「ほら、あっちの服とか可愛いと思わない? ねぇ、着てみようよ!」
「う……うん……わ、私はいいかな……」
「またー? ……もう、そんなことばっかり言ってちゃ外に出た意味ないじゃん」
「そ、そんなこと言ったって……大体、こいしの誕生日だからこそ私は付き合ってるわけで――」
「違うでしょ、『さとり』? お・ね・え・ちゃ・ん。はい、やり直し」
「……お、『お姉ちゃん』……うう、慣れないわ……」
「文句言わないの。はいこれ。試しに着てみるだけならいいでしょ? ね?」
ぐい、と無理やり押し付けた服。お姉ちゃんは頬を僅かに赤く染めて、視線をふいと外しつつも、両手でそれを受け取った。
♥
しゃーっと軽快な音を鳴らして、カーテンが開く。
中から出てきたのは、いつもの落ち着いた服装とは違ってカジュアルな洋服に身を包んだお姉ちゃん。白地に黒のドットが映えるチュニックに、薄ピンクのカーディガンを羽織っている。下は白いショートパンツに黒タイツ、木をイメージしたデザインのサンダルを履いていた。
日頃のお姉ちゃんからは全く想像のできない、とってもおしゃれさんになった感じだ。
「ね、ねぇ、ちょっとこい――お、お姉ちゃん、やっぱりこれ、恥ずかしいよ……」
「全然恥ずかしくないって! すっごく似合ってるよ?」
「そ……そう、かな……?」
「そうだよ! さとりは可愛いんだからさ、もっと色んなお洋服とか着ればいいのに! 他のも試してみたら?」
「ん……」
私の言葉に、お姉ちゃんは恥ずかしそうに身をくねくねとよじらせる。まぁ、褒められて悪い気はしないだろうし。実際似合ってるからいいよね。
大体お姉ちゃんはいつも同じ服ばっかりで、ちっともおしゃれしようって気が見えなかったのだ。私がお洋服のお店に行きたいと言わなければ、必要になるまでいつまで経っても行かないだろう。それくらい自分の身だしなみに頓着しない人なのである。
ま、この服は本人も満更じゃなさそうだし、あんまり心配はいらなさそうだけど。
「じゃあ次は……これどうかな! きっとさとりに似合うと思うけど――」
「……ねぇ、お姉ちゃん」
「うん? なーに?」
「その……やっぱり、その呼び方やめない? 何と言うか、違和感が物凄くて……」
「えー。だってさとりが言ったんだよ? 『今日はこいしの言うことを何でも聞いてあげる』、って」
「そ、それはそうだけど……」
今日は私の誕生日。朝一番にお姉ちゃんが言った言葉がそれだった。
そこで私が返したのが、「今日一日、お姉ちゃんが私の妹になること」。ずっとお姉ちゃんお姉ちゃんって言ってばかりだったから、たまには自分が言われる側になってみたかったのだ。
勿論、他にも意図はあるけど。こうして外に連れ出すこととかね。
「さ、さ、いいからいいから。そうだ、どうせだからパンキッシュな感じのとかのにも挑戦してみようよ。この際新しいジャンルを開拓する勢いで!」
「う。うー……」
他に着せたい服なら、既にかごに詰めてある。後は着せ替えるだけなのだ。
戸惑うお姉ちゃんを無理やり更衣室に押し込み、私も靴を脱いで個室に一緒に入りカーテンを勢いよく閉めたのだった。
♥
どっさり、と。
言葉で形容するのなら、それがちょうどぴったりか。
両手に持った紙袋。その重さに、額がじっとりと汗でにじむ。横を見ればお姉ちゃんもげっそりと、私と同じ状態であることが見てとれた。
まぁ、結局「試しに」と着てみたのを全部買ったんだから、そりゃあ相応の重さになるに決まっているのだけれど。
とぼとぼと歩いていた私たち。けれどもお姉ちゃんの足取りがどんどんおぼつかなくなるのを見て、私はそこに立ち止まる。
途端、もう辛抱しきれない、とでも言うかのように、お姉ちゃんはその場で紙袋を地面に置いて手をぶらぶらとさせた。
「はぁ、はぁ……たくさん、買ったから、重さも、尋常じゃない、わね……」
「……いや、いくらなんでも息切れ過ぎでしょ。おね……さとりはもう少し運動した方がいいって」
「仕方ない、じゃない……。こうして外に出掛けるのも、大分久しぶりなんだから……ふぅ。やっと少し落ち着いた」
「だからそれがいけないって言うのよ。お買い物だってペットたちに任せきりなんでしょう? たまには自分で行ったらどうなのよ」
「そうね……それができれば、苦労しないんだけれど……」
「…………」
そういうことそこで言うかなぁ、普通。
お姉ちゃん、変なところで真面目になるんだから。
あぁもう。
「……ね、もうちょっと歩きましょうよ。そこを右に曲がったら、おいしいケーキ屋さんがあるから」
「へぇ……ケーキですか。そう言えば、しばらく食べてなかったわね」
「ずっとさとりと一緒に食べてみたいなって思ってたところなのよ。ほら、もう少しだから。頑張りましょう」
「えぇ……そうね。それを聞いて、少しだけ、元気が出たかも」
さて、とお姉ちゃんはもう一度紙袋を手に持つ。
それを見た私は、もう一度心の中で気合を入れてまた一歩前へと足を踏み出したのだった。
♥
「――んー! おいっしい!!」
両頬に手を当てて、顔をふりふり一言。
とろけるような生クリームの甘さ。それと苺の僅かな酸味が見事に調和し、更にスポンジのシロップが柔らかな風味をふんわりと演出する。ほんのりと香るバニラエッセンスが鼻孔をくすぐる感覚は、もう病みつきになってしまいそうなくらいだ。
つまり、おいしい。
「……ん、おいしい。確かに、言うだけのことはあったわね」
「でしょでしょ? 『地底で大人気! 今、旧都でアツいスポット百選』で紹介されるくらい人気のお店なのよ」
「ふーん……なんか胡散臭いわね、それ」
「胡散臭いってね……知らないの? ナウなヤングにバカウケな雑誌よ、それ」
「知らないわ」
「まぁ、外に出てないんだからそりゃそうなんだろうけど」
確かに胡散臭いし。
百選って、旧都にはそもそも百個も見るような場所ないわよ。
最近はわりと旧都も近代化してきていて、若者向けのお店も多いのだ。今私たちがこうして休んでいるお店も、そういった波に乗った結果なのだろう。
とはいえども未だに鬼の勢力は強い。その影響か、居酒屋なんかもたくさんある。真反対の属性が同居している場所、それがここ旧地獄街道なのである。
「紅茶も、ちゃんとケーキに合う味で……こういうところは、雰囲気を楽しむだけで質は二の次かと思っていたのだけれど。近頃はそういうこともないのかしら?」
「んー……私もよく知らないけど、やっぱり味も重視してるみたいね。まぁ、おいしいことに変わりはないんだし良いんじゃない?」
「それもそうね」
そう言って、またお姉ちゃんはこくりと一口紅茶を含む。私も同じように一口だけ流し入れると、成程、お姉ちゃんが言うだけのことはあるようだった。
ずずず、と更に啜る。こくりこくり。喉を鳴らして、深く、ゆっくりと、舌の上で転がして。
束の間の静寂。そして二人ともがカップをテーブルに置くと、ぽつりと漏らすようにお姉ちゃんが呟いた。
「ねぇ、こいし。あなたからは、私はどう見えているのかしら」
「どう、って?」
「そのままよ。外を自由に歩き回っているあなたには、家に引きこもってばかりいる私がどう見えているのかって」
「……やめてよ。折角の紅茶がまずくなるじゃない。そういうのは、もっと別の日にして」
「別の日だったら、あなたは家にいないじゃない」
「そりゃそうだけれども」
でも、今日は。
今日は私の誕生日なのに。
どうして、いきなり、そんな話を。
「……そんなの、今聞かれたって答えられるわけないじゃない。いくらなんでも、いきなり過ぎるよ」
「そう? 私には大体分かるけれど」
「嘘。心も読めない癖に」
「姉ですもの」
「…………」
何それ。ばっかみたい。
なんて軽口さえ、どうしてか言えなくて。
「私が思うにね、こいし。あなたは多分、私のことを否定的に思ってると思うのよ」
「……そんな、ことは」
「いいえ、多分、きっとそう。でなければ、滅多に家に帰ってこないなんてはずがないもの。あなたは無意識に、私のことを嫌っている。そうなんじゃない?」
「それは……違うわ」
何が違うのか、はっきりとは分からないけれど。
でも、思わず口に出してしまっていた。
それこそ、無意識の内に。
「……そう。でも、やっぱり、何かしら引っ掛かるところがあると思う。だからあなたは帰ってこない。あるいは、家の中より外の方が魅力的だから。……うん、こっちの方がしっくりくるわね。あなたは外に興味津津だもの。そうだったわよね?」
「ん、……まぁ、そうだけど」
「うん。それが悪いことだとは言わないわ。むしろ喜ばしいことだと思う。だけどね、こいし。一つだけ勘違いしないでほしいことがある。本当に大切なものは、案外自分の手の届くすぐ傍にあるかもしれないってこと。つまり、あなたの求めているものは――」
「ねぇお姉ちゃん」
「何?」
「もう、やめようよ。こんな日にそんな話はしたくないわ。お願いだから、今日だけは、やめてもらえないかしら」
「……そうね。ごめんなさい、こいし。折角の楽しい日に、水を差すようなことを言ってしまって」
その言葉を最後に、会話はぷつりと途絶えて。
残ったケーキにも手をつけず、ただ時間だけが刻々と流れていく。
間に流れる冷たい空気。やがてどちらからともなく身支度を整えて、それが終わると他にすることもなくなって。
はぁ、という音が聞こえて顔を上げれば、お姉ちゃんはもう椅子から腰を上げていた。
「……もう帰りましょうか。そろそろちょうどいい時間だし、ね」
「……うん」
こくりと頷く。
席を立つ前に、少しだけ残っていた紅茶を口の中に流し込む。
ほんの一口だけ残っていたそれは、もうぬるくておいしくなかった。
♥
結局それから、一度も口をきいていないわけで。
心臓を押し潰されるような重い空気に、私は苦々しい表情を浮かべたまま、今地霊殿の玄関前に立っているのだった。
……正直帰りたくないんですけど。お燐もおくうも見たらびっくりするって、この空気。
うへー。
「……どうしたの? 早く扉を開けなさいな」
「ううー……分かったよぉ」
当事者なのにどうしてそんな平気のへいざでいられるのか。
いやまぁそういうところがお姉ちゃんなんだって知ってるけどさ。でもさ。
なんだかなー。
そんなことを思いつつ、扉を開くと。
ぱぱん!
と。
軽快な破裂音が、目の前で弾けた。
「「お帰りなさいませこいし様、お誕生日おめでとうございまーっす!!」」
そして耳に届くのは、およそ二名の息の揃った声。
扉を開けた瞬間の不意打ちだったものだから、私は驚きすっかり硬直してしまっていた。
顔にかかるたくさんの細い色つきの紙テープと、幽かににおう火薬臭。数秒の後にようやく、あ、これクラッカーだ、と気付くことができた。
全く前が見えないので一旦紙袋を地面に置いて、髪に服に絡まるテープを両手でかきわけ払い落す。そして視界に入ったのは、ペットの二人の満面の笑み。
勿論、お燐とおくうのことだ。
「……あれ、どうしたんですか? そんなところできょとんとして」
「いや、サプライズしかけておいてそりゃないでしょおくう……」
「あぁそっか。そだね。まぁそういうわけでさぁさぁ、お入りくださいお二人とも! 中でゆっくりとおくつろぎ下さいませ!」
さぁさぁ、と手招きするおくう。しかし一方私は、あまりにもあまりな展開に呆気に取られていて反応することすら忘れていた。
そこでこつんこつん、と後ろから小突かれて、ようやく我に返ることができた。
「……ね、ほら。家にいても退屈しないでしょう。家にいても楽しいでしょう。私が言いたいのは、つまりそういうことなんですよ」
「……え」
まさか、さっきまでの話って。
つまり、こういうことが言いたかったってわけなの?
え、まさか、そんな。
たった。
たった、それだけのことなんて。
……なんて、馬鹿馬鹿しい。
「お姉ちゃん、さ、……いくらなんでも、それは口下手すぎると思うなぁ」
「仕方ないですね。私はそういう性格だから」
「回りくどすぎ」
「否定はしないわ」
あまりにもつっけんどんな物言いに、呆れを通り越して笑えてきて。
思わず噴き出してしまったら、お姉ちゃんまで笑いだした。
「あっはははは! 何それ、おっかしい! もうやだこのお姉ちゃん! あはははは!」
「こっちこそ嫌よ、こんな妹。……っくく、あははは!」
あぁおかしい。何がおかしいのかなんて分かんないけど、この上なくおかしくて笑えてしまう!
「……? どうして笑ってるの、二人とも。お燐、分かる?」
「分かるわけないじゃん。そういう時は一緒に笑っとけばいいんだよ。あっはははは!」
「そうなの? ……うん、そうだね。あはははは!」
笑い声が、頭の中で反響する。
なんてうるさくて、なんて楽しいのだろう。
私の愛すべき家族たちは、こんなにも愉快だったなんて!
「あっはは、は、はぁ……さ、中に入りましょう。これからパーティの準備をしなきゃ」
「え? パーティなんてするの?」
「当然じゃない。私の可愛い可愛いたった一人の妹の、一年に一度の誕生日なんですよ。腕によりをかけて、おいしいバースデイケーキを振舞いましょう」
そう言って、お姉ちゃんはどんどん後ろから押してくる。
あぁ、やはり。
押さえるべきところは押さえている。
それくらい素敵であってこそ、私のお姉ちゃんなのだ。
「おぉ、さとり様のお手製ケーキ! いいですねぇ、きっととてもとてもおいしくて、ほっぺたがとろけて落ちてしまうくらい甘いんでしょう! ……私たちも食べたいですねぇ」
「……いや、そんなにこっちをちらちら見なくても、ちゃんとペットたちの分も全部作るから。心配しなくていいわよ」
「やったー! さとり様大好き!」
「全くげんきんねぇ……でも、その分色々と手伝って貰いますからね。流石に一人だけじゃ地霊殿にいるペット全員の分は無理だし」
「もっちろんですよぉ! 頂けるんなら何でもお手伝いしますって! さっとり様のケーキ、さっとり様のケーキ!」
「……ねぇ、あの、ちょっと忘れてない? 今日は私の誕生日ですよー?」
「忘れてませんって! ハッピーバースデーこいし様! ケーキ一緒に食べましょうね!」
そうにこやかに言って、二人はまたケーキケーキと騒ぎ出す。
結局ケーキだし。主役私じゃないんですか。なにこのペットたち。
あぁもう、耳に痛いほどに騒がしい。たった二人ほど増えただけで、こんなにうるさくなるなんて。
でも、その喧噪も、今は幸せに感じられる。
まぁ、お姉ちゃんの言うことも、ほんのちょっぴり分かったかな。
……そう、これからはもう少しだけ、家に帰るようにしてもいいかなって。
それくらいには。
「う……うん……わ、私はいいかな……」
「またー? ……もう、そんなことばっかり言ってちゃ外に出た意味ないじゃん」
「そ、そんなこと言ったって……大体、こいしの誕生日だからこそ私は付き合ってるわけで――」
「違うでしょ、『さとり』? お・ね・え・ちゃ・ん。はい、やり直し」
「……お、『お姉ちゃん』……うう、慣れないわ……」
「文句言わないの。はいこれ。試しに着てみるだけならいいでしょ? ね?」
ぐい、と無理やり押し付けた服。お姉ちゃんは頬を僅かに赤く染めて、視線をふいと外しつつも、両手でそれを受け取った。
♥
しゃーっと軽快な音を鳴らして、カーテンが開く。
中から出てきたのは、いつもの落ち着いた服装とは違ってカジュアルな洋服に身を包んだお姉ちゃん。白地に黒のドットが映えるチュニックに、薄ピンクのカーディガンを羽織っている。下は白いショートパンツに黒タイツ、木をイメージしたデザインのサンダルを履いていた。
日頃のお姉ちゃんからは全く想像のできない、とってもおしゃれさんになった感じだ。
「ね、ねぇ、ちょっとこい――お、お姉ちゃん、やっぱりこれ、恥ずかしいよ……」
「全然恥ずかしくないって! すっごく似合ってるよ?」
「そ……そう、かな……?」
「そうだよ! さとりは可愛いんだからさ、もっと色んなお洋服とか着ればいいのに! 他のも試してみたら?」
「ん……」
私の言葉に、お姉ちゃんは恥ずかしそうに身をくねくねとよじらせる。まぁ、褒められて悪い気はしないだろうし。実際似合ってるからいいよね。
大体お姉ちゃんはいつも同じ服ばっかりで、ちっともおしゃれしようって気が見えなかったのだ。私がお洋服のお店に行きたいと言わなければ、必要になるまでいつまで経っても行かないだろう。それくらい自分の身だしなみに頓着しない人なのである。
ま、この服は本人も満更じゃなさそうだし、あんまり心配はいらなさそうだけど。
「じゃあ次は……これどうかな! きっとさとりに似合うと思うけど――」
「……ねぇ、お姉ちゃん」
「うん? なーに?」
「その……やっぱり、その呼び方やめない? 何と言うか、違和感が物凄くて……」
「えー。だってさとりが言ったんだよ? 『今日はこいしの言うことを何でも聞いてあげる』、って」
「そ、それはそうだけど……」
今日は私の誕生日。朝一番にお姉ちゃんが言った言葉がそれだった。
そこで私が返したのが、「今日一日、お姉ちゃんが私の妹になること」。ずっとお姉ちゃんお姉ちゃんって言ってばかりだったから、たまには自分が言われる側になってみたかったのだ。
勿論、他にも意図はあるけど。こうして外に連れ出すこととかね。
「さ、さ、いいからいいから。そうだ、どうせだからパンキッシュな感じのとかのにも挑戦してみようよ。この際新しいジャンルを開拓する勢いで!」
「う。うー……」
他に着せたい服なら、既にかごに詰めてある。後は着せ替えるだけなのだ。
戸惑うお姉ちゃんを無理やり更衣室に押し込み、私も靴を脱いで個室に一緒に入りカーテンを勢いよく閉めたのだった。
♥
どっさり、と。
言葉で形容するのなら、それがちょうどぴったりか。
両手に持った紙袋。その重さに、額がじっとりと汗でにじむ。横を見ればお姉ちゃんもげっそりと、私と同じ状態であることが見てとれた。
まぁ、結局「試しに」と着てみたのを全部買ったんだから、そりゃあ相応の重さになるに決まっているのだけれど。
とぼとぼと歩いていた私たち。けれどもお姉ちゃんの足取りがどんどんおぼつかなくなるのを見て、私はそこに立ち止まる。
途端、もう辛抱しきれない、とでも言うかのように、お姉ちゃんはその場で紙袋を地面に置いて手をぶらぶらとさせた。
「はぁ、はぁ……たくさん、買ったから、重さも、尋常じゃない、わね……」
「……いや、いくらなんでも息切れ過ぎでしょ。おね……さとりはもう少し運動した方がいいって」
「仕方ない、じゃない……。こうして外に出掛けるのも、大分久しぶりなんだから……ふぅ。やっと少し落ち着いた」
「だからそれがいけないって言うのよ。お買い物だってペットたちに任せきりなんでしょう? たまには自分で行ったらどうなのよ」
「そうね……それができれば、苦労しないんだけれど……」
「…………」
そういうことそこで言うかなぁ、普通。
お姉ちゃん、変なところで真面目になるんだから。
あぁもう。
「……ね、もうちょっと歩きましょうよ。そこを右に曲がったら、おいしいケーキ屋さんがあるから」
「へぇ……ケーキですか。そう言えば、しばらく食べてなかったわね」
「ずっとさとりと一緒に食べてみたいなって思ってたところなのよ。ほら、もう少しだから。頑張りましょう」
「えぇ……そうね。それを聞いて、少しだけ、元気が出たかも」
さて、とお姉ちゃんはもう一度紙袋を手に持つ。
それを見た私は、もう一度心の中で気合を入れてまた一歩前へと足を踏み出したのだった。
♥
「――んー! おいっしい!!」
両頬に手を当てて、顔をふりふり一言。
とろけるような生クリームの甘さ。それと苺の僅かな酸味が見事に調和し、更にスポンジのシロップが柔らかな風味をふんわりと演出する。ほんのりと香るバニラエッセンスが鼻孔をくすぐる感覚は、もう病みつきになってしまいそうなくらいだ。
つまり、おいしい。
「……ん、おいしい。確かに、言うだけのことはあったわね」
「でしょでしょ? 『地底で大人気! 今、旧都でアツいスポット百選』で紹介されるくらい人気のお店なのよ」
「ふーん……なんか胡散臭いわね、それ」
「胡散臭いってね……知らないの? ナウなヤングにバカウケな雑誌よ、それ」
「知らないわ」
「まぁ、外に出てないんだからそりゃそうなんだろうけど」
確かに胡散臭いし。
百選って、旧都にはそもそも百個も見るような場所ないわよ。
最近はわりと旧都も近代化してきていて、若者向けのお店も多いのだ。今私たちがこうして休んでいるお店も、そういった波に乗った結果なのだろう。
とはいえども未だに鬼の勢力は強い。その影響か、居酒屋なんかもたくさんある。真反対の属性が同居している場所、それがここ旧地獄街道なのである。
「紅茶も、ちゃんとケーキに合う味で……こういうところは、雰囲気を楽しむだけで質は二の次かと思っていたのだけれど。近頃はそういうこともないのかしら?」
「んー……私もよく知らないけど、やっぱり味も重視してるみたいね。まぁ、おいしいことに変わりはないんだし良いんじゃない?」
「それもそうね」
そう言って、またお姉ちゃんはこくりと一口紅茶を含む。私も同じように一口だけ流し入れると、成程、お姉ちゃんが言うだけのことはあるようだった。
ずずず、と更に啜る。こくりこくり。喉を鳴らして、深く、ゆっくりと、舌の上で転がして。
束の間の静寂。そして二人ともがカップをテーブルに置くと、ぽつりと漏らすようにお姉ちゃんが呟いた。
「ねぇ、こいし。あなたからは、私はどう見えているのかしら」
「どう、って?」
「そのままよ。外を自由に歩き回っているあなたには、家に引きこもってばかりいる私がどう見えているのかって」
「……やめてよ。折角の紅茶がまずくなるじゃない。そういうのは、もっと別の日にして」
「別の日だったら、あなたは家にいないじゃない」
「そりゃそうだけれども」
でも、今日は。
今日は私の誕生日なのに。
どうして、いきなり、そんな話を。
「……そんなの、今聞かれたって答えられるわけないじゃない。いくらなんでも、いきなり過ぎるよ」
「そう? 私には大体分かるけれど」
「嘘。心も読めない癖に」
「姉ですもの」
「…………」
何それ。ばっかみたい。
なんて軽口さえ、どうしてか言えなくて。
「私が思うにね、こいし。あなたは多分、私のことを否定的に思ってると思うのよ」
「……そんな、ことは」
「いいえ、多分、きっとそう。でなければ、滅多に家に帰ってこないなんてはずがないもの。あなたは無意識に、私のことを嫌っている。そうなんじゃない?」
「それは……違うわ」
何が違うのか、はっきりとは分からないけれど。
でも、思わず口に出してしまっていた。
それこそ、無意識の内に。
「……そう。でも、やっぱり、何かしら引っ掛かるところがあると思う。だからあなたは帰ってこない。あるいは、家の中より外の方が魅力的だから。……うん、こっちの方がしっくりくるわね。あなたは外に興味津津だもの。そうだったわよね?」
「ん、……まぁ、そうだけど」
「うん。それが悪いことだとは言わないわ。むしろ喜ばしいことだと思う。だけどね、こいし。一つだけ勘違いしないでほしいことがある。本当に大切なものは、案外自分の手の届くすぐ傍にあるかもしれないってこと。つまり、あなたの求めているものは――」
「ねぇお姉ちゃん」
「何?」
「もう、やめようよ。こんな日にそんな話はしたくないわ。お願いだから、今日だけは、やめてもらえないかしら」
「……そうね。ごめんなさい、こいし。折角の楽しい日に、水を差すようなことを言ってしまって」
その言葉を最後に、会話はぷつりと途絶えて。
残ったケーキにも手をつけず、ただ時間だけが刻々と流れていく。
間に流れる冷たい空気。やがてどちらからともなく身支度を整えて、それが終わると他にすることもなくなって。
はぁ、という音が聞こえて顔を上げれば、お姉ちゃんはもう椅子から腰を上げていた。
「……もう帰りましょうか。そろそろちょうどいい時間だし、ね」
「……うん」
こくりと頷く。
席を立つ前に、少しだけ残っていた紅茶を口の中に流し込む。
ほんの一口だけ残っていたそれは、もうぬるくておいしくなかった。
♥
結局それから、一度も口をきいていないわけで。
心臓を押し潰されるような重い空気に、私は苦々しい表情を浮かべたまま、今地霊殿の玄関前に立っているのだった。
……正直帰りたくないんですけど。お燐もおくうも見たらびっくりするって、この空気。
うへー。
「……どうしたの? 早く扉を開けなさいな」
「ううー……分かったよぉ」
当事者なのにどうしてそんな平気のへいざでいられるのか。
いやまぁそういうところがお姉ちゃんなんだって知ってるけどさ。でもさ。
なんだかなー。
そんなことを思いつつ、扉を開くと。
ぱぱん!
と。
軽快な破裂音が、目の前で弾けた。
「「お帰りなさいませこいし様、お誕生日おめでとうございまーっす!!」」
そして耳に届くのは、およそ二名の息の揃った声。
扉を開けた瞬間の不意打ちだったものだから、私は驚きすっかり硬直してしまっていた。
顔にかかるたくさんの細い色つきの紙テープと、幽かににおう火薬臭。数秒の後にようやく、あ、これクラッカーだ、と気付くことができた。
全く前が見えないので一旦紙袋を地面に置いて、髪に服に絡まるテープを両手でかきわけ払い落す。そして視界に入ったのは、ペットの二人の満面の笑み。
勿論、お燐とおくうのことだ。
「……あれ、どうしたんですか? そんなところできょとんとして」
「いや、サプライズしかけておいてそりゃないでしょおくう……」
「あぁそっか。そだね。まぁそういうわけでさぁさぁ、お入りくださいお二人とも! 中でゆっくりとおくつろぎ下さいませ!」
さぁさぁ、と手招きするおくう。しかし一方私は、あまりにもあまりな展開に呆気に取られていて反応することすら忘れていた。
そこでこつんこつん、と後ろから小突かれて、ようやく我に返ることができた。
「……ね、ほら。家にいても退屈しないでしょう。家にいても楽しいでしょう。私が言いたいのは、つまりそういうことなんですよ」
「……え」
まさか、さっきまでの話って。
つまり、こういうことが言いたかったってわけなの?
え、まさか、そんな。
たった。
たった、それだけのことなんて。
……なんて、馬鹿馬鹿しい。
「お姉ちゃん、さ、……いくらなんでも、それは口下手すぎると思うなぁ」
「仕方ないですね。私はそういう性格だから」
「回りくどすぎ」
「否定はしないわ」
あまりにもつっけんどんな物言いに、呆れを通り越して笑えてきて。
思わず噴き出してしまったら、お姉ちゃんまで笑いだした。
「あっはははは! 何それ、おっかしい! もうやだこのお姉ちゃん! あはははは!」
「こっちこそ嫌よ、こんな妹。……っくく、あははは!」
あぁおかしい。何がおかしいのかなんて分かんないけど、この上なくおかしくて笑えてしまう!
「……? どうして笑ってるの、二人とも。お燐、分かる?」
「分かるわけないじゃん。そういう時は一緒に笑っとけばいいんだよ。あっはははは!」
「そうなの? ……うん、そうだね。あはははは!」
笑い声が、頭の中で反響する。
なんてうるさくて、なんて楽しいのだろう。
私の愛すべき家族たちは、こんなにも愉快だったなんて!
「あっはは、は、はぁ……さ、中に入りましょう。これからパーティの準備をしなきゃ」
「え? パーティなんてするの?」
「当然じゃない。私の可愛い可愛いたった一人の妹の、一年に一度の誕生日なんですよ。腕によりをかけて、おいしいバースデイケーキを振舞いましょう」
そう言って、お姉ちゃんはどんどん後ろから押してくる。
あぁ、やはり。
押さえるべきところは押さえている。
それくらい素敵であってこそ、私のお姉ちゃんなのだ。
「おぉ、さとり様のお手製ケーキ! いいですねぇ、きっととてもとてもおいしくて、ほっぺたがとろけて落ちてしまうくらい甘いんでしょう! ……私たちも食べたいですねぇ」
「……いや、そんなにこっちをちらちら見なくても、ちゃんとペットたちの分も全部作るから。心配しなくていいわよ」
「やったー! さとり様大好き!」
「全くげんきんねぇ……でも、その分色々と手伝って貰いますからね。流石に一人だけじゃ地霊殿にいるペット全員の分は無理だし」
「もっちろんですよぉ! 頂けるんなら何でもお手伝いしますって! さっとり様のケーキ、さっとり様のケーキ!」
「……ねぇ、あの、ちょっと忘れてない? 今日は私の誕生日ですよー?」
「忘れてませんって! ハッピーバースデーこいし様! ケーキ一緒に食べましょうね!」
そうにこやかに言って、二人はまたケーキケーキと騒ぎ出す。
結局ケーキだし。主役私じゃないんですか。なにこのペットたち。
あぁもう、耳に痛いほどに騒がしい。たった二人ほど増えただけで、こんなにうるさくなるなんて。
でも、その喧噪も、今は幸せに感じられる。
まぁ、お姉ちゃんの言うことも、ほんのちょっぴり分かったかな。
……そう、これからはもう少しだけ、家に帰るようにしてもいいかなって。
それくらいには。
そして逆バージョンもお願いします!
こいしに甘えまくるさとり、想像しただけでニヤニヤしてしまうw
激しく続編希望!
逆バージョンも見たいです。