綿のような雪が降る。ふんわりと、月明かりに照らされて、体を艶めかせながらしんしんと。
そんな白と黒が曖昧な境界で、新雪をその足で蹂躙し尽くした少女が、傍らの少女へと声をかける。
「ねえ、お姉ちゃん。雪って羽根みたいだね」
傍らの少女――姉は、右手で左手を包み、撫で摩り、そこに息を吐いて温めるのを続けながら、少女に向かって羽根? と小首を傾げた。
それを受けて、少女――妹は、大仰に頷きながら続ける。
「うん。羽根。雨は神様の涙だから、雪は神様の翼から抜け落ちた羽根なんだよ!」
なんともロマンチックな妹の喩えに姉は笑顔を返す。胸中では、雪というのは雲に含まれる水蒸気が上空の気温が低い時に云々、なんてことを考えているが、それをおくびにもださない完璧な笑顔だ。
しかし、妹はそんな胸中を見抜いて頬を膨らます。それから、頬にためたいっぱいの空気をやれやれ、と言わんばかりに不満とともに漏らす。
「まったく。お姉ちゃんには夢がないね」
「寝る時でさえ煩わしいのに、起きてる時になんてごめんだわ」
「そうじゃなくて!」
言い合いは続き、やがてどちらともなく笑顔になる。いつも通りのじゃれあいだ。中身が空っぽの相手のどこにも触れようとしない、そんなじゃれあい。
だが、それでよかった。人が手を伸ばしても届かない場所に常に手を置き、曖昧なそれを本物にして、全てがそれでは心がもたない。疲れたら休めばいい。だから、少しだけ本物を曖昧にしていた。
「ねえ、寒いの?」
先程よりも小刻みに震え、撫で摩る動きも、吐く息も増やした姉に妹は尋ねる。
「ええ、少しだけ」
歯の根をかちかちと打ち合わせ、やや舌足らずに答える様を見ては、さすがに額面通りには受け取れない。妹はしばし逡巡した後。
えい、と姉に抱きついた。
しばらくなにが起きたのか把握できずにいた姉は、目を白黒させていたが、やがて伝わる自分以外の温かさになにが起きたのか察しがついた。
気づいて、それから、両手の場所に悩んで、妹のはと視線を巡らすと背中にしっかりとまわされていた。
それはとても温かくて、とても大きな針のように姉の心に突き刺さる。
温かくて、痛くて、どうしようもなくて、混ざり合ってしまう気がして恐ろしくなった。
抗う術がないくらいに感じて、曖昧にしていた流れこむ気持ちは、ぼやけた姿を捨て、はっきりとした輪郭を現す。
それは少しだけ強すぎて、それでも姉の心をぐちゃぐちゃにできるほどには多くて。だから、宙を彷徨っていた両手を妹の肩に乗せ、そっと押した。
妹は残念そうな顔をして、それから微笑んだ。姉もそれに微笑を返す。
「帰りましょうか」
ぽつり、と姉が言った。遊んで満足したのだろう。妹も頷きを返した。
妹に背を向け、姉が帰路に着く。その後ろを妹が追う。
そうして、ようやく姉妹の胸にぶら下がる色違いの瞳の視線は途切れた。
そして、姉妹の視線が1度もあうこともなかった。
地底に冬がやってくる。黒と戯れる白もなく、身を刺す冷たい風もない、地底の冬だ。
橋守がいる地上との出入り口なら、雪がちらほらと降っているのかもしれない、死神の手のような風を感じるのかもしれない。
だが、姉妹が暮らす、この地下の奥深くにある屋敷ではどちらも縁のないものであった。
「ただいま。お姉ちゃんなにしてるの?」
放浪の旅から戻ったこいしが、毛布に包まって地に落ちた蓑虫みたいになってる姉に問いかける。
もぞもぞと頭だけをだして、おかえり、と伝える姉。
それから、なにが起こったのかを心に浮かべ、そういえば、と一度頭を振ってから今度は口にだした。
「お空が暖房を壊しました」
暖房を? と妹は小首を傾げ、確かに、と外よりも屋敷の中のほうが若干寒い事に気づいた。
そして、さっき見た、屋敷の軒に制御棒を吊るされ、それを取ろうと必死にぴょんぴょんと跳ねているお空の姿にも納得がいった。
「ひどいね、お姉ちゃん」
笑いながら。
「仕方がないでしょう?」
笑いながら。
部屋に戻り防寒着を脱ぎ捨てると、これでもかと寒さが妹を襲った。
予想以上のそれに妹は驚き、一目散に姉の元へと駆け戻り、えいや、と姉を包む毛布へと飛び込んだ。
それから、姉の体が半分外にだされるほど毛布を自分のほうへ引っ張り一言。
「温い」
姉は少しむっとして、毛布をひったくると妹を蹴り蹴り追い出した。そして一言。
「自分の持ってきなさいよ」
「えー」
不満たらたらに妹が漏らす。
そんな文句もどこ吹く風で、姉はくるくると横回転で毛布を体に巻きつけていく。そして笑顔。
勝者の笑みを向ける姉に、妹はぐぬぬと顔を歪め、それからぱっと一転し、笑顔になる。妙案を思いついたのだ。
そんな妹を訝しげに眺める姉の横に回り、妹は巻き姉をただの姉に戻すべく、無遠慮に横にごろごろ。
されるがままに、あーれーと転がる姉。やがて回転は止まり、弾きだされる。
転がる姉に待ってましたと言わんばかりに、妹が先程剥がした毛布をばさりとほうる、そしてそれが地に着く間に体を下へと潜り込ませ、姉に抱きついた。
ふわりと毛布も地上に抱きつき、世界が少し切り離された。
「温いね」
「ええ」
姉妹の心に浮かぶのはいつかの冬の出来事。遮るように妹が尋ねる。
「ねえ、お姉ちゃん。"ヤマアラシのジレンマ"って知ってる?」
「ええ」
寒さに震える2匹のヤマアラシ。少しでも温かくと、2匹で寄り添おうとする。しかし、互いの針が相手を傷つける。寒くもなく、針も刺さらない、そんな距離を2匹は探す。
紆余曲折の末、最後は2匹が妥当な距離を見つけてめでたしめでたしで終わるお話。姉妹が知っている話はそんなものであった。
「零距離だね」
苦笑で。
「針、抜けちゃったものね」
微笑で。
そして、遮られた思い出がようやく心に到着する。
あの時、ぐさりとたくさんの針を突き刺して、妹は丸裸になってしまった。姉もぐさりと妹に針をたて、それでも猶、いくらかの針は残っていた。
どちらか一方の針がなくなれば、自然と姉妹間でそれが見えなくなった。
だから、こうすることもできたのだ。
未だ体に残る針が少し動いた。ちくりと姉妹の心を刺す。
どちらともなく苦笑を浮かべて、少しだけ、ぎゅっと抱き締めあった。
「そろそろお空を許してくるわ」
充分に温まった姉が、のそりと毛布から体をだし、外に行く準備を整えていく。
妹は自分の体に毛布をぐるぐるに巻きつけてから、いってらっしゃい、と姉に伝えた。
そんな妹を見て姉はため息を1つ。それから、すぐ戻るわ、と言い残して外の世界へ。
そうして、姉妹の視線は外された。
そして、姉妹の胸にぶら下がる色違いの瞳の視線が1度もあうことはなかった。
このお話は凄い!この距離感が何ともいえません。
面白かったです!
締めくくり方がなんとも素敵
この表現がとても心に響きました。
さむいのにあたたかい、そしてあたたかすぎることはない、そういった距離感。
とてもよかったです、次作を楽しみにしています!