梅雨が明け、湿気が散り始めた頃。保存しておいた食材が駄目になってしまったことを理由に人里に降りた。
要は買い出しである。殆ど黴が生えていて、最早裏の桜の肥しにしかならないのでそれらを埋めてしまったのである。
今思えば、自分は病気に罹りにくいのだから、煮沸してサラダにして喰ってしまっても良かったのではないかと思ったが後の祭り、悔やんでも無駄だった。
そんな少々惨めな思いを抱えた見た目青年、森近霖之助は里中を進む。
「はあ…、まさかあんなになってるなんて思わなかったものなぁ」
一人ごちても仕様の無いことである。
備蓄を腐らせて常連や冷やかし共に嗤われたのは想像に難くないだろう。
「然しなぁ、最小限とは云え矢張り重いよ。何処ぞで休もうかな」
「あ、之助。久し振りだ」
一服を考えた矢先、渋く重みのある癖、よく通る声が聞こえた。聞き慣れた声である。
「えぇと、ああ親父さん。あんたは相当目立つね」
「そう云うお前は相当耳立つと返させてもらう。噂だけは良く聞こえるモンだよ」
霖之助が目立つと云ったのは、親父さんの背が他より高く、栗色のやや癖のある髪にブロンドの瞳を持つからである。明らかに日本の生まれではない。
その見た目の割には流暢な日本語をその口から発するのである。きっと魔理沙の髪と瞳は父譲りなのだろう。
「買い物帰りかな?手伝う気は無きにしも非ず」
「なら、こっちの袋を持ってくれないか重くて肩が凝る」
霖之助はそう云って親父さんに重い袋を手渡した。
「おいおい、少しは老骨労る精神はないのかい」
「ガタイが良すぎるじゃないか。如何労れって云うんだよ?ほら、其処で甘味奢ってやるから」
目先にある甘味処を指差して云う。然し、親父さんは不敵に笑みを浮かべた。
「之助よ。仮にも大店の主が吝嗇臭い根性してると思うなよ。代金は儂が持とう」
「何を云うか、婿養子の癖に。でも、有難く頂くよ」
「そう云われると一寸痛いなあ。一端の番頭だった儂がこうして主になれたのもお前の御蔭だよ」
「恩返しの心算かい?」
「さてな」
甘味処の暖簾を潜り席に着く。
着くと娘が、ご注文はお決まりでしょうか。と尋いてきたので、霖之助は白玉を、親父さんは宇治金時を頼んだ。
「然し親父さん。何だってあんな場所に居たんだ?」
「不夜城からの帰りだったんだよ」
「ほう、朝から精の出る話で」
霖之助は粘着質な目で親父さんを見た。
その視線に気付いたのか親父さんは慌てて口を開いた。
「違うぞ?淫らな思いなど微塵もない。商品を納めに行ったのだ」
「ふぅん…」
言葉に嘘はないのは解るが、彼を知らぬ者が聞けば苦し紛れの云い訳にしか聞こえないだろう。
「それよりもだ。之助、まりさの様子は如何だ?息災か?」
「魔理沙なら――」
「魔理沙なら先日、稗田の屋敷に忍び込もうとして居りました。幸い、屋敷の者の発見が早かったので事無きを得ましたが」
霖之助の言葉は何者かに依って遮られた。
後ろを振り返ると、里の守護者兼寺子屋教師の慧音と御阿礼之子の稗田阿求が居た。
「その節は、申し訳御座いません。不謹慎ですがまりさが元気で何よりです」
「おや、慧音に…、ええと矢張り呼び方に困るな」
「阿求で構いません。夏以来ですね」
霖之助はおや、と奇妙な違和感を憶えた。
阿求から白粉のにおいがしているからである。
「如何して化粧を…?」
「ぁあ、だって私普通の人みたく長く生きられないでしょう?そう思ったら一寸やりたくなっちゃって、どう?綺麗ですか?」
「ん、ああ。眩いくらいに輝いてみえるよ。綺麗だね」
人間は限りある命だからこそ、生きようと光放つ。日々がどれだけ辛くても、光が絶えることはない。
それは長い時間を生き、飽和しきった妖怪にはないものなのだ。
「ふふ、嬉しい言葉ですね。本当に…。あ、忘れて下さい」
そう云うと慧音は親父さんの横に、阿求は霖之助の横の席に腰を降ろし暇そうにしている娘の呼び付けた。
ご注文はお決まりでしょうか。とルーチンワークのように定められた言葉を吐いた。
「えぇと、ワッフルのプレーンを。あ、アイス乗っけて下さいね。慧音さんは如何します?」
「私は蜜豆を」
畏まりました。そう云うと娘は厨房に引っ込んだ。
「さて、代金は全部霧雨さん、貴方が持ってくれるそうですね」
と、阿求は云った。慧音は苦笑いを浮かべている。
「君らは、僕らの外での立ち話を聞いていたのかい?」
「ええ、勿論。聞いたのだから、私達も奢ってもらえるんですよね?」
「私も頼んでおきながら、済みません」
「勿論良いとも。甘味程度で寒くなるような懐ではないのだからねえ」
親父さんの懐には常に南風が吹いているらしい。
霖之助も何れは店をと思わぬではないのだが、その機会が未だに訪れないで意気だけが空回りしている。
「中々狡賢いね。君も」
「あら、酷い言い様ですね。御厚意に甘えてるだけです」
お待たせしました。と娘の声が響いた。
突然のことであったので、霖之助は少し驚いてしまった。
テーブルにそれぞれ頼んだ甘味が並べられる。
頂きます。と四者が声を揃えて云った。
霖之助は良く冷えた白玉を口に含む。
清涼感が口一杯に広がり、火照った体が冷めていくような心地好い感覚に包まれた。
「うん、美味い」
「くぅ、頭が痛いがこれが良い。夏って感じだ」
「漸く梅雨が明けてこれから暑くなると考えると気がめげますねぇ」
「私の屋敷は結構涼しいから湖に次ぐ避暑地になるので平気です。冬は辛いですけど」
夏に対する感想は人それぞれ妖怪それぞれである。