「らららら、らーらららー」
聖の細筆が、軽快に短冊上を滑っていく。
『冷凍の刻みまくわうりを皆で食べたいです。お腹冷やさないでね 白蓮』
ハートマークつきのお願いが、また一枚。七色の夢束で、巫女の札の束のように頬を張れそうだった。聖は理不尽な暴力は振るわないけれど。
時が変われば、暦や行事の形も変わる。竹を華やかに飾り、牽牛星と織女星を祭って技芸上達を祈願した五節句の七夕は旧暦の昔。新暦の今日では、祭礼や書道熟練を祈る側面は削り取られている。代わりに、ささやかな願望の笹枝を天の河に向けるようになった。装飾は残った。
郷に入っては、目一杯踊らなければつまらない。封印明けの聖は、昨夏、私達も新暦流でやりましょうと提案した。
「面白そうな夢を、沢山書きましょう。大願宿願はいけないわ。お星様の負担になるし、自力で叶えなくちゃ」
長らく星空を見られなかった、一輪達も大乗り気。七夕の変遷を割と知る、私とナズーリンも宴に賛同した。
かくして、去年の文月のような光景が繰り広げられている。
『後髪の寝癖がすんなり取れますように 水蜜』
『ムラサの願いは聞き届けなくていいわ ぬえ』
『ぬえに善良なお仕置きをくれてやってください 水蜜』
『私を呪わば穴は大海原 ぬえ』
望みの格好を借りた筆談口喧嘩が始まり、
『聖と二人で一日遠出したいです。主にロマンチックなところ 一輪』
一輪が熱烈な愛情表現を雲山色の紙片にぶつけていた。雲山の希望は『入道喉自慢予選会場に出向く勇気』だった。
ナズーリンは外のチーズや神代のレアアイテムの名前を挙げ、余り紙で蓮や野生動物を折っていた。
私は『健康な
「また『健康な一年』かい? 前回も感じたけれど、ご主人様は遊び心がないね」
二重線で訂正して『平穏無事な
「『星』の字を冠する者としてどう思う。彦星織姫は話の種にもならない平凡な文を読むかい」
「よ、読むかもしれないでしょう」
内容が茶目っ気に欠けると、ナズーリンに突っ込まれた。聖や一輪も覗きに来た。ムラサ達もいがみ合いを止め、意見した。
「壮大な野望は抱かなくていいけれど、遠慮しなくていいのよ星」
「姐さんの毘沙門天様らしくどんと行きなさい」
「真面目過ぎ。ぬえを見習うといいわ」
「もっと弾けて。ムラサを見習うといいわ」
聖は更に、『星の肩の力が抜けますように』と折り紙を追加した。
批評と親切で軽く涙目になった。私はそんなにもお堅い、楽しくない奴なのだろうか。朗らかな笑いも、神様の求心力のひとつだ。折れてなるものか。筆を折ってなるものか。
「今夜中に、少しは砕けたことを書いてみせますから。明日確かめてください」
私は寺籠もりの部屋籠もりをした。
悩んで六枚札を完成させ、深夜軒端の笹に取りつけた。他人を利用する変な願文になったけれど、健康や平穏よりは派手だろう。脳の酷使で疲れた私は、机に突っ伏して眠った。
翌朝の目覚めは、恐ろしいほど快適だった。ナズーリンが揺り起こしてくれたのだから。ダウジングロッドを頬にめり込ませるでもなく。尻尾を背中に入れるでもなく。ご主人様、十秒だ。それ以内に起きないと乗るよと脅すでもなく。
「おはようございます、ご主人様。起きてくださいませ。朝食ですよ」
気持ちよすぎて跳ね起きた。彼女がひゃ、と叫んだ。ナズーリン、そこは言葉の猛毒を浴びせるところでしょう。鼠の子供のように、不思議そうに小首を傾げるところではない。握った手を乙女のように口許に運んで、驚かない。似合ってとてつもなく可愛いけれど、それ違う。
「な、あの、貴方はナズーリンですよね」
「私以外の何に見えると言うのですか。毘沙門天様の配下が一、ご主人様の忠実な部下、ナズーリンにございます」
座ってお休みになってはなりません。お身体を痛めます。お呼びくだされば、お布団を敷きますのに。健気に気遣われながら、私は観察者や河童製の撮影機を捜していた。主人だか駄目虎だかわからない扱いをされて幾星霜、こんなナズーリン見たことない。
監視レンズや他者の気配はなかった。彼女が独自に動いているのだろうか。
「ナズーリン、すみません。私に『ご主人様は遊び心がないね』って言ってみてくれませんか。冷ややかに蔑むように。視線で両手両足を縛って苦海に沈める感じで」
耳を飛び上がらせて、彼女は無理です無理ですと猛抗議した。
「ご主人様にそのような無礼、働けません」
「無礼」を精勤賞並みに続けていたナズーリンは何だったのだろう。
もしや、と思った。
「ナズーリン、私の短冊を読みましたか」
「短冊? 何のことですか」
未読か、読んでやっているのか。流石は隠密活動のプロ、仮面が完璧過ぎて本心が漏れない。
「朝御飯にしましょう、皆様起きていらっしゃいます」
「ええ」
正常な世界とおはようをしたかった。
「星、おはよう。参拝の方に西瓜を貰ったの。井戸で冷やしてるわ、後で切りましょう」
よかった、お盆を持って行き来する聖は普通
「ひ、聖その服は一体」
「ああ、これ?」
ではなかった。清楚を具現したような、純白と曇りない黒のドレスは普段通り。けれども袖と裾が短い。半袖はまだ許容できる、汗ばむ小暑だから。でも裾、甘口のフリルが足首を越え膝を越え腰に迫っている。太腿の露出が凄まじいことになっている。エプロンで前方は隠れているけれど、外したらどうなるのだろう。
「貴方ほどの徳の高い方が、何という格好を」
「もう少し丈を上げるべきだったかしら。いっそ脱ぐ? 幻想郷だもの、薄着になってもいいわよね」
「なり過ぎです抑えてください! 今以上に上げたらまずいです」
新規の信者が加わるのでは。救い難い、煩悩満載の。
星のけちと膨れ面をされた。
「ムラサやぬえだって同じ長さじゃない。私も大胆にやってみたかったんだもん」
「だもん、じゃありません」
大胆。また、叶えられたのだろうか。聖も短冊は知らないと言った。
「一輪、貴方も注意してください。貴方の姐さんが一夜にして過激な大変身を。身を挺して止める場面でしょう」
食卓にナプキンを設置していく、一輪に呼びかけた。
返事がない。ただの雲山のようだった。人付き合いの不得意な少女の如く、目を逸らした。怯えているらしい。冷や汗が真っ直ぐ伝った。
「いち、りんさん?」
「はっはっは、一輪はシャイなのですよ星殿。我輩がついていないとなりませんなあ」
雲山が、伸びやかな高音声で喋った。いいテノールですね。一人称、「我輩」だったのですか。シャイって、貴方の代名詞のはずでは。まるで一輪だ。
「そうだ星殿、我輩入道喉自慢はやはり十八番で行こうと思いましてな。オペラ『魔弾の射手』のアリア『森を越え、野を越え』も練習していたのですが、冒険はするものではない。耳に馴染んだ曲が一番ですな」
印籠で全てを円く納める時代劇の、主題歌を朗々と歌い出した。今朝の人生は苦楽ではなく異変ばかりだ。
また、当たったのか。
『魔弾の射手』の弾は、七発中六発は必中するのだったか。最後の一弾は悪魔に操られる。私の書き上げた短冊は六枚。現在三枚は歪に実現してしまっているらしい。悪魔の悪戯で、後の札は外れるのでは。
「ちょっとうるさいんだけど雲山」
ほら、ムラサは平常運航っぽい。
「すみませんな水蜜殿。サビに入るとつい乗ってしまって」
「ま、まあ音量下げてくれればいいのよ。声は悪くないわ。ほ、褒めてるんじゃないんだからね」
……あれ? 暴風で出航ダイヤ乱れた?
ムラサは気難しそうに雲山を称賛し、頬を赤らめてそっぽを向いた。
いただきますの挨拶。食事を始めても、彼女の褒め方はおかしかった。聖の『南無三』文字ケチャップつきたんぽぽオムライスだ。手放しで喜ぶはずなのに、
「及第点ね。『南無三』の丸文字可愛、ぃ、って何言わせるのよばかぁ」
何言ってるんですかばかぁ。
外の寺に留まっていた頃、仕入れた単語が脳裏を過ぎった。
つんでれ【ツンデレ】:ちょっぴり恥ずかしい病。思春期の恋する男子女子がしばしば発症。好意を嫌悪やプライドや猛烈な照れ隠しでコーティングする。第三者的には美味しいが、鈍い当事者的には訳が解らず苦悩すること必至。感情に素直になると治る。思い出すと悶絶する。
現在のムラサは、まさにそれだ。
「ご主人様、あーんしてください」
「あーん、背中が熱い」
「聖殿、風呂場で熱唱するのもよいものですぞ」
「ば、ばか、変態じみた誘いをかけるんじゃないわよ」
何という命蓮寺。
戦慄する私の肩を、優しく叩く者がいた。右隣のぬえだった。苦労人のように控えめに微笑み、
「朝からみんな変だけどさ、乗り切ろうよ星。二、三日すれば正気に戻るわきっと。それとも、お医者さん呼ぶ?」
極めて常識的に励まされた。
ぬえ、ありがとうございます。
ぬえ、スプーン正しく持てたのですね。零していませんね。
ぬえ、失礼かもしれませんが。寺の非常識の筆頭だった貴方が、常識人の仲間入りをするのも変ですよ。お医者様、いいえ、病院ごと出前を取りましょうか。
逃避したい現実に、根性で留まった。
これはもしかしたら、最後の一枚も。
西瓜を一切れかじって、毘沙門天様の本堂に駆け込んだ。
一年中多忙な方だけれど、狂っていないか確認しなければ。名乗って拝んで降臨を願った。
「お師匠様、いらしてください! 大変なんです大変が大変で」
宝塔の発するような、光の帯が降り注いだ。余裕のある時間帯だったか、助かった。
遅れて人型の像が構成されていく。平伏した。
面を上げれば、
「お師匠様?」
羊雲のような柔らかい黒髪セミロングの、女のひとが立っていた。重たそうな、光輪の宝冠を被っている。着物風のゆったりとした白聖衣が、無風のお堂を泳ぐ。神々しい美貌の金眼を開き、笑った。笑顔になると薄紅の唇が緩んで、一気に幼い印象になった。昔会った覚えがある。華のある高域ソプラノ、
「星ちゃんでよかったかな? お久し振りー、弁才天です」
七福神の紅一点、弁才天様だ。
「ご無沙汰しておりました、えっと、すみません。お師匠様、毘沙門天様をお呼びしたのですが」
「ごめんなさい。毘沙門くん、今スタジオで演奏してるの。コーチ兼マネージャーの、私が代理で出ました」
演奏? マネージャー?
既に嫌な予感で一杯だった。お師匠様、楽器の趣味なんてありましたっけ。声明一本の方では。世紀を越えて開眼したのですか?
「事情を詳しく伺っても?」
「事情なんてかっしりしたものはないですよー。阿修羅くんの一人スリーピースに触発されたの。あれには負けられん、俺達の音楽道を切り開く! って」
「俺達?」
「毘沙門くんがギターとボーカル。持国くんがベース。増長くんがドラムス。広目くんがキーボード。仏教系ロックバンド『四天王』を結成しました。趣味の仲間が増えて弁天嬉しい」
天上蓮のような拍手で泣きかけた。
遂に、六枚目も本当のことに。何て当選率なのだろう。二つ星は暇だったのだろうか。
弁才天様に豪快な太筆文字のライブチケットを差し出された。七人分。
「お時間があったら皆様で。あ、毘沙門くんへのご用って何かな?」
「もう済みました、お師匠様をお願いします」
「お願いされます。じゃあ行きますね、毘沙門くんと持国くんが乱闘始めちゃったみたい」
こらーっ! 殴る前にFコードとリズム完璧にしなさい! 音楽性どころじゃないでしょ! 怒鳴りながら弁才天様は朧に消えていった。お師匠様と持国天様の喚き声が漏れ聞こえた。持国の曲調が納得できない! 黙れ毘沙門、貴様の無駄なシャウトと歌詞が納得できない! 私は現状が納得できない。文字通りの極楽行きのチケットを握り締めていた。何かが切れた。
「星、星、落ち着いて!」
「落ち着いていられますか!」
願い札を吊るしてから、おかしくなったのだ。私は回廊を疾走し、軒先の七夕笹を下ろした。自分の短冊を探し当てては引っこ抜いた。
冒険などするものではない。
『ナズーリンがほんの少し私の従者らしくなりますように』
『聖がますます大胆に前進しますように』
『一輪と雲山にびっくりすることが起こりますように』
『ムラサの意外な一面が見たいです』
『ぬえがしっかりしますように(悪い意味はないです)』
『お師匠様が更なる進化を遂げますように』
私は平凡を望めばよかったのだ。つまらないと一蹴されようが。異常事態にある今、日常をこの上なく恋しく思う。
「ご主人様、気を確かに」
「星殿、壊れていますぞ」
「し、しっかりしなさいよ。調子出ないじゃないの」
「星、慌てないで」
「皆元に戻ってください! 私はいつもの貴方達が大好きなんです!」
心からの絶叫で、視界が暗くなった。
「ご主人様、朝だよ」
「うにゃふ」
ほっぺたが冷たかった。痛かった。ナズーリン愛用の黒棒に、容赦なく突かれていた。
苦し過ぎて跳ね起きた。彼女は無言で私を眺め倒していた。
「な、ナズーリン?」
「他の何に見える。さっさと起きるんだ。食事にしよう。時は宝だ、私に浪費させないでくれ」
その突き放した物言い、腰に当てた偉そうな左手、真冬の視線、間違いなくナズーリンだ。
よかった、あれは全て夢だったのだ。
「何だい、にやにやして気味の悪い」
「ナズーリン、ああ本物のナズーリンですね!」
「ごしゅッ!?」
救われた。確認したくて飛びついた。抱いて、そのまま畳に倒していた。
「離れろご主人様! 重い近い熱い! 蹴飛ばされたいのか、ぁう」
「うう、ナズーリン」
「ねー、今の物音何これ正体不明ムラサ達呼んでくる」
襖を開け放ったぬえが、嬉々として引き返した。
私の見た悪夢は、命蓮寺の朝食のおかずになった。激しさの差こそあれ、全員に笑われた。ありえないと、温かいお墨付きを貰った。
「無茶なことをさせちゃったのね。星、短冊は好きにして」
「そうします」
食後のお茶とさくらんぼが、とても美味しかった。西瓜が出てきたら逃げたかもしれない。
茎を蝶結びにしながら、
「でも星、ひとつだけ正夢が交ざってるわ」
聖が恐怖の指摘をした。
懐から、夢で渡されたようなドリームライブのチケットが登場した。
「弁才天様に昨晩頂いたの。毘沙門天様達、頑張ってるみたい」
そこですか。
「それでね、私達もバンドをやらないかって誘われて。楽器や機材一式は弁才天様が貸してくださるそうよ。六人編成は一般的ではないけれど、多彩な音が出せるのですって」
皆箏や琵琶の嗜みはあるわよね。木魚や銅鑼にも触れている。お経の声量もある。ボーカルはムラサがいいかしら、舵を取りながら歌っていたものね。ギターはリードを貴方、サイドをナズーリンに任せるでしょう。毘沙門天様の使用楽器に合わせましょう。ベースは私、ドラムセットは一輪と雲山が担当して。私達が組めば、リズムを乱さない自信があるわ。ぬえはキーボードね。地霊殿でピアノを弾いているのでしょう。
夢想の楽団が組み立てられていき、
「専門家のプリズムリバーさんにもご指導願って。そうそう、弁才天様にバンド名は決められているの。ええとね、『テンプラ・オブ・ロック』?」
多分『Temple of Rock』です、聖。
阿修羅で腹抱えて笑ったwww
本当にこんな素晴らしいものを、最高です。
それはおいといて良い命蓮寺でした。
というかぬえと村紗のコンビが良い感じ
聖も普段からもっと大胆になってもいいんじゃよ(チラッ
ドタバタな感じで見ていて面白かったです
何でツンデレムラサじゃないんですかばかぁ……。
でも大胆な聖も捨てがたい、ううむ。
そこから叩き込まれる南無三オムライスでもう駄目だこの人たちwww
これはこれでありな命蓮寺でした!
たっぷりと笑わせて頂きました。ありがとうございました。
>はっちゃけた神々
悪ふざけをしました。三面六臂なら一人スリーピースも行けるかな、と。
>星ちゃんの可愛さ
>縛って欲しい星
可哀想な夢に食べられました。気に入っていただければ何よりです。
>雲山
歌声喫茶のマスターの紳士風になりました。イメージと違ったらすみません。
>背中に尻尾ッ…
多分入れて引っ叩くのだと思います。
>ツンデレ
>大胆
全員、嫌な子にならない範囲で性格を変えてみたいなぁと考えました。平時とのギャップが出るように。
好いてくださると嬉しいです。
それにしても一輪さんは喋らないと本当に存在感が危なくなりますなぁ。
しかしよりによって実現四天王ライブが実現とはw
>茎を蝶結びにしながら、
さりげなく何をやってるんだこの虎はw
しかし、ナズーリンの冷徹な目に見降ろされる星を書く深山氏はMなのかとちょっと疑ってしまいます。
素敵な作品でした、ありがとうございます。