/* 注意
・出てくる椛は少し馬鹿で、射命丸と一緒に暮らしています。
・登場する人物は全てタグに記載されています。
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依然として夕立や晴天を繰り返す不安定な天気が続く5月の終わり、私は戸棚にしまっておいた客用のお茶請けを一つ残らず平らげた椛を鉄拳を駆使して叱り付けていた。
「ごめんなさい。お客さんがお見えになったので、お菓子を出そうとしただけなんです。でも」
「気が付いたら全部食べちゃっていた、と?」
「はい!」
なぜか満面の笑みで元気のいい返事をする椛の殴り心地の良い頭に拳を一つ。
椛は、きゃん、と小さな声を上げて涙を浮かべた真っ赤な瞳で恨めしそうにこちらを見上げた。実に卑怯な子だ。
「はぁ……もうわかった。じゃあ私は代わりのお茶請け買ってくるから、その間、お客さんの相手をしておいて」
「えー」
「えー、じゃないの!」
だって……、と消え入りそうな声で抗議する椛は悲しそうな表情を見せ、私のスカートを掴んで離そうとしない。
お馬鹿から視線を上げて玄関のほうを見やると、お客さんが苛立たしげに私達のやり取りを睨んでいた。なんと言う迫力だろう、もはやその視線で妖怪の一匹や二匹射殺せそうな気さえする。
「……あの人、わたし、少しこわいです」
「確かに見た目は怖いけれど、悪い人じゃないんだから。いや、待てよ……私達妖怪にとっては悪い人で合ってるのか」
「文さん!」
「冗談だってば。何だかんだで優しい人だから、大丈夫」
ふるふる、と体を震わせて不安そうにしている椛をなんとか宥めて私は家を後にした。
適当に人里で和菓子を買って戻ってみると、
「あふぅ……ふぁぁ……ふぅぁぁ……」
お客さん――霊夢さん――に白いお腹をさすってもらって極楽気分で頬を弛緩させている椛が寝転がっていた。
…………。
……。
…。
すっかり熟睡モードに入ってしまった椛を寝室まで運び終えた後、私は本日の用件である霊夢さんへの取材を始めた。
内容は前回新聞で取り上げた、幻想郷にまつわる美味の一つ、博麗神社でふるまわれる塩粥についてだ。
霊夢さん曰く、塩粥と言っても八坂神奈子の粥の様な霊験あらたかな代物では無いらしく、ごく一般的な作り方で仕上げた粥に特製の塩をまぶしただけ、というシンプルな料理なのだという。
問題はその塩だが、
「どんな塩かって? ああ、それについてはノーコメント。悪いけど答えられないわね」
「そんなあ。そこが読者の一番知りたい内容なのですが、どうしても教えていただくわけにはいきませんか?」
「だーめ。誰がなんと言おうとこれだけは教えられないわ」
何度お願いしてもダメの一点張りで、私はほとほと困り果てた。
取材協力費という名目で金をちらつかせては見たものの、流石は博麗の巫女と言ったところか、それでも首を縦には振ってくれなかった。
かくなる上は、せめて、その実物を口にして感想と写真だけでも載せねばなるまい。
このような事態はある程度想定済みではあったので、材料は塩以外用意してある。
霊夢さんにお願いすると二つ返事で炊事場に立ってくれた。
「どれくらいで完成しますか? 場合によっては他の内容の取材に入りたいのですが」
「そうねえ、1時間くらいかしら。そうそう、文。あんたに言っておきたい事があったのよ」
そう言って霊夢さんは菜箸で外を指差した。
言われるまま外へ出ると、霊夢さんは懐からきなこ棒を取り出し口にくわえて、ふぅーっと物憂げな表情で一つ息を吐き出した。
何か嫌な予感がし、訳もなく心音が早くなっていくのを感じる。
「椛、って言ったっけ。あの子、まずいわよ」
「なっ……」
思わず絶句した。
まさか、私がお菓子を買いに出ている間に椛の味見を……!?
「そっちのまずいじゃないわよ、ばか! このままじゃ、不味いことになるって言ってんのよ」
「……どういう意味ですか?」
「あんたさ、あの子のこと甘やかしてるでしょ?」
「私が椛を? まさか。悪い事をした時にはしっかり叱ってますよ」
「どうやって?」
「拳で」
何をそんな事を、と思ったのだが霊夢さんは私の言葉を聞くなり、眉根に皺を寄せて深刻そうな溜息をついた。
「やっぱりね、そうだと思ったわ。忠告してあげる、早いとこ竹林の診療所に行ってあの子を診てもらいなさい」
「な、なぜですか? まるで話が見えてこないのですが、それじゃあまるで椛がどこか悪いみたいじゃないですか」
「みたい、じゃなくて実際に……いえ、いずれ確実に悪いことになるわ。これは妖怪退治の専門家の意見よ、あんた記者でしょ? 無視していいの?」
「根拠は? 理由は? 一体全体何のことを言ってるのですか!?」
一向に霊夢さんの表情が晴れない事に、私は言いようの無い焦燥を感じていた。それは椛の名前が出てから急激に程度を増した。
私は椛を時には甘やかしてはいるが、あまりにも粗相が過ぎた場合はきちんとお灸をすえてやっている。それは先輩として、同居人として当たり前の行為である。
その手段が力に物を言わせることとはいえ、程度はきちんとわきまえている。妖怪の治癒能力を鑑みるまでもなく、せいぜい頭を小突くくらいに留めているのだ、何の問題も無いはずだ。
「何のこと、と言われてもねえ。あくまで私は霊力と直感でものを言ってるから具体的な説明を求められても困るわ。だから、診療所に赴いて診てもらいなさいって言ってるのよ」
お粥の様子を見なくちゃ、と言って霊夢さんはそそくさと家の中へ戻ってしまった。
結局、その話については椛の前という事もあってか、再び話題に上がる事はなかった。
当の本人はお粥の良い薫りが漂ってくるのと同時に起き出し、開口一番、熱々の粥をかき込んで舌を火傷してきゃんきゃんと泣いていた。
写真にこそ収めたが、私には粥の味は分からなかった。
…………。
……。
…。
霊夢さんの忠告から一週間もしないうちに、とうとう私は椛を診療所へ連れて行くことにした。
椛は釈然としない様子ではあったが、私がいいからいいからと適当な言葉を紡いで誤魔化したので大人しく従ってくれた。
「わたし、お腹痛くないですよ」
診療所。
平日の昼間とあってか客層が疎らで、聞こえてくる音は笹の葉のさざめき以外に人間の咳する音だけだ。
老若男女、例外なく陰鬱な雰囲気と面持ちで佇んでいるのを見るとこちらまで気が滅入ってしまう。あまり長い時間留まりたくない場所だ。
椛を見やると、そんな空気を敏感に察知したのが珍しく沈んだ表情だった。もっとも、自身は病気でもなんでもないと自覚しているのに医療施設に連れて来られるのだから、ある意味当然の反応かもしれない。
――いずれ確実に悪いことになるわ。これは妖怪退治の専門家の意見よ、あんた記者でしょ?
あの一言を聞いてからというもの、私は椛のことがわからなくなった。
霊夢さんの人生の何倍もの時を共に過ごしてきたと言うのに、実際のところ、私は椛の事を何一つ理解してなかったのではないか。
普段見せる馬鹿な仕草一つ一つに、実は切実な想いが込められていたのではないか。椛なりのメッセージが。
それとも私自身に何か問題があったのだろうか。巫女も言うように、叱咤の方法が適切ではなかったのかもしれない。
「文さん」
考えは流転する。
だからこそ私は第三者である診療所の声を求めてやってきたのだ。
私は私が椛の事を一番よく理解している、などという馬鹿げた驕りは一瞬で捨てた。長い時間を生きてきたから、などという根拠は幻想郷においては箸にも棒にもかからないのだから。
そんなつまらない矜持の為に、曲りなりにも博麗の巫女の勧告を無視するなど合理的ではない。
「文さん!」
椛に体を揺すられて思考の廻廊から現実に引き戻された。
いつの間にか名前を呼ばれて私達の診察の番が回ってきたようだ。
「行きましょうか、椛」
診察室に入ると、赤と蒼に分かれたいつもの衣装に白衣を羽織った永琳さんが椅子に腰を下ろして穏やかな表情でこちらを見ていた。
隣にはメモ帳と筆を構えた鈴仙さんがいる。こちらも優しそうな表情で、
「さあ、お掛けになってください」
と椅子を勧めてきた。
私と椛は言われるがまま座する。
「今日はどうしました? またお腹を壊したのかしら」
「いえ、そういうわけではありません。その、霊夢さんに――」
これまでの経緯を手短に説明すると、永琳さんは鈴仙さんに何か指示し、
「それじゃあ、服を脱ぎましょうね」
「はい」
いつもと変わらない診察が始まった。
鈴仙さんが椛の後ろから服をたくし上げて、永琳さんが聴診器と呼ばれる体の音を聞く道具を椛の薄い胸に当てる。
くすぐったそうに身をくねらせる椛を、流石はプロといったところか、鈴仙さんが器用に抑える。
「く、くすぐったいぃ……あうぅあぁぁ……ひゃふっ!」
「こら、椛、大人しくしてなさい」
「じゃあ、今度は背中の音を聞きますねー。椛ちゃん、後ろ向いて」
聴診器を当てられた途端、背中を弓なりに反らす椛。見ているこっちが恥ずかしい。
「喉はどうなってるかなー? お口、あーんして」
…………。
……。
…。
一通りの診察を終え、私と椛は診察室を後にした。あとは待合室で結果を待つばかりだ。
「わたし、あれ苦手です。鉄の棒みたいなのを口に入れられて、おえってなっちゃいそうです」
一秒がやけに長い。
早く、「どこも悪いところはありませんでした」という診断を聞きたい。
次々に名前を呼ばれて勘定を済ませる客達が妙に憎らしげに思えた。椛は普段と何一つ変わらないのに、今日の私はいつになく神経質になっているらしい。
程なくして名前を呼ばれた。
なぜか、犬走ではなく射命丸と。先程の診察時には確かに犬走と呼ばれたはずなのに。
ひどく嫌な予感を抱きつつ歩を進めると、鈴仙さんが診察室前に立っていて、
「椛ちゃんはお姉さんと一緒にあっちの部屋で待ってましょうねー」
「子ども扱いしないでください。わたし、犬じゃないです」
「おいしいお饅頭もあるから、お話しながら食べようねー」
「はい」
口の端から涎を垂らしたまま手を引かれて奥の別室に連れて行かれる椛を視線で追いながら、しかし、私は予感が的中した事に焦った。
霊夢さんから忠告を受けた時と同じく、椛本人の前では言えないこと。
診察室の戸を開いて中に入ると、さっきと何一つ変わらない様子で永琳さんが座っていた。
相変わらず穏やかな笑みを湛え、それがかえって私の不安の水かさを増していく。
「貴方、あの子の躾はどのように?」
また躾の話である。
「時には甘やかし、時にはこれで」
そう言って拳を作り、掲げる。
「そう。それじゃあ、仕方ないわね」
「何がですか? いったい、あの子の体に何が起きていると言うのですか?」
「正確にはこれから起きる、かしら」
「だから、何が!!」
つい大きな声が出た。それまで笑みを崩さなかった永琳さんが目を丸くして驚いている。
それから私が一つ謝ると、また口元に笑みを浮かべるのだが、どうにも先とは質が違うようで私にはまた不快だった。
小馬鹿にされているのだろうか。
「あの子のこと、大好きなのね」
「……ええ、まあ。そんな事は良いですから、早く診断の結果を教えてください。もう回り道は結構です」
「あら、私は最初から必要な事項しか口にしてないわよ。そんな事、と言ったわね? そんな事、で片付けられないのよ」
「どういう意味ですか?」
「もうすぐ、あの子は貴方のせいで退化するわ」
聞きなれない言葉と聞き捨てならない言葉。
退化?
「私のせい、ですか?」
「ええ。貴方のあの子を甘やかす態度、鉄拳制裁という名の赦免。全て、あの子の退化につながるのよ。
あの子は意識してなくても、あの子の白狼天狗としての自我はその事を間違いなく理解し、咀嚼し、そして理に適った結果をもたらすわ」
「……よ、よく理解できないのですが」
「貴方になら何をしても赦されるし、困った時は貴方が助けてくれる。あの子は考える。ならば、私の存在意義はなんだろうか、山の哨戒? それだけならこんな人型の成りはいらない――つまり、それが」
「退化……? じ、じゃあ、あの子はまさか……そ、そんなことって」
私という存在への依存。
それによってもたらされるのは退化。
つまり、私があの子を叱り付ける時に使う「ワン公」という皮肉がそっくりそのままあの子の姿になるということ……?
焦燥が混乱に変わった。
妖怪が、しかも曲りなりにも上位に属する妖怪である天狗が退化する。そんな事があり得るのだろうか。
いや、あり得る。この月の賢者がそう言ってるのだから間違いない。
喉が渇いて掠れた意味不明の咆哮が気道を駆け上った。手先の震えが止まらないのに、まるで神経が活動を止めたかのように言う事を利かない。
椛の笑顔が網膜で反芻される中、徐々に視界が白くぼやけ始めた。
「落ち着きなさい。まだそうなると決まったわけじゃないわ。その為に、この施設がそして私がいるのだから。でしょう?」
「で、ですが、このままでは椛が……!」
「すぐに薬を調合するわ。でも、薬だけじゃ根本的な解決にはならない」
「私の態度、ですか? ど、どうすれば良いのでしょうか!」
まるで他人のような私の声が不規則に揺らいでいて、まるで泣き出す寸前の子供のような感じがする。
永琳さんはそんな私を見て別に焦るわけでもなく、淡々と対処法を述べていった。
「まずは甘やかすのを止めること。それが一番の原因でもあるのだから、今後一切、あの子を甘やかしてはいけません」
「他には? 霊夢さんは拳で叱り付けるのも良くない様な含みを」
「そうね。貴方、犬の躾についての知識はどれくらいあるのかしら。犬を叱り方はね、悪い事をしたときに無視するのよ」
犬の躾など素人同然の私には、そんな行為は矛盾しているように思えてならない。
悪い事をしたのにほったらかしにしておいたら、それこそ反省しないではないか。
「無視はしばらく続けるのよ。その子が自分の過ちを自覚するまでずっとね。犬にとって主人に相手にされないことほど耐え難いものは無いわ」
「しかし、あの子は犬ではありません」
「そうね。でも、あの子の本能にはそれが一番こたえるのよ」
永琳さんが机の引き出しから一冊の本を取り出し、私に差し出した。
どうやら犬の躾について纏められた本らしく、パラパラと捲ると可愛らしい挿絵が所々に図説として載っていた。
「あ、あの……その、椛は今どのくらいまずいのですか?」
「さあ? 悪いけど、人様のものにちょっかいを出す程、私は落ちぶれていないわ」
そう言って永琳さんが小指を立て、意味ありげな含み笑いを零した。
「そっちのまずい、じゃないですよ! ……あれ? まあいいや。真面目にお答え願えますか」
「はっきり言って相当危うい状態。あと一度でも甘やかした態度をとったら、体の変質は避けられないといったところね」
冷や汗が出た。
もう少しここへ来るのが遅かったらと思うと、脚の震えが止まらない。
「良かったわね、ここに来る決心がついて。その様子だと、もし、ここに訪れずにその時を迎えてたら発狂していたかもしれないわね、貴方」
そう言ってうっすらと微笑む永琳さん。
私は胸を撫で下ろして安堵するべきなのか、冗談ともつかない永琳さんの言葉に愛想笑いを浮かべて感謝の意を表するべきなのか判断つかなかった。
「ああっ!!」
奥の部屋から鈴仙さんの大きな声が診療所中に響き渡った。
驚く暇もなく、
「あ」
今度は目の前で膝を組み替えなおそうと脚を下ろした永琳さんの口から同様の言葉が漏れた。
それは月の頭脳らしからぬ、非常に間の抜けた声。
「あっちゃあ……あははは。ごめんなさいね、うちのうどんげがやらかしちゃったみたい」
軽く握った拳を自身の側頭部に、コツンっ☆、とぶつけて可愛らしく舌を出す永琳さん。
あまりにも衝撃的な場面に遭遇してしまったために、この後のことはあまり記憶に残ってないのだが、気がつくと私と永琳さんは奥の部屋の入り口に立っていて、
「こら、ウドンゲ! もう、ちゃんと気をつけるようにって言ったでしょ」
「ごめんなさい、ししょー。つい、その、うっかり……甘やかしちゃいました」
「まったく、困った子ね」
バツの悪そうな笑みで、軽く握った拳を自身の側頭部に、コツンッ☆、とぶつけて可愛らしく舌を出す鈴仙さん。
その横。
見慣れない小さな女の子が、どう考えても身の丈に合わない白装束と袴に絡まれながら座していた。
まるで椛を一回りか二回りほど幼くした感じの印象を受ける子供。
純白の髪の間から耳を出してピクピクと動かし、宝石のような大きな赤い瞳をジッとこちらに向けている。
「文さん、おかえりなさい!」
間違いなく椛だった。
Fin
>竹林の診療所に行ってあの子を見てもらいなさい
見て→診て
>鉄建制裁という名の赦免
鉄建→鉄拳
そして永琳とうどんげwwwwww
鈴仙が叫んだ時、お饅頭出されてまた嬉ションしたのかと思った。永琳と鈴仙可愛い過ぎなんだけど。
なんか微妙にスルーされてるけど、塩粥の味付けは『霊夢の塩』ではなくて『霊夢の潮』なのでは……いや、まさか。うーん。でも……
犬って結構ドライですよね。うちの子も2秒くらいしか甘えてくれないんです。
>2-5
月の人って頭良いけどどこか抜けていそうな印象を受けます。某姉妹とか。
霊夢の塩のツッコミにレスすると、夜なんとかに行かなくてはならないので、
あえてスルーで。
こっちに投稿を始めて約一ヶ月。
実験的な話をアップしていったにも関わらず、毎度奇抜なご意見を大変楽しませていただきました。
続いているようで続いてなく、繫がっていないようで繫がっているという境界をどう描写するか、
書く度にあれこれ考えては他のネタになったりと、とても有意義なスタイルで過ごせました。
今度は夜なんとかに行ってみるのも面白いかもしれません。
短い間ではありましたが、お付き合いいただきありがとうございました