――雨が降っている。
昨晩から降り続いている雨は、今もってなお降り続いていた。
ここ博麗神社にも、雨は降っている。
仕方ない。 梅雨なんだし。
雨の日の巫女は、すこぶる怠惰だ。
布団から抜け出し、いつのも紅白の装束に着替えたところで、霊夢の気力は早くも尽きていた。
「雨じゃ、掃除しようもないし……」
誰も聞いていないのに、口に出す。
今日食べようと思ってとっておいた饅頭から、微妙にいやな予感がしたので萃香にあげた。
力強き曲がらぬ者は、拡散したまま、戻って来る気配がない。
かれこれ三時間は前だろうか。
是非もなし。
空腹を誤魔化すように、茶を啜る。
食料の保存の難しい季節になってきたため、最近は食が細い。
それでなくとも欠食気味なのに。
ごろり……と、畳の上に転がる。
縁側の少し先には、雨の結界がある。
薄曇りの下、雫に煙る境内が見える。
雨音に耳を傾け、横倒しになった世界をぼんやりと眺める。
濡れた石畳は黒く。 水溜りに繰り返し波紋を作っている。
ざらざら、ぱしゃぱしゃ。
紫や蒼に咲く紫陽花が見える。
ぱらぱら、さらさら。
雨の日は、たいがい暇だ。
辺境に位置するこの神社まで、こんな天気でも飛んでくるやつは、流石に稀である。
距離を問題としないやつらは別だけど。
平和が一番よね。 お賽銭が入ればなお言うことなしね。
霊夢は半身を起こす。
別に、起きて室内の掃除をしよう、とかそういうわけではない。
「……よっ…と」
手の届くぎりぎりにあった、座布団をひきよせる。
その横顔、頬には畳の跡がついていた。
二つに折りたたみ枕にする。
前に畳の跡を付けたまま、来客を迎えたことがあったっけ。
そうか、レミリアが自前のクッションの持ってきたのはあの日の後か。
人の顔を指差し、けたけたと笑った紅い少女を、くすぐり地獄に堕とした日の事を思い出す。
灰色の薄雲の海、向こうに太陽の存在を感じさせる白い部分がある。
「……晴れるのかしら……」
そんな予感があった。
ならば。 ならば、この静寂を有意義に使わなければならない。
静寂を楽しむ。
「お昼寝、ね……」
足の指で薄掛けを摘むと、引き寄せる。
腹に掛けると、ゆっくりと、息を吸う。
雨の薫りが、霊夢の肺を満たす。
瞳を閉じる。
闇に塗り替えられた世界の中、霊夢は、雨の音に意識を傾ける。
■
瞼の向こうが明るい。
「ん……」
勘が当たったらしい。 雨が上がっている。
完全には晴れていない空、雲の切れ間から、初夏の日差しが降り注いでいる。
梅雨の置き土産が、光を反射しており、境内は光が満ちていた。
変ったのは景色だけではない。
どこから来たのか、雀が囀っている。
「にじ~、なな~いろ~の~」
夜雀も歌っていた。 まだ日が高いのに。
鳥居の上に立ち、気持ちよさそうに声を空に放っている。
神前で妖怪が歌うとはいい度胸だ。
のそり、と身を起こす。
今日の晩飯は、奴に蒲焼をたかるとしようか。
霊夢は、袖の中の札を確かめつつ「交渉」に向かう。
くたびれたサンダルをつっかけ、庭に出る。
びしゃり。
「げ」
一歩目から水溜りだった。 水はけの悪い作りではないのだが、さすがに雨上がり。 油断した。
「あ、巫女だ」
足先を浸す水の感触に顔をしかめていると、夜雀がこちらに気が付いた。
「……あんた、なにしてんのよ」
機先を制され、若干ひるむ。
「なにって、歌ってたのよ? 聴いてなかったの?」
「あー、そうね、確かに聴こえたわ」
もう構うものか。 びしゃびしゃ、と水溜りを歩く。
「まだ歌うってんなら、ショバ代取るわよ」
交渉も何も無かった。 単なる強請りだ。
「ん~、もういいや、虹もそろそろ消えちゃうし」
ミスティアの視線を追うと、そこには巨大な七色の弧が浮かんでいた。
高い位置にある神社からだと、弧というよりは円に見える。
雨と光の気まぐれが生み出したそれは、もう薄れ、消え去ろうとしていた。
「残念ね」
なにが、と、問う者は今ここには居ない。
ばさり、と、ミスティアが降りてきた。
ぱしゃん、と水溜りに片足を下ろす。
「なによ、歌は終わりなんでしょう」
「歌ったらお腹すいちゃって」
こいつ、うちに飯をたかる気か……!
戦いの予感に、霊夢の霊気が膨れ上がる。
が、予測に反してミスティアは霊夢に背をむける。
鳥居の柱に近寄り、何かをつまみ上げる。
「?」
へっへーん、と振り向き摘んで見せるのは、
「……カタツム、り?」
爪の長いミスティアの人差し指と親指の間には、大きな蝸牛の姿があった。
柱からはがされた蝸牛は、地面を求めてその体を伸ばす。
「うん♪」
にっこりと笑う夜雀に、霊夢は黙り込む。
にゅうぅ という動きでのたうつ姿。
霊夢の意識が刮目する。 流石に、ソレを試した事は無かった……!
「いっただっきまーす♪」
上を向き、ひょいっと口中に放り込む。
ばりぱりざりざりむぎゅむぎゅ。
軽快な音を立て、蝸牛はその生涯の幕を下ろす。
ごくん。 彼(彼女)は夜雀のおやつなった。
ごくり。 巫女の喉が鳴る。
「……」
いや待て。 いくらなんでも蝸牛の踊り食いは無理だろう、と、正気に戻る霊夢。
人の尊厳と胃袋の処理限界が、脳内で緊急会議を始める。
「お、もう一匹見っけ~♪」
そんな霊夢にはお構いなしで、次の獲物を見つけだし、はしゃぐミスティア。
ひょいぱくり ばりぱりざりざりむぎゅむぎゅごくり
「ん~♪」
頬に手を当て、堪らん、といった様子で羽をパタパタさせる。
いかん。 霊夢は焦った。
目の前で美味そうに喰われると、そういう気になってくる……!
脳内では、強硬派が机を激しく叩き、穏健派を追い詰めていく。
「ここ、すごいね! こんなにおっきなタツムリがこんなにいるよ!」
紫陽花の前から、満面の笑顔で振り向いたミスティアは、しかし、その動きを止めた。
「……」
「……れ、れい、む?」
そう、博麗霊夢がすぐ背後に立っていたのである。
誰だ。
常春の巫女と呼ばれる霊夢の顔が、別人に見えたのは日を背負った影ゆえ。
ミスティアは自分に、そう言い聞かせた。
「ねえ」
掛けられた声に、身体が竦んだ。
「ど、どうしたの?」
様子の変った霊夢に、ミスティアが声を掛ける。
「……それ」
霊夢の指は、一匹の蝸牛を指していた。
霊夢の指には、今、一匹の蝸牛が摘まれている。
博麗の巫女の歯は、生の蝸牛を噛み砕くことが出来るのか?
人間の胃袋は、対手(生蝸牛)を消化することが出来るのか?
出来る
出来るのだ
見よ 蝸牛を食すまでに鍛えこまれた飢餓感
見よ ご馳走を見据えるが如く唾液を滴らせる巫女の口腔
そこから放たれる恐怖の食事風景を知る者は
人の訪れぬ神社にて勝負を見守る二人の少女
■
数時間後、すっかり日の落ちた博麗神社。
居間には人影が2つある。
「霊夢。貴方の蛮勇は認めるけど、生だけはよしなさい」
紫に看病されつつ、霊夢は半目を開ける。
「……次は醤油も用意するわ」
――おわり――
広東住血線虫が入ってたりしたらまずいだろうなあ、とか思ったり。
ちなみにLeucochloridiumの方だとみすちーが危険です。
野生のを食べるときは数日間絶食ないし正常な餌を与えて胃の中身を消化させるそうな。
ていうか萃香の安否が気遣われます。巫女よ・・・アンタが鬼やで。
……強く生きろ、霊夢
ミスティア、うまそうに食べてるなぁw
なるとは思いもよらなかったです。はい。
ひぃぃぃぃぃ。
きききき寄生虫がぁ。