「あやっ……ひぐっ、えっぐ……ぐすっ、ぐすん……」
幻想郷上空、一人の鴉天狗が瞳に涙を溜め、嗚咽をあげながらソニックブームよろしく超高速で飛行していた。
「ううぅっ……あの淫乱助平幼女めえぇ……私の、私の、初めてだったのにぃ……覚えてなさいよ……っ!」
無造作に何度も何度も腕で唇を拭いながら、射命丸文は自分の住む妖怪の山へ向かい一直線に飛び続ける。
◇◆◇
吸血鬼の住む館、紅魔館。
メイド達は昼食の片付けも終わり一段落し、門番はシエスタ中でまったり夢の中。そんな比較的静かな午後の紅魔館。
太陽が地上にサンサンと日光をばら撒いているにも関わらず、館の主人レミリア・スカーレットは反射日光上等、テラスでガーデンパラソルを差して従者の淹れた珍しい紅茶を楽しんでいた。
「はぁ!? 何なのよこれ!」
そんな反骨精神を持ち合わせている……いや、ただ単に捻くれてるだけかもしれないレミリアの素っ頓狂な声が、紅魔館に響き渡る。
前触れも無く襲いかかる主人の音響兵器攻撃を受け、ビクッと体を縮こませる妖精メイド達だが、互いに目を合わせ(まぁいつもの事か)と心の中で納得し再び作業に戻る。
ちなみに門番の鼻提灯が割れる事は無かった。
「突然どうされたんですか、お嬢様? ……正直うるさいので突然叫ぶのはお止め下さい。良い歳してるんですから」
「う、うるさいわね! 咲夜は一言余計なのよ! それより、それ見てみなさいよ」
ビシィと人差し指を床に向けるレミリア。
対する咲夜は(うっわお嬢様爪めっちゃ長いな)と関係無い方向に思考を巡らせていた。
「ちょっと咲夜何処見てるのよ! 私じゃなくてそれ!」
「えっ……? はぁ」
視線を床に巡らせると、くしゃくしゃになっている一つの球体を発見する。
最早原型を留めていないその物体だが、完全で瀟洒な従者こと十六夜咲夜は瞬時にその物体の正体を見抜く。
「なるほど、まさか私の気付かないうちに鼠がお嬢様のすぐ側まで接近していたとは……申し訳ありませんお嬢様、しかしすぐに片付けてみせます。覚悟しなさい魔理沙!」
そう言うや否や、咲夜は何処からともなくスペルカードとナイフを取りだし、スペルカードを魔理沙のほうに掲げ、叫ぶ。
「私、十六夜咲夜は霧雨魔理沙にスペルカードルールによる決闘を申し込む! 使用スペルカードは3枚、私が勝った場合速やかに紅魔館から退却すること。よろしいかしら、泥棒鼠さん?」
「なにやってんのよ咲夜ー! なにがどう見えてアレが魔理沙になるのよ、あれは新聞なの! わかる? し・ん・ぶ・ん! 早く広げて記事を見てみなさい」
ナイフのように鋭い、真っ赤な瞳を新聞から主人に移し、再び魔理沙?に戻す。そして魔理沙?に近付き手に取り、再び主人のほうを見つめる。
「……う、うん、早く広げてみなさい」
吸血鬼の握力によって丸められた新聞紙をゆっくりと広げていく。
「まぁ!」
「そう、信じられないでしょう? あの鴉、レディであるこの私をそんな風に」
「『鳩妖怪代表退陣表明、次の代表は一体誰になるのか!?』たしか支持率相当低くなってたらしいですね。妖怪情勢も大変ですねぇ……」
ズルッと体のバランスを崩すレミリア。
「いや、それじゃなくて……その横の記事よ咲夜」
「そうでしたか、えーなになに、『紅魔館の主人はふしだら女!』ですって。そうだったんですかお嬢様……」
記事には蠱惑的な笑みを浮かべるレミリアの写真が、でかでかと記載されていた。
幾ばくかの軽蔑と侮蔑の感情を瞳に込めながら、咲夜は自分の主人を見据える。
「いやいやいや……そんな三流天狗の記事なんて信用するんじゃないわよ。私を誰だと思ってるのよ、最も誇り高く崇高な種族、吸血鬼なのよ」
「じゃあ一体何をしたんですか? いくら三流とはいえ、なんの脈絡無しにこんなゴシップ書くような奴でもないですよ」
「そんな身に覚えが無い事、思い出せるわけないじゃないか……ふふふ、今度会ったらどうしてくれようか」
「そうなんですかねー『レミリア・スカーレットはすぐ接吻を迫ってくるぞ!』ですって」
「えー、あー? キス? あぁ、確かこの間しつこい取材を受けた時に『少し黙りなさい、でないと文字通り口を塞ぐわよ?』みたいな事言ったけ」
「それで接吻を……?」
「まぁね。『やれるもんならやってみなさい、この500歳児風情が』とか挑発してきたからやってやったわよ。そうしたら何故か一目散に逃げ出してさ、面白かったわよ」
武勇伝を語るかのように、どや顔で語るレミリア。
一方の咲夜は「ないわー」と顔面で訴えかけていた。
「なに、なによ咲夜」
「お嬢様、流石にこれは擁護できないですわ。種族問わず接吻という行為は女の子にとって凄く凄く大切なもの、言わば憧れですよ。そんな大切な行為を無理矢理だなんて……!」
眉間に指を置き、首を振りながら主張する咲夜。
「えっ、なになに、なんで、私達吸血鬼の間じゃキスなんて挨拶代わりみたいなものよ? 吸血行為だったらまた違うでしょうけど……えっ、なにそんなに駄目なの? キスよキスたかが唇で唇を塞ぐだけじゃない」
「そんなキスキス連呼しないで下さい! もう、恥ずかしい……」
「いや、だって、キス……えっ、っていうかもしかして咲夜、貴女キスの一つもしたことないとか言わないわよね?」
「そんなある筈無いでしょう! ず、ずっとお嬢様の元に仕えて……その、他の出会いなんてほとんど無いですし……」
顔面紅魔館やー! と言わんばかりに顔を紅くする従者を見つめ、レミリアの中での咲夜像が再構築されつつあった。
どこか抜けてるが、非常に優秀でどんな会話、場面にも冷静に適応できる人間だと思っていたレミリアにとって、キス一つで耳まで赤くする咲夜は軽いカルチャーショックだった。
「それにお嬢様以外となんて……」
さっきからゴニョゴニョと何か呟いてる咲夜を見ていたレミリアの心の中に、ちょっとした悪戯心が生まれる。
(普段から人間離れしてる咲夜の、こんな人間らしい反応は珍しいわね……まるでそこらの生娘みたい。ちょっと驚かせてやろうかしら♪)
「あー、咲夜! あれ見て、空から女の子が!」
「えっ、どこです?」
天を指さすレミリア、それに釣られ青空をキョロキョロと見まわす咲夜。
心の中で「しめた!」と思うは館の主人、目を輝かせながら椅子から立ち上がり――いや、飛び上がった!
「えーと、どの辺ですかお嬢様……きゃあ!」
目標を確認できず、青空から主人の紅い瞳に視界を移した瞬間、飛び掛かってきたレミリアに頬を掴まれ――
――唇を、奪われた。
「んっ、ちゅ……ちゅうぅ」
時が止まったように数秒の間目を見開き硬直していた咲夜だったが、すぐに紅魔館も真っ青に顔を真っ赤に染め上げる。
「んんんっ! んんーっ!」
レミリアの胸元をやんわりと押して抵抗する咲夜だが、それで押し返される吸血鬼レミリアではない。
そのたどたどしい咲夜の様子を見て、普段とのギャップも合わさりレミリアは興奮し、更に行為を加速させる。
「ん、ちゅっ、ちゅる……れるれる」
「ん、んんっ! ん? んーっ! んんーっ!」
唇だけでは飽き足らず、舌を侵入させるレミリア。困惑する咲夜の口内を嬲りまわす。
歯、歯茎、そして僅かに開いた歯の間に入り込み、奥に引っ込む舌を捕まえ、絡ませ貪る。
「ふふっ♪ ちゅー、ちゅぱっ、んんっ……」
「んっ、ふっ……ん、んん……あぁっ」
くちゅくちゅと淫靡な音を奏で、微かな隙間から甘い声が漏れる。
実時間に換算すれば数秒の行為も、二人の間では永久くらいに長い時間だったかもしれない。
「んふっ……ぷはぁ、ふふっ、可愛かったわよ咲夜」
「はぁーーっ……はぁ、ふぅっ」
熱を帯びた顔で酸素を求め、肩を上下させる咲夜をじろじろと舐めまわすようにレミリア。
見たことのない緩んだ表情の咲夜を見て、吸血とは違うえもいえぬ征服感に浸っているレミリアの耳に、啜り泣く従者の声が届く。
「うぅ、ひっく、あぅ、あうぅっ」
「あー、咲夜? だ、大丈夫?」
「そんな、お嬢様酷いですっ……ムードも何も無いじゃないですか……っ! 無理矢理だなんて……」
「えー、あー、ごめんごめん」
「私はお嬢様となら別に、良かったのに、むしろ……」
うわ言の様に口走る咲夜に、表面では謝罪するレミリアだったが、その心境は全く別の方向に働いていた。
(えっ、何この咲夜可愛すぎるでしょう……たかがキスでこんな表情をするなんて……もしかして他の連中もこういう表情をするのかしら……!)
新たな性的嗜好に目覚めてしまったレミリア。
後に、『ちゅっちゅ異変』と呼ばれる異変の幕開けである。
この時、誰がその異変を予想できただろうか……。
昼下がりの紅魔館。
妖精メイド達は掃除を真面目にしたり、サボったり。知識人は相変わらず図書館に引き籠り、その助手は本の整理に追われる。悪魔の妹と門番ははすやすやとお昼寝中。
そんな普段通りの紅魔館、いつもの紅魔館。ちょっと変わったことがあるとするならば、館の主人とメイド長の距離がほんのちょっぴりだけ近くなったのかもしれない。
◇◆◇
「突然押し掛けて来て何だと思ったらあの吸血鬼……っ! い、いきなりキ、するなんて馬鹿じゃないの!?」」
「~~~っ! わ、私の初めてがぁっ……レミリアのやつぅ……」
「ちゅ、ちゅーなのかー……///」
「あ、湖の畔にある館の主人さん、ですよね……。こんなところに珍しい、どうし……きゃっ」
「あたいあんなの事されるの初めてだったけど凄かったよ! 今度皆にもやってあげるんだ!」
「おじょうしゃまぁ……だめですよそんなこと……むにゃむにゃ」
「だ、ダメですダメですこんなことしちゃ! んんーっ」
「レミィったら、強引なんだから……」
「この間は嬉しさのあまり泣いてしまいましたわ。でも、される側のお嬢様もとても素敵でしたわ」
「お姉さまが久しぶりに来てくれたから凄い嬉しかったよ! それにちゅーっとしてベッドの上でどかーんって!」
「なななななんですか突然? レミリアさんが悪いんですよ、いきなりあんな事するから……なっ、やめてください! だ、誰かー!」
「いやー面白かった。いろんな人のキスシーン激写できちゃったし、あの文の動揺したところも見れたし、これで私の新聞も話題になるわね! さて私に被害が及ばない内に逃げさせてもらおうかなっと……」
「ふふ、まさか気付かれて無いとでも思っていたのか?」
「ひぃっ! これはこれは吸血鬼様じゃないですかーどどど、どうされたんですか?」
「ま、諦めることね」
「ひっ、やめ、そういうことしたこと無くて……」
「優しくするわよ」
「やぁぁぁあああ」
今日も何処かで、嬌声が響き渡る。
-FIN-