「……言えてないじゃない」
「あら……ではもう一回」
「やんなくていいわよ」
何がいけなかったんだろう――そんな感じで首を捻る衣玖。
何もかも宜しくないと、私は視線を逸らした。
例え上手に言えていたとしても、別にどうとも思わない。
「すももももももももももも」
だから、やんなくていいってば。
「すもももももも」
「いや、間違えたんだから止まりなさいよ」
「……間違えていましたか? 気づきませんでしたわ」
真顔で言ってくる。
「可笑しいですわね。仲間内からは『早口言葉の衣玖ちゃん』と呼ばれるこの私が」
顎に手を当てぶつぶつ言う衣玖は、割と真剣に悩んでいるように見えた。
だけど、私にとってはどうでもいい。
つまらない。
眉間に皺を寄せ、氷を入れたざるに積んだ桃の一つを手で掴み、がぶりと噛みつく。
味が口に広がると、私の表情は更に険しくなった。
この桃は、殊更不味い。
「すももももももももももも」
私の表情は、更に更に、険しくなった。
私――比那名居天子は、今日も今日とて暇を持て余していた。
与えられた勉強道具一式は既に読み込んでいる。
家の手伝いをしてみたが、どうと言うこともなく片付いた。
ならばお父様の仕事も……と申し出たが、そちらは断られてしまった。
私の親は、過保護気味なんだと思う。
家事手伝いの報酬にと釣り合わない大量の桃を貰った私は、何時もの場所へとやってきた。
其処は、天界の端。
下を眺めれば、雲間から地上が垣間見える。
時折爆ぜる花火のようなものは、きっと誰かの弾幕なのだろう。
ただただ時間だけが流れていく此処で、私を楽しませてくれる数少ない光景だ。
心が疼いた。
腰に携えた緋想の剣を、左手で握る。
ゆらりとあげた右手に集めるのは、‘大地を操る力‘。
あの時のように、この手を振りおろせば――。
「御機嫌よう、総領娘様。お久しぶりですわね」
「……空気読みなさいよ、永江の衣玖」
「読んだから来たんですわ」
――或いはそうなのかもしれない。
あの件の後、衣玖はよく顔を見せるようになった。
曰く、お父様から頼まれた、とのこと。
迷惑な話だ。
私にとっても、彼女にとっても。
「私が力を貯めるたびに、ご苦労なことね」
「いえ、そんな。ですが、そう思われるのならお控えくださいな」
「やぁよ。大体、今のはフリだけ。本当にするつもりなんてなかったわ」
目を瞬かせる衣玖。
一瞬後、微笑が浮かべられた。
場を和ませる――そんな、曖昧な笑い方。
「お呼びいただいた、と解釈できますが」
「暇なの。遊びましょう」
「では――」
遊びとはつまり、弾幕ごっこ。
かがげていた腕を衣玖へと向ける。
視線の先の彼女は、相変わらず微笑んでいた。
「――すももももももももももも」
で、今に至る。
「なんで早口言葉なのよ」
「ももももももももももももも」
「続けるな。あと、一文字多い」
剣を腰に戻しつつ指摘すると、衣玖の目がこれでもかと見開いた。
種族柄か能力の故かわからないが、衣玖の感情は読みとりづらい。
そもそも、表情にして少ないように思う。
そんな彼女が実に解りやすい顔をしている。
私にとってはどうでもいいが、どうやら本気で連続のミスを驚いているようだ。
「こほん。竜宮の使いの間で流行っているんですよ」
「そう言えば、仲間内とか言っていたわね」
「現在、二冠です」
控えめじゃない胸を控えめに張る衣玖。
「速さと正確さは群を抜く私ですが、表現力で」
「聞いてない。仲間がいるなら……」
「……なんでしょう?」
未だ語り足りないと言った風情の衣玖だったが、流石の能力と言うべきか、続きを促してきた。
私と衣玖は、あの件以前からの知人だ。
深い付き合いはない、文字通り、知っているだけの間柄。
こちらはそう思っていたし、あちらとて同じような認識だっただろう。
だけれど、少なくとも、知ってはいた。
だから、彼女が忠告しにやってきたのは納得できる。
結果として意味のないものだったが、それはまた別の話だ。
――納得できないのは、その上で、衣玖が私のお目付け役を受けていること。
「お守りをさ、押しつければよかったんじゃないの?」
「……そんな話ですか。既に過去のことですわ」
「お父様は強引に話をつける人じゃない」
目が泳いだのを、私は見逃さなかった。
「超のつく親馬鹿な方ですが」
「話を逸らすな」
「ふむ……」
同意はするけど。
衣玖が、息を吸い、吐く。
普段となんら変わらなく見えるが、動揺でもしているのだろうか。
閉ざしていた瞳を薄らと開き、両手をこちらに向け、彼女は口を開いた。
「確かに、比那名居様は個人を指定致しませんでしたわ。
故に、お役目は譲り合いとなりました。
私たちは空気を重んじますから」
その手は、現場を再現しているんだと思えた。あー……。
「どうぞどうぞ、と」
伝統と信頼の古典芸能。
何故だかそんな言葉がパッと浮かんだ。
要するに、押し付け合いになったのだろう。
そして、仲間内でも特に‘空気を読む‘衣玖が就任する羽目になった――なるほど、納得できる。
「損な性分ね」
ぽつりと呟いた言葉は、本心だった。
届いたのかどうかはわからない。
衣玖はただ、微笑んでいる。
「すももももももももももも」
それはもういい。
言いかけた私だったが、ふと妙案を思い付き、にやりと笑った。
悪だくみと言い換えてもいい。
「ねぇ、衣玖。賭けをしましょう」
「もももももももももももも?」
「おいこら」
私が読み取れていないだけで、実はかなり意固地になっているんだろうか。
「酷いですわ、総領娘様。いい感じで続けられていましたのに」
やかましい。
出かけた言葉を押し殺し、ざるに手を伸ばす。
掴んだのは、水分を含みすぎて不味い桃。
そう、先ほど齧ったヤツだ。
衣玖へと向けて、そのままの表情で続ける。
「ちゃんと言いきれたら、好きな桃をあげる。
だけど、失敗した時はこの不味い桃を食べること。
貴女が得意な早口言葉、その本領を、私に見せて頂戴」
唐突な申し出。
衣玖は乗るだろうか。
乗らないはずがない、と私は踏んでいた。
「お受けしますわ」
彼女は‘空気を読む‘存在――今がその時だ。
「ただ、その、一つ確認をば」
「なによ? あぁ、桃は全部持っていっても構わないわよ」
「でしたら、総領娘様がお持ちになっている物も」
「いいけど、物好きね。言っとくけど不味いわよ、これ?」
「はい。それと、全部と言うのは」
くどい。
二言はないと、首を横に振った。
意思は伝わったようで、衣玖は目を閉じ、深呼吸をし始める。
存外にこだわるな――思った矢先に、大きな息が吐かれた。
「では」
「本気を見せてよ」
「何時だって、真剣ですわ」
開かれた瞳が余りにも真っ直ぐで、ほんの少し、私は気圧された。
「参ります」
形のいい唇が、スローモーションで窄められる――。
「すももももももももももも!
ももももももももおもももっ!
もおおももももぉももももっ!!」
やる気あんのかこら。
もしかするとやる気はあったのかもしれない。
推測は、握り拳が裏打ちしていた。
完全に空回りだが。
半眼を向けていると、肩で息をしながら衣玖が聞いてきた。
「如何に!?」
途中から牛さんになったかと思いました。
「駄目よ」
「やはり表現力が……っ」
「いや、そもそも言えてないし」
あと、さっきは聞き流したけど表現力ってなんだ。
普段なら、衣玖は応えを返しただろう。
思考レベルのものでさえ、彼女は読んでくる。
だけれど、今はそうじゃなかった。此方を見てすらいない。
だから、地に膝をつき頭を抱え、声にならない声をあげているのも、演技ではないのだろう。
それから、数分後。
「はしたない所を見せてしまいましたわ」
「うんまぁ、面白かったからいいけど」
「楽しんでいただけたのなら幸いです」
若干引いてたのは内緒。
土のついた膝をはたく衣玖に、私は笑いかける。
面白く感じたのは本心だが、ともかく、彼女は勝負に敗れたのだ。
健闘を称えはすれど、敗者の責を取ってもらわなくてはいけない。
笑む私の手には、件の桃が握られている。不味いの。
「さぁ、衣玖。食べなさい」
「……宜しいのですか?」
「なんで聞くのよ」
首を傾げていると、衣玖がおずおずと手を伸ばしてきた。
白い指が桃に絡みつく。
そのまま、口元へと運ばれた。
小さく開かれた顎門が、ゆっくりと閉じる。
しゃく、
しゃく、
しゃく。
さも、極上の美味を惜しみ、かつ楽しむような食べ方をする。
その様は、ただ食べているだけだと言うのに、優雅とさえ思えた。
歌詠みであれば言葉を尽くし、画家であれば筆を振う、そんな光景。
だけど、私は歌詠みでもなければ画家でもない。‘不良天人‘だ。
意地の悪い笑みを浮かべ、問う。
「どう、美味しくないでしょう?」
「総領娘様、嘘はいけませんわ」
「……へ?」
暫く、返答の意味が呑み込めなかった。
口から桃を離し、咎めるように言った衣玖。
眦も、少しばかり吊り上がっている。
本当にそう思っているのだろう。
つまり、衣玖は桃を『美味しい』と感じたと言うことか。
どういうことだろう。
私が齧ったそれは、間違いなく不味かった。
或いは、真ん中に近くなるほど味が締まって美味しくなるのか。
「ちょっと、も一回齧らせて」
言うと同時、私は衣玖から桃を奪い取る。
ほんの少しの抵抗が感じられた。
珍しく我を出している。
そんな様子が嬉しくて、私はまた、がぶりと桃を口にした――。
まず、潤いが広がった。
続けて、喉を降りていく。
そして、胃へと流れ落ちる。
あ、やっぱ水っぽ過ぎるわ、コレ。
「不味いじゃないの!」
「まさか総領娘様、お風邪を……?」
「引いてたら家から出してくんないわよ!」
お父様だけでなく、お母様にも‘超‘がつく。
なるほどと頷く衣玖だったが、心配げな眼差しは変わらなかった。
あての外れている推測に、負けじと私も見つめ返す。
――矢先に、視線が逸らされた。
ん……?
「と言うか、貴女が風邪を引いているんじゃないの?」
「だとすれば、そも私は此処に来ていません」
「じゃあ来てから引いたのよ」
腕を伸ばす。
手を広げる。
額に、触れる。
やはり、熱かった。
「うん、間違いないわ。
今日はもう帰りなさい。
貴女、顔に出さないから解りにくいのよ」
指摘され、意識し始めたのだろう――額の熱が増していく。
どんどん、どんどん。
「そうだ、ついでと言ってはなんだけど、ざるの桃をあげるわ。
風邪の時は甘いもの、食べたくなるでしょう?
多分、不味いのは是だけだろうし」
水分は必要だろうが、病人に不味いとわかっている物を食べさせるほど、私は鬼じゃない。
だと言うのに――
「って、衣玖、聞いてる?」
「……其方の桃も、頂けますか」
「変なところで律儀ね。いいけど」
――衣玖は、みずから腕を伸ばしてきた。
おずおずと広げられる手。
その甲を、右手で支える。
とん、と私は桃を置く。
額だけでなく、末端まで、熱は広がっていた。
「してやられたのは悔しいけど、まぁ意外性が合って面白かったからね。
桃は、退屈しのぎの報酬だとでも思って頂戴な。
あ、それと……」
そりゃあこんな状態じゃ、口を上手く回すなんてできないか。
「この桃、貴女にはどんな味がしたの?」
「甘く、とても甘く、感じました」
「早く帰って寝てなさい」
頭を下げ、衣玖がふわりと飛び上がる。
あっちにふらふら、こっちにふらふら。
うわ、危なっかしい。
「あー……途中まで、送りましょうか?」
「空気の流れを読んでいるんですわ」
「やかましい」
半眼を向ける私に、衣玖はにこりと微笑んだ。
‘心配なさらずとも、大丈夫です‘。
表情がそう語る。
口は、違う言葉を紡いでいた。
例の早口言葉だ。
だけど、わざとゆっくり言っている。
私に手をかけさないためだろう。
「すももも、ももも、ももももも。
もももも、ももも、もおももも。
もおおも、ももも、ももももも」
うん、送ろう。
<幕>
ももももも、ももももももももも。
ところどころニヤニヤしました。
ゆったりとして良い雰囲気だなぁ。続きも楽しみです。
こんなにも鈍感な人と一緒にいたら大変そうですね。
どうでもいいですが総領は跡取りって意味です