「依姫様っ」
レイセンは慌てて、身を預けていた長椅子から立ち上がる。気弱そうな表情をのんびりくつろぎタイムのそれから、わずかに怯えの混じった引き締まったものに変え、部屋へとはいってきた依姫にぺこり、と勢いよく礼をする。
下げたままの頭のまるっこい耳がぷるぷると震えている。やましいことをしていたわけでもあるまいに、その態度に、依姫は微かに眉を寄せる。
「お疲れさまー、依姫」
そんな子兎の姿を面白そうに眺めながら、同じ長椅子に腰かけていた豊姫が緩い笑顔を浮かべる。その手には、もぎたての桃。一口二口齧られている。
よくよく見てみれば、長椅子の前のテーブルには籠いっぱいの桃が。季節になった途端、事あるごとに豊姫が収穫しているものだ。依姫が毎年、収穫計画を立てているというのに、この食いしん坊は、まったくそれを気にしない。
「うふふ、今この子から八意様の話を聞いてたのよ、ね?」
「あっ、はい!」
何も言わない依姫の様子をおろおろと窺っていたレイセンに助け舟を出すかのように、豊姫は微笑みかける。すると、緊張でがちがちに固まったレイセンの表情は綻ぶ。明らかにほっとしたことが傍目にも分かるほどだ。
豊姫に耳を撫でられて、ほのかに頬を染めて微笑んでいるレイセン。仲のいいペットと飼い主らしい和やかな空間。
そんな二人をじっと見つめていた依姫は長椅子の空いたスペースに座ることなく、その場に立ちつくす。
「……」
「どこに行くの? 依姫」
やがて、誰にも聞こえないほどの微かな溜息をひとつつくと、依姫はくるりと音もなく踵を返す。つかつかつか、とつんのめるような早足で扉へと向かう。
どこかからかうような響きを持った声で、歩くたびに揺れるポニーテールに声をかけたのは豊姫。かぷり、と一口桃にかぶりついて、幸せそうに顔を綻ばせる。
お見通しよ、といわんばかりの楽しげなまなざしに気付いてるのかいないのか。決して振り返ることなく、背を向けたまま、ひんやりと冷めた声がきっぱりと答える。もっとも、依姫の声のトーンの違いなど、ほんの微々たるもので、レイセンにはいつもどおりのものに聞こえていたのだけれど。
「まだ仕事が残っていますので」
「あら、さっき終わったばかりじゃない」
「……それは」
立ち止まり、ぴくりと硬直する依姫の背中といたずらっぽく笑う豊姫の顔を見比べるレイセンがただおろおろするしかない。
気真面目な依姫とそれをからかう豊姫。ここのペットになってから、もう何度も似たような光景を見たけれど、未だになれずにその都度おろおろしてしまう。
大抵の場合、意外と詰めの甘いところのある豊姫のすっとぼけた言葉の端を捕まえて、「お姉さまと違って忙しいのです」とか、「運動しないと太りますよ」だとか言い返して、豊姫が頬を膨らますのだけれど。
そういう様子はおろおろしてしまうけれど、見ていて少し楽しい。なんだかんだで、二人とも楽しそうにしているからだ。
しかし、今日は。
「……! 私はお姉様とは違いますから」
珍しく。本当に珍しく依姫は苛立ちをにじませた声音でそういうと、そのままの勢いで歩き去ってしまう。ばたん、という扉の音とともに姿を消す。
いったい何が依姫を怒らせたのか。それが分からなくて、レイセンは途方に暮れてしまう。原因が自分であるならば、謝らなければならないし。分からないまま謝りに行ったところで余計に不興を買うだけだ。
どうしたらいいでしょう、そう問いかける意味をこめて、すがるように豊姫に視線を向けると、豊姫はもうたまらない、というようにころころと声を立てて笑っている。
「本当にあの子ったら」
「あ、あの?」
「うふふー。たまにこういうこともあるのよ。ええ。だからあなたは心配しなくていいわ」
「はあ……」
人差し指を口元に当てて、にっこりと微笑む豊姫。
レイセンをいつも可愛がってくれたり、からかったりする豊姫だけれど、こう言う笑顔の時には本当に何を考えているのか分からない。
それは付き合いが浅いためなのか、兎程度の浅知恵では理解できないということなのか、はたまたレイセンの未熟さゆえか。それすら分からないけれど。
とりあえず、豊姫が心配はいらないというなら、事実そうなのだろう。単なるペットの一匹に過ぎないレイセンはただ、それに従ってさえいればいい。
「ああ、でも――」
「豊姫様?」
「あなた達みんな、もっとあの子に甘えてあげて?」
いつもそうだ、と依姫は思う。
自分でも珍しいと思うほど、衝動的に居間を飛び出してきて。自室に戻る気もせず、かといってどこか行くあてがあるでもなく。結局静かの海の浜辺で、ひとり膝を抱えている。
「……」
もう覚えていないほど昔。ずっとずっと子供だった頃からそうだった。
みんなみんな依姫よりも豊姫のことを好きになる。
どちらかというと気真面目で堅苦しく、また、あまり微笑むことのない依姫よりも、能天気で人懐っこく、いつでもにこにこ微笑んでいる豊姫のほうが皆に愛されるのだ。
使用人しかり、兎達しかり。
使用人や門番は豊姫には笑顔で対応するけれど、依姫が声をかければぴん、と背筋を伸ばす。
当然、おバカな兎達は訓練だのなんだのと叱りつけてばかりの依姫がいるときよりも、稽古が休みの時に訪れたりして、可愛がっている豊姫といる時の方が断然安らいだ表情をしている。
「……別にいいけど」
ぽつりと漏らした声は普段の自信に満ちあふれたそれではなく、あまりにも微かで、波の音にかき消されてしまう。
瞳を閉じて、膝の間に顔を埋めて波の音を聞く。
分かっている。
豊姫は豊姫。依姫は依姫。それぞれの役割を持っている。
使用人に敬意を払われるのも、兎たちに尊敬されるのもそれはそれで必要なことだ。
けれど。ああして、あからさまに態度の違いが見えてしまうとがっくりくる。
依姫だって、兎達をもふもふしたいのだ。門番達と一緒に桃をこっそり食べたりしたいのだ。
だが、普段のキャラ付け的にも、プライドというかなんというかそのあたりのアレ的にも素直になれない。そんなジレンマ。
「あー」
一番になりたかった。誰かの一番になりたい。
愛され具合も、実力も。依姫はいつも二番以下。すぐ上には姉がいる。
否、実力は伯仲しているか、あるいは依姫の方が上にも見えるかもしれない。
けれど、こつこつ努力をして地道に実力を鍛えてきた依姫とは対照的に、豊姫はいわゆる天才肌。要領がよく、センスだけでこなしてしまえるタイプ。
どちらが上とかそういうことはないけれど、どうにも負けた気分になってしまうのは、卑屈すぎるのか。
数少ない依姫と豊姫を対等に扱った永琳には、地上に誰よりも愛する姫君がいた。そうして、二人を置いて地球へ行ってしまった。
臆病さゆえか豊姫と遊ぶことよりも依姫と訓練することを好んだ変わり者の兎、前のレイセンは、やはりその臆病が原因で逃げ出してしまった。
そうして、やってきた新しいレイセンも。他の兎と同じように豊姫によくなついている。
「私には関係……」
ない、と続けようとしたその言葉は不意に途切れる。
後から、気配を感じたからだ。
「ふふ、やっぱりここにいた」
「お姉様……」
顔をあげて振り返れば、そこにいたのはにっこりと笑みを湛えた姉だった。
音もなく現れた豊姫はここに来るまでにまた摘んできたのか、両手にいっぱい桃を抱えている。ふふふー、とだらしなく口元を綻ばせながら、依姫のすぐ隣に腰を降ろす。
依姫の頬に長くふわふわとした豊姫の髪が触れるほど近くに。くつろぎモードだったためか、つばの広い帽子はかぶっていない。
「あなたは何かあるといつもここよね」
「……別にそんなことはありませんが」
「前にもここでこうやってお話したわよね。あの時は食事中に突然依姫が席を立って」
「……」
遠く、はるか遠くまで続いている水平線を眺めながら、ことん、と依姫の肩に頭を乗せる。長いこと外にいて冷えた依姫よりも体温の高い豊姫のぬくもりが肩から伝わってくる。
「拗ねなくたっていいのに」
「拗ねてなんかいません」
「へー? 口が尖ってるわよ」
「なっ」
軽やかに笑う豊姫の言葉に顔を赤くして、口元を隠すように手を当てる。
豊姫だけが見られる、ありのままの依姫の素顔。
「兎みたいに寂しがりなんだから」
「寂しがってなんかいません」
お姉様には分かりませんよ、いつも、誰かの笑顔と共にあるお姉様には。
喉元まで出かかった言葉をこらえてふいっと顔を背ける依姫。
この胸のうちの憤りは結局ままならない劣等感と、自分勝手な豊姫への嫉妬なのだから。それを口に出さない程度には分別はある。
「ねえ、依姫」
「お姉様?」
けれど、それもすべて豊姫にはお見通しだった。
生真面目すぎるきらいのある依姫がオーバーヒートすることも、クールなふりをして実は寂しがり屋だったり、可愛いものが好きだったりすることも。
地味に劣等感が強いところも。
こんな時、依姫は視野が狭くなっているけれど。決して、兎達は依姫を疎んでいるわけではない。むしろ、得体のしれないと思われている豊姫よりも慕われているといっても過言ではない。
兎達が訓練を怠けてしまうのも、いざとなったら依姫が何とかしてくれると、そう愚直なまでに信じているからこそ。その意味では、豊姫だって依姫が羨ましくなることもある。
一家の中で、父と母と、祖父と祖母と、それぞれに役割が違うように。それぞれの立場でそれぞれが一番なのだから。
一番なんて意味がない。
けれど、分かっていてもそれを考えてしまうことだって、ある。いくら長く生きていても、そういうことを考えてしまう時もある。
豊姫にも覚えがあるし、前にも同じようなことで依姫が悩んでいたこともあった。
同じようなことを繰り返している気がするけど。お互いにそういう時に、言うべき言葉、するべきことも自然と分かっている。
「私は依姫が一番大好き」
「私の一番は依姫なんだから」
ちゃんと肝に銘じておいてくれないと困るわ。
内緒話をするように耳元で囁く。吐息がかかるほど近く。
本当ならば、そっと抱きしめてあげたいけれど、残念ながら豊姫の両手は桃でいっぱいになってしまっている。だから、体重をかけて寄りかかる。
そばにいる、と伝わるように。
「お姉様……」
「当然、依姫の一番は私よね?」
冗談めかして呟いてみれば、寄りかかった頭の上に微かな重みを感じる。
視界の端に捉える事が出来たのは、ようやく綻んだ妹の口元。
「当たり前でしょう」
つんと澄まして。けれど、まるで小さな子供のように、ひんやりとした手は豊姫の服の裾をぎゅっとつかんでいる。
先ほどまでとはうって変わって、柔らかい、どこか甘えた声でそっと囁く。
「お姉様が一番です」
苛立ち?
この姉妹愛も素敵!
こう、豊ねえにイジられるよっちゃんとか、
霊夢に振り回されるよっちゃんとか、
兎たちとキャッキャウフフするよっちゃんとか、
色んなよっちゃんを書けばいいと思うよ!
その気持ちを原動力にしてよっちゃんSSをいっぱい書けばいいと思うよ!
○どうしたらいいですか
穢れがない、というくらいですから月の都組はなんだかほんわかしているイメージがあります。
綿月姉妹でSS書いてそのモヤモヤを解消しましょう!