コンコン、とノックが二回部屋に響く。
その音に私、フランドール・スカーレットはそれまで読んでいた本から視線を上げる。
聞き取りやすくハッキリとした音。尚且つ部屋の主が不快に思わない程度に加減された適度な音量のノックをするのはこの館において一人しかいない。
「妹様、お茶をお持ちいたしました」
意識をそちらに向けるだろうタイミングでかけられた声は、やはり予想通りの人物のものだ。
私が入室を促すと一呼吸置いてドアノブが回った。
失礼します、とペコリと頭を下げながら入ってきたのは、肩下ほどのセミロングの銀髪にミニスカートのメイド服を纏った長身の少女。紅魔館の完璧で瀟洒なメイド長、十六夜咲夜。
手に押している台車には紅茶一式とおやつのケーキが置いてある。
「あら? 妹様、お一人ですか?」
小首を傾げて部屋を見渡す。
「そうだよ、どうかしたの?」
「いえ……話声が聞こえていたように思いましたが、気のせいだったようですね」
少しだけ気恥ずかしそうに紅茶のセットを備え付けられた小さな丸いテーブルに置いていく。
台車にはティーカップとケーキが二人前ずつ、部屋の前で話声を聞いたという咲夜が急遽一人前増やしたのだろう。
「それでは、ごゆっくり」
「あ、待って」
一人前分だけ台車に乗せたまま下げようとする咲夜を引き止める。別に二人前を一人で食べたいわけではない。
「今日はお腹が空いているからそのケーキも置いていって頂戴」
しかし、建前上はこう言うしかない。
お姉様ほどでは無いが、どちらかというと食の細い私がこんな事を言うのは珍しいからか、少し驚いた表情で振り返る咲夜。
「しかし、妹様。今あまりお食べになられるとお夕飯が食べられなくなりますわ?」
「大丈夫よ、ちゃんと夜ご飯も食べるわ」
でしたら、と咲夜は渋々ながらテーブルに残りのケーキも置いてくれた。
「ああ、ついでにカップも一つ置いていって頂戴」
この指示は、流石に不可解だったのか首を傾げたが、カップ一つ置いていくくらいならお安い御用と特に追求せずに従ってくれた。
「では改めて、失礼いたします」
最後に軽く一礼をすると咲夜は部屋を出て行った。
暫く遠ざかる足音を観察して、聞こえなくなったところでついに私は堪えきれなくなって笑いを噴出した。
「あははははははははっ! や、やだ……ぷ、ははははははは!」
「失礼だなあ、コレは由緒正しい無意識のポーズなのに」
そう言って彼女、古明地こいしは天に突き出した両手と持ち上げた左膝を下ろす。
咲夜が部屋に入る前から彼女はここにいた。勿論、咲夜が部屋に入ってからも、ずっと。
その間、こいしは両手と左足を持ち上げた、曰く無意識のポーズのまま咲夜の後ろで微動だにしないのだから、笑うのを堪えるほうの身にもなって欲しい。
私があらゆるものを破壊する力を持っているように、こいしは無意識を操る力を持っている。
それは、自分の無意識であったり他人の無意識であったりと様々だが、今のは咲夜の無意識の領域に入り込んで自分を認識させなかったみたいだ。多分。
この辺は私独自の考察によるものだから、実際の所はわからないけれど。
こいしに能力について聞いてもいまいち的を得ない回答しか返って来なかったので自分で考えてみたのだ。
「でも見事な演技だったね、フラン。お陰で私のおやつも確保されたよ」
「ふふん、もっと称えてもらっていいわよ」
人間の血を混ぜ込んだケーキを上品にフォークで小さく切って口へ運ぶ。
やはり咲夜のケーキは絶品だ。うん、絶品絶品。
こいしも同じなのか、ケーキを含んだ口元は情けなく緩んでいた。
暫く二人して「美味しい、美味しい」と何の芸も無く繰り返し目の前のおやつを切り崩す。
ケーキをそれぞれ綺麗にさらえると紅茶を一啜り、ようやく息を吐いた。
「ところでフラン、今日は何の日か知ってる?」
「ええ、勿論よ。今日は恐竜の日よ、パチェに借りた外の本に書いてあったもの」
「いや知らないよ、そう言うマニアックな記念日とかが聞きたいわけじゃなくて」
あれ、そう言う話ではないのか。ならなんだろう。もしかしてこいしの誕生日だろうか。
「誕生日とかじゃないよ」
心を読まれた。
確かに古明地こいしは他人の心を読み取る覚妖怪だ。
けれどその力の源である心の目は閉じたんじゃなかったのだろうか、それ故に無意識を操る力を手に入れたはずなんだけど。
「それくらい、お姉ちゃんみたいに心を読まなくてもわかるよ」
「んんー、じゃあ何だろう。ギブアーップ」
私は椅子に背を預け体をそらしながらお手上げポーズ。
もうちょっと考えてよう、と頬杖をつきながらこいしが笑った。
「で、正解は?」
体を乗り出してこいしに答えをせがむ。
もったいぶるように笑い、人差し指を立てて誇らしげにこいしは胸を張った。
「正解は、私とフランが出会って丁度1年目なのが今日なのです」
答えを聞くまでのワクワク感が波のように引いていった。
乗り出した体を下げ、「なあんだ」と紅茶を啜って一息吐く。
「あれれ? なんか思いのほかドライな反応だ」
「いや、別にドライってわけじゃ……ただ、あれからもう1年も経ったんだなあ、って」
こいしとの出会い。
それは今までの私の価値観をぶち壊すものだった。
私が信じていた常識は、全くの見当違いな代物で、私は何も知らないお子様だったと思い知らされた。
思い出すだけで私の肌はじわりと汗ばみ、体の芯にはまだあの日の熱が燻っているかのようだった。
私は一年前のあの日古明地こいしと出会い、この薄暗く湿った地下の牢獄から手を引かれて外へ出た。
灼熱の太陽が輝く青空の下へ。
一度も触れた事の無い日の光を舐めに舐めきっていた私は、その浄化の炎によって体を焼き尽くされた。
悲鳴を上げ、よく日が当たり植物が青々と茂る庭を盛大に転げまわった。だがどんなに転がっても身を焼く炎は消えない。
ならばとその元凶である太陽を破壊しようと手を伸ばすも、延ばした先から炎に包まれ能力の行使には至らない。
私はその時初めて太陽を憎み、同時に恐怖した。吸血鬼最大の弱点といえど、私の力の前では無力だと思っていた。
甘かった。
太陽は私の力など欠片も通じない。光はただただ降り注ぎ、無情にも愚かな吸血鬼のその身を容赦なく燃やし続けた。
「トラウマだわ」
実際あの時、門番の美鈴が悲鳴に気づいていち早くすっ飛んできてくれなければ、私は今頃物言わぬ灰になって風に吹かれて消えていただろう。
「いやあ、あの時はごめんね」
こいしが困ったようにヘラリと笑い、頭を下げた。
「別に謝って欲しいわけじゃないんだけどさ」
あの時こいしは私が天下の吸血鬼だとは知らなかったらしい。失礼な話だ、このキュートな羽根が見えなかったとでも言うのだろうか。
……まあ、羽根に見えなかったのかもしれない。人よりほんのちょっと歪だから、あまり羽根っぽくは無い。
ともあれ、知っててやったのなら悪意だが知らずにやったのならば仕方が無い。
だからあの忌まわしきローストフラン事件(命名姉、遺憾ながら語呂がよくて定着してしまった)の事も怒ってはいない。体は小さいが器は大きく、短気で熱しやすいお姉様の口癖だ。
「それでこのローストフラン事件一周年記念日に一体何か? 弾幕ごっこでも壊れるまで付き合ってくれるの?」
「わあい、めっちゃ怒ってる殺される! 弾幕ごっこは抜け道をちゃんと作った上でルールに乗っ取って正しく遊びましょう!」
「レディに向かって失礼ね、怒ってないし殺しもしないわ。ちょっとからかっただけよ」
歯を見せ、明るく笑う。それをみてこいしも安堵の息を吐いた。こいつ私が本気だと思ってたのか、地味に傷付く。
「あの時はさ、私吸血鬼だって知らなくてうっかり連れ出したじゃない?」
「それはさっき回想したからもういいわ。ああ、また肌がジリジリしてきた……」
「だから……」
にこりと満面の笑みを浮かべてこいしが空っぽの手の平を上に向けて両手を真っ直ぐ差し出す。
意図がわからない。
手を繋ぐだけなら両手を差し出すことは無いし、どういう……。
首をかしげてこいしに視線を返したその時、視界の下で真っ白な何かが見えた。
さっき見たときは無かったのに、それは確かにこいしの小さな手の平の上に初めからあったように乗っている。
「これを、フランにあげます」
薄暗い地下室の中でさえ尚輝くような純白の、日傘。
それを差し出したこいしが照れくさそうに視線を泳がせ、珍しく歯を見せ笑う。
「これがあれば、一緒に外に行けるよね?」
灼熱の太陽を遮る魔法の傘。
「こいし……」
視界が、少しだけ、滲む。
私は乱暴に目を擦り溢れかけた涙を拭う。
そして、その白い傘を手に取り、笑顔でこいしに言うのだ。
「私、白じゃなくて赤い傘がいいわ!」
白い日傘が真っ赤に染まるまで、後1秒。
完
良いこいフラでした!
最後の「白い日傘が真っ赤に染まる」がぶち壊してるよー!?
①日傘がこいしを貫き真っ赤に→BAD END
②キレたこいしがフランをフルボッコにして真っ赤に→BAD END
③すかさず二人で全裸になり隠れて見ていたレミさとの鼻血で真っ赤に→HAPPY END
うん、③だな