「ぬえー」
「? 何? ムラサ」
居間でごろごろ寝転がりながら漫画を読んでいたぬえに、村紗は笑顔で声を掛けた。
漫画を床に置き、むっくりと上体を起こすぬえ。
すると、村紗はぬえの隣にぺたんと腰を下ろし、にこにこと笑いながら言った。
「しりとりしよう」
「しりとり?」
ぬえは目をぱちくりとさせて、尋ねる。
「うん」
「なんでまた?」
「んーちょっとね。面白いしりとりを思いついたんだ」
そう言って、にししと嬉しそうに笑う村紗。
ぬえは、そんな村紗の様子になんとなく嫌な予感を覚えつつも、さらに尋ねる。
「面白いしりとりって……何よ」
「えへへ。それはね……」
村紗は少しだけ溜めを作った後、おほん、と咳払いをして言った。
「『相手の名前を入れた文でしりとり』!」
「…………は?」
その瞬間、思わず頬をひくつかせるぬえ。
すると村紗は、自信満々に繰り返した。
「だから、『相手の名前を入れた文でしりとり』!」
「いや、意味がよく……」
「あれ、わかんない? えっと、たとえば、こんな感じでやるのよ。……『ぬえ、可愛いね』」
「は……はああああ!?」
村紗が言った途端、ぬえの顔が一気に赤く染まる。
そしてすぐさま、機関銃のようにまくし立てた。
「い、いいいいきなり何言い出すのよこの馬鹿! アホンダラゲ! 雷に撃たれてしね!」
しかし村紗は、きょとんとした表情で言葉を返す。
「……え。いや、今のは、しりとりの例として挙げただけなんだけど……」
「えっ」
「…………」
ん? と小首を傾げる村紗。
と同時に、ますます紅潮していくぬえの顔。
「……そっ、それなら、もうちょっとマシな例にしなさいよ……馬鹿」
「いやあ、そう言われても……可愛いぬえを前にしていたら、つい」
「! ……ば、ばかっ……」
頭をぽりぽりと掻きながら、あっけらかんと言う村紗。
ぬえはそんな村紗に小さな声で悪態をつくと、そのままぷいっとそっぽを向いてしまった。
しかし村紗は特に気にする様子もなく、笑顔のままで言う。
「とまあ、そんな感じで、相手の名前を入れた文でしりとりするの。面白そうでしょ?」
「…………」
そんな村紗に対し、つーんと顔を背けたまま、無言で抗議の意を示すぬえ。
「じゃ、やろっか!」
だがやはり、村紗は微塵も意に介することなく、笑顔でゲームの開始を告げた。
にこにこしながら、続けて言う。
「早速、私からいくね。……『ぬえ、可愛いね』」
「!?」
その瞬間、ぬえはびくっと全身で反応し、再び村紗の方を見た。
口をぱくぱくと動かして、懸命に声を絞り出す。
「そ、そそっそれ……さっきと、同じじゃんかっ」
「だから、さっきのは例だって。で、今のは本ちゃん」
「は……はあ? な、なんなのよっ。それ……」
「さあほら、ぬえの番。『ぬえ、可愛いね』の『ね』だよ」
「く、くりかえすなっ。馬鹿!」
顔色一つ変えることなく、笑顔のまま、『可愛いね』を連呼してくる村紗を前に、ぬえは、早くも正常な思考をすることが困難となっていた。
「え、えっと……」
どうやらぬえは、精神を安定させるべく、とりあえず眼前のしりとりに集中する構えのようだ。
少し考える素振りを見せた後、口を開く。
「じゃ、じゃあ……『寝ているときのムラサはかわ…』…あっ」
「えっ?」
しかしすぐに、ぬえは両手で口を押さえた。
どうやら、思いついた文をそのまま口にしようとしたものの、なんらかのNGワードが含まれていたことに気付いたらしい。
「ぬえ?」
一方村紗は、不審な挙動のぬえを見ながら、不思議そうに首を傾げている。
ぬえは両手をぱたぱたさせつつ、必死の弁解を試みる。
「ああ、ち、ちがう。ちがうの」
「?」
「え、えっと……ね、『寝ているときのムラサは間抜け面』! ……って、言おうとしたのよ」
「む。なによそれ」
突然、ぬえから間抜け面呼ばわりされた村紗は、率直に眉をしかめた。
ぬえは一層両手をぱたぱたさせつつ、早口で言う。
「い、いいじゃん別に。ルールには反してないんだしさっ」
「……む。まあ、確かに」
「でしょ?」
まだ不満げに頬を膨らませてはいるものの、村紗が一応は納得したようなので、ぬえは軽く安堵の息を零した。
「じゃあ、次は私ね。……『ら』かあ。うーん」
「…………」
顎に人差し指を当て、天井を見上げながら考え込む素振りの村紗。
ぬえは、こいつはまた何かとんでもないことを言い出すのではないかと、食い入るような視線で村紗を見据えたまま、押し黙っている。
「―――よし!」
やがて、ポン、と手を叩くと、村紗は満面の笑顔で言った。
「『ラッパ吹いてるぬえちゃんはキュート』!」
「ぶっ!」
またも斜め上方向に飛んで来た村紗の答えに、ぬえは思わず吹き出した。
再び顔を真っ赤にしながら、声を荒げる。
「な、ななななによそれ! 私、ラッパなんか吹いたことないし!」
「いいじゃん別に。ルールには反してないんだしさ」
「う、うぐぅ……」
つい先ほどぬえが言った台詞を、そのままさらりと返す村紗。
それを言われてしまっては、ぬえとしても沈黙するしかなかった。
「さ、次、ぬえの番。『ラッパ吹いてるぬえちゃんはキュート』の『と』だよ!」
「う、うるさい。わかってるわよっ。え、えっと……」
「早く早くぅ」
「せ、急かさないでったら。えっと……『トマトが食べられないムラサは子供だ』」
ぬえが言うと、村紗は再び、先ほどのしかめっつらを復活させた。
「む……カ、カレーとかに入ってるやつは食べられるもん!」
「でも生じゃ食べられないじゃん」
「ぐっ……」
さっきまでの攻勢から一転、悔しそうに下唇を噛む村紗。
対するぬえは、少し落ち着きを取り戻したようだ。
若干の余裕を浮かべた表情で、村紗に促す。
「ほら、ムラサの番よ。『だ』」
「むぅ……わかってるわよ。えっと……あっ」
そこで村紗は、何かを思いついたような表情になった。
瞬間、ぬえの本能が危機信号を鳴らす。
(や、やば―――)
ぬえは、咄嗟に回避行動を取るべく両手を耳に押し当てようとしたが、とき既に遅し。
村紗の言葉は、正確な発音と適切な音量を伴って、ぬえの耳にしっかりと届いた。
「―――『大好きだよ、ぬえ』!」
「あぐっ……!」
予想通り。
ぬえは両耳を塞ごうとした姿勢のまま、三度、顔を赤く染め上げて停止した。
片や、にこにこ笑顔に戻った村紗は、心底嬉しそうに言う。
「はい! 次はぬえだよ。『大好きだよ、ぬえ』の『え』!」
「う、ううううるさいっ!」
先ほどのぬえの一時的な優勢は、もはや完全に覆されてしまった。
ぬえは真っ赤な顔で俯きながら、ぼそりと呟く。
「……『絵が下手なムラサ』」
「む。なんかさっきからそういうのばっかりね。ぬえってば」
「……う、うるさい。下手じゃん、実際」
「まあ、それは否定しないけどさ」
村紗は軽く溜め息を零しつつ、再び思案顔を作る。
「うーん。……『さ』ねぇ。さ、さ……」
「…………」
ぬえは真っ赤な顔のまま、無言で村紗を見つめている。
心なしか、その目は少し潤んでいるようにも見える。
「……そうだ!」
そして、村紗は一際大きな声を上げると、とびっきりの笑顔で言った。
「―――『最ッ高に可愛いぬえちゃん』!」
「っ……!」
既に羞恥心が飽和状態に達していたであろうぬえに対し、更なる追い討ちを掛けるかのような村紗の言。
「…………」
ぬえはもはや反論する気力もなく、耳たぶまで真っ赤に染め上げたまま、無言で下を向いた。
―――と、そこで村紗は、はっとした表情を浮かべた。
「あ。……『ん』ついちゃった」
「……あ」
村紗の言葉に、思わず、顔を上げるぬえ。
村紗はにへらっと笑うと、ぽりぽりと頭を掻いた。
「ちぇっ。私の負けかー。残念」
その言葉とは裏腹に、村紗は実に満ち足りた表情を浮かべており、至極ご満悦といった様子だ。
悔しそうな雰囲気は皆無である。
「……ムラサ」
「ん?」
しかし一方、勝利したぬえは、幾分納得のいっていない様子。
頬を少し膨らませた不機嫌面で、村紗に尋ねる。
「……なんでわざわざ、『ちゃん』なんて付けたのよ。そうしなければ、負けなかったのに」
「……あー。なんていうか、その、つい、ね」
村紗はそう言って、少し照れくさそうに頬を掻いた。
ぬえは、訝しげに眉間に皺を寄せる。
「……つい?」
「うん」
村紗は一度頷いてから、にぃっと笑って言った。
「顔をかあぁって赤くしてるぬえって、すっごく可愛いからさあ」
「は……」
その瞬間、村紗の言葉どおりに、顔をかあぁっと赤くするぬえ。
果たして今日、何度目の赤面であろうか。
しかし村紗は一向に構うことなく、嬉々として話し続ける。
「や、ぬえはもちろんいつも可愛いんだけどね? でもさっきのぬえは、普段の可愛さをさらに十割増しにしたような可愛さでさあ」
「なっ……ばっ……」
「それでこう、思わず『ちゃん』を付けてしまったのよ。ぬえの可愛さゆえに!」
「ば……ばばば、ばっかじゃないの!?」
「あはは。そうかもね」
「もう……ばかっ。ばかばかばかっ!」
常人ならば、一度口に出すことすら躊躇われるような台詞を、恥ずかしげもなく次々と発する村紗。
ぬえはもう何も考えることができず、ただただ、一心不乱に村紗に対する悪態をつき続けることしかできなかった。
―――しかし、二人は気付いていなかった。
居間の入り口より少し奥―――廊下に佇む二つの影が、じっと、自分達を見つめていたことを。
「……ご主人」
「……なんですか、ナズーリン」
「……大変申し訳ないんだが、今すぐ、君の『物を無くす程度の能力』で、私の記憶を無くしてくれないか。直近十数分ほどでいいから」
「……生憎ですがナズーリン。そんな便利な能力があるなら、私はとっくに自分自身の記憶を無くすために使っています」
「……そうか。……そうだな。すまなかった」
「……いえ。……いいんですよ」
その二つの影は、いつまでも遠い目をしていたという。
了
それにしても、ぬえは可愛いなぁ・・・可愛いなぁ・・・
二人とも可愛いよ!
そして物を無くす程度の能力w
ナズーリン達も負けじとやればいいと思うよ!
「へへ、なんというかまあ、ひとことで言って、良かった、でs……」がくり