「そんなところに立ってないでこっち来たら?」
いつもの場所に腰かけて、愛用の湯呑みで緑茶を啜っていた博麗霊夢は顔をあげて、そう呟いた。
そこに立っているのは、黒いとんがり帽子を深く被った霧雨魔理沙。長い髪と広い帽子のつばによって、表情を窺い知ることはできない。
手に持った箒で、神社に訪れたのはもう十分以上前になる。そこに立ちつくしたまま。
まるで霊夢の周りに結界でも張ってあるかのごとく、近づいてこない。
「お、おう、そうだよな」
訝しむような霊夢の声に、やや上ずった声で答える魔理沙。ロボットか何かのようなぎこちない動きで、霊夢の左隣に腰を降ろす。
その途中、何回も転びそうになったり、きょろきょろとあたりを見回していたり、とにかく挙動不審。
いったいなんなんだ、と霊夢は首を傾げる。
いつもならば、ダンスでも踊っているみたいに軽やかに、霊夢の都合などお構いなしに、図々しく過ごしているというのに。
今日の魔理沙はおかしい。
腰かけた位置もいつも通り霊夢の左隣ではあるけれど、いつもよりも離れた場所。
間に誰か一人座っても、余裕があるぐらい離れている。
自由奔放で、何でも気ままにやっている印象のある魔理沙だが、意外にもその本質は寂しがり屋だ。
夏場には暑いと感じるぐらい近くに座る癖があるというのに。今日は遠い。
「魔理沙?」
「……」
横からそれとなく顔を窺ってみれば、僅かに頬を膨らませている。子どもっぽいその表情はどこか拗ねているようにも見えた。
それを何とはなしに眺めていううちに、霊夢はそういえば、と手を合わせる。
昨日、霊夢と魔理沙は喧嘩をした。
いや、喧嘩というのは語弊があるかもしれない。霊夢からしてみれば、魔理沙が勝手に怒り出して帰ってしまっただけなのだから。
何が原因だったかは覚えていない。本当にとるに足らないような些細なことだったように思う。
「魔理沙、あんたねえ……」
「霊夢!」
魔理沙が怒っていようが拗ねていようが、霊夢にとってはどうでもいいことだ。しかし、隣でそうむすっとしていられるのもそう気分がいいものではない。
そもそも、そんな些細な言い合いを翌日まで引き摺る必要はない。一晩寝たら、元通り。そういう性質のものだ、と霊夢は思っている。
異変しかり、弾幕ごっこしかり。それが幻想郷らしさ、というか、霊夢らしさというか。
いちいち恨みだのなんだの、面倒くさいことこのうえないではないか。
肩を竦めて、呆れ混じりのため息をひとつ。仕方ないわねえと言い聞かせるように口を開きかけた霊夢の言葉は、しかし、魔理沙の強い声によって、遮られる。
何なのよ、とうろんげな目線を向けると、睨みつけるような上目使いの魔理沙と目があった。しかし、目が合うやいなや、逃げるかのようにそっぽを向いてしまう。
「……なんというか、その」
「なによ」
眉を寄せた霊夢は、とりあえず手にしていた湯呑を再び口に運ぶ。
残っていたのはほんの一口。新しいのを淹れにいかなくてはならない。ああ、ついでに魔理沙の分も用意したらいいわね、などと、考えるのは結局暢気なことだ。
「わ、私は、そのさ」
「だから、なんなの?」
「うー……」
腕を組んで、そっぽを向いて。何かを言いかけては、口をつぐむという行動を繰り返す。
いつでも思ったことは、考えなしと言われかねないぐらいにはっきりと口に出す魔理沙にしては、珍しい。
「私、お茶淹れてくるから。それまでにまとめといてよね。いつまでも横でうんうん言われてたらたまらないわ」
「待てよ、霊夢」
立ちあがった霊夢の腕を、手を伸ばして掴む。少し汗ばんだその手は、いわゆる子供体温の温かさ。霊夢はそれが嫌いではない。
霊夢が立ち止まったのを確認すると、その手はすぐに離れていってしまう。
「一回しか言わないからな」
「魔理沙?」
どこか拗ねたような顔はまっすぐ霊夢のほうを向いている。けれど、その視線は明後日の方向を見つめていて。
「私、やっぱ、お前がいないとだめだ」
「は?」
「だから、一緒にいられないと困る」
そこまで、だんだんクレッシェンドさせながら一息で言いきった魔理沙は、今度こそ本格的に横を向いてしまう。みつあみにしていないほうの髪で、本格的に表情が隠れてしまった。
魔理沙の言葉を聞いた霊夢は、そこでようやく昨日の喧嘩の原因に思い至る。
魔理沙の寂しがり屋な性質だとか、神社を毎日訪れていることを霊夢がからかったのが、始まりだったのだ。
『そんなことないぜ』
『嘘ね』
『なんだよ?』
『なによ。私がいなかったら、寂しくてしかたないくせに』
『んなわけないだろ』
『さあ、どうかしらね。もっとも、私は魔理沙がいなくても平気だけど』
『それはこっちのセリフだ』
その後、いくつかのナイフのような言葉をぶつけ合って、魔理沙が帰っていったのだったか。
思えば。霊夢としても、ここのところ魔理沙が魔法使い連中だの命蓮寺だのの連中とばかり付き合っていて、少しばかり物足りない気分を感じていたのである。だからこそ、ああして少し意地悪なことを言ってしまったという部分もないわけではない。
魔理沙からしてみれば、霊夢にとっての早苗だの文だのについてそんな風に感じていたわけなのだけれど。
おひさまのような魔理沙の長い金髪の合間。真っ赤に染まった耳が見え隠れしている。
それを見つけた霊夢は、自らの唇の端がにんまりと上がっていくのを自覚した。
「わかりゃーいいのよ」
霊夢は、不敵な微笑みと共にそう呟く。そして、魔理沙がそれに反応するより前。
柔らかな金髪をかきわけて、耳と同じように赤い林檎のような頬にそっと口付けた。
ニヤニヤが止まらん…
ニヤニヤ。
うん。282828282828282828