一/ 午前の部
珈琲と煙管は私の仕事仲間なんだと思う。げにおぞましきは中間管理職の仕事の多さよ。
「不味い」
かなり濃い目に作った珈琲は予想以上に苦くて飲めたものではなかった。普段は入れないミルクを探しても、そりゃ普段使わないんだからある筈もなく、ペット用の牛乳で誤魔化す事にした。
「不味いものは不味い。真理ね」
苦みが少し薄まった程度で、やっぱり飲めたものではなかった。そもそも地霊殿で珈琲を飲む子がいないから、安物のインスタントしか置いてないのだ。お茶なんかは来客用に良い玉露を置いてあったりするのだけど。というかなんでこんな季節に私はホットを作ったんだ? 自分の感性を疑う夏の午前中。
かく言う私も、別に珈琲が好きという訳ではない。眠気覚ましにはくそ苦い珈琲と決まっているだけで。しかし、眠い。
茶封筒の口をびりびり破いて、逆さにひっくり返して揺さぶると、ばらばら紙が落ちてくる。ほぅら、仕事が降ってきた。
中間管理職は、月給の割に仕事量が多い。それでも地霊殿という土地まで与えられている私は破格の待遇らしい。是非曲直庁も財政難の時代、切り詰められるのは下ばかり。私の財布の紐もきつくなるというものだ。仕事は多いわ上司は五月蠅い、愚痴をこぼせばキリ無いけれど、ここを切られては行く宛が無いのも事実。
「なんでこんな仕事に就いたんだか」
独り言は紫煙と掻き消え、じわりと壁に沁み渡る。
灼熱地獄跡の管理を任されるこの私。実務労働は他に任せているけれど、計測や報告書などはやっぱり私がしなければいけない。面倒だなぁと放っておいて、月の終わりにはいつもこうなる。こつこつ地道に、そういう真面目さが欠けているんだろう。
邪魔な後ろ髪をゴムでくくって、前髪はヘアピンで留める。色気もくそも無い完全作業仕様なので、妹にはよく「ぶっさいくぅ」と笑われる。
そう。妹がいないのだ。彼此三週間はいないじゃないか。これは由々しき事態だ。妹が帰ってきてくれたら頑張れそうな気がする。でもどうせ帰ってこない。そういう娘だ。
「あぁくそ、こいしをなでなでしたい」
ぶつくさ呟きながら、珈琲に口をつける。苦い、不味い、口に残る、の三重苦。あぁくそ、なでなでなでなでしたいけど妹は帰ってこないのだあの放浪娘。帰ってきたらどうしてくれようと考えつつ、右手に持った筆を墨つぼにちゃぽんとひたした。駄目だ、眠くなると墨つぼと珈琲カップを間違えそうになる。この前も寝ぼけてそれをやらかして、墨の入った珈琲を飲んでしまったんじゃないか。何が悲しいって、殆ど飲み終わるまでそれに気付かなかった事だ。……眠い……畜生、あの閻魔め……先月期限遅れになったからって、今月の締め切りを一週間も早めるだなんて……。
少し書いて、一服して、刻み煙草を詰め直して一服して、珈琲飲んで、少し書いて、一服して、珈琲飲んで、ぼーっとして、ラジオ聞いて、って駄目じゃん。進まない、進んでない。一体いつの間にラジオをつけたのか。いけないいけない、無意識か。妹か。妹なら許す。
それにしても眠い。幾ら眠っても寝足りないお年頃なのだ。昨日徹夜で橋姫とゲームしていたなんて理由になってない。共同プレイじゃないと越せない面だったのだもの。しょうがないよね。私は過去は振り返らない女、
じりりりりん、じりりりりん。
内線が高く響く。もう出なくて良いかなぁ、出たくないなぁ。どうせ閻魔の締め切り催促電話に違いないのに。あるいは変な勧誘電話(内線なのに、おかしい。時々宗教勧誘とかある。妖怪の山あたりから)。
居留守を決め込もうと、しばらく放っておいた。しかし呼び鈴は鳴り響く。いつまでも鳴り響く。私が出掛けていないと知っているのだ。いいや取らないぞ。負けないぞ。閻魔なんて怖くないぞ。権力には屈しない。上司にも屈しない。怖くない、閻魔なんて怖くない、四季様なんて怖くない、怖くない、こわ……く、な……。
「古明地です……」
権力怖い。上司怖い。閻魔怖い。四季様怖い。
私のチキンハートは、そんなに強く出来てない。
「四季です」
「やっぱり四季様か……。なんの御用ですか」
「何です、そのテンションは。貴方、今月の灼熱地獄跡の報告書はまだかしら。今日が締め切りという約束は、幾ら怠惰な貴方でも流石に覚えていますよね?」
「あーうー」
「どうしたのよ」
「四季様って本当、空気読めませんよね。あるいは読み過ぎて逆に読めてませんよね」
「地獄に落としますよ」
洒落になんない。
だから今書いてるんだってば。
「大体、貴方は少し怠惰過ぎる。面倒事は他人に任せて時に任せて流れに任せて、切羽詰まってどうにもならなくなってからしか動こうとしない。そんな事を何度も繰り返しているのに学習もしない。少しは前もっての行動を心がけてはどうです? 思えば貴方は昔から不真面目なのです。正しいと判っていても面倒だからと忌避するような、そんな性分でした。それではいけない。正しい事は胸を張って正しいと実証しなければいけない。真面目に生きる事、それが貴方に出来る善行よ」
また始まったよ。
くどくどと閻魔様のありがたいお説教タイムが始まったので、私はそっと受話器を横に置いた。流石に切る勇気は無かった。
数分間放っておくと、しばらくして静かになった。切れたかしら、と受話器を耳に当てる。
「聞いてなかったでしょう、さとり」
「ひっ」
声が低過ぎる。
「貴方の根性のねじ曲がりっぷりは一度矯正してあげる必要がありそうね」
「い、いやぁそんな、四季様のお手を煩わせる事では」
へーこらへーこら。
「貴方の怠惰っぷりは小町のそれとよく似ているわ。まったく部下に恵まれない」
そんなに言わなくても良いじゃない。私だって頑張ってるんですよ。
「四季様、私、妹が帰ってきて「お姉ちゃん、頑張って」って言ってくれたら頑張れる気がするんですよ」
「左様ですか。またそこの風来坊は出かけているのね」
「妹連れてきて下さいよぅ」
「さとりちゃん、頑張って」
「うわやる気落ちた寝ますおやすみなさい」
「地獄に落とすぞ」
だから洒落になんないって。怖いって。
「とにかく。今日中に必要書類を持ってくる事。それが貴方に出来る善行よ!」
がちゃこん。つー、つー、つー、つー。
こんなドSな上司だけど、時々奢りで飲みに誘ってくれる上司だから、多分四季様は良いひとなんだと思うよ。
二/ 午後の部
昼下がり。ちょっとフォーマルな服を着て、閻魔に無事書類を渡し終えたうきうき気分な私。地底には珍しく、空も快晴だった。きっちり期限までに課題を終えた後の解放感はちょっと魅惑的なものがある。ランナーズハイってやつか。違うな。
丁度今の私もそういう気分で、ここはちょっくら美味しい甘味屋にでも寄ってお高い甘味を自分へのご褒美でもプレゼントしちゃおうかなんて考えている最中。
気分が乗って、普段なら絶対にしないのに、散歩がてら遠回りして帰ったのがいけなかったのだ。橋なんて通らなければ良かった。橋姫でも誘って、甘味ひとつ奢ってやろうとか、そういう事を考えたのがいけなかった。
「ちょっと! うちの橋もぶっ壊れてるじゃないの! どうしてくれんのよ馬鹿鬼!」
あぁあ。見ちゃいけないもの見ちゃったよ。
これは面倒事の予感。
「悪かったよ、パルスィ。そんな怒らないで」
「怒るわよ!」
夫婦喧嘩みたいな貫禄を醸し出しているが、彼女らは橋姫、水橋パルスィと、鬼の四天王、星熊勇儀。れっきとした女性同士である。しかしあのどことない雰囲気はさながら夫婦だな、と私は常々思っている。なんというか、こう、長年連れ添ってきた故の独特の会話とか、時々艶めかしい良い雰囲気になったりとか。心を読んでもどうやら恋愛感情は無いようだけど、どことなく友情とは違う感情を持ち合っているのもこれまた事実。あれが流行りの百合って奴か。流行ってはないな。
折角面倒事をひとつこなしてきたばかりなのに、余計な面倒事を背負い込みたくもない。そぅっと逃げようとしたけど、駄目だった。鬼の眼からは逃れられない。
「おう、さとりじゃないか」
うわー……。何あの「どうにかしてくれ」オーラ。心でもそう言ってるし。私は便利屋か。
恐ろしく気乗りしないが、どうせ逃げても追いかけられるのがオチ。そして私の体力は橋姫にも劣る。本物の鬼とは比べるべくもない(まぁ橋姫も一応鬼だしね)。
「えぇ、と。如何しました」
「勇儀が酔っ払ってうちの橋壊したのよ」
「私だけじゃないんだけどねぇ」
頭を掻きながら、困ったように勇儀が笑っている。橋は視線を移すまでもなく、視界の隅で真っ黒焦げになっていた。一部、渡ると底が抜けそうな箇所もある。
叩き込まれるような状況説明が、鮮明に第三の眼から移り渡る。パルスィからは、今日家から橋に来てみれば、こんな状況になっていたと。そこで勇儀を捕まえて問い質せば、やっぱり鬼の仕業だったと。勇儀からは、昨日の宴会で少し飲み過ぎてしまい(鬼が酔うのだから、よっぽどの量である)、やんややんやと騒いで弾幕ごっこしていたらいつの間にかこうなったと。実際誰が壊したのか判らず、飲み仲間は面倒事にみんな逃げて行ったと。
うーん。これは、私がどうにか解決策を出さなきゃいけない匂いがぷんぷんする。勇儀が壊した確証がないなら全額出せって言うのも可哀相だが、そもそも記憶が飛ぶまで飲む方が悪いとも言える。それに、これが致し方の無い損傷、あるいは当事者の判然としない損傷の場合、地霊殿が負担するシステムになっているし(破格の待遇には訳がある。要は面倒事は大体全部私が解決しなきゃいけないのです)。
「とにかく誰でも良いけど、うちの橋を直してよ。あんたらにとっては誰も通らないおんぼろ橋かもしれないけど、私にとってはアイデンティティとも言えるんだから!」
「ごめんごめん。判ってるよ。しっかし、橋の修理なー」
ちらっ。
なんだよその目配せ。私に何を訴えてるんだよその目配せは。
「殴り倒しますよ」
「おう、腕っ節の良いのは大好きさ! じゃあ私を一発殴れたらさとりの勝ちで、私はなんでもおまえさんの言う事をみっつ聞こう! しかしおまえさんが根負けしたら私の勝ちで、橋の修理はやってもらうよ!」
畜生、やっぱりこうなったよ。
……。
結果?
私の甘味屋ランデブーの夢が儚く散った、と言っておくわ。
「さ、さとり様」
「燐、私を思うなら何も聞かないで下さい」
そりゃあ運動不足とか、相手が悪かったとか、言い訳は色々出来るけども。酒の入った杯片手で、一発も手を出して来ないで避けるだけだった相手に負けちゃうってどうなの私。
この根性無しっぷりには、ちょっと自分でも引いてしまいますね。
もう何も考えたくないけどこれからについて考えなければいけない。私は過去は振り返らない女、もはや今日さえ見えず、、
「橋の修繕費、弱ったわね。予算を削らなければ」
無作為にペットを飼うのも控えなければ。そろそろ私もどれがペットでどれが野良だか判っていない。餌の時間にやってくる子達みんなに餌を撒いているから、エンゲル係数が跳ね上がるのだろうか。
「お姉ちゃんが煙管我慢すればいいと思うな」
真後ろから声。他の誰でもない、マイスイートラブリーシスター、こいしたんではないか。私の癒し。私の活力。私の生命線。私の根源。私の栄養素。私の生活必需品。こいしのためなら死ねる。
「いつ帰ってきてたんです?」
「電話でお姉ちゃんが話してる辺りから」
殆ど今日一日ストーキングされてる。ラジオか、ラジオつけたの妹か。微妙に判りづらい妨害しやがって、なんでもっと早く気付かなかったの私の馬鹿。そしたら撫で放題だったのに。
「お姉ちゃん、くすぐったいっていうかもはや痛い」
妹を撫で回したいと思ったら既に嫌がられるくらい撫で回していた。何を言っているか判ら以下略。
「こいしがずっとうちにいてくれたら、金輪際一切の嗜好品は必要としません」
「それはそれで怖い」
「いやー、こいしはかわいーなー」
「さりげなくおしり触るのやめて」
「すみません」
「ぎゃー! 何、手を前に移動させてるの! どこ触ってるのお姉ちゃんの馬鹿! ちょおま、ばか、ゃんッ」
「えろいなさすがこいしえろい」
どこ触ってるって、そんなの教える訳なかろう。とりあえず妹のこんなところを触って良いのは私だけと答えておきましょうか! ホント姉妹は地獄だぜフゥーハハァー!
「誰の所為よ! 馬鹿ばかお姉ちゃんのうましか!」
「私の三週間の悲しみを知りなさい」
「もう知った! 判ったから! ごめんって! やだもう本当に触り過ぎセクハラ! セクハラで訴えるよ!」
「児童ポルノに引っ掛かってしまうとは」
「そんな歳じゃないもん! お姉ちゃんの馬鹿ぁ!」
やべぇ罵られるとぞくぞくしてきた。
大体ね。三週間も私を放ったらかしにして、本人を前にお預けなんて出来る訳ないじゃない。私はそんなに聞き分けが良くない。
「そうね。明日の事は明日考えれば良いんだし。今日の私は今日の事だけ考えれば良いのよね」
「なんか怖いんですけど」
「今日の私は、今日のこいしの事だけ考えますね」
「なにそれこわい」
「よーし、三週間の穴を埋めるぞー。いや、卑猥な意味ではなく」
「その発想は要らなかったわ」
明日の事は明日考えよう。うん、それが良い。
そうやって、私はまた来月も今日みたいな事を繰り返すのでしょうけど。
地底の夜は、深い。
さとりかわいいさとりかわいい
深夜の部は……?
さすがこいしえろい
出来れば午前、午後ときたら深夜の部も読みたかったなー(チラッ
深夜の部が再来するまで待つとしよう
こいしちゃんもかわいかった
深夜の部もぜひ読みたいですねぇ……
で、深夜の部はいつ加筆されるんでしょうか
徹夜でゲームとか、微笑ましいw
深夜の部、彼の地にてお待ちしております。
深夜の部お待ちしております。
その嬉しさに加えお話の内容もパワーアッポしておりその様はまさに鬼にグラットンといったところか
おかえりなさいませ…
ダメダメなさとりに、えらく共感してしまいました。
翌朝早朝の部を希望してみ隊
こいしちゃん可愛いはあセクハラしたい・・・
ところで深夜の部よか橋姫と徹夜でゲームうんぬんの方が気になるんですが…
なんだこの俺
ところで、深夜の部もみたいなぁ(チラッチラ