私は人が好きだ。
そんな私を妖怪として見た場合、大層な変わり者に見えるのだろう。
確かに、私の半分は妖怪――ハクタクなのだから。
だが、私を人間として見た場合、人を好きになるのは当然のことだろう。
人は昔から集落を作り、互いに寄り添って暮らして来た。
隣人を愛せ、とは誰が言った言葉だっただろうか。
ともあれ、私のもう半分は人間なのだから、
その温もりの中で生きて、共に笑い合いたいと願うのは、至極当然のことだろう。
……それでも、どうにもならないこともある。
ばらつきこそあれど、妖怪に比べて人間は短命である。
私は半分妖怪であるため、長く生きられる様だが――
それは逆に、看取る者が多いということでもある。
寿命を迎える、病に倒れる、妖怪に殺される……
自然の摂理ではあるが、私自身、多くの死を見て来た。
――飲めない私に、無理矢理酒を飲まそうとした友人の。
――悪戯が好きで、よく親の説教を受けていた少年の。
――皆をまとめ上げ、私と一緒によく治世について語った老人の。
皆の生き様は、私が記憶している。
もう二度と会えない彼らの記憶は、思い出す度に懐かしく、そして苦しい。
それでも、皆には幸せに笑っていて欲しかったから、私は人間の力になろうと決めた。
里が何か難題にぶつかったりすれば、私が知っている先人の知識を皆に伝え、
妖怪が襲って来れば、皆の前に立って盾となり、矛となる。
妖怪でありながら人でもある、知識と歴史の半獣として。
そうして、ずっと私は暮らして来た。
……昔とは違い、私も随分成長した。だから負けることなど、考えもしなかった。
月が欠けたあの夜は、ハクタクの力を完全には引き出せなかったこともある。
だが、それ以上に相手の力量が上回っていたのだ。
……里を一度隠すという判断をした時点で、私も気付くべきだった。
私が負けた時に、失うものの大きさを。
「もしかして、美味しくなかった?」
「え……あ、いや。そんなことはないぞ、うん」
我に帰れば、目の前には不安げな妹紅の姿。
人里から少し離れた、竹林の中にひっそりと存在する妹紅の庵は、
生活するのに必要最小限の物しか置かれていない、こぢんまりとした所だ。
ちゃぶ台に並んだ二人分の夕餉は、質素ではあるものの、
里の近辺で採れる旬の素材を集めて作った品々である。
無論、私と妹紅の腕は人並みにあるため、不味い訳がない。
素材集めに手間取り、とうに日も落ちてしまったが、その苦労を考えればこれに勝る御馳走はないだろう。
あの夜から数日。
未だにこの件は私の頭から離れず、思い出しては周囲の者に変な表情を見せてしまっている。
確かに結果として、私を負かした者達は里の人間を狙っておらず、
皆の歴史の中では『妖怪が来た』という事柄をなかった事に出来た。
だが、もしもあの者達が里を襲う意思を持っていたとしたら?
そうでなくとも、そのような意思を持ち、私以上の力を持つ妖怪がいないとは言い切れない。
……私が傷付くのは、一向に構わない。
力は不安定だが、妖怪の頑丈さはある程度持ち合わせている。
だが――――
「えーっと、確か守り刀は……あ、あったあった。左手は添えるだけだっけ」
「ちょ、何をしている妹紅!?」
はっとして、目の前の光景が現実に戻る。
逆手に抜き身の短刀を構えた妹紅が、今にも我が身を貫かんとばかりに、両手を振り上げていた。
慌てて私が止めると、素直に両手を降ろし、先程の凶行などなかったかのような笑顔が。
「あ、やっと気付いたね。呼んでも返事がなかったから、ちょっと炎も出してみたんだよ?
それでも駄目だったからここはいっちょ、さくっと切腹してリザレクションでもしてみようかなーって」
「……切腹というものはそう簡単に死ねず、痛いだけで大変らしいぞ。だから介錯が必要になると思うのだが」
「うわ、やらなくてよかった」
世話の事を介錯と呼ぶ場合もあるそうだが……この場合は私が介錯人か?
ともあれ、本当に腹を切らなくて良かった。
「何か考え事でもしてたんでしょ? それもきっと、すんごく深刻な事」
「……やはり、お見通しだったか」
私と妹紅は、かなり長い付き合いになる。
人の身でありながら、永遠を生きる蓬莱人。
変わり者の私にとって、妹紅は古くからの友人であり、よき理解者でもある。
そんな彼女だからこそ、私の行動の変化でそれくらい気付いても――
「月が欠けたあの夜から慧音様が変だーって、里のみんなが言ってたもん。
あの晩、妖怪は来なかったらしいけど……本当は何かあったんでしょ?」
……里全体で気付かれていたのか。
「そんなに、変だろうか?」
「うんすっごく」
即答である。
ここまで来ると、もはや隠した所で何にもならないだろう。
気付かれていないと思っていたのは、私だけだったということか。
「隠す程の事ではなかったのかもしれないが……今まで言わなかったのは済まなかった」
私が頭を下げると、食べながらでいいよ、と言って妹紅は笑ってくれた。
そして私は話した。
あの中々明けることのなかった、夜の出来事を。
「慧音らしいね」
一通り聞き終わった妹紅は、そう呟いて湯飲みを手にした。
纏う雰囲気はいつもの――外見に相応な、よく笑う――妹紅なのだが、
その何処か優雅な仕草を見ていると、やはり貴族の出だということを思い出させられる。
「よく解らないが……私らしいのか?」
「みんなに優しいんだよ、慧音は。
誰にだって、守りたい人の一人や二人はいるけど、慧音はそれが里のみんな、ってことでしょ?
大事な人を失うかもしれない……ってのはやっぱり恐いけど、それは誰だって同じじゃないかな」
「……妹紅も、そうなのか」
「私は必ず失っちゃうからね。仕方ないことだけど、時間は情けをかけてくれないし。
それでも、最後に残るのがあいつらってのは、何だか癪だけど」
ぱちりと囲炉裏の火が弾けて、心なしか勢いが増した……ような気がする。
蓬莱人は寿命ある者を失っていくが、私と里の人々に限って言えば関係は同じだ。
いつか妹紅は、私を失う事になるのだろう。
蘇る度に強くなる伝説の火の鳥と、妹紅は自分を指して言うことがある。
それはきっと、数え切れない程多くの者を失い、打ちのめされ、膝を折ることがあっても、
生きていくことしか出来ない蓬莱人の、心の強さでもあるのだろう。
そして――その道を歩めるのは、同じ蓬莱人のみ。
「全く……なら、少しは歩み寄らないか?」
「あいつが果たし状じゃなく、菓子折りのひとつでも持って来たら考えるよ。
……それに後の事ばかり考えるより、今をしっかり楽しむ事の方が大事だと思うけどね」
「今を……」
「そ。振り返るのは、何時でも出来るんだからさ。
振り返ったその場所に、いい思い出が多くあればいいなって」
「……強いな、妹紅は」
「長生きしてるだけだよ」
これから私は、何度も挫けるかもしれない。
誰かを守ること。
それはとても大変なことだと、あの夜に身を以って知らされた。
だから負ける度に、失う度に、私は何度も膝を着くだろう。
……でも、それでも私は人が好きだから。
この想いを捨てることだけは、きっと出来はしない。
だから何度くじけても、私は立ち上がっていきたい。
私が守る里の歴史に、悲しい出来事はなるべく残したくないから。
そのために、私は強く在りたい。
決して負けない強さではなく、妹紅のような立ち上がれる強さを。
「……誰か、来るね」
私が顔を上げると、妹紅は神妙な面持ちで壁の一点を見詰めていた。
耳を澄ますまでもなく、竹林がざわめく音が聞こえる。
それは、強い力の気配も伴って、こちらへ向かって来ていた。
竹林に迷い込む者が全くいない訳ではないのだが、その数は決して多くはない。
ましてや、この庵に向かって来る者など、皆無と言ってもいい。
「輝夜だろうか?」
「あいつじゃないよ。こんな気配じゃないし」
妹紅は私の仮定を否定する。伊達に長い間柄ではないということか。
――だとすると考えられるのは、
「きっと刺客でしょ。自分で動きそうにないし」
「やはりか」
死なない妹紅を殺しに来る刺客。
妹紅を相手にする以上、輝夜が送ってくる刺客は相当な実力者である。
しかしまあ、こんな夜更けに送られてくる刺客も、大変だとは思うが……。
「じゃ、ちょっと行ってさくっと……むぐ」
「ほらほら、魚もちゃんと食べろ。脂が乗っていて美味しいんだから」
喜々として、打って出ようと立ち上がった妹紅を押さえ付け、わざと残されていた焼き魚を口に放り込む。
涙目になって焼き魚と格闘している妹紅を見ていたら、自然と笑みが零れた。
「んぐ、んんっ……はぁぁ。な、何するの慧音……」
「好き嫌いくらい、そろそろ直すべきだと思ったんだがな。ほら、あと2匹」
「で、でもほらっ、刺客が来るじゃな――むぐぅっ!?」
なおも抵抗して打って出ようとする妹紅の口に、2匹目の焼き魚を放り込む。
まあ、吐き出そうとせず、ちゃんと食べようとしている様は立派だと思う。
その必死な涙目の表情が、また可愛いのだが。
……おお、ちゃんと食べきったな。偉い偉い。
「今夜は私に任せてくれ。」
「え……?」
私の言葉に、妹紅は目を丸くする。
まあ、無理もないだろう。いつもは手を出さない私の申し出なのだ。
「闇に紛れて、しかもこんな団欒の最中に仕掛けてくる不粋な輩には、早々にお帰り頂こうかと思ってな。
……まあ、私の情けない話を聞いてくれた礼、ということにしてくれないか」
「そんな、別に情けなくなんかないってば。でも……慧音、大丈夫?」
「ああ。私なら大丈夫だ」
大切な事は、妹紅が思い出させてくれたから。
過ぎたことに囚われ、悩んでいても、今が良くなる訳ではない。
起きてしまった歴史をなかったことにしても、それは私の中に残り続ける。
この瞬間は、どんどん過去になっていく。
過去ではなく現実を見て、私が望むものを掴めるのならば、それはきっと、とても大切なものになるから。
真に歴史を創る、とはきっとこういうことなのだろう。
振り返ることは何時でも出来るけど、この瞬間は今しかないのだから。
……大袈裟に言えば、運命を変えるとでも言えるだろうか?
ああ――あの吸血鬼の言う通りかもしれない。
運命というほど大それたものでなくても、後ろばかり見ていては、変えられるものも変えられないか。
「だから妹紅。どうしても行きたいのなら、残りの魚を食べてからにしてくれ。冷めると美味しくないぞ」
「うっ……」
言葉に詰まり、視線を逸らす妹紅。
他の物はしっかり食べているのに、明らかに魚だけ箸をつけていない。
「ほら、そのぉ……小骨がね」
答える声は小さく、まるで親に叱られた子供のよう。
確かに里の子供でも、小骨が原因で魚嫌いになることは多い。多いのだが……
「さっきの2匹は食べられただろう?」
「丸呑みしただけだもん」
……どうりで涙目になっていた訳だ。
「……戻って来たら一緒に片付けよう。だからそれまでには食べておいてくれ」
「う、うん」
立ち上がり戸を開けば、冷えた夜の空気が気を引き締めてくれた。
広がる闇の向こう側。私が見詰めるその先から、今宵の刺客がやって来る。
「いってらっしゃい。怪我しないでね?」
「ああ、それでは行ってくる」
見送りの言葉に背中を押されるようにして、地を蹴り、星空の下に舞い上がる。
――さあ、もう一度歴史を創ろう。
敗北も挫折も受け入れて、それでも再び立ち上がることから始まる、そんな歴史を。
何度でも、何度でも、歴史がそう繰り返すように。
そんな私を妖怪として見た場合、大層な変わり者に見えるのだろう。
確かに、私の半分は妖怪――ハクタクなのだから。
だが、私を人間として見た場合、人を好きになるのは当然のことだろう。
人は昔から集落を作り、互いに寄り添って暮らして来た。
隣人を愛せ、とは誰が言った言葉だっただろうか。
ともあれ、私のもう半分は人間なのだから、
その温もりの中で生きて、共に笑い合いたいと願うのは、至極当然のことだろう。
……それでも、どうにもならないこともある。
ばらつきこそあれど、妖怪に比べて人間は短命である。
私は半分妖怪であるため、長く生きられる様だが――
それは逆に、看取る者が多いということでもある。
寿命を迎える、病に倒れる、妖怪に殺される……
自然の摂理ではあるが、私自身、多くの死を見て来た。
――飲めない私に、無理矢理酒を飲まそうとした友人の。
――悪戯が好きで、よく親の説教を受けていた少年の。
――皆をまとめ上げ、私と一緒によく治世について語った老人の。
皆の生き様は、私が記憶している。
もう二度と会えない彼らの記憶は、思い出す度に懐かしく、そして苦しい。
それでも、皆には幸せに笑っていて欲しかったから、私は人間の力になろうと決めた。
里が何か難題にぶつかったりすれば、私が知っている先人の知識を皆に伝え、
妖怪が襲って来れば、皆の前に立って盾となり、矛となる。
妖怪でありながら人でもある、知識と歴史の半獣として。
そうして、ずっと私は暮らして来た。
……昔とは違い、私も随分成長した。だから負けることなど、考えもしなかった。
月が欠けたあの夜は、ハクタクの力を完全には引き出せなかったこともある。
だが、それ以上に相手の力量が上回っていたのだ。
……里を一度隠すという判断をした時点で、私も気付くべきだった。
私が負けた時に、失うものの大きさを。
「もしかして、美味しくなかった?」
「え……あ、いや。そんなことはないぞ、うん」
我に帰れば、目の前には不安げな妹紅の姿。
人里から少し離れた、竹林の中にひっそりと存在する妹紅の庵は、
生活するのに必要最小限の物しか置かれていない、こぢんまりとした所だ。
ちゃぶ台に並んだ二人分の夕餉は、質素ではあるものの、
里の近辺で採れる旬の素材を集めて作った品々である。
無論、私と妹紅の腕は人並みにあるため、不味い訳がない。
素材集めに手間取り、とうに日も落ちてしまったが、その苦労を考えればこれに勝る御馳走はないだろう。
あの夜から数日。
未だにこの件は私の頭から離れず、思い出しては周囲の者に変な表情を見せてしまっている。
確かに結果として、私を負かした者達は里の人間を狙っておらず、
皆の歴史の中では『妖怪が来た』という事柄をなかった事に出来た。
だが、もしもあの者達が里を襲う意思を持っていたとしたら?
そうでなくとも、そのような意思を持ち、私以上の力を持つ妖怪がいないとは言い切れない。
……私が傷付くのは、一向に構わない。
力は不安定だが、妖怪の頑丈さはある程度持ち合わせている。
だが――――
「えーっと、確か守り刀は……あ、あったあった。左手は添えるだけだっけ」
「ちょ、何をしている妹紅!?」
はっとして、目の前の光景が現実に戻る。
逆手に抜き身の短刀を構えた妹紅が、今にも我が身を貫かんとばかりに、両手を振り上げていた。
慌てて私が止めると、素直に両手を降ろし、先程の凶行などなかったかのような笑顔が。
「あ、やっと気付いたね。呼んでも返事がなかったから、ちょっと炎も出してみたんだよ?
それでも駄目だったからここはいっちょ、さくっと切腹してリザレクションでもしてみようかなーって」
「……切腹というものはそう簡単に死ねず、痛いだけで大変らしいぞ。だから介錯が必要になると思うのだが」
「うわ、やらなくてよかった」
世話の事を介錯と呼ぶ場合もあるそうだが……この場合は私が介錯人か?
ともあれ、本当に腹を切らなくて良かった。
「何か考え事でもしてたんでしょ? それもきっと、すんごく深刻な事」
「……やはり、お見通しだったか」
私と妹紅は、かなり長い付き合いになる。
人の身でありながら、永遠を生きる蓬莱人。
変わり者の私にとって、妹紅は古くからの友人であり、よき理解者でもある。
そんな彼女だからこそ、私の行動の変化でそれくらい気付いても――
「月が欠けたあの夜から慧音様が変だーって、里のみんなが言ってたもん。
あの晩、妖怪は来なかったらしいけど……本当は何かあったんでしょ?」
……里全体で気付かれていたのか。
「そんなに、変だろうか?」
「うんすっごく」
即答である。
ここまで来ると、もはや隠した所で何にもならないだろう。
気付かれていないと思っていたのは、私だけだったということか。
「隠す程の事ではなかったのかもしれないが……今まで言わなかったのは済まなかった」
私が頭を下げると、食べながらでいいよ、と言って妹紅は笑ってくれた。
そして私は話した。
あの中々明けることのなかった、夜の出来事を。
「慧音らしいね」
一通り聞き終わった妹紅は、そう呟いて湯飲みを手にした。
纏う雰囲気はいつもの――外見に相応な、よく笑う――妹紅なのだが、
その何処か優雅な仕草を見ていると、やはり貴族の出だということを思い出させられる。
「よく解らないが……私らしいのか?」
「みんなに優しいんだよ、慧音は。
誰にだって、守りたい人の一人や二人はいるけど、慧音はそれが里のみんな、ってことでしょ?
大事な人を失うかもしれない……ってのはやっぱり恐いけど、それは誰だって同じじゃないかな」
「……妹紅も、そうなのか」
「私は必ず失っちゃうからね。仕方ないことだけど、時間は情けをかけてくれないし。
それでも、最後に残るのがあいつらってのは、何だか癪だけど」
ぱちりと囲炉裏の火が弾けて、心なしか勢いが増した……ような気がする。
蓬莱人は寿命ある者を失っていくが、私と里の人々に限って言えば関係は同じだ。
いつか妹紅は、私を失う事になるのだろう。
蘇る度に強くなる伝説の火の鳥と、妹紅は自分を指して言うことがある。
それはきっと、数え切れない程多くの者を失い、打ちのめされ、膝を折ることがあっても、
生きていくことしか出来ない蓬莱人の、心の強さでもあるのだろう。
そして――その道を歩めるのは、同じ蓬莱人のみ。
「全く……なら、少しは歩み寄らないか?」
「あいつが果たし状じゃなく、菓子折りのひとつでも持って来たら考えるよ。
……それに後の事ばかり考えるより、今をしっかり楽しむ事の方が大事だと思うけどね」
「今を……」
「そ。振り返るのは、何時でも出来るんだからさ。
振り返ったその場所に、いい思い出が多くあればいいなって」
「……強いな、妹紅は」
「長生きしてるだけだよ」
これから私は、何度も挫けるかもしれない。
誰かを守ること。
それはとても大変なことだと、あの夜に身を以って知らされた。
だから負ける度に、失う度に、私は何度も膝を着くだろう。
……でも、それでも私は人が好きだから。
この想いを捨てることだけは、きっと出来はしない。
だから何度くじけても、私は立ち上がっていきたい。
私が守る里の歴史に、悲しい出来事はなるべく残したくないから。
そのために、私は強く在りたい。
決して負けない強さではなく、妹紅のような立ち上がれる強さを。
「……誰か、来るね」
私が顔を上げると、妹紅は神妙な面持ちで壁の一点を見詰めていた。
耳を澄ますまでもなく、竹林がざわめく音が聞こえる。
それは、強い力の気配も伴って、こちらへ向かって来ていた。
竹林に迷い込む者が全くいない訳ではないのだが、その数は決して多くはない。
ましてや、この庵に向かって来る者など、皆無と言ってもいい。
「輝夜だろうか?」
「あいつじゃないよ。こんな気配じゃないし」
妹紅は私の仮定を否定する。伊達に長い間柄ではないということか。
――だとすると考えられるのは、
「きっと刺客でしょ。自分で動きそうにないし」
「やはりか」
死なない妹紅を殺しに来る刺客。
妹紅を相手にする以上、輝夜が送ってくる刺客は相当な実力者である。
しかしまあ、こんな夜更けに送られてくる刺客も、大変だとは思うが……。
「じゃ、ちょっと行ってさくっと……むぐ」
「ほらほら、魚もちゃんと食べろ。脂が乗っていて美味しいんだから」
喜々として、打って出ようと立ち上がった妹紅を押さえ付け、わざと残されていた焼き魚を口に放り込む。
涙目になって焼き魚と格闘している妹紅を見ていたら、自然と笑みが零れた。
「んぐ、んんっ……はぁぁ。な、何するの慧音……」
「好き嫌いくらい、そろそろ直すべきだと思ったんだがな。ほら、あと2匹」
「で、でもほらっ、刺客が来るじゃな――むぐぅっ!?」
なおも抵抗して打って出ようとする妹紅の口に、2匹目の焼き魚を放り込む。
まあ、吐き出そうとせず、ちゃんと食べようとしている様は立派だと思う。
その必死な涙目の表情が、また可愛いのだが。
……おお、ちゃんと食べきったな。偉い偉い。
「今夜は私に任せてくれ。」
「え……?」
私の言葉に、妹紅は目を丸くする。
まあ、無理もないだろう。いつもは手を出さない私の申し出なのだ。
「闇に紛れて、しかもこんな団欒の最中に仕掛けてくる不粋な輩には、早々にお帰り頂こうかと思ってな。
……まあ、私の情けない話を聞いてくれた礼、ということにしてくれないか」
「そんな、別に情けなくなんかないってば。でも……慧音、大丈夫?」
「ああ。私なら大丈夫だ」
大切な事は、妹紅が思い出させてくれたから。
過ぎたことに囚われ、悩んでいても、今が良くなる訳ではない。
起きてしまった歴史をなかったことにしても、それは私の中に残り続ける。
この瞬間は、どんどん過去になっていく。
過去ではなく現実を見て、私が望むものを掴めるのならば、それはきっと、とても大切なものになるから。
真に歴史を創る、とはきっとこういうことなのだろう。
振り返ることは何時でも出来るけど、この瞬間は今しかないのだから。
……大袈裟に言えば、運命を変えるとでも言えるだろうか?
ああ――あの吸血鬼の言う通りかもしれない。
運命というほど大それたものでなくても、後ろばかり見ていては、変えられるものも変えられないか。
「だから妹紅。どうしても行きたいのなら、残りの魚を食べてからにしてくれ。冷めると美味しくないぞ」
「うっ……」
言葉に詰まり、視線を逸らす妹紅。
他の物はしっかり食べているのに、明らかに魚だけ箸をつけていない。
「ほら、そのぉ……小骨がね」
答える声は小さく、まるで親に叱られた子供のよう。
確かに里の子供でも、小骨が原因で魚嫌いになることは多い。多いのだが……
「さっきの2匹は食べられただろう?」
「丸呑みしただけだもん」
……どうりで涙目になっていた訳だ。
「……戻って来たら一緒に片付けよう。だからそれまでには食べておいてくれ」
「う、うん」
立ち上がり戸を開けば、冷えた夜の空気が気を引き締めてくれた。
広がる闇の向こう側。私が見詰めるその先から、今宵の刺客がやって来る。
「いってらっしゃい。怪我しないでね?」
「ああ、それでは行ってくる」
見送りの言葉に背中を押されるようにして、地を蹴り、星空の下に舞い上がる。
――さあ、もう一度歴史を創ろう。
敗北も挫折も受け入れて、それでも再び立ち上がることから始まる、そんな歴史を。
何度でも、何度でも、歴史がそう繰り返すように。