夜空に輝く天の川。
今日は七夕、七月七日。
彦星と織姫は、あぁ再会を楽しめているだろうか。
――そこまで考え、射命丸文は頭をぶんぶか横に振った。
余波で、両手に持つ猪口も揺れる。
ぷっくりとした頬は赤く染まっていた。
誰かに見られやしないかと、咄嗟に俯く文。
揺らめく小さな波紋が映すのは、上気する文と、もうヒトリ。
「――ら、藍!?」
「うん、久しぶりだな、文」
「こんばんわでございますわ!」
文の不可思議な挨拶に、藍が首を傾けた。
「よくわからないけど……ともかく、いい夜だ。彦星と織姫も楽しんでいるに違いない」
「ぶ!? い、いきなり変なこと言わないでよ! 愉しむだなんて、はしたない!」
「変なこと……? いた、痛い、痛いぞ文!?」
よくわからない――思いつつ、両手で頭を守る藍。
若干腰を曲げたため、文の瞳に尻尾が映る。
金色の、もふもふとした、尻尾。
その数は、三本だった。
鬼と天狗が仕切る山。
其処で今、七夕を祝う大宴会が行われている。
驚くべきことに、行事にかこつけて宴会をしているだけではなかった。
いや、各々、宴会は宴会で楽しんでいるのだが。
「えっと……叩いてごめん」
「いや、うん、まぁ。なんで怒ったんだ?」
「あー! そー言えば! どうして、貴女が此処にいるのっ?」
唐突な大声に目を回しながらも、藍が応えを返す。
「耳が……」
「あ、や、や、ごめんなさい」
「……うん、もう大丈夫だ。んっと、紫様が呼ばれてな」
ぴっと人差し指を立て、説明が続けられる。
如何に紫様――藍の主人である八雲紫が他の仕事を迅速にこなし、山に赴いたか。
美しく賢く力強く魅力溢れる‘妖怪の賢者‘八雲紫の素晴らしさが、鼻高々と語られた。むふー。
――要約すると、藍は紫に連れられてきたのであった。以上。
鬼は、数いる妖怪の中でも、一二を争う‘強さ‘を持つ。
こと腕力に限れば、種族平均は随一であろう。
故に、他の妖怪たちにも畏れられていた。
そんな鬼に一目を置かれる八雲紫と言う妖怪は、幼い文にも、確かな‘強さ‘と不可思議な魅力を感じさせる。
「だからな、紫様は凄いんだ。
時々、私にはよくわからない行為を為されるが、何か意味があってのことだろう。
そうそう、特にアブラゲの目利きは凄いぞ、なんたって私よりも……って、聞いているか、文?」
だが、文は全く別のことに心を奪われていた。
豊かな尻尾だと思っていた。
気付いた時に、息をのんだ。
それから、言葉を探していた。
結局、何も浮かばないまま呼び声をかけられて、文は事実だけを口にする――。
「髪、伸ばしたんだ……」
背にかかる金色の髪は、尻尾と同じく、とても、とても柔らかそうに見えた。
頬を掻く藍。
くすぐったそうに、嬉しそうに。
んぅ、と一つ、可愛らしい空咳を打ち、笑む。
「うん。
少しでも、紫様に近づきたいと思って。
前に会った時は短かったもんな。……可笑しいかな?」
くるりと回る。
鼻を掠める髪は、やはり柔らかかった。
ちりりと何処かを焦がす何かは薄れ、文も、笑った。
――微笑みながら、浮かんだ言葉を、素直に伝える。
「うぅん。似合ってるわ」
「ありがとう」
「ん……」
返される笑顔に、再度、文の何処かが飛び跳ねた――。
暫しの間。
「……そうだ。
文、お前はもう願いを書いたか?
もしまだなら、そら、あっちで天魔殿が配っているぞ」
流れた時間が文にはわからなかったが、ともかく、先に声を発したのは藍だった。
「天魔様は私たちの頭領様。
貰ってない訳ないじゃない。
そう言う貴女はもう書けたの?」
自身にも漠然としていて掴めない感情を瞳に込め、文は首を傾ける。
「怖いから睨むな。
ん、普段は全く怖くないんだが、何故だか今は寒気が、うむむ?
あぁいや、ともかく――勿論、書いたぞ。一緒に吊ろうと思って、声をかけたんだから」
長い袖からするりと記した物を取り出して、藍が笑む。
「ふーん……。
なんて書いたの?
まぁ、聞かなくても予想はつくけど」
どきどき。
「『紫様に近づきたい』!」
ちりちり。
「わかってたけど! わかってたわよ!?」
ぽかぽか。
「いた、痛い、痛いぞ文!?
手ならともかく、木はほんとに痛い!
と言うか、願い事を書いた大事な木簡で殴るなぁ!」
――言いつつ、防ぐために藍が構えたのも、同じものだった。
しかし、差異がある。その本数だ。
右手に一つ。
左手にも一つ。
文が振りおろした一撃を、挟んで受けた。
「え? なんで二つ持ってるの?」
「願い事を悩んでいたら、天魔殿がくれたんだ」
「意味あるのかしら……。でも、天魔様が仰られるのなら……」
ぶつぶつ。
呟いていると、抜き取られる感触。
すぽっと木簡が奪われていた。
勿論、藍にだ。
文は目を瞬かせる。
「で、お前はなんて書いたんだ?」
問いつつも木簡を見つめようとする藍。
しかし、その瞳に文字は映らなかった。
美しい夜空が、視界を覆う。
つまり、藍は仰け反り、吹っ飛んでいたのであった。
「見るなぁぁぁぁぁ!」
文、渾身の体当たり。
彼女は天狗の中でも若輩者だ。
だが、‘最速‘と自称する片鱗は、この頃から見受けられていたと言う。
肩で息をしつつ、文は、くるりと一回転して地に足をつける藍に、叫ぶ。
「乙女の秘密は簡単に見ていいもんじゃないのよ!」
「私も乙女なんだけど……」
「知ってるわよ! 乙女じゃなかったら驚きだわ!」
「……なんだか段々腹が立ってきたぞ」
「た、たつですって!? わ、わ、なによ、そんなにじり寄って、い、いやー! 初めてが外はいやー!」
度重なる訳のわからない横暴に、藍の堪忍袋の緒も切れた。
文は文で、割と真剣に嫌がっている。
と言う訳で、お約束――。
――わーわーきゃーきゃーもみもみくちゃくちゃ。
互いに力尽きるまでじゃれ合った末、文と藍は、肩を合わせて地面にへたれこむ。
「なんだか、どっと疲れた……」
「……えと、もう、たってない?」
「うん。発散したから、大丈夫だ」
何時の間に!?――振り向く文。
ぺち、と何かにぶつかった。
額を擦りながら、片目を開く。
滲んだ視界に映るのは、木簡だった。
照れを帯びた声で、藍が言う。
「私も教えるから。な?」
優しい響き。
関心を持たれている事実。
二つの事柄は、けれど、跳ねる何処かにかき消された。
文の瞳に入った文字は、藍の悩んだもう一つの悩みとは――『もっと仲良くなりたい』。
「私は、ほら、あまりこっちに来れないじゃないか」
わかっている。
「遊ぶ時間も短いし……。
修業修行で、正直、その、友達も多くないんだ。
だから、同じ年頃の、お前や、鬼の童……瀬堰と、もっと……」
自身の想いと藍の想いが、どこか違うものだと、わかっている。
わかってはいるが、それでも、文は思わずにいられなかった――
「もっと、仲良くなりたい」
――私たちの願いが、天に届きますように、と。
緩やかな、少なくとも文が緩やかに感じた時間は、空気を震わせる絶叫により、動き出した。
「あー!
主ら、わらわを差し置いて何を戯れておる!
今宵は我ら鬼が主催ぞ! あ、いや、恩を着せようとかではなく、いやいや、そもそも別にわらわは!?」
人差し指を向け、ぷるぷると肩を震わせる子鬼――文と藍の共通の友達で、名を坂上瀬堰と言う――の登場に、二名は顔を見合わせる。
藍が苦笑する。
文も、合わせるように笑った。
一方はさっと、もう一方は少しゆっくりと、立ち上がる。
「な、何を笑っておる!?
文っ、その無礼者を叩き伏せるのじゃ!
って、違う、違うぞ文! わ、わ、何故藍もわらわの腕を掴む!?」
喧しくも嬉しそうに騒ぐ友達を挟み、文と藍は歩を進めた。
「それじゃあ瀬堰様、木簡を吊るしに参りましょう」
「瀬堰、ちゃんと書いているか? 字を間違えてはいないか?」
「当たり前――って、わらわを呼ぶ時は『御前』を後ろにつけるのじゃーっ!」
歩む最中、藍が文へと耳打ちする。
「なぁ、結局お前はなんて書いたんだ?」
少しの間、考えて、文はちろりと舌を出した。
「えへへ、私は、教えるなんて言ってないもん」
文が浮かべた満面の笑みに、してやられたと、藍は肩を竦めるのだった――。
<幕>
《数世紀後、つまりは現在》
「七夕の短冊?
書いてもいいけど、叶わなかったしねぇ。
それに、彦星きゅんと織姫たんも久々のデートでずっこんばっこはがぁぁぁ!?」
《どうしてこうなった。でも、そんなあややが僕は好きです》
今日は七夕、七月七日。
彦星と織姫は、あぁ再会を楽しめているだろうか。
――そこまで考え、射命丸文は頭をぶんぶか横に振った。
余波で、両手に持つ猪口も揺れる。
ぷっくりとした頬は赤く染まっていた。
誰かに見られやしないかと、咄嗟に俯く文。
揺らめく小さな波紋が映すのは、上気する文と、もうヒトリ。
「――ら、藍!?」
「うん、久しぶりだな、文」
「こんばんわでございますわ!」
文の不可思議な挨拶に、藍が首を傾けた。
「よくわからないけど……ともかく、いい夜だ。彦星と織姫も楽しんでいるに違いない」
「ぶ!? い、いきなり変なこと言わないでよ! 愉しむだなんて、はしたない!」
「変なこと……? いた、痛い、痛いぞ文!?」
よくわからない――思いつつ、両手で頭を守る藍。
若干腰を曲げたため、文の瞳に尻尾が映る。
金色の、もふもふとした、尻尾。
その数は、三本だった。
鬼と天狗が仕切る山。
其処で今、七夕を祝う大宴会が行われている。
驚くべきことに、行事にかこつけて宴会をしているだけではなかった。
いや、各々、宴会は宴会で楽しんでいるのだが。
「えっと……叩いてごめん」
「いや、うん、まぁ。なんで怒ったんだ?」
「あー! そー言えば! どうして、貴女が此処にいるのっ?」
唐突な大声に目を回しながらも、藍が応えを返す。
「耳が……」
「あ、や、や、ごめんなさい」
「……うん、もう大丈夫だ。んっと、紫様が呼ばれてな」
ぴっと人差し指を立て、説明が続けられる。
如何に紫様――藍の主人である八雲紫が他の仕事を迅速にこなし、山に赴いたか。
美しく賢く力強く魅力溢れる‘妖怪の賢者‘八雲紫の素晴らしさが、鼻高々と語られた。むふー。
――要約すると、藍は紫に連れられてきたのであった。以上。
鬼は、数いる妖怪の中でも、一二を争う‘強さ‘を持つ。
こと腕力に限れば、種族平均は随一であろう。
故に、他の妖怪たちにも畏れられていた。
そんな鬼に一目を置かれる八雲紫と言う妖怪は、幼い文にも、確かな‘強さ‘と不可思議な魅力を感じさせる。
「だからな、紫様は凄いんだ。
時々、私にはよくわからない行為を為されるが、何か意味があってのことだろう。
そうそう、特にアブラゲの目利きは凄いぞ、なんたって私よりも……って、聞いているか、文?」
だが、文は全く別のことに心を奪われていた。
豊かな尻尾だと思っていた。
気付いた時に、息をのんだ。
それから、言葉を探していた。
結局、何も浮かばないまま呼び声をかけられて、文は事実だけを口にする――。
「髪、伸ばしたんだ……」
背にかかる金色の髪は、尻尾と同じく、とても、とても柔らかそうに見えた。
頬を掻く藍。
くすぐったそうに、嬉しそうに。
んぅ、と一つ、可愛らしい空咳を打ち、笑む。
「うん。
少しでも、紫様に近づきたいと思って。
前に会った時は短かったもんな。……可笑しいかな?」
くるりと回る。
鼻を掠める髪は、やはり柔らかかった。
ちりりと何処かを焦がす何かは薄れ、文も、笑った。
――微笑みながら、浮かんだ言葉を、素直に伝える。
「うぅん。似合ってるわ」
「ありがとう」
「ん……」
返される笑顔に、再度、文の何処かが飛び跳ねた――。
暫しの間。
「……そうだ。
文、お前はもう願いを書いたか?
もしまだなら、そら、あっちで天魔殿が配っているぞ」
流れた時間が文にはわからなかったが、ともかく、先に声を発したのは藍だった。
「天魔様は私たちの頭領様。
貰ってない訳ないじゃない。
そう言う貴女はもう書けたの?」
自身にも漠然としていて掴めない感情を瞳に込め、文は首を傾ける。
「怖いから睨むな。
ん、普段は全く怖くないんだが、何故だか今は寒気が、うむむ?
あぁいや、ともかく――勿論、書いたぞ。一緒に吊ろうと思って、声をかけたんだから」
長い袖からするりと記した物を取り出して、藍が笑む。
「ふーん……。
なんて書いたの?
まぁ、聞かなくても予想はつくけど」
どきどき。
「『紫様に近づきたい』!」
ちりちり。
「わかってたけど! わかってたわよ!?」
ぽかぽか。
「いた、痛い、痛いぞ文!?
手ならともかく、木はほんとに痛い!
と言うか、願い事を書いた大事な木簡で殴るなぁ!」
――言いつつ、防ぐために藍が構えたのも、同じものだった。
しかし、差異がある。その本数だ。
右手に一つ。
左手にも一つ。
文が振りおろした一撃を、挟んで受けた。
「え? なんで二つ持ってるの?」
「願い事を悩んでいたら、天魔殿がくれたんだ」
「意味あるのかしら……。でも、天魔様が仰られるのなら……」
ぶつぶつ。
呟いていると、抜き取られる感触。
すぽっと木簡が奪われていた。
勿論、藍にだ。
文は目を瞬かせる。
「で、お前はなんて書いたんだ?」
問いつつも木簡を見つめようとする藍。
しかし、その瞳に文字は映らなかった。
美しい夜空が、視界を覆う。
つまり、藍は仰け反り、吹っ飛んでいたのであった。
「見るなぁぁぁぁぁ!」
文、渾身の体当たり。
彼女は天狗の中でも若輩者だ。
だが、‘最速‘と自称する片鱗は、この頃から見受けられていたと言う。
肩で息をしつつ、文は、くるりと一回転して地に足をつける藍に、叫ぶ。
「乙女の秘密は簡単に見ていいもんじゃないのよ!」
「私も乙女なんだけど……」
「知ってるわよ! 乙女じゃなかったら驚きだわ!」
「……なんだか段々腹が立ってきたぞ」
「た、たつですって!? わ、わ、なによ、そんなにじり寄って、い、いやー! 初めてが外はいやー!」
度重なる訳のわからない横暴に、藍の堪忍袋の緒も切れた。
文は文で、割と真剣に嫌がっている。
と言う訳で、お約束――。
――わーわーきゃーきゃーもみもみくちゃくちゃ。
互いに力尽きるまでじゃれ合った末、文と藍は、肩を合わせて地面にへたれこむ。
「なんだか、どっと疲れた……」
「……えと、もう、たってない?」
「うん。発散したから、大丈夫だ」
何時の間に!?――振り向く文。
ぺち、と何かにぶつかった。
額を擦りながら、片目を開く。
滲んだ視界に映るのは、木簡だった。
照れを帯びた声で、藍が言う。
「私も教えるから。な?」
優しい響き。
関心を持たれている事実。
二つの事柄は、けれど、跳ねる何処かにかき消された。
文の瞳に入った文字は、藍の悩んだもう一つの悩みとは――『もっと仲良くなりたい』。
「私は、ほら、あまりこっちに来れないじゃないか」
わかっている。
「遊ぶ時間も短いし……。
修業修行で、正直、その、友達も多くないんだ。
だから、同じ年頃の、お前や、鬼の童……瀬堰と、もっと……」
自身の想いと藍の想いが、どこか違うものだと、わかっている。
わかってはいるが、それでも、文は思わずにいられなかった――
「もっと、仲良くなりたい」
――私たちの願いが、天に届きますように、と。
緩やかな、少なくとも文が緩やかに感じた時間は、空気を震わせる絶叫により、動き出した。
「あー!
主ら、わらわを差し置いて何を戯れておる!
今宵は我ら鬼が主催ぞ! あ、いや、恩を着せようとかではなく、いやいや、そもそも別にわらわは!?」
人差し指を向け、ぷるぷると肩を震わせる子鬼――文と藍の共通の友達で、名を坂上瀬堰と言う――の登場に、二名は顔を見合わせる。
藍が苦笑する。
文も、合わせるように笑った。
一方はさっと、もう一方は少しゆっくりと、立ち上がる。
「な、何を笑っておる!?
文っ、その無礼者を叩き伏せるのじゃ!
って、違う、違うぞ文! わ、わ、何故藍もわらわの腕を掴む!?」
喧しくも嬉しそうに騒ぐ友達を挟み、文と藍は歩を進めた。
「それじゃあ瀬堰様、木簡を吊るしに参りましょう」
「瀬堰、ちゃんと書いているか? 字を間違えてはいないか?」
「当たり前――って、わらわを呼ぶ時は『御前』を後ろにつけるのじゃーっ!」
歩む最中、藍が文へと耳打ちする。
「なぁ、結局お前はなんて書いたんだ?」
少しの間、考えて、文はちろりと舌を出した。
「えへへ、私は、教えるなんて言ってないもん」
文が浮かべた満面の笑みに、してやられたと、藍は肩を竦めるのだった――。
<幕>
《数世紀後、つまりは現在》
「七夕の短冊?
書いてもいいけど、叶わなかったしねぇ。
それに、彦星きゅんと織姫たんも久々のデートでずっこんばっこはがぁぁぁ!?」
《どうしてこうなった。でも、そんなあややが僕は好きです》
ぜひとも瀬堰嬢で一本お願いします!
このらんあやコンビ(と瀬堰御前)と一緒にお酒が飲みたいなぁ。
ホントにこの2人の空気が大好きだ