。
趣味を褒められたのも、理解してくれたのも。
……それに、男の人に抱きしめられたのも。
そう考えると、自然と顔が赤くなる。でも構うもんか。今は夕焼け、ちょっとぐらい分からないだろう。
それに―――
「頭、撫でてもらっちゃった……」
雄の朱鷺と接する事はある。でも人形になれる奴は皆、本を読む私を気味悪がって近づこうとしなかった。抱きしめられた事もそうだが、頭を撫でられるなんて事は、同属内ではまずしない。初めての行為にその時は思わず顔が真っ赤になった。
……なんだろ、コレ。
青黒の事考えると、ドキドキする。
――いや、違う。
「霖之助の事を考えると、胸がドキドキするんだ。」
興味の無い事は覚えない、というより覚えられない。でも、彼の名前は覚えた。
……けど、なんでだろ。
これは興味じゃない気がする。
でも何かは分からない。
本を読めば載ってるかな?
……ダメだ、きっと載ってても分かんない。
何となく、そんな気がした。
霖之助
朱鷺子可愛いよ朱鷺子!
霖之助カップリングが本当に素晴らしいですね!
電波発信者、怒らないから白状しなさい。
一緒に飲みましょう。
果たして彼女の淡い想いが報われる日は来るのか?
彼女が香霖堂で働く姿も見てみたいです。
あとブログへの質問の件ですがリンクはご自由にどうぞ。
こ、この私が霖之助の名前を間違えるだ……と……?
修正しました。指摘有難う御座います。
>>2 様
そう言っていただけると嬉しいです!
>>けやっきー 様
電波発信者は一体誰なんでしょうかね?w
>>玉機 様
働く姿……ダメだ、二人して無言で本読んでる所しか想像できないw
>>華彩神護 様
朱鷺子は良いんです。ええ。
読んでくれた全ての方に感謝!