百合ん百合んです。苦手な方はここでUターンお願いします。
少し前に上げた『狼の信頼』と対にしたつもりですが、読まなくても大丈夫だと思います。
暖かくなり始めた冬の風が髪を撫で、その束の一つが頬を滑る。
まだ肌寒い季節なのに、木漏れ日が身体を温めてくれて程よい心地。
それを全身の肌で感じながら、雛はゆっくりと林の中を歩いていた。
飛んでも良かったのだが、今日は折角の特別な日なので歩きたかった。
日の光に手をかざして、空を見上げる。
風が吹くたびに、木々の葉で隠れた日差しが宝石のように輝く。
雛はそれを見て穏やかな笑みを湛えた。
今日は年に一度、溜めた厄を神々に渡しに行く日。
自分がいた妖怪の山の麓にある樹海を出て、頂上にいる神々の元へ向かった。
今はその帰り道である。
自身を纏っていた厄はほぼ無となり、周りに災を振りまくこともない。
そんな身軽な状態だからこそ、したいことが山ほどあった。
とりあえず、のんびり散歩。
普通の人妖なら当り前のことだが、厄神にとって自分の足で歩くというのは、周りに危険を及ぼすということ。
他人がいる場合は自身を取り巻く厄を最小限の体積にする為、空を飛びながら回っている。
厄を最小限に巡らせ、あまり広がらないようにするには、非常に手軽で有効な手段なのだ。
その所為で厄神はずっと回っていると思われがちだが、勿論そんなことは無い。
一人でいるときは、樹海の中でじっとしている。というか、していないと食事とかどうするのだ。
まあ、一応神様の端くれだから食べなくても生きていけるけど。
「そうね」
雛は思案の為に一度立ち止まる。
このまま林を散歩しても良いが、折角だ。
里の方に出ても良いかもしれない。
そう思ってから、雛は自分からそんな発想が出てきたことに一瞬戸惑い、再び微笑んだ。
今まで厄を集めてきて何百年経ったか分からないが、年にたった一度の機会を生かしたことが無かったのだなぁと思う。
えんがちょの向こう側。
独りぼっちの厄神様。
独りでは、どこに行ってもつまらない。
けれど、ありふれた場所でも、大切な人と行けば。
雛はその場で方向転換。気分はずっと右肩上がり。
思いついたが吉日。……って今日しかないのだけれど。
彼女は一緒に来てくれるだろうか。
人を盟友とか言っているが、かなりの人見知りだ。
日は既に高く昇っている。
あまり考えている時間は無い。
とりあえず無理やりにでも連れだそうと少し物騒なことを考えながら、雛は森を抜けて空を飛んだ。
*****
滝の上空まで来ると、黒と白の二つの点が目的地近くから飛び出してきた。
黒い方はまるで弾丸のように、白い方はその黒を追うように山の方向へ飛び去っていく。
きっと天狗だろう。
この辺にいたということは、にとりとよく一緒に大将棋をやっている椛か。
となると……というか、あのスピードで大体分かるが、もう一人は文。
そんなどうでもいい当たりをつけながら、雛は下降に入る。
目的の人物は、白い岩に良く映えていた。
「にとり~」
まるですぐそこにいる人物のように呼び掛けるが、彼女には聞こえたらしく、迷うことなくこちらに振り返った。
「お~!雛~!」
ささやかに手を振ると、子供のように無邪気な笑顔で手を振り返してきた。
思わずこちらも笑顔になる。
が、彼女の表情が固まった。異変に気付いたらしい。
降りてきた私に駆け寄ったにとりは、凄い勢いで私の肩を掴んだ。
「ど、どうしたの!?こんなところに」
そう、私はここに自分で来たことが無い。
にとりに半ば強引に連れてこられて以来だ。
なんとはなしにノリで返事をし返したにせよ、すぐに気付いて当然なのだ。
「それに、厄とかがなんか……薄いっていうか無いっていうか……」
普段の知覚できるような禍々しい気配は霧散しているはず。
「にとり、今日何の日だか知ってる?」
人間たちがやる行事だが、彼女は知っているだろうか。
一瞬考えを巡らすように雛から視線が上にずれる。そして合点がいったというように手を打った。
「そうか、雛祭りか!」
今日は三月三日、雛祭り。
お雛様を飾るのも雛祭りであるが、流し雛を行うのも雛祭りである。
「つまり雛の日だね」
妖怪だということを忘れさせるような無邪気な笑顔に、雛は照れたように笑い返した。
「厄を神様たちに引き渡したの。だから、今日は厄が無い」
「だから自分で来たんだね。この前は大丈夫だって言っても来なかったのに」
「にとりは厄を甘く見過ぎよ」
茶化すにとりを雛は戒めた。
それは自分への戒めでもある。
誰かを不幸にするなんてことはしたくない。
特に、この臆病なくせに好奇心旺盛な河童には。
「ごめんごめん。分かってるよ」
そんなに怖い顔しないで。と、にとりは眉を下げて笑った。
「でも、雛と一緒にいる方が幸せだから、厄なんてマイナスの内に入らないんだよ」
こっちが恥ずかしくなるような科白に、雛はため息を吐いた。
何を言っても聞かないのは、前から変わらない。
でも、だからと言って絶対に嫌なことはしない。
ツボを押さえているというかなんというか。
「ありがとう」
雛は嬉しい言葉を素直に受け止めた。
「私もにとりと居ると幸せよ」
そう返されるとは思わなかったのか、にとりはキョトンと雛を見つめた。
「そ、そう。あり、がと」
今度は雛から視線を外すように下を向く。
照れているのだろう、逃げるように散らばっていた将棋の駒を片づけ始めた。
「一人でやってたの?」
「いや、さっきまで椛がいたんだけどさ」
やはり、さっき飛び立っていったのは天狗だったのか。
「射命丸様まで来ちゃって、それでなんか前にやった弾幕写真の取材されたんだよね」
「弾幕写真?」
駒をかき集めているにとりの背を見ながら、雛は聞き返す。
「射命丸様のカメラは特別でね、吸血鬼とか幽霊とか何でも映る上に、撮った弾幕を消せるんだよ」
一つの箱に入れて、将棋盤と一緒に持ち上げる。
「それで、前に人の弾幕を新聞の記事にしたんだけど、さっき何かネタは無いかって聞かれて、もう一度やってみたらどうですか?って言っちゃったんだよね」
「言いだしっぺがなんとやらってやつね」
「そうそう。雛も取材受けてないなら来るかもしれないから、何か考えておいたら楽しいかもね」
これ、置いてくるね。と言って、にとりはそのまま飛んでいった。
どうやら天狗の持ち物らしい。哨戒天狗は将棋が好きだと聞くが、備品なのだろうか。
「お待たせ~」
近くに待機所でもあるのだろう、すぐに戻ってきた。
「それで、どうする?」
「とりあえず人里に行ってみたいわ」
初めから考えていた答えをそのまま出す。
仕事で周りをうろつくことがあっても中に入ったことは無い。
最近の人里は寛容……というかどちらかというと平和ボケしているから、五月蠅く言われないだろう。
少し前までは、姿を見せるだけで山へ帰ってくれと拝まれたものだ。
「え……人里?」
「そうよ、あなたの大好きな盟友が沢山いるところ」
明るい表情に苦味が増す。
人生には多少のスパイスが必要よね。
「いや、でもさ、一応河童という種族に属してる訳で、あまりここら辺を離れるのは……」
「そんな堅苦しいルール初めて聞いたわ。立ち入るべからずと言われてる樹海に遊びに来る河童さん」
「……分かりました」
だてに神様として生きてない。
少し優越感に浸りながら、にとりを見る。
そして、気付いた。
「にとり、それ……」
雛は首筋を指さす。
そこには赤い点が二つ。
「ん?なんかついてる?」
自分の首筋は見えないので、にとりは河原に駆け出す。
落ち着きが無いなと微笑ましく思いながら、少し不安に思う。
だって、首筋に赤い内出血。これが意味するのは……。
「うわっ!あいつ、ホントに牙立てたのかよぉ」
河の水で映して見たのだろう、にとりが声を上げた。
「どうしたの?それ」
「さっき椛と大将棋の続きしてたんだけど、棋譜無くしちゃってね……それで言い合いになって、こう」
ボディランゲージと共に話している様子からは、やましい部分は見えなかった。
元々嘘を吐くのは苦手のようだから、きっと本当なのだろう。
「子犬のじゃれあいね」
「いやね、結構真剣だったんですよ雛さん」
真面目な顔をして言っているのが可笑しくて、雛はくすりと笑った。
そして、それとは別の感情が胸の奥に見えた。
「仲がいいのね」
首にキスマークまがいのものを付けられても、笑って許せるくらいに。
分かっていないだけかもしれないけれど。
「……雛?」
微妙な表情の変化に気付いたらしい。
こういうところで変に勘が良いから困ってしまう。
「どうしたの?」
「……えーっと、怒ってたりしますかね?」
そこまで分かっているなら、何故気付かないのだろう。
気付かないから、勘なのか。
「怒ってはいないわ。ただ、嫉妬してる」
素直な彼女に、私は真っ直ぐ言葉をぶつける。
そっと頬を撫でると、にとりはこちらをキョトンと見ながら、されるがままになっていた。
「嫉妬?」
「……私が、そうね……にとり意外の誰かにキスされたら、どう思う?」
「そりゃ、嫌だよ」
彼女とて長く生きた妖怪。知識が無いわけではない。
例を言われてやっと分かったのか、自分で首筋を押さえた。
「ごめんなさい……」
怒っているわけではないと言ってるのだけれど。
そんな風に言うんだったら、良いわよね。
「じゃあ……」
両手で頬を包むと、そのまま一歩前へ。
狙うのは、首筋の赤い痕。
「ひゃうっ」
きっと艶やかな声なはずなのに、何だか間抜けな感じに聞こえてしまうのは何故だろうか。
満足したところで口を離し、改めて首筋を見る。
薄い色は消えて、自分が今残した赤が色濃く残っていた。
「急にどうしたの?」
首筋を擦りながら、にとりがこちらを見る。
雛の視線は、首筋から少し上に向かった。
目が合う。
「これで許すわ」
内緒話をするように、自分の唇に人差し指を当てた。
「う、ん……」
何故か顔を真っ赤にして人形のように首を縦に振るにとり。
何かおかしなことをしたかと思ったが、今までの会話で特に思い当たる節もない。
まあ、いいか。
「さあ、行きましょう」
今日は短いのだから。
「あ、うん!」
調子が戻ったのか、元気に返事をして笑顔を見せた。
それと同時に差し出される手。
私はそれを笑って取った。
今日は楽しい日になりそうだ。
終