初対面で好印象を、離れてはまた会いたいと、再び会えて嬉しいと、
誰もに思わせる語りきれないほどのご主人の魅力は、私にはあまりに眩しい。
見る者を圧倒する荘厳さに栄える外見。
頭から指先、足先に至るまで、美しく機敏な動作に、思わず釘付けになる振る舞い。
気付くと我を忘れて余韻に浸ってしまうほど、通りのいい落ち着いた声。
心の底まで見透かされるような、鋭くも暖かいあなたの瞳。
誰だって思うだろう。たった今からこの人は、私にとっての特別だと。
しかしそうではない。ご主人は、ただ単に、瞳に映る全てに平等なだけ。
ご主人の心には、他の存在から向けられる一切の想いが、恐らく届いていない。
ただ一人を除いて。
聖尼公。
一妖怪に過ぎなかったご主人を、今のご主人の立場へ就かせた人間。
この人なくしては、私もあなたと出逢うことはなかった。
最初は都合の良い相手だと、そう思った。
毘沙門天の弟子として、代理の立場にある者として、
予想された心配など不要な、有能な人材のようだ。
布教・信仰の象徴の存在として申し分ない。
癖の無さ故、日常の付き合いになじむまで苦労するということもなさそうだ。
この対象なら、監視の任務もすぐに終わるだろう。
体のいい有給休暇になりそうだ、と。
事実、表では人間から厚く慕われ。
裏では聖尼公の教えに共感した妖怪達をも取り込んだ。
前途洋々、順風満帆、先を憂う必要はまるで皆無だった。
「あの僧侶が封印された、と」
「知っています」
「見て見ぬ振りとは、予想外だ」
「私の望みは、聖の望み。寺の存続という選択こそ、私が貫くべき正義」
盛者必衰とは、正にこのことを言うのだなと実感した。
しばらく経った頃に突如起こった、聖尼公の封印騒動。
私の任務は大幅に長引く予定となった。
既存の求心力は緩やかに薄れ続け、新規の信徒が訪れることが滅多になくなり。
そんな中で、ご主人は懸命に毘沙門天の代理を務め続けた。
今まで見ることのなかった、悩みと不安に疲れた“らしくない”顔。
私は何度か見てしまった。
それでも私の気配に気付くと、すぐに姿勢を取り繕う。
その時に一瞬だけ見せる力の抜けた顔が、ご主人の素顔なのだろう。
何故か、いつまでも私の頭の中に残り続けている。
気付くと私は、任務の合間にご主人の手伝いを始めていた。
律儀に綴っていた任務経過を記録しなくなったのは、果たして何百年前だったか。
ご主人への想い。
正直に言うと、ひどく不愉快だ。
私が何をした? 私は何もしていない。
ご主人は何をした? ご主人も何もしていない。
少し、私達の周りで騒動があっただけ。
私はただ、変わらずご主人のことを見続けた。
ご主人はただ、ありのまま私と接し続けてくれた。
ただそれだけ。
それだけで私はいつの間にか、
ご主人へ溢れ続けて止まらない好意のような想いを抱えることになり、
ご主人と長年の間付き合ってきた。
紛れも無くご主人のせいだ。
それなのに、ご主人の私への態度は一寸も変わりはしない。
ご主人と私の心の距離は、いまだに初めて出逢った時のまま。
この心境の変化に気付いたのはいつのことだったか、覚えてはいない。
いつの間にか、ご主人のことしか考えられなくなっていた。
ご主人の側に居られれば、今の自分の立場も体面も、
これから先の人生さえも、気にならなかった。
ご主人に気付いて欲しい。出来れば、ご主人から気付いて欲しい。
そして願わくば――……いや、やはり、絶対に、
聖尼公に代われるだけの、あなたの心の支えになりたい。
「ナズーリン、あなたにしか相談出来ないことがありまして……――」
初めて頼られて、嬉しかった。
私にしか出来ない私だけの能力が、ご主人の助けになる。
長年の想いが実ったとしか思えなかった。
その時だけは、確かに私がご主人の意識の中心にいたはずだ。
事態の打開は、私にしか出来なかった。
私のことしか、考えられなかっただろう?
私が今どこにいるのか、焦って探しただろう?
私が無理とか駄目とか切り出したらどうする?
ああ、今思い出しても鳥肌が立って心地良い。
取り乱したいほどの興奮を必死に隠して、
「仕方が無いな」
と、返すのがやっとだった。
錯覚だった。
宝塔を持ち帰った私を待っていたのは、
嬉々として聖尼公を助ける準備をしていたご主人の姿。
ご主人の手に宝塔を渡す時に、
持てる力を込めて握り締めていたけれど、
私のわずかな力によるささやかな抵抗に意味は無く、
宝塔は難なく私の手から離れた。
ご主人の顔なんて、しばらく見たくなかった。
事の前と後で、私とご主人の関係に変化はないまま。
増えた過去の面子にも相変わらずいい顔をしている。
私にも寸分違わず今まで通り。
ああ、寸分違わず、というのは正確ではなかった。
侘びと礼を兼ねたのだろうか、特選の茶葉を頂いたな。
ご主人には、苛立ちが溜まって仕方が無い。
一番ご主人に想われているのは、私ではない。
しかし、一番ご主人に添い続けたのは私だ。
果たして本当に、ご主人は私のことを何とも思っていないのか。
聖尼公が帰り、寺に活気が戻り、
前よりもご主人と個人的に接する機会は減った。
残っているものは、ご主人の監視役という名目と、
成果の不確かな、淡々とした日々千年分。
それと、先ほど交渉してきた、
私にくれた茶葉から茶を淹れてくれるよう取り付けた一服の時間、一夜。
私の精一杯の勇気、願わくば届きますように。
こういうのはニヤニヤと悩んでいるうちが一番楽しいですね