Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

いとらうたし

2010/06/20 20:20:31
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 部屋に戻ると、テーブルの上に虫かごが置かれておりました。両手にすっぽり収まりそうなかごの中に、かまきりが一疋いっぴきおりまして、突然現れた私を、格子越しにぎょろりとにらんだようでした。ベッドと、本棚と、テーブル。いつもと変わらぬ私の部屋の中で、私こそが闖入者ちんにゅうしゃだと弾劾だんがいされたような、一種奇妙な心地をおぼえて、しかし、私はそのプラスチックスのような二つのまなこから目を逸らしませんでした。
 はて、地底という環境に、かまきりが住んだかしらん?
 小ぢんまりとした、赤茶けたかまきりでした。おなかが横に膨れていて、どうやらメスかしら、と観察していると、かまきりは万歳のようなポオズをとりました。小さな身体から思念が第三の目に伝わってきましたが、昆虫のそれはひどく原始的で、私のペット達――けものや鳥たちのような明確さを備えておりませんでした。かろうじて、混乱とおびえの色を感じ取り、私はなるべく音を立てぬよう、後ろ手にドアーを閉めようとしたのです。
「あ」
 後ろに、燐がおりました。手には雑巾とはたきを持っておりました。御苦労さま、と言ってやると燐はちょっとはにかみながら会釈をして、目を私の部屋の中にやりました。虫かごを見ておりました。
「あれは、こいし様が」
「こいし?」
 妹が、知らぬ間に、帰っていたようでした。スキップでドアーを開けるこいし。屍体運びから帰った燐に、かまきりを自慢し、おやつを用意させたあと、燐とは別れている。燐の心から読みとれたのは、そのような映像でありました。
「いま、こいしはどこに?」
「またお出かけになりましたよ。餌をとってくる、って」
 こいしがふたたび帰ってきたのは、夕食の少し後でした。
「あ、お姉ちゃんだ」
 私の部屋の丸テーブルに両手で頬杖ついて、こいしはさも愉快そうにきゃらきゃらと笑いました。おかえり、と私が言うと、ネエ見てよこれ、とこいしは虫かごを指さしました。
「いつ帰ってきたの。言ってれれば好いのに」
「ね、ね、かわいいでしょ」
「その虫かご、どうして私の部屋に?」
「エ?」
「どうして、私の部屋に、かまきりを置いたの?」
「他のところだとペットにいたずらされちゃうじゃん。食べちゃうかも」
 こいしは愛おしそうに虫かごを視線で舐めました。格子の中に、かまきりと一緒に幾疋かのばったが入れられておりました。そのうちの一疋が、二本のかまに捕らえられておりました。かまきりはその背中のはねからかじりついておりました。ぱりぱり、ぱりぱりと、薄いビスケットをかじるようなかるがるしい音が、かすかに耳に届きました。
「美味しい? 美味しい?」
「こいし」
 かまきりのあぎとが、ばったのやわらかなおなかを食い破りました。
「美味しそうに食べるねぇ、おまえ」
「こいし」
「ねえ、お姉ちゃん、この子、ここに置いてもいいわよね?」
「……この子も、もう他に行き場もないでしょうから」
 いつしか、かまきりはばったをすっかり食べ終えて、得意げなしぐさで顔をごしごしと洗っておりました。よくよく見ると、虫かごの周りには、翅のかけらや、脚や、食べかすがぽろぽろとこぼれ落ちて散らかっておりました。虫かごの中のばった達は、心を原始的な恐怖でいっぱいに染めて、すみに縮こまっておりました。こいしはきゃらきゃらと笑っておりました。
 そうして、幾日かの間、私はかまきりとの同居生活を送ったのでありました。
 ぱりぱり、ぱりぱりというビスケットの音が二六時じゅうのようにして、食べかすが散らばりました。燐が私の部屋を掃除してくれる回数が増えました。こいしは地上に虫とりによく出かけました。
 ぱりぱり、ぱりぱり。
 ばったやこおろぎを食べるかまきりを、こいしはうっとりと眺めました。かまきりのプラスチックスのような眼が、こいしを見返しました。こいしは笑いました。
 ぱりぱり、ぱりぱり。
「さとり様、虫取り網ないですか」
 ある日、コーヒーを飲んでいる私に、空が勢い込んでたずねました。私はカップを置いて答えました。元々、日の当たらぬ地底は、およそ昆虫が住むに困難な環境なのです。
「そうですかぁ、うーん、困ったなぁ」
「どうしたの」
「こいし様が昆虫採集に行こう、って」
 そうして、空は虫かごをじぃっと見ました。かまきりは例のプラスチックスの瞳で視線を返しました。空の心の色は何やら複雑な模様をしておりました。
「お前、へんなやつだねぇ」
「あんたこそ……おくう、帰ってたんだ」
「ん」
「燐……お掃除、後でいいわ」
「え、あ、でも」
 かまきりは食事を再開しました。ぱりぱり、ぱりぱり。
「……いえ、別にそういうことじゃないのよ。自分で手を動かしたいだけ。……身体を動かさないと、腐っちゃう気がして」
「ね、お燐、ちょっと来てよ」
「ちょっと、なに、私、仕事が」
「いいこと!」
 二匹があわただしく出て行ったあとで、部屋にはビスケットの音だけがぱりぱりと残っておりました。
 そうして、ある日、私の部屋からはかまきりがいなくなっておりました。食事のあと、部屋に戻ると、しんと静まり返っておりました。テーブルの上には、少しの食べかすが残っていて、虫かごの中からはあの赤茶けた小さな体は消えていました。よくよく見ると、食べかすの中……ばったの翅や脚に混じって、見覚えのある赤茶色の翅、そして、プラスチックスの瞳が散らばっておりました。
 私は小さく息を吐いて、安楽椅子に腰掛けました。船をこぐような揺れを数回繰り返して、ベッドのところに読みさしの本の置いてあったのを思い出し、手にとって数ペエジめくってみましたが、目が滑ってしまいましたので、元のペエジに栞を挟んで、またベッドに投げ置いてしまいました。そうして眼をつぶり、お茶を飲もうかしらんと考えたときに、あ、お姉ちゃん、という声を聞いたのでした。
「ねえ、おくうとお燐知らない?」
「こいし」
「地霊殿じゅう探したのだけれど、見つからないの。どこかに出かけたのかしら。んん、この時間は仕事だっけ? 灼熱地獄のほうへ行った方がいいのかな?」
「こいし」
「ああ、それにしても喉が乾いちゃった! ねえ、お姉ちゃん、お茶を淹れて?」
 私は立ち上がりました。そうして、つい、こいしを抱き締めました。こいしの鼓動の、温度が伝わってくるのに、私は泣きそうになりました。腰と、首を、おそるおそる、力を込めてかき抱いて、うなじの産毛のやわらかさに心を驚かしておりました。こいしは、されるがままに私に抱かれていましたが、
 かり、
 と、私の首筋に歯を立てました。私は声を上げそうになるのをこらえて、肌に突き立つ犬歯のかたさに、感じ入っておりました。

 そうしてようやく、私は紅茶と、ビスケットを、数日ぶりに楽しんだのです。




コメント



1.名前が無い程度の能力削除
囚われのハリガネムシに未来はにい
2.奇声を発する程度の能力削除
何か凄かった…
3.名前が無い程度の能力削除
むむむ、なにやら悲壮?な雰囲気、何故か惹かれる