ある雨の日の事だった。
博麗の神社。縁側に二人の巫女が佇んでいた。
二人の間には盆が置かれ、そこには急須と茶請けの饅頭が一つ。
「ねぇ早苗」
「なんですか、霊夢さん」
「なんかさぁ」
早苗の瞳が霊夢の横顔を捉える。
その横顔はどこか落ち着かず、何かを秘めた蕾のようだった。
「寒くない?」
「…ふふっ、そうですね。お茶、おかわりを用意しましょうか?」
「いや、別にそれはいいんだけど」
言って、霊夢は空の湯呑を盆に置く。
そしてほんの少しもじもじとした後に、両の肩を抱きしめながら、「寒いわね」呟いた。
「雨は冷たいですから」
早苗は微笑みながら霊夢を眺めて、それでも知らない振りでそんな事を言う。
「えっと、あのさ」
「どうかしましたか? 霊夢さん」
「ちょっと…」
「ちょっと?」
「ちょっとそ…」
「そ?」
「そ、ソビエト連邦の事を教えてくれないっ?」
「…よもや霊夢さんの口からソビエトだなんて聞くとは思いませんでした」
早苗は知り得る限りのソ連の知識を、とりわけWW2、レニングラード包囲戦についてはじっくりと霊夢に語って聞かせた。
数十分、早苗の拙いながらも一生懸命な声だけが響いた。
「あの、霊夢さん?」
「…ん、ん? どうしたの?」
「寝てませんでしたか?」
「ね、寝てないよ?」
「もう、本当ですか?」
「本当だって! うん、ホント」
「霊夢さんったら」
早苗はぷぅ、と頬を膨らませた後、にっこりと笑ってみせた。
「ははは、それにしても…」
「それにしても?」
「寒いわね」
「寝起きですものね」
「いやいや」
「霊夢さんったら、居眠りさんなんですもの」
「違うよ!」
「はいはい、分かりました」
「早苗ひどい」
「ふふ、冗談です」
早苗は向こうに咲いている紫陽花の花が身を寄せ合っているのをぼんやり見つめた。
雨に打たれながら身を寄せ合っている花をぼんやりと。
「…ねぇ、あのさ、早苗。ちょっとだけその、そ」
「そ?」
不自然に途切れたのを引き取るように早苗が尋ね返す。
「そ…蘇我蝦夷って何した人なのっ?」
「えっと、霊夢さん。歴史のテストでも受けるんですか」
寺子屋にでも行ってるんだろうか。早苗はそんな事を思った。
そして彼女は空に家系図を模しながら、蘇我蝦夷だけでなく蘇我一族の栄華衰退について長々と語った。
小一時間、雨音に交じって聞こえるのは小鳥のさえずりと、早苗の声と、霊夢の寝息だけだった。
「えーっと、霊夢さん?」
「へ? え、あ、ごめん。今度はほんの少しだけうとうとしてた。寝てはいないけど」
「ふふっ、もう、嘘はダメですよ?」
「…ごめんなさい」
「寝顔が可愛かったので許しちゃいます」
「か、可愛いって、もう」
「ふふふ」
「んでさ、あのさぁ」
「はい?」
「今度こそは、ちゃんとした話だから」
「はい」
「ち、ちょっとだけ、そばに……」
ごにょごにょと語尾がしぼんで、早苗には霊夢が何を言いたいのいかが聞きとれなかった。
もっとも、意図は伝わっていたが、それを知らんぷりして。
「お蕎麦ですか?」
「え? 蕎麦? 蕎麦、かぁ。えと、今日、帰らないんだよね、早苗。お夕飯は蕎麦にする?」
「なんでもいいですよ。霊夢さんと食べられるのなら、どんなものでもかまいません」
「もう、恥ずかしいわね」
「霊夢さんは恥ずかしがりすぎですよ」
二人並んで縁側に佇んでいた。
間には盆があって、二人はちょっとだけ離れていた。
早苗は湯呑を盆に乗せると、それを持ち上げ膝に乗せる。
「霊夢さん?」
「な、なに?」
「ほんの少しだけ、傍に来てくれませんか?」
「えっ」
「だって寒いんでしょう?」
だって、そう言いたかったんでしょう?
「そうだけど」
「来てくれないなら、私から行っちゃいますよ」
早苗はそう言って、少し、少しと横動きで霊夢に近づいて行く。
「も、もう。早苗がどうしてもって言うから、だからね」
口にすると、霊夢も早苗に少しずつ近づいて行く。
そして二人の肩が触れ合った。
寄り添った紫陽花の花のように二人寄り添う。
「霊夢さん、素直じゃないんだから」
「何か言った?」
「それにしても、こうするだけで、すっごく暖かくなりますね」
「うん…ちょっと、暑いくらい」
満足そうな顔の霊夢に反して、早苗は少しだけ物足りなさそうに笑みを浮かべる。
手持無沙汰で、盆の上の饅頭を手にして、一齧り。
「あっ」
霊夢が呟いたのを見て、「あ…霊夢さんも食べたかったですか?」きょとんとした目でそう口にした。
「う、うん。ちょっとだけ」
「それじゃ、食べますか?」
「え、別に良いって! 別に、そんなに、すごく食べたいってわけじゃないから」
「でも霊夢さん、甘いのはお好きでしょう?」
「そりゃそうだけどさ」
――間接キスじゃん。
心の声が聞こえたみたいに、早苗が満足そうに微笑んだ。
「もう、恥ずかしがりすぎですって、霊夢さん」
「そんなんじゃないって。ダイエット中なの」
「ふふ…もう」
「良いじゃん。乙女の悩みよ」
「でも、たった半分じゃないですか」
「だからなの」
早苗の口元にほんの少しだけついた餡子のあずき色と、齧りかけの饅頭を見比べ再び頬を染めた。
「はい、あーん」
「いやよ」
「残念です」
「なんでよ」
「折角のチャンスじゃないですか」
「なにの?」
「間接キスですよ」
「な、なに言ってるのよ! もう」
「ふふ、冗談です」
「それに、私がそれ食べたって、早苗はあんまり関係ないじゃん」
「そうですか?」
「だ、だって、私は早苗の噛んだところに、触れるけどさ…」
「それを想像できるから、私は満足なのです」
「えっち」
「ふふ、酷いです、霊夢さん。それじゃ、私が頂いちゃいますね」
そう言って、早苗は少し大きめの一口で饅頭を食べてしまう。
そして口を動かしながら、やはり勿体なかったかな、なんて考えている。
「なにも一口で食べなくたって」
「それもそうでしたね」
笑いながら早苗が言う。
霊夢はしばらく早苗が饅頭を咀嚼しているのを眺めていた。
早苗が飲み込んだのを確認してから、少しそわそわとして、「…唇、餡子ついてる」小さく呟いた。
「あら、本当ですか?」
「うん…えと…」
戸惑った素振りで、恐る恐る霊夢が指を伸ばした。
指先が早苗の唇をなぞって、あずき色を拭った。
「こ、こういうの、イヤ?」
「…ちょっとびっくりしました」
「…恥ずかしい?」
「ふふっ、ちょっとだけ恥ずかしいです」
「…ちょっとじゃないって」
霊夢が、指先に薄ら付いた餡子の跡をどうしようかとぼんやり眺める。
そして、何の前触れもなく、その指先を口元に――
「…甘い」
「餡子ですからね」
「まぁ、それだけじゃないけどね」
「間接キスだからですか?」
「間接間接キスじゃん」
「ふふっ、そうかもです」
「まぁ良いや。甘いのは好きだし」
「私もですよ。お饅頭のお供にお茶はいかがですか?」
「お饅頭というか餡子だけどね」
早苗の差し出す湯呑を見ながら、
「っていうかそれ、早苗の湯呑じゃん」
「はい」
「いいよ、それは」
「そんなの、気にしなくったっていいのに」
「だって…」
霊夢は一度早苗から視線を逸らすと、水たまり越しに、もう一度早苗を見つめた。
そして、
「…甘いじゃん」
聞こえないくらいの大きさで呟いた。
素直になれない霊夢が可愛い!
霊夢の台詞で、
>「ね、寝てないよ?」
>「早苗ひどい」
>「いいよ、それは」
このあたりが個人的にツボすぎました